蛙が飛び込んだのは? 5
俺は体育館に逃げ込んだはずなのに、扉は全部消えた。
なんでだ。なんでだ。意味がわからない。
――ぽと、ぽと、ぽと、ぽと。
水の音が、耳の奥を針で刺すみたいに響く。
あああああ、うるさい。頭がおかしくなる。
普通の水音じゃない。ここは、普通の体育館じゃない。
俺は必死で端っこへ走るが、この空間はやけに狭く感じる。
逃げ切れるはずがない。
「……ッ」
黒髪の化け物が立っていた。水を滴らせながら、俺を見ている。
まぶたのない瞳が、瞬きもせず俺を捉えていた。
背筋が凍った――はずなのに。
違う。これは冷や汗じゃない。
暑い。暑い。息を吸うだけで喉が焼ける。
なんで体育館なのに、こんなに暑いんだよ……!
水が床を叩く。ぽと、ぽと、ぽと。
それはただの音じゃない。
俺の名前を呼んで笑っているように聞こえた。
何とか逃げるために、俺は校長先生の演説台に飛び乗った。
少しでも高所を取れば……そう思ったが、化け物にそんな理屈は通用しない。
ガタ、ガタ、ガタ……!
台全体が揺れる。化け物が長い腕で押し、髪を振り乱している。
怖い。今までいろんな大人に怒鳴られてきたけど、あんなのは怖くなかった。
でも今は違う。ここには「助け」も「保証」も存在しない。命そのものが削られていく。
黒髪の隙間から一瞬だけ覗いた顔は、ただの女の子の顔だった。
……だから何だ。今この場で知っても、意味なんてねぇだろ。
ガタポト、ガタポト、ガタポト。
台が軋む音と、水の落ちる音が重なり合って、体育館全体をノイズで埋め尽くす。
耳が割れそうだ。頭が狂いそうだ。
俺は必死に周りを見渡した。
台の上から見た体育館は、小さく、狭く、逃げ場のない箱にしか見えない。
初めてわかった。校長先生のあの偉そうな態度は、この高さから人を見下ろす安心感から来てたんだ。
皮肉だよな。死にかけて、初めてそんなこと理解するなんて。
「ッ……!」
崩れそうな台を必死に蹴りで化け物をいなしながら、俺は見てしまった。
――体育館の一番奥。
そこに、まだ“生きている扉”がひとつだけ残っていた
どうする?飛び込むしかないのか?
ここは体育館のステージ、その上の校長のクソでかい台だ。
高さは2メートル以上。いつもの俺なら絶対にやらない。
でも今は――やるしかない。
ダアアアアアアンッッ!
体育館にでかい音が響き渡った。
人生で初めて、2メートル以上から飛び降りた。
足がジンジンと痺れる。ズキズキ痛む。
でも関係ない。走るしかない。
暑い。痛い。うるさい。最悪だ。
でも俺は奥の扉をめがけて必死に走った。
化け物が背後で叫び声をあげ、全力で追いかけてくる。
間に合う。あと少し――
俺が扉に手をかけた瞬間。
消えた。
扉は、音もなく“消えて”しまった。
「……ッ」
後ろを振り返る。
たった2メートル先に、化け物が迫っていた。
そしてさらに奥。そこに――新しい扉が現れていた。
俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……俺の人生、やっぱ幸せにはなれねぇなぁ」
ーーーー
「鉄、急いで! あの怪異は――この学校で死んだ生徒よ。きっと、自分が死んだ場所こそ一番クオリティが高いはず」
鉄は眉をしかめる。
「なんでだよ。外で死んだけど、学校に執着してるって可能性だってあるだろ」
……そうだ。こればっかりは推測だ。
でも今は、推測でしか進めない。
「うるさいわね。命がかかってるのよ。依代が見つからなきゃ、ギャンブルでも何でも張るしかないの」
声が震えていた。自分で気づいてさらに焦る。
鉄がそんな私を見て、急に大声をあげた。
「あるじゃねぇか、素早く情報が手に入る媒体が!」
そう言うなり図書館を飛び出し、隣の新聞置き場に駆け込んだ。
「鉄!? やめて! 全部真っ白に決まってるって!」
必死に追いかけると、鉄は乱暴に新聞の束を漁りながら叫んだ。
「違う!! 俺が探してるのは“普通の新聞”じゃない――学級新聞だ!」
……学級新聞?
一瞬、意味がわからなかった。けど、すぐに気づく。
「……そうか」息を呑んだ。
「学級新聞は、生徒の目線で“学校で起きたこと”を全部残す。公式な新聞よりも、ずっと細かく、鮮明に」
鉄は頷いた。
「そうだ。もしあの化け物がこの学校で死んだのなら……絶対に、記事になってる」
私は答えにたどり着いた。
「つまり――“自分の死因に関わる新聞”だけは、絶対に鮮明なはず」
私たちは真っ白な新聞の山を必死にかき分けて――ついに見つけた。
唯一、はっきりと文字が残った新聞。
見出しは大きく、黒々とこう書かれていた。
「美術部の申し子、綾野結菜 夜の部活でプールに落ちて窒息死」
「……綾野?」私は思わずつぶやいた。
健三と同じ苗字。偶然なのか、それとも――。
詳しい記事を読み込んでみる。
けれど、そこに書かれているのは、憶測ばかりだった。
「“うまい絵が描けなくて絶望した”」
「“嫉妬した美術部員のいじめによるもの”」
どれも、根拠のない与太話。
結局、事実は「プールで窒息死した」それだけしかわからなかった。
「でも……やっぱり美術部に関わる人間ってことは確定ね」私は唇を噛む。
「依代は何? 絵の具? 絵? それとも――プールの水そのもの?」
鉄が腕を組む。
「そもそも、なんで7時34分に現れるんだよ。無限絵の具って名前だって、全然関係ねぇだろ」
私は苛立ち混じりに答える。
「……わからない。でも、その謎を解くことが、一番の近道なのかもしれない」
とりあえず――この情報を、健三とあかねに伝えなきゃ。
何とか100 pvが越えれました。
初心者がホラーなので、文章的に拙いところがあるかもしれませんませんが、ぜひ最後までご覧ください。
あと、夏休みができる限り中つく続けばいいなと思います。




