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【覚悟】

 分譲マンションの一室。キッチンで山田の母親が洗い物をしている。食卓では山田が食事を取っている。もう夜の九時を過ぎていた。

「ごちそうさま」山田が茶碗と箸を食卓に置いた。今日の晩御飯は唐揚げだ。皿にはまだ随分と唐揚げが残っている。

「あら、もう食べないの?」それを見た母親が声を上げる。

「うん」

「随分と食欲がないわね。今度タイトルマッチがあるんでしょ?たくさん食べないと勝てないわよ」水道の水を止め、手拭いで手を拭きながら母親が山田のそばへと歩いてくる。

「試合が決まったからね。減量始めないと」と山田が食べない理由を説明する。

「それにしても食べないじゃない。体の調子でも悪い?」

「いや、タイトルマッチだからさ、早めに調整しようと思って」山田はそう言ったが、実際のところ、山田には食欲がなかった。村上とのタイトルマッチが決まってからというもの、山田は常に緊張を強いられていた。いや、正直なところビビっていた。自分のボクシングは村上に通用しないんじゃないか、そんな疑心暗鬼に囚われていた。山田は日々、練習で自分を追い込んでいた。それこそ毎日、体力の限界まで練習をこなしていた。それでも、練習を終えて帰る時になると、このまま帰ってもいいのだろうか、まだまだ練習が足りないんじゃないか、そんな不安に駆られてしまう。今日も練習を終えた後、電車には乗らず、ジムから家までの二駅分の距離を走って帰ってきた。体はへとへとだ。疲れ過ぎて食欲がないのか、それとも精神的なものなのか、山田自身には判断がつかなかった。

「そう?それならいいけど」母親が一応安心を口にする。

「部屋に行くね」山田はそう言って立ち上がった。そんな山田を母親が引き止める。

「あ、そう言えば憲ちゃん」

「何?」

「勝ちゃんからお手紙が届いてるわよ」そう言いながら食卓の端に置いてある郵便物の束の中から一通の手紙を取り出した。

「手紙?」不思議そうな顔で母親から手紙を受け取る山田。「何だろう」差出人の名前を見ると、確かに勝の名前が書いてある。宛名は自分だ。

「読んでみてよ」母親が興味津々の口調でそうねだる。

 山田は椅子に座り直し、手紙の封を切ると手紙を読み始めた。


 憲太郎お兄ちゃんへ

 ぼくには勇気がありません。

 学校へ行く勇気も、こわい事に立ち向かう勇気も。

 でも、もし憲太郎お兄ちゃんがチャンピオンになったら、

 ぼくもボクシングをやってみようと思います。

 憲太郎お兄ちゃんのように、こわくても戦えるように。

 ぼくも勇気を出します。

 こわいと思っている事に立ち向かえるように。

 だからチャンピオンになってね。

 また試合みにいくね。

 がんばってね。

 応援してるよ。

 勝より


 短い手紙だった。でも丁寧な文字で、一生懸命書かれているような気がした。山田は手紙を読むと、母親にその手紙を手渡した。母親は手紙に目を通すと、「憲ちゃんは勝ちゃんのヒーローだもんね」と言った。

「ヒーロー?ホントかよ」

「ホントよ。良子が言ってたもの。勝ちゃんが、憲太郎お兄ちゃんのようになりたいって言ってたって」

 山田は母親の手から手紙を引っ手繰ると、もう一度その手紙に目を通した。

 こわくても戦えるように、か。山田は自分が勝に言った言葉を思い返していた。怖かろうが、ビビろうが、男が覚悟決めて戦えば、案外何とかなるもんだぜ。確か勝にそんな事を言った覚えがある。自分がチャンピオンになってそれを証明してみせるとも。今の俺は、果たして覚悟が決まっているのだろうか。試合当日、ちゃんと覚悟を決めて戦う事ができるだろうか。勝が自分に期待をしている。勝の期待を裏切りたくはなかった。負けるかも知れない。それでも、勝に恥ずかしい姿だけは見せられない。ヒーローか。山田は勝が愛おしく思えた。勝ちたい。心からそう思った。いや、勝ちたいじゃ勝てない。絶対に勝つ、そう思える覚悟が欲しかった。今の自分にその覚悟があるとは思えなかった。とにかく、日々全力でボクシングに打ち込むしかない。その覚悟だけは、あるような気がした。

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