16.やっかいな旅路(1)
俺達の船はパレス・ブランを離水すると、ひたすら北を目指した。
龍の爺さんが言うには結界は全部で十二か所に設置したそうで、今回ワイバーンやらダーク・エンジェルが出て来たのは、その中の一番北に設置した結界発生装置が持ち去られたのが原因だと言う。
ってぇ事は、今後もその結界の隙間を通って厄介な奴らが現れる恐れがあるわけだ。急がねばなるまい。
船はパレス・ブランにある転移門から流れ出ている塩の川に沿って、なるべくワイバーンを刺激しないように高度を下げ超低空を真北に向かって進んでいた。
そのまま海岸線に出たら、今度は進路を東に向けて今は無人になっている東部要塞を目指して海岸線沿いに進んで行く事になる。
東部要塞に近づいたら適当な入り江を探してそこに船を隠し、後はひたすら徒歩で近づき、盗まれたと思われる結界と生命反応を断ったというシャルロッテを探す事となる。
当然、難易度の超高いミッションとなった今回の旅には、明るい雰囲気は全くなく、船上は葬式のような重苦しい雰囲気に包まれていた。
その重い雰囲気の原因の半分は、高難易度のミッションに対する不安感である事は間違いは無かったが、残りの半分は、誰が見ても未だに船に慣れず吐きまくっている帝国兵にあろう事は容易に判断出来た。
船の後部に居ると、帝国兵の吐き戻しの臭いで自分達も気持ち悪くなるので、アドやポーリンをはじめとするレディースは舳先の所に集まっていた。
唯一操船の為に舵から離れられないアンジェラだけが、吐き戻しの臭いの中、涙を流しながらその酸っぱい臭いに耐えて舵輪を握っていた。
重たい帝国兵が船尾に集中した為、船は後部が異常に重くなり、その結果舳先が上に向いてしまい、普通に飛ばすと船が立ってしまうと言う異常な状況になっていて、操船には非常に苦労をしていたアンジェラだったが、そのおかげで酸っぱい臭いを気にしている暇がなかったという思いもかけない恩恵を受けていた。
だが、それでも精神の消耗は激しく、海に出る前にギブアップしてしまった。
「す すみませーん、限界でぇ~す。一旦着水しま~す」
そうアンジェラが宣言すると、船はみるみる高度を下げ、川に着水してしまった。
事態に気が付いたアウラとポーリンがアンジェラを救出に向かうと、アンジェラは舵輪にもたれたまま激しい呼吸をしていた。精神の消耗が激しかったのか、物凄い臭いにやられたのか、どちらにしても急いで救出しなくてはならない緊急事態だった。
「うっ!臭ぁ~!」
「うわっ」
二人とも、周囲に充満する酸っぱい臭いに顔をしかめた。
口と鼻を袖で押さえながらも、涙ぼろぼろの目でアンジェラを救出しようとしている二人の、なんと言う仲間思いの勇気ある行動だろうか。
片や、そんな二人を茫然と見ているだけで、何の行動も起こせない男共の、なんと言う情けなさ。肝心な時にこれじゃあ女性陣からの信頼は地に落ちたと言ってもいいだろう。
それぞれが肩を貸して、二人三脚のようにして、ぐったりしているアンジェラを前部甲板に連れて来た二人はアンジェラの胸元を開いて楽にしてやり、水を飲ませたり、汗を拭いてやったりと甲斐甲斐しく介抱をしていた。
そんな様子をぼんやり眺めていた俺は、不意にアウラに声を掛けられた。
「おかしら、ああいう力仕事はお頭とか男性陣の仕事でなくって?なんで、か弱い女性にやらせておいて、手も貸してやらないの?最低なんだからね!」
「あ あれは・・・えーっと、なんだ、突然の事で、咄嗟にどうしていいかわからなくなっちまってなぁ。そんなに責めるなよぉ」
「責めている訳ではありませんよ。ただただ、情けないと申し上げているだけです。今後女性陣からの見る目が変わったとしても、知りませんからね」
言うだけ言うと、アウラはアンジェラの方に歩いて行ってしまった。
「なんなんだよ。っつたくよぉ」俺はなんとも納得がいかなかった。女の目?そんなもん、俺にとってはどーってことねー事だな。
あんな乳呑み児どもの視線が何だって言うんだよ。そんな事よりも戦いに強いって事の方が重要なんじゃねーか?何で、そんな事すら分からないんだ?
憤慨していると、今度は後ろで見ていたハンスが近寄って来た。
「貴殿は、相変わらずだな。それじゃあもてんだろう」
「うっ、うるせー!もてようが、もてまいがおめーには関係ねーだろうが」
「ああ、関係無いな。ただ、哀れだなと思っただけだ。思っても言わんがな」
「言ってるじゃねーか!」
「気のせいだ」
そう言いたい事だけ言うと、奴はアドの方に歩いて行った。
「軍師殿。どうだろうか、一旦船を岸に付けてもらえんだろうか?」
俺に対する時とは全く違う優しい声じゃねーかよ。けっ、女好きがっ!
「配下の騎士殿達のリフレッシュですね」
「ええ、この臭い状態では戦いになった時に戦力になりません。川で体を洗い身綺麗にして、装具も綺麗にしてやりたいのです。そして、汚してしまった甲板も水洗いをしたいと思いますが」
「私も同じ事を考えておりました。ここで、多少足踏みしても大勢にはさほど影響はないでしょう。アンジェラさんが復帰しましたら早速岸に寄せてもらいましょう」
「ご配慮に感謝します」
「いえいえ、そう言えば、将軍閣下は船酔いにはならなかったのですか?」
一瞬言葉が詰まったのを俺は聞き逃さなかった。あれは、絶対に船酔いしているぞ。
「あ、ええと、アドラー殿にはかないませんなぁ。やせ我慢ですよ。私が船酔いで吐いて居たら部下の士気に関わりますからな、この事は内密に願いますよ」
「ふふふ、大丈夫ですよ。誰にでも弱みはあるものです、敢えて話したりはしませんのでご心配なく。ただ、あの方が・・・ねぇww」
そう言うと、アドの奴笑いながら俺の方に振り返りやがった。俺が言いふらすとでも思っているのか?
しばらくするとぐったりして横になっていたアンジェラが起きて来た。
「アンジェラ姐さん、もう大丈夫なんか?無理したらあかんで」
心配そうに気遣うポーリンだったが、意外にもアンジェラの足取りはしっかりしていた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました。まだ万全ではありませんが、空を飛ばないのであれば全然大丈夫です。話は聞こえていました、岸に寄せればいいのですね。直ぐに岸に寄せますので、しばらくお待ち下さい」
そう言うと、首に巻いていたスカーフで鼻と口を覆って舵輪のある船の後部に向かって歩いて行った。
途中、甲板上で吐しゃ物にまみれていた装甲歩兵達がアンジェラに対して声を掛けていた。恐らく謝罪でもしているのだろう。
船は相変わらず川の流れに翻弄されながら、川下に向かって右に左にと迷走していたが、アンジェラが舵輪を握ると不思議な事に、船の迷走はピタリと治まり、真っ直ぐに航行を始めたのだった。
アンジェラは暫く岸近くを航行させていたが、流れが緩やかな瀬を見付け、そっと船を寄せて、そのまま岸に乗り上げ停止させた。
すると、いままで甲板上で這いつくばっていた騎士達は我先にと綱を伝って我先にと岸に降りて行き、もどかしそうに鎧を脱ぐと次々に川に飛び込んで行った。すっぽんぽんで。
その為、女性陣は船から降りる事も、縁から下を見る事も出来ずに前部甲板で戦力にならなくなった男性陣に代わって対空監視に専念する事になった。
「男連中はみんなすっぽんぽんやさかい、いざって時はうちらが守ってやらないとあかんなあ。ww」
なぜかポーリンはひとり嬉しそうだ。
「さて、今動ける男は、俺とハンスとそこにいる副官殿だけって訳だが、どうやって甲板を綺麗にすりゃあいいんだ?バケツで川から水を組み上げるしかねーんか?」
俺は肩をすくめながら参謀殿に質問をした。甲板上に水を汲み上げるのは、結構な高さがあるから重労働なのでやりたくはないが、いつまでも臭いのは嫌だから仕方が無い事なのかもしれないんだろうな。吐いた奴が後始末をしろよって思わないでもなかったが、そんな事言える雰囲気ではないのは明らかだった。
だが、ここで副官の誰だったかが、思いもかけない事を言い始めた。
「西の空が暗くなってきましたな。空気も重くなって来た気がします。こりゃあしばらくすると雨になるかも知れませんな」
「本当かっ!?」
俺も西の空の方を見やった。確かにべたーっとした雲が広がってきている。
「なるほど、雨が降ってくれれば、甲板の吐しゃ物を洗い流してくれそうだな。後は神頼みって事だな」
「お頭が祈ったら、神は神でもダーク・エンジェルが来てまうかもしれへんでぇww」
「ばっ、馬鹿な事言ってんじゃねーぞ!!本当に来たらどうするんだ。俺は逃げるからなぁ!!」
一瞬だがピり付いた空気がなごんだ気がした。
ぽつりぽつりと身体を綺麗に清め、装備の洗濯を終えた騎士達が船上に戻って来た。
ほぼすっぽんぽんでロープを使って登って来た後、下で綺麗に洗った後で紐で縛っておいた自分の鎧を引き上げていた。後は乾かせば終了だ。もう吐くんじゃねーぞ。
みんなさっきまでとは打って変わった、さっぱりとした顔をして戻って来ている。表情に笑顔も戻って来ていて、まるで別人のようだ。
そして、身綺麗になったので心に余裕が出来たのだろう、周囲をキョロキョロと見回し、誰とは無しにもうじき雨になるであろう事を知り、喜びの声が大きくなっている。
ここの川は海水なので、浴びた後は真水で流さないとベトベトになってしまうので、みんなが雨を喜ぶのも無理なかった。
甲板上の汚物も綺麗に流し去ってくれるとなれば、尚更だ。
頭上、マストのてっぺんではポーリンが何故か歌を歌いだした。歌?歌だよな。どんなメロディーなんだか一向にわからない歌だった。それを、力一杯の大声で歌いだしたのだ。
俗に言う、“音痴”ってやつなのだろう。小声でひっそりと唄えばいいのに、寄りにもよって大声でがなり立てるとは。。。嫌な事でもあったのだろうか・・・。
その頃、ムスケル達の船が停泊している場所の近くでは、ちょっとした騒動が起こっていた。
新生シュトラウス大公国は蛮族からの襲撃をいち早く知る為に、国境の更に外側の辺境の地に、無数の監視哨、すなわち物見の塔を築いて日夜周囲の監視を行っていた。
今日も監視員が周囲の監視に余念がなかった。とは言え、蛮族の姿をまったく見なくなってずいぶん経つ。監視員の緊張もいい加減に緩み出した今日この頃だった。
「あーあ、ついてないなぁ。本当だったらよ、今頃は母ちゃんの出産に立ち会ってよ、めんこい我が子を抱き上げていたろうによお」
「俺もついてねーよ。やっとのことでアンナちゃんにプロポーズする寸前にまでこぎつけたのによお、今頃誰かに盗られたらどうしたらいいんだああああああああ」
「おめーも、こんな仕事になんかよお、来たくなかったべ?」
「あ、いや、おらの家は貧乏でよ。おらがこうして働いてお金送らねーと、小さい弟や妹がおまんま食えないだよ」
「おめーも大変なんだな」
「今度、姉ちゃんが結婚するだよ。蛮族が来てくれて戦いになって大怪我したら、国からの保障で結納金が払えるんだが、最近は蛮族も来なくなったからなぁ」
監視員達はする事が無く、愚痴話に花を咲かせるのが毎日の日課だった。
「お、定時パトロールが帰って来たべ。パトロールっていっても、結局散歩なんだよな。こんな僻地、なーんもねーからな」
「おーい、お疲れ~。早く上がって来て酒でも飲めやww」
今日のパトロールは、新人三人組だったが、何故かみんな顔が引きつっているような感じがした。
「ん?どうしたんだ?なんか、みんな蒼い顔してねーか?」
「ほ 報告します!船が、船が空を飛んでいました!」
「なにいぃ?意味がわからんぞ、どういう事だ?船が空を飛んでいただと?ねぼけてんのか?顔洗って来いや!」
「いえ、寝惚けてなんかいません。空を飛んでいたんです」
後ろの二人も、うんうんと頷いている。
「それで?その船は今どうしている?」
「川に落ちました」
「まあ、船なんだから川に浮かんで居てもおかしくはないわな」
「それだけじゃなく!確認しようと近づいてみたのですが、物凄い嘔吐物の臭いで充満していました」
「船には、女が大勢乗っていたんです」
「おまけに、身の毛がよだつような悪魔の呪いの歌のようなものが聞こえて来たので、怖くなって走って逃げてきましたっ!」
「すぐに本国に応援の要請をしませんと・・・」
「まてまてまて、ちょっと待て、話しを纏めるぞ。船が空を飛んで来て川に落ちた。その船は乗組員が船酔いで吐きまくっていたと。で?乗組員は女だ?おまけに、悪魔の呪いの歌と・・・・」
三人共、首がもげそうなくらい頭を上下に振っている。嘘を言っているようには見えなかったが、こんな報告をしたらこっちの頭まで怪しまれかねんぞ。
「よし、報告はわかった。お前達は疲れていたんだ、今日はもういいから酒かっ喰らって寝ろ!以上だ」
「待ってください!本当に見たんです。嘘じゃありません!」
「あのなぁ、本当だったとして、どうやって報告するんだ?船が空を飛んでました~って言うのか?その船の乗組員はみんな女で、船酔いで吐きまくっていて、悪魔の呪いの歌を歌っていました~。怪しいので応援ねがいますーってか?お前達の方がよっぽど怪しいってわかっているのか?」
「でも・・・」
「いいか?俺達は何も見ていない。聞いて居ない。嗅いでいない。そういう事だ。さっさと下がって寝ろっ!」
身近でこんな騒ぎが起こっているなんて事は、ムスケル達には知る由も無かった。何故知る由も無いのかは、知る由も無かった。
唯一、アドラーだけが、遠く草原を凝視して口元に笑みを浮かべていただけだった。




