15.アリスはアリス
恒星という強烈な電磁波源・重力源は、これをどう生かすかで時空間戦闘の勝敗は決すると言っても過言ではありません。
一対一の戦いならなおのこと、まずはやはりコレを背にして戦うのが常道です。
とノルンが言ってました。
「いまさらヤツをどこかへ誘導する、なんて無理だろうな」
「そのための情報収集すら、できていませんもの」
『X』に正対したまま、ラーグリフはじわりと後退を続ける。
とはいえその加速は緩く、この戦域からの撤退の動きでないのは明らかだ。
「やるしかないな、ここで」
いざ戦闘となれば太陽を背にした『X』が有利であることは明白であり、より機動力の劣るラーグリフが戦術的位置関係の改善を望むなら、散在する小惑星を利用するのが常道だろう。それを見越してか、『X』は長径数キロメートル程もある小惑星をためらいなく破壊してみせた。
「俺たちの事を、何をしに来たのか、って思っているだろうな」
そのうち齧ろうと適当に置いておいた糧食ビスケットのパッケージが床に落ちたので、レオンはキャプテンシートから降りてそれを拾いあげた。
「『X』は、私達の勝ち目が一体どこにあるのか、を再検討していることでしょう。勝算もなしにやって来た、とは思わないでしょうから」
小惑星帯とは称しても、ラーグリフが隠れるほどの大きさの岩塊はあまり無く、すぐ近くには、盾として使うのに適当な岩は見当たらなかった。そもそも此処は、『X』にとっては、恐らく、ホームグラウンドだ。この状況で潜伏位置を暴かれたラーグリフ、そしてそれを操るレオンのことを、愚か者と断じるだろう。
ならばこそ、こちらが逃げずに応戦すれば、『X』もそれに応じる可能性は高い。
「じゃあ俺の方から、貴様はいったい何者なんだ? なぜ惑星ノアを狙う? ……って聞いてみてくれ」
「音声そのまま送りますね」
果たして。
しばらく待っても『X』からの回答は得られなかった。答える必要など微塵も感じていないのだと思う。代わりに、ラーグリフを速やかに明け渡すように、とメッセージを送り付けて来た。問いかけたレオンにではなく、アリスに対して。
「俺には? 俺には何かメッセージないの? 無視? せっかく肉声送ったのに?」
「落ち着いてください。彼女は、私をアリーシャの代理と認識しているだけなのです」
「……彼女? って誰だよ。それに、アリーシャって、アリーシャ・ティケスのことか?」
無視されたことに腹を立てている場合じゃないし、それに、『X』が全銀河探査計画を知っていたのは、今更驚くことでもない。けれど、アリスに対して指図をしてくる、とはどういうことか。
「『アパラジータ』と言うそうです、あの艦は。ですので、以降はそう呼称します」
「へ~。偉そうに」
「そうですよ、偉そうに。それに、レオンの事を速やかに始末するように、なんて言ってきました」
にっこり。
ずい、とアリスがレオンに詰め寄る。
「え、……え? し、始末って、……どどどどうするの、アリスさん?」
冷ややかな瞳がレオンをじっと見つめる。美貌が真顔で見つめるだけで、妙な迫力がある。
「どうしてほしいですか?」
「ち、近いよ」
近すぎる。近すぎてレオンは少しのけぞった。のけぞった反動で、アリスに抱きついた。
「どうしてほしいですか、って聞いてるんです」
「今それ重要?」
「それはもう、最重要で最優先です」
お互い耳元で呟くが、雰囲気には欠けている。それどころか、レオンは冷や汗が出た。
「えーっと……」
「これからも、俺を助けて欲しい」
「はい。承知しました」
ゆっくりと、レオンが抱擁を解いて一歩下がる。
アリスがほんの少しだけ微笑んだ、ような気がした。
「では、『X』改めアパラジータを撃破しますか? それとも確保しますか?」
「確保、できたら良いな」
アリスは軽く頷いて、望遠映像のアパラジータを睨んだ。
「レオンは今のうちにビスケットを食べておいてくださいね。勝利のために」
そう言い残してすたすたとブリッジから退出すると、アリスは誰もいないギャレーへと向かった。歩きながら、アリスは綻ぶ顔を両手で覆う。目まで隠れるが、アリスの場合、歩行に支障は全くない。それどころか、そのまま軽くスキップしてギャレーに着いた。
アリスに言われた通りに、レオンは拾い上げたパッケージを開封して栄養補給ビスケットを口に入れる。一口サイズの直方体が四個、それが二包装で規定量。嫌いな味じゃないけど、ショートブレッドのような食感は、無性に喉を潤したくなる。それを見越したように、アリスがマグカップを手に戻って来た。
「はいどうぞ、お茶です」
「ありがと。……なあ、アリス。なんか迷ってた?」
レオンは大きめのマグカップを両手で持ってゆっくりと傾けた。
「……なんとなくだけど」
「いいえ、もうずっと前から決めていました。でも、いざその時が来たら、後押しして欲しくなっちゃいました」
てへっ、って表情は、アリスにしては珍しい。意外と可愛らしいじゃないか。
「そう、か」
ぬるめのお茶を飲み残してサイドトレイに置き、レオンはキャプテンシートに座り直してゆっくりと目を閉じた。
「準備完了だ」
アパラジータは、太陽を背にしてこちらと正対したまま距離を保っている。後退するラーグリフに合わせて前進して、お互いの射程距離外ギリギリからこちらをずっと窺っている。ラーグリフが潜んでいた岩礁宙域に、そろそろアパラジータ自身が差し掛かる頃だ。
「ヤツは何かを待っているのか?」
「私を、アリーシャ・ティケスの分身と認識しているようです。あながち間違いとも言い切れませんが」
「間違ってないのかよ」
「私はアリーシャ・ティケスのDNAキーを保持しています。私を通してラーグリフを麾下に組み込もうと、予め仕込まれたものです」
レオンは目を閉じたまま、無言で慄いた。
アリスが乗っ取られたら、と思うと戦慄が走る。
初めから、そこまで仕掛けていたわけだ。だが、プロジェクト全体の若干の遅延と、クレイオ博士の対応がその計画を結果的には狂わせた。ということは、敵方の目的はラーグリフそのものである可能性が高い。では、惑星ノアを狙う理由は何なのか、という疑問は残るが……。
「ですが、私はアリーシャ・ティケスではないので、私の判断でレオンの意思を尊重します。レオンがアパラジータを確保せよ、と仰るならその為に働きます」
「お、おう」
アリスはヒトシミュレータだ。
アリーシャ・ティケスを基に用意されたのはラーグリフを操るための仕掛けだったが、アリスはアリーシャと同一ではなく、クレイオ博士の遺志が加わり、更には人としての経験を積んだ別人格だ。
そして、その経験の大部分はレオンと共にある。
「先程、これからもずっと助けて欲しい、って言ってくれましたよね」
「ああ、言った。それと、俺もアリスの助けになりたい」
アリス=(アリーシャ・ティケス+クレイオ博士)/2+α
ただし、α=やさしさ とする