表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/42

【お前なんか】

 この日、三ツ森は職場の同僚、増本と二人でビリヤード場を訪れていた。今度の休日、一緒にビリヤードをやらないかと増本に誘われたのだ。二日前の事だった。三ツ森は驚いた。まさか増本に遊びに誘われるとは思ってもみなかったからだ。正直、増本と一緒に遊んでも楽しめるとは思えなかった。職場が一緒というだけで、別に親しいワケでもない。会話が弾んだ事もない。増本と一緒にいる事に、三ツ森は何のメリットも感じなかった。それでも今、三ツ森はこうして増本と二人でビリヤード場にいる。なぜ誘いに乗ったのかは分からない。何を考えているんだか。自分の考えている事が分からない。そこに意思など感じられない。何も考える事なく、ただ流されるままに承諾したのだ。そんな自分に、三ツ森はいつも辟易する。増本もなぜ自分を誘ったのか。増本の考えている事も分からなかった。場内にビリヤードテーブルは全部で八つあった。その全てのテーブルが埋まっている。入口から一番遠い角のテーブルに三ツ森と増本は陣取っていた。増本がラックを使って九つのボールをセットしている。三ツ森はボーっと突っ立ってそれを眺めていた。ビリヤードをするのは久し振りだった。大学時代に、先輩に連れられて遊んでいた事はあるが、大学を卒業してからは一度もやった事がなかった。三ツ森は落ち着かなかった。心が宙に浮いてる気がする。理由はない。いつもの事だ。

「三ツ森さんからいいですよ」ボールをセットし終わった増本が、三ツ森の方へ手玉を転がしながらそう言った。

「あ、はい」三ツ森は手玉をキャッチし、定位置に置くと、ブレイクショットの態勢を取る。腰を下ろしながら右手でキューを持ち、キューの先端を前方に置いた左手の指の間に通して前後に振りながら狙いを定める。しかし、なかなかキューの軌道が安定しない。久し振りだから緊張しているのか、真っすぐ玉を撞ける気がしなかった。三ツ森は自分の動かすキューの軌道と手玉の位置を確認しながら、いつまでもキューを前後に揺らし続けていた。ふと視線を感じる。誰かに見られている気がする。なかなか玉を撞かない自分に、増本が焦れているのか。だが、三ツ森の感じた視線は特定の個人のものではなかった。もっと大勢の、不特定多数の視線を感じるのだ。三ツ森は急に緊張し始めた。ショットにまったく集中できない。そんな事を考えながら、焦ってキューを前に突き出す三ツ森。ブレイクショットだ。しかし、キューは玉には当たらなかった。キューの先端は玉から外れ、三ツ森は大きく空振りをした。「あぁ」思わず声を漏らす三ツ森。体を起こし、何だか無性に恥ずかしくなった三ツ森はキョロキョロと辺りを見渡した。三ツ森を見ている者は誰もいなかった。増本一人を除いては。

「僕もたまにやりますよ」増本は真顔のまま三ツ森をフォローする。

「すいません。増本さんからお願いします」と言って三ツ森は増本に場所を譲る。増本がブレイクショットを放つ。ようやくゲームが開始された。ナインボールだ。自分から誘ってきた割に、増本の腕前も大したことはなかった。三ツ森も段々と勘を取り戻してきたのか、次第にボールをうまく撞けるようになってくる。三ツ森と増本の腕前はどっこいどっこいといったところだ。ゲームの途中、三ツ森はちょくちょく周囲の様子を窺った。何だか視線が気になるのだ。どうも誰かに見られている気がする。自分の事なんか、誰も見ているワケがないのに。おかしな感覚だった。どうやら、いよいよ妄想が始まったらしい。そんな事を考えながら、三ツ森はいつも以上に落ち着かない気分でいた。一ゲーム目は増本が取った。別に勝敗なんてどーでも良かった。増本と一緒にいる事はともかく、ビリヤード自体はそれなりに楽しい気がした。

「三ツ森さん」一ゲーム目が終わり、キューの先端にチョークを塗りながら、増本が三ツ森に話し掛ける。

「はい?」二ゲーム目のボールをセットしようとラックを手に持った三ツ森が返事をする。

「いつまで、今の職場で働きます?」

「…いつまで?」増本の方へ視線を向ける三ツ森。

「三ツ森さんも派遣でしょ?」

「はい」

「いつまでもこのままじゃいられないよな…」呟くような口調でそう話す増本。増本も三ツ森とは別の派遣会社から工場に派遣されている派遣社員だった。

「転職考えてるんですか?」三ツ森が質問をする。

「でもどこに行っても大して変わらないんだよな…」質問には答えず独り言のようにそう呟く増本。

「僕も色々やってるんですけどね…」と増本が続ける。

 少し興味の沸いた三ツ森が、「何やってるんですか?」と訊ねると、増本は口籠りながら、「曲作ったり…、脚本書いたり…」と口にした。

「へー…」意外な思いで三ツ森が感嘆の声を漏らす。「凄いですね、曲作れるんですか」

「いや…、大した曲は作れないですけど…。でも…、一発当てたいですよね…」増本が小さな声でそう呟く。三ツ森は奇妙な感覚で増本を見つめていた。普段何を考えているのか全く分からない増本の考えに、少しだけ触れたような気がした。増本もちゃんと考えている。何も考えていないようで、ちゃんと考えいるのだ。今のままではいけない事がちゃんと分かっている。増本なりに悩んでいるのかも知れない。でも、そこから抜け出す為に、ちゃんとどこかへ就職し直すのではなく、作曲や脚本で一発当てて富を手にしたい、増本の言っている事はそういう事だった。増本が夢物語を描いている、三ツ森はそう思った。増本の年齢も自分とそう変わらないはずだ。聞く人が聞けば滑稽に思うかも知れない。でも、三ツ森はその夢物語を笑う気にはなれなかった。むしろ、増本に親近感のようなものが芽生えていた。増本も足掻いているのだ。今のままじゃいけない事を増本なりに思い悩み、何とかこの生活から抜け出そうと考えて、もがいているのだ。自分と変わらない人間がここにもいる。三ツ森は増本を身近に感じた。いや、自分と違って増本にはちゃんとやっている事がある。増本がどんな曲を作り、どんな脚本を書いているのかは知らないが、増本はちゃんと行動を起こしている。ちゃんとやっている事があるのだ。やっている事があるというだけで、自分より随分と先を行っているような気がした。増本が羨ましい気さえした。真顔で黙り込む増本の顔に視線を向けながら、「お前なんかサラリーマン以外になれるワケないだろ」三ツ森の頭の中に、ふとそんな台詞が流れ込んだ。かつて自分が言われた台詞。父親の言葉だった。自分が何を言った時にそう言われたのかは思い出せない。それでも、言われたその台詞だけはしっかりと覚えている。夢もヘッタクレもない。言われた人間の可能性を、頭から否定する言葉だ。今の増本の言葉を父親が聞けば、容赦なくそんな言葉を吐き捨てるかも知れない。でも三ツ森は、そんな言葉を吐いて増本の可能性を否定するような真似はしたくなかった。増本には増本の考えがある。増本の人生は増本のものだ。増本のやりたい事を、増本のやりたいようにやればいい。そう思った。自分にそんな事を話すなんて、増本は自分のやっている事を人からバカにされた事がないのだろうか。自分の考えを否定された事がないのだろうか。三ツ森はそんな事を思った。俺は散々否定されて生きてきた。バカだのキ×××だの、頭のネジが外れてるだのと、よく言われたものだ。自分が何を言った時にそう言われたのかは覚えていない。でも、言われた事だけははっきりと覚えている。頭に来た記憶しかないが、本当は、傷ついたのかも知れない。言った方は忘れてるかも知れないが、言われた方はいつまでも覚えている。そんなものだと思う。三ツ森は自分の事をあまり人に話さない。話したところで、ろくな言葉が返って来ない。そう思っている。バカにされたり、心配されたり、ウンザリだった。励まされたり、背中を押してもらった記憶など皆無だった。人にそんな事を期待するのはとっくの昔にやめていた。とっくの昔に諦めているのだ。別に人に聞いてもらいたい話もない。捻くれていると言えば捻くれているのかも知れない。増本は自分のやっている事を俺に話した。自分の考えを俺に漏らした。不思議な気がした。仮に今、将来の為に俺にやっている事があったとして、俺はそれを人に話すだろうか。それも、職場が一緒だというだけでそんなに親しくもない人間に。うまく想像できなかった。増本も自分と同類の人間だと勝手に思い込んでいたが、増本は、意外に素直な性格なのかも知れない。案外真っすぐに育ってきたのかも知れない。俺のように捻くれてなんかいないのかも知れない。三ツ森は何だか増本に可愛げを感じた。そんな事を頭に巡らせながら、「曲作ったり脚本書いたり、何やら楽しそうですね。こんど聴かせてくださいよ、曲。脚本も読んでみたいな」三ツ森はそんな事を口にしていた。

「えぇ?……。別に、いいですけど…」少し驚きながらも、増本が照れたような表情を浮かべる。でも、どこか嬉しそうだ。

「どうやって曲作るんですか?曲が降りてくるとか」

「いや、ギターで…、コードを繋げて…」

「ギター弾けるんですか?」

「一応…、そんなにうまくはないけど…」

「どんな曲作るんですか?」

「う~ん…、バラードとか…、ヒップホップ系も作るかな…」

「歌詞は書かないんですか?」

「歌詞も書きますよ…、一応」

「凄いですね。ソングライターじゃないですか」

「いや…、まあ…、そうですね…」

 初めてまともに増本と会話した。初めて増本の考えている事に触れた。三ツ森は増本の誘いに乗った事を後悔していたが、それだけで十分な気がした。増本も自分と変わらない。人生に悩み、そしてもがいている。今の状況から抜け出そうと、必死に足掻いているのだ。しかも、自分なんかよりずっと上手に。何もないのは俺だけか…。三ツ森はそんな事を考え、自分だけが取り残されているような感覚を覚えた。

 三ツ森と増本は結局五ゲームほどビリヤードを楽しんだ後、すぐに解散した。場所を移そうとか、そんな話は出なかった。一緒にいた時間は二時間足らずだ。俺たちらしいな、三ツ森はそう思った。

「また話、聞かせてくださいね」別れ際、三ツ森は増本にそんな言葉をかけた。自分が本当にそんな事を望んでいるのかは分からなかったが、何となく口にしたかったのだ。

「ああ…、はい…」増本はまたも照れたような表情を浮かべていた。増本との距離が少し縮まった気がする。だから何だという気もしなくはないが、それはそれで嬉しい事のように思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ