【目撃①】線路で飛び込み自〇しようとしていた女性発見
《20××年△月〇日》
大学に向かう途中。地下鉄駅のホームにて。
この日、大学の授業が昼からだったため、私はのんびりと通学していた。
平日、真っ昼間の駅改札に人はまばらで、私を含めて2~3人くらいしか見当たらない。
地下鉄駅のホームに降りていくと、さらに人が少なく、私以外にはスーツを着た年配男性1人しかいなかった。
電車が来るのは15分後。
私はベンチに座ると、読みかけの本を取り出した。
電車通学の良いところは、本が読み放題なところだ。
そんな私の前を1人の女性が横切った。
『手編みかな?』と思うような可愛らしいニット帽に、ニットベストを着ている。
女性が歩くたびに、ロングスカートがふわふわと揺れた。
文字を目で追うことをやめて、なんとなく女性を見てしまったのは、彼女が鼻歌を歌っていたから。
『楽しいことでもあったのかな?』
私が再び物語の世界に戻ろうとすると、視界の隅で、黄色い点字ブロックを越え、ホームの端に座り込み線路側に両足を投げ出す女性が見えた。
自分の鼻歌に合わせて、両足を楽しそうにパタパタと動かしている。
異様な光景に、私は声も出せない。
とっさに、少し離れた場所にいたスーツの男性とアイコンタクトを取る。
『どうします? 駅員さん、呼んだほうがいいですかね?』
スーツの男性は、小さく頷く。
このときの私は、見ず知らずの人とでも、緊急時ではアイコンタクトを取れるんだなと感心した。
ここからは、身振り手振りも使って意思疎通をはかった。
なぜなら、私達が騒いで、女性が線路へと飛び降りてしまったら大変だから。
『俺が、駅員呼びに行ってきます!』
『私が行きます!』
『いえ、あなたはここにいて、彼女を見ていてください!』
そういった感じの動きをしてから、男性は駅員を呼ぶために走り出す。
『いやいやいや、私がここにいても、何もできませんけど!?』
正直、私より力が強いであろう男性が残ったほうが、無理やりにでも女性を止めれていいと思ったけど、もうすでに男性の姿はない。
こうして私は、飛び込み自〇希望の女性と、駅のホームで2人きりになった。
楽しそうな鼻歌がずっと聞こえている。
深く息を吐いた私は、栞を挟んでから本を閉じ、鞄の中にしまう。そして、ゆっくりと腕を組んだ。
『こうなっては仕方がない。目の前で飛び降りられて、そこに電車が来て、どえらいことになってしまう現場に居合わせる覚悟を決めよう』
一体、どんな事情があってこんなことをしているのか分からないけど、死ぬ瞬間を誰にも知られないというのも悲しい気がした。
だから、私くらい見届けてあげようと思った。いや、本当はぜんぜん見届けたくなかったけど、なんかもう、状況的に仕方がない。
そもそも、この時間帯の駅には人がほとんどいないのだから、こっそり飛び込みたかったら、いくらでもできる。
しかし、この女性は、わざわざ人がいるところまで歩いてきて、さらに鼻歌を歌うことで注目を集めていた。
要するに、1人で死にたくないのだ。
または、死ぬことを止めてほしいのか。
そういう推理から、私がこの場から立ち去ると、まずい気がした。
だから、なんかもう、仕方がない。
どれくらい時間が経ったのか分からない。
ものすごく長く感じたけど、15分後にくる予定の電車がまだ来ていないので、現実では数分しか経過していない。
スーツの男性が駅員さん2人を連れて来たとき、私は思わず小さくガッツポーズをした。
駅員さんが駆けより、ホーム端に座り込んでいる女性の腕を掴む。
「またですか!」
その言葉に、私は目が点になった。おそらく、隣にいるスーツの男性も、私と同じ顔になっていると思う。
立つように促された女性は、すごい勢いで駅員さんに縋りついた。
可愛い服装から若い女性と思い込んでいたけど、鬼気迫る顔はだいぶ年を重ねている。
「お金を貸してください! お金を貸してください!」
「危ないから、とにかく下がってください」
「お金がないんです! このままでは死んでしまいます、助けてください! お金を貸してください!」
駅員さんに連れられて行く女性は、ずっとそう叫んでいた。
1人残った駅員さんに、私が「あの」と声をかけると、駅員さんは「すみません」と謝る。
「あの人、飛び込み自〇のふりをする常習犯なんです。されたくなかったら、お金を貸せと言うんです」
私もスーツの男性も空いた口が塞がらなかった。
そして、私は思った。
『駅員さんの仕事、ブラックすぎんか?』と。
呆然と立ち尽くしていると、電車が駅に入ってきた。
スーツの男性が電車に乗り込む。駅員さんも、歩き出し、私も電車に乗り込んだ。
電車の扉が閉まる。
鞄から読みかけの本を取り出すと、私は非日常から、安全な物語の世界へと戻っていった。
つづく