【妄想の前兆】
部屋に帰ると、三ツ森は電気をつけ、パソコンの電源を入れた。パソコンの前に陣取り、煙草に火をつけると、後ろに置かれているベッドに寄り掛かる。今日も仕事だった。疲れた。三ツ森はため息と共に煙草の煙を吐き出した。別に仕事で疲れたわけではない。いつだって疲れている。人生に疲れているのだ。そう思った。部屋に帰っても相変わらず落ち着かなかった。この世界に、三ツ森の落ち着く場所などどこにもなかった。ベッドに頭を預け、煙草の煙を大きく吸い込みながら、三ツ森は自分の記憶を辿り始めた。過去を洗い出す、分析する、自分を見つめ直す為に。そんな事に意味があるのかは分からない。でも、他にやる事なんて何もなかった。三ツ森が過去に想いを巡らせていると、部屋の呼び鈴が鳴る。滅多に鳴らないので、三ツ森は最初何の音か分からなかった。続いて部屋をノックする音がした。誰かがドアを叩いている。来客だ。もう夜の七時を過ぎていた。来客の心当たりなどまったくなかった。吸っていた煙草を灰皿で揉み消し、玄関へと向かう三ツ森。ドアを開ける。
「ども~。毎朝新聞です」玄関の外には三十代前半くらいの男が立っていた。
「はぁ」と三ツ森が気のない返事をすると、その男はドアと玄関の隙間に足を入れ、三ツ森がドアを閉められないようにロックした。その態度に少しイラッときた三ツ森は、「新聞取りませんよ」と相手が要件を言う前に断りを入れる。
「三か月でいいんで、取って下さい」と男が言う。
「いや、結構です」
「じゃ一か月でいいんで」
男の態度はどこか横柄だった。
「いや、取りません。新聞読まないんで」三ツ森はそう言ってドアを閉めようとするが、男の足が邪魔で閉められない。男が足に力を入れるのが分かった。なんだこいつ、そう思いながら男の顔を眺める三ツ森。二人の視線が絡み合う。しばらく三ツ森がその目を眺めていると、「お兄さん、格闘技やってるでしょ」と男が口走る。
「は?」
「俺、分かるんだよね、そういうの」男の口調は断定的だ。
言葉に詰まる三ツ森。ドアをもう一度閉めようと試みるが、ドアはビクともしない。男が足に力を入れるのが分かる。
「分かってて挑発してるんすか?」三ツ森が男に訊ねる。
「別に挑発はしてない。新聞取って下さいと言ってるだけです。それにお兄さんが大した格闘家とも思えない」
三ツ森はイラ立ちと共に少し薄気味の悪さを感じた。俺が格闘家に見える?百歩譲ってそう見えたとして、格闘家として大したことない事がなぜ分かる。そんな疑問が沸き起こる。
「だから、いらないって言ってるんですよ」三ツ森の口調にイラ立ちが滲み出る。
「サービス付けますよ」
「何を付けられてもいらないもんはいらない」
「一カ月でもダメですか?」
「いらない」鋭い目つきでキッパリと断りを入れる三ツ森。
「チッ。分かりましたよ」そう言ってドアから足を退ける男。「お邪魔しました」そう言って後ろに下がると、隣の部屋の前へと移動する。呼び鈴を押し、ドンドン、と隣の部屋のドアをノックする男。三ツ森はその様子を眺めていた。それに気付いた男が、「何すか?新聞取ってくれるんすか?」と訊ねてくる。ドアを閉め、部屋へと入る三ツ森。自分が格闘技をやっており、大した格闘家ではない事を言い当てられて動揺していた。俺の情報が洩れている?そんな事を考え、そんなワケないか、と自ら否定する。そんな疑念が浮かび上がるなんて、妄想の前兆か?そんな事を思いながら三ツ森は再びパソコンの前に腰を下ろした。薄気味が悪い。それにしても失礼な勧誘だった。後味の悪さを引き摺りながら、三ツ森は煙草に火をつけ、再びベッドに寄り掛かった。




