【底辺の暮らし】
夜の新宿歌舞伎町を三ツ森は歩いていた。明日は休日だ。予定など何もない。やる事と言えば洗濯くらいなものだ。気分は乗らないが、ジムへも行こう。体を動かせば、少しは気が紛れる。そんな事を思っていた。一人で部屋に居るのは落ち着かなかった。ジッとなんかしていられない。だから三ツ森は歓楽街に出る。賑やかな場所に身を置く事で、孤独な心を紛らわせるかのように。いつもの事だった。歌舞伎町は人で溢れていた。店の呼び込みがたくさんいた。しかし、殺気立ったような雰囲気で歩く三ツ森に声を掛ける者は一人もいない。誰か俺を殺しに来い!そんな気持ちで三ツ森は彷徨い歩く。別に殺されたいわけではない。ただ、相手が殺しにくるのなら、遠慮なくそいつをぶち殺す事ができる、そんな事を考えていた。殺されたら殺されたで、それは全然構わない。心が荒んでいた。屈折していた。歪んでいた。
三ツ森の心は病んでいた。別に医者に診てもらったわけではない。ただ自覚があるだけだ。酷く疲れている。特に精神が。その精神に引き摺られるようにして体も重かった。何のやる気も起こらない。無気力状態が続いていた。人生に夢も希望もなかった。何の目的もなく日々を過ごしていた。何に対しても、興味すら湧かなかった。何をすればいいのかすら分からない。生活に現実味がなかった。何一つリアルに感じられなかった。自分を見失っていた。自分の考えている事が理解できない。自分がどういう人間なのかが分からない。自分が、ない。それは恐怖だった。得体の知れない孤独感にさいなまれていた。苦しかった。俺はいつから、どのようにしてこんな状態に陥ってしまったのだろう。こんな人間に、生きる価値などあるのだろうか、疑問を感じていた。死ねば楽になれる、ついそんな事を考える。自分がこんな気持ちでいる事を誰も知らない。日々、こんな気持ちで生活している事を誰も知らない。誰かに知って欲しい気もしたが、誰に知って欲しいのかは分からなかった。考える事がめんどくさい。何を考えればいいのかすら分からなかった。心の平穏が欲しかった。安らかな気分を味わいたかった。温もりが欲しい、例えそれが儚いものであったとしても。そんな事を思っていた。女性に抱かれている時、三ツ森は安らぎを感じた。肌と肌との温もりが心地よかった。だから風俗に通った。キャバクラにも通った。誰とも会話なんてしたくなかった。それでも孤独に耐え切れず、誰かと話したくてキャバクラへと足を運んだ。客という立場が気楽だった。自分がこんな暮らしをしている事を誰も知らない。知られる必要などどこにもないと思った。底辺の暮らし。誰が興味を示すというのか。このまま埋もれてしまえばいい。そう思った。この日も三ツ森はテキトーな店を探し、風俗店へと入り込んだ。
「水とお茶とポカリスエットがあるけど、何飲む?」
サービスを終えた風俗嬢が部屋に備え付けてある冷蔵庫を開きながら三ツ森に訊ねる。
「えーと…、水」
三ツ森が答える。冷蔵庫から水のペットボトルを取り出した風俗嬢がベッドに腰かけている三ツ森の隣に座る。
「はい」と言って三ツ森に水のペットボトルを手渡す風俗嬢。
「ありがとう」ペットボトルを受けとりながら三ツ森が煙草に火をつける。「江の島のさ、海沿いにある定食屋のハマグリ定食がむっちゃうまいんだけどさ」
「江の島?」風俗嬢が聞き返す。
「うん、江の島。今度一緒に喰いに行こうよ」と言って風俗嬢を店外デートへと誘う三ツ森。
「う~ん…、ハマグリ定食かぁ…」戸惑いを見せる風俗嬢。
「うん、ハマグリ定食」と三ツ森が復唱する。
「あんまり…、興味ないかな」と風俗嬢が遠慮がちに断りを入れる。
「そっか」煙草の煙を吐き出しながら、三ツ森はあっさりと引き下がった。この子はハマグリ定食にではなく、自分に興味がないのだと三ツ森は悟っていた。そりゃそうだ。こんな底辺の暮らしをしている人間に興味を抱く人間などいるわけがない。そう思った。三ツ森には下心があった。女の子と外で会える関係になれれば、自分の孤独も少しは紛れるかも知れない。一人で寂しい休日を過ごす事もなくなるかも知れない。女の子とそういう関係になれれば、風俗へ通う必要も、キャバクラへ通う必要もなくなるかも知れない。底辺の生活から抜け出せるかもしれない。無料で女の子とHな事ができるかも知れない、そんな下心もあった。そんな下心を三ツ森は自覚していた。孤独さえ紛らわせてくれれば、相手は別に誰でも良かった。失礼な話だ。女の子にとってはいい迷惑だ。俺とそんな関係になったとして、女の子に一体何のメリットがあるというのか。俺が女の子にしてあげられる事など何もない。楽しませてあげる事もできなければ、安心させてやる事もできない。これは俺の甘えではないのか。依存ではないのか。俺は女の子に縋ろうとしているだけではないのか。利用しようとしているだけではないのか。これは俺のエゴではないのか。今の俺に、人の為にしてあげられる事なんて何もない。そんな状態の人間が誰かに縋ろうなんて、卑怯である事のような気さえした。それでも三ツ森は、風俗やキャバクラに行くと必ず女の子を店外デートに誘った。自分の申し出を、軽く受け止めてくれる人がいればいい。そう思っていた。そんな人間、どこにもいなかった。商売以外で俺と関わる事は、誰にとっても負担でしかない。こんな人間に縋られても、困るだけだ。そんな事を考えていた。
時間となり、三ツ森は店を後にした。俺がこんな暮らしをしている事を誰も知らない。誰も知らなくていい。知られたところで、惨めなだけだ。自分がどうしようもなく惨めな人間である事を、三ツ森は自覚していた。それでもそんな生活から抜け出せない自分が恥ずかしくもあり、やはり惨めだった。




