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【抜け殻】

 増本と別れた後、三ツ森はアパートへは帰らず、電車を乗り継いで新宿歌舞伎町を訪れていた。何となく、そのまま家に帰る気になれなかったのだ。三ツ森はまたしても焦りを感じていた。俺も何か見つけなければ。そんな焦燥に駆られていた。増本の話を聞いて益々そう思った。増本は曲を作ったり脚本を書いたりしていると言っていた。山田も今ではボクシングに夢中だ。何もやってないのは俺だけだ。俺だけが何もない。そんな自分に、苛立ちを感じた。心が落ち着かない。ジッとなんかしていられなかった。それでなぜ歌舞伎町にやって来たのかは分からない。落ち着かない時、三ツ森はよく歓楽街を訪れる。だが、その辺の行動原理は、自分でもよく分からなかった。誰か俺を殺しに来い!そんな気持ちで三ツ森は歌舞伎町をうろついていた。なぜそうなるのかも分からない。自分が分からない。いつもの事だ。三ツ森はそれを常に深刻に受け止めている。それでも、自分の心が荒み切っている事だけは分かる。どうにもならなかった。自分ではどうする事もできない感情を、三ツ森はいつも抱えていた。歌舞伎町は人で溢れている。トラブルなんて日常茶飯事の街だ。自分も巻き込まれればいい。そんな事を考えながら、三ツ森は歌舞伎町を彷徨い歩く。しかし、どんなにイラついていても、どんなに心が荒んでいても、三ツ森は自分からトラブルを起こそうとは思わなかった。自分から喧嘩を吹っかけて、誰かを巻き込もうとは考えなかった。相手が来るからこっちも行ける。相手が自分を殺しにくるから、自分も遠慮なく相手を殺す事ができるのだ。そう考えていた。自分に危害を加える気のない人間に、危害を加えようとは思わなかった。そんな事をしても、後ろめたさが残るだけだ。そんなトラブルなどは望んでいない。やるなら遠慮はしないし、遠慮はいらない。どうせなら徹底的にぶちのめしたいし、徹底的にぶちのめされたい。殺しても構わないし、殺されたって構わない。破壊衝動と破滅衝動、それを同時満たしてくれるような、凄惨で血生臭い、緊迫とした修羅場。三ツ森の望むトラブルとは、そんなトラブルだった。相手は、クソであればあるほどいい。それこそ遠慮なくぶち殺せる。それはボクシングや格闘技などという健全な手段では決して晴らす事のできない、陰鬱で殺伐としたどうにもならない負の感情だった。滅茶苦茶になってしまえばいい、俺も、人生も、何もかも。三ツ森の醸し出す雰囲気に何かを感じ取るのか、三ツ森に近付こうとする人間は誰もいない。店の呼び込みでさえ、三ツ森に声を掛ける者は一人もいなかった。人生は、俺の望む方向へは動かない。三ツ森の気分は益々鬱屈していく。クソっ。タバコが吸いてぇな、そう思った時、後ろから声が掛かる。

「君、君」

 三ツ森が後ろを振り返る。警官が二人立っていた。

「ちょっといいかな」そう言って近づいてくる。

「はぁ」三ツ森は拍子抜けした。警官相手にトラブルもクソもない。そう思った。

「今からどこ行くの?」二人の内の年嵩の方の警官がそう訊ねてくる。五十代くらいだろうか。貫禄がある。

「別に…、どこって事もないですけど…」と三ツ森が答えると、「一人ですか?」と若い方の警官が訊ねてくる。まだ二十代後半ってところか、随分とガタイがいい。

「はい」

「行くあてもなく一人でうろついてるの?」年嵩の警官が訊ねてくる。

「まぁ…」と答えながら、三ツ森は自分の行動が随分と怪しいものに感じられた。実際怪しいのだろう。だから声を掛けられたのだ。トラブルを求めて彷徨い歩く人間の挙動のどこが怪しくないのか、逆に知りたかった。

「ちょっと持ち物見せてもらっていいかな」三ツ森の予期していた言葉を年嵩の警官が吐く。当然そう来るよな、三ツ森はそう思った。特に疚しいものを持ち歩いているわけではない。三ツ森は素直に従った。財布、携帯電話、煙草、ライター、上着のポケットから防虫剤が出てきたが、持ち物はそれだけだった。

「歌舞伎町に何しに来たの?」三ツ森の持ち物をチェックしながら年嵩の警官が尚も訊ねてくる。

「キャバクラにでも行こうと思って」と三ツ森はテキトーな事を口にする。でもあながち嘘ではなかった。殺伐とした気持ちで歌舞伎町をうろついた後、最後に風俗かキャバクラへ寄ってから帰るのがいつものパターンだ。年嵩の警官と若い警官が顔を見合わせる。特に怪しいところはないと判断したのか、「そうですか。じゃあ、キャバクラ楽しんできてください」若い警官がそう言った。職務質問は終わりらしい。二人の警官は辺りの様子を窺いながら立ち去っていく。その後ろ姿を見送りながら、三ツ森は自分の殺伐とした感情が薄れているのを感じた。気分を削がれたのだ。心が凪いだ。チッ、ちゃんと仕事してやがる。三ツ森はそう思った。トラブルを未然に防ぐのも警官の仕事だ。その為の職務質問だ。あの二人は今、見事に仕事をしてみせた。三ツ森はなぜか二人の警官に感心していた。警察官は三ツ森も目指した事がある職業だ。採用試験を受けた事がある。大学生の時だった。三ツ森は大学卒業前、就職活動はせずに警察官の採用試験を受けていた。別に警察官に強い憧れがあったワケではない。会社員よりは興味がある、それだけの話だった。警察は事件やトラブルを解決する。何となく心の荒んでいた三ツ森は、事件やトラブルに巻き込まれる事を望んでいた。事件やトラブルを扱う職業、三ツ森にとって、それが警察官だった。下らない動機だ。使命感や正義感などどこにもない、手前勝手な動機だった。自分が警察官を目指すと告げた時、母親は心配を口にした。息子が危険な目に遭うかも知れない、心配の理由は恐らくそれだ。ウンザリだった。もはや知ったこっちゃなかった。そんな事を気にしていたら何もできない。これ以上人生の幅を狭められてたまるか。そう思った。父親は何が気に喰わなかったのか分からない。「お前に警察官なんて勤まるワケないだろ」頭ごなしにそんな台詞を吐いて寄越した。人の可能性を否定する言葉。いつもの事だった。俺は鬱屈した気持ちで採用試験を受ける事になる。結果はご覧の通り。不採用の理由は色覚が基準値に達していない為、警察はそう言って寄越した。三ツ森は色弱だった。色覚に難があるのだ。日常生活に不便はないが、夜や雨の日には色が見えづらい事がある。子供の頃から、色覚検査にはいつも引っ掛かってきた。でも、理由はそれじゃないと三ツ森は考えている。その頃、俺は既に病んでいた。心は荒んでいたし、気分は塞ぎ込んでいた。心理テストか面接で、その辺の事を見抜かれたのだろうと思っている。例え色に弱くても、優秀な人材なら欲しがるはずだ。建前として色覚検査の結果を持ち出した、そう考える方が自然だった。不適格、警察の試験が不採用となり、三ツ森は完全に路頭に迷った。他に興味のある事など何もなかった。何をすればいいのか、何を目指せばいいのか、何も分からなくなった。どんな理由であれ、警察官を目指した事は、三ツ森にとって最後の意思だった。警察官になる事は、三ツ森の最後の興味だった。自分の意思で起こした、最後の行動だった。しかし、結果は不採用。あの時点で、俺は完全に自分を失った気がする。あらゆる事から、意思も、興味も、消え失せた。不安で、孤独で、抜け殻のような自分だけが残った。自分が風俗やキャバクラに通うのは意思ではないと三ツ森は思っている。三ツ森の考える意思とは、自由な考え、発想の事だ。追い込まれた人間が縋るような思いで求める行動を意思とは言わない。どうしようもない人間の、どうしようもないがゆえの行動を意思とは呼べない。そうせざるを得ない理由が、その人間の中にあるだけだ。そう思っている。俺の中には何もない。意思も、興味も、発想も、全ては消え失せた。今の俺は抜け殻だ。誰かに踏み付けられたらひと溜まりもない。そんな事を考え、三ツ森は何だか急に怖くなった。クシャっと潰れる自分を想像する。なぜ、自分は生きているのだろう。生きてる事が不思議だった。いっそ死んでしまえば楽になれる。何度思ったか分からない。

「お兄さん、どんな店お探しですか?いい店紹介しますよ」突然声を掛けられて三ツ森は我に返った。店の呼び込みだった。

「いや、もう帰るところです」三ツ森はとっさに嘘をつく。以前店の呼び込みに付いていってぼったくられた事がある。呼び込みなどに用はなかった。

「帰る前にもう一軒どうです?」呼び込みが粘る。

「いや、結構です」そう言って歩き去る三ツ森に、呼び込みはそれ以上付いてはこなかった。今日は何だか飲みたい気分だ。キャバクラにでも行ってみようか。三ツ森はそんな事を考えた。別に誰かと話したいワケではない。女の子と戯れたいワケでもない。むしろ、できれば誰とも会話なんかしたくなかった。普段からそう思っている。話題なんて何もない。三ツ森はそのくらい会話が苦手だ。気分も塞ぎ込んでいる。それでも、一人でいると気が狂いそうになる。どうにかなってしまいそうだった。結局、孤独に耐えられないのだ。自分ではどうする事もできない、鬱屈とした感情の一つだった。誰かと一緒にいたい。コントロールできない自分を、誰かに繋ぎ止めて欲しい。三ツ森は切実にそう願った。そんな人間、いるはずもないのに。ホント、どうしようもねぇな。そう呟くと、三ツ森は辺りに目を配り、テキトーな店を探し始めた。

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