【何かをしていないと】
三ツ森はやり場のない怒りを感じていた。それはどうにもならない自分の人生に対しての、どうしようもないこの苦しみに対しての、殺意にも似た感情だった。どこにぶつければいいのかすら分からない、憎悪にも近い感情だった。なぜ、こんなにも頭に来ているのかは分からない。自分の事が分かってきて、かえって絶望感が増したのかも知れない。三ツ森の情緒は、いつだって不安定だ。三ツ森は神様が嫌いだった。神様は乗り越えられない試練は与えないとか、いつも見守ってくれているとか、反吐が出ると思っていた。だったらなぜこれほどまでに自殺者が後を絶たないのか。なぜその自殺者を助けようとしないのか。乗り越えられない壁なんていくらでもある。誰かの助けがなければどうにもならない事なんていくらでもある。試練を与えるだけ与えて助けようともしない。それを見守っている?やってる事はただの見殺し、神様なんて、最低最悪の傍観者だと思っていた。もし、この苦しみを与えているのが神様だとしたら、殺してやりたいと思った。もし、神様が俺の事を見ているのだとしたら、降りて来いと思った。何を見てやがる。殺すぞ。そう思った。ぜってぇ殺す。確実に殺す。間違いなく殺す。勝負してやるぞこの野郎。そう呟いている自分に気付いた時、三ツ森は我に返った。やり場のない怒りを、神様にぶつけている自分が滑稽だった。神様なんて、いるはずもないのに。そんな存在に殺意を抱いて喧嘩を吹っかけている自分に驚き、呆れ果てた。自分が遂におかしくなったと思った。俺はもう、ダメかも知れない。そう思った。こんな試練、乗り越えられる気がしない。いや、こんなものは試練でも何でもない。こんな苦しみ、ただの地獄だ。どうすればいいのかすら分からない。絶望のどん底に叩き落されている気分だった。時計の針は午前三時を指している。三ツ森の部屋は暗かった。電気もつけずにパソコンの前に座っていた。パソコンのディスプレイから放たれる光だけが、三ツ森を照らし出していた。明日も仕事だというのに、眠る気になれなかった。何とかしなければ、そんな気持ちばかりが焦り、頭は全く働かないのに、目だけが冴え渡っていた。冷静になれ、三ツ森は自分に言い聞かせた。しかし、冷静ではいられなかった。まったく落ち着かない。ジッとしていられなかった。煙草に火をつけ、思いっ切り煙を吸い込んだ。胡坐をかいた膝を小刻みに揺らしながら、パソコンのキーボートに手を置いた。そしてカタカタと文字を打ち込み始める。過去の出来事に思いを巡らせながら。
警察官の採用試験に落ち、進路も決まらないまま大学を卒業した俺は、英会話学校のカウンセラーの仕事に就いた。なぜその仕事に就いたのか、記憶がほとんどない。理由なんて何もない。何も考えず、ただ就ける仕事に就いただけの話だ。カウンセラーと言っても、カウンセリングなんかは行わない。色んな家庭に電話をかけ、学校の紹介をして、見学に来るよう促す。いわゆるテレアポだ。そして見学に来た来訪者に学内を案内し、学校の説明をして、入校するように働きかける。契約に結び付けるところまでが仕事だった。しかし、すっかり会話に苦手意識を持っていた三ツ森に勤まるような仕事ではなかった。学校の紹介なんて、誰も聞く耳を持たなかった。テレアポは雑談を交え、ある程度親しくなった上で学校に呼び寄せるしかないのだが、その雑談ができなかった。話題なんて何もない。会話なんて繋がらない。社員は皆こぞってやる気がなかった。嫌々仕事をこなしていた。全力で仕事に取り組む者など一人もいない。部長クラスの役職者だけがやる気満々で、やる気のない社員たちを叱咤して電話を掛けさせた。アポが取れないと説教を聞かされた。三ツ森はほとんどアポが取れなかった。甘えてるつもりはなかったが、そもそもの実力がなかったのだ。それでも必死に電話をかけ、何とかアポに結び付けた事もあったが、来校した人間を、部長が無理やり入校させた。入校させられて、落胆して帰るその人を見た時、アポを取った事への罪悪感が芽生えた。この人は俺を信用して会いに来てくれたはずなのに。それは企業のエゴだった。そんな環境下で、三ツ森の心は益々鬱屈し、晴れる事は一切なかった。会社の給料は固定給十万円と歩合制だった。アポの取れない三ツ森は、満足に稼ぐ事もできなかった。三ツ森の給与明細を見た父親は、「それがお前の稼げる給料の最高額だな」と嫌味を飛ばした。更に小言を言い続けてきた。何を言われたのかは覚えていないが、とにかく色々な事を言ってきた事だけは覚えている。父親は自分が絶対の人間だった。人の言う事に耳を傾けるような人間ではなかった。何を言っても無駄だから黙っていると、「何だお前、自閉症か」と言って、物凄い目で見下された。生まれて初めて殺意が芽生えた。殺してやりたいと思った。その目を、抉ってやりたかった。何もかもが面白くなかった。何もかもに嫌気がさした。仕事を辞めて家を出よう。そう決意して不動産屋を廻り始めた。仕事も辞めた。住む場所も決まった。しかし、部屋を借りるには保証人が必要だった。俺は家を出る事を親に告げ、保証人になってくれるよう頼んだ。すると父親が激怒した。「ふざけるな!保証人なんてもんは相手との信頼関係があって初めてなれるもんだ。誰がお前なんか信用できるか!」そんな言葉を吐いて寄越した。俺はショックを受けると同時に強烈に頭に来た。俺は父親のご機嫌を取らなければ一人暮らしもできないのか。そんなに俺が信用できないか。そんなに俺が気に喰わないか。そしてブチ切れた。俺の望む事など何一つ許そうとしない父親に、怒りが爆発した。家中の壁という壁をぶん殴りながら自分の部屋へと引き篭もった。「何だ!その態度は!」父親も怒鳴り散らしていた。壁にはたくさんの穴が開いていた。父親を直接殴らなかったのは、恐らく父親が俺に対して暴力を振るわない人間だったから。もし一度でも暴力を振るわれていたら、俺は父親を殴っていたかも知れない。母親は心配そうにその様子を眺めていた。知ったこっちゃなかった。母親に気を遣う余裕など、もはや俺にはなかった。最終的に父親が保証人になってくれ、俺は家を出る事ができた。なるなら初めからなれよ。そう思った。これが最後の情けだったのか、こんな息子は家から出してしまえと思ったのか、父親が何を思ったのかは分からない。しかし、俺はこうして両親と決別し、家を出る事になった。これで自由だ。ようやく俺は自由になれた。俺を縛るものは何もない。そう思って家を出たものの、もはややりたい事など何もなかった。何をすればいいのかすら分からなかった。山田と一緒にボクシングジムへ入会した。ボクシングは昔やってみたかった事の一つだ。しかし、ボクシングに対する情熱など、もはや微塵も沸かなかった。取り敢えず派遣の仕事に就いた。作業系の仕事くらいしか、できる気がしなくなっていた。工場に派遣された。こうして俺のその日暮らしが始まった。底辺の生活だ。それが現在まで続いている。これが大学を卒業してから現在までの、俺の人生の過程だ。どうすれば人生を立て直せるのか。どうすればこのどん底から抜け出せるのか。何も分からない。でも、自分が分かりかけてきた。なぜ、自分がこんな状態なのかが分かってきた。それは、人生の過程において、俺が全てを失ってきたからだ。興味も、楽しみも、目的も、自信も、自分も。問題は、今の俺に何もない事だ。何かを見つけなければ。その何かさえ見つける事ができれば、復活できるかも知れない。興味、目的、意思、楽しみ、何でもいい、転機のきっかけとなる何かを。しかし、何もなかった。そこまで考えて、キーボードに置いた手を休めると、三ツ森はそのままホームページを更新した。そしておもむろに立ち上がって部屋を出た。近くのコンビニへ向かった。就職雑誌を手に取った。パラパラとページを捲る。こんな事をして、解決する問題とも思えなかった。それでも、何かをしていないと、気が狂いそうだった。




