13.レベル7
レベル7とは、ゼロが七つ、倍率一千万のことです。
フィラデルフィア実験もまっさおです。
アルラト星系を発ったラーグリフは、ひとまずポイントαを目指して加速を続けた。というのも、ポイントαから『X』を追ってアルラト星系へと辿り着いたルートが、これまで知られていたどの航路よりも効率的であることをMAYAが認めたからだ。そして、ポイントαはデルフィに近く、そこから太陽系へは多くのルートが通じていて宙域に関する情報が揃っている。
「レオン? 体温が若干高いようですが、なにか自覚症状などはありますか?」
「体温が? いや、特になんともないな。なにか気が付いたらすぐに言うよ」
レオンの体内ではアリスから提供されたナノマシンが億単位で稼働している。元はレオンの怪我の治療に際して注入されたものだが、現在は主にレオンのバイオテレメトリーをアリスが監視するために使用している。
また、戦闘行動時においては、レオンとの相互承認のもとにお互いの意思疎通を補完する手段としても使われる。レオンの思考や感情に直接影響を与えるものではないが、意識してインターフェースを操作することなくアリスと、そしてMAYAとも間接的に繋がる環境というのは、もはや手放したくないと思えているのを否定できない。
ちょうど今、レオンはラーグリフとプロミオンの現状の装備や、システムに関する再確認を行っているところだった。『X』との再戦を想定して、乗員であるレオンとアリスの保護を強化する幾つかの設定変更などがなされている。
レオンも自分から認めた通り、ラーグリフの明らかなウィークポイントと言えるのは戦術士官としての役割にあるレオンの存在だが、これを取り除くことはできない。従って、精一杯防備を固めるのみだ。
その一方で、レオンのこれまでの戦い方をMAYAには学習してもらっている。レオンは戦術教本には無いような判断をするので、それに伴う結果と共に、戦術AIにはよい刺激になる。
AIに新たな気付きを与えるのは人間の役目だ。
お互いに気付きを与えてより洗練される、それが現代人類とAIとの在り方なので、MAYAからもレオンを刺激したいところだが、こちらの効果のほどは検証されたことがない。
§
ポイントαへのルートの中ほどには、星間物質の極めて希薄な宙域が認められている。『X』がどのようにそのルートを見出したのかは分からないが、銀河系のハビタブルゾーンとされる領域の中で、その宙域が例外的に空虚であることを、一度通過したラーグリフは自らも確認している。
そして今回、その宙域を通過する際にラーグリフは静かにiフライトレベル7を達成した。敢えてレオンには意識させることなく。
銀河系とは別の銀河との間にある虚な宙域ではなく、銀河中心の巨大ブラックホールの影響下にある、銀河系ハローのその内側で、有人の宇宙船がレベル7フライトを成功裏に完遂した、この事実はとてつもなく大きい。ラーグリフの、というよりも人類にとっての、テクノロジー上の大きなマイルストーンになり得る。
人類が、天の川銀河を飛び出して版図を広げることを可能にする、その道筋を提示することにもなるからだ。そしてまた、この銀河系内での人類の往来をより活発にすることで、人類域の拡大と繁栄をより促進するだろう。
インフレート・インヴァイタによるiフライトの実現で、人類にとって太陽系外の「深宇宙」は単に「外宇宙」となり、地球以外の可住惑星の開拓により足掛かりを得て、更なる先へと足を延ばした人類にとって、銀河系は「小さく」なった。
それでもまだ、人類域と呼べる版図は天の川銀河の二割から三割程度でしかなく、その既知の領域の端から端までを移動するのにさえ、それなりの期間を要する。だから、銀河中心の向こう側なんてのは、いまだに確認できていないことが多い。
百余年前に、ラーグリフによる銀河系ハビタブルゾーンの探査が計画されたとき、ヒトが乗ることによる様々な制限から逃れるためにラーグリフはAIのみによる無人航行を選んだが、それでも移動と探査、そして帰還するためにはおよそ百年の歳月が必要であると見積もられた。
その遠大な計画を笑い飛ばすかのように、レオン・ウィリアムズは有人航行における最速記録を塗り替え続けている。更には、銀河系の外でなければ実施不可能とみられていたiフライトレベル7へ、難なく到達してみせた。
これは、我らが銀河系から離れてその先へ、例えばアンドロメダ銀河へと人類が「人類のまま」到達することが可能であると示すものになる。
まさにエポックメイキングな、歴史的な偉業の達成といえる。
そんな自覚をまだ持たないレオンが装備のチェックを一通り終えてみると、アリスが食事の支度をすると言い出した。別にわざわざ言い出すこともないのに、先ほどレオンの体温が幾分高かったのを慮ったものかと思えた。
特に気にもとめず軽くOKを出して、ついでにとばかりにレオンが献立を尋ねてみると、耳慣れないメニューがアリスの口から聞こえた。
「赤飯を炊きます」
「なにそれ」
「最近は、ヤシマ料理に興味がありまして。素材の味を生かすメニューが多いですね」
「ふーん、ヤシマ料理か」
レオンは赤飯がどんなものかを知らなかったが、ヤシマの料理はヘルシーなものが多い、とは知っている。それにレシピさえあればアリスの料理の腕前は確かだから、それ以上特に詮索することもなかった。先般ヤシマを訪れたときに、レオンはリサから箸の使い方を厳しくレクチャーされて、今やもうヒヨコ豆を掴める程だ。
ヤシマ料理など恐れるに足りぬ。
むしろ、一食分ずつあらかじめパッケージされた航宙糧食ではない、手作り(?)料理が食べられるのには感謝しかない。様々な食材を摂取することによるレオンの身体からのフィードバックを観察することが目的であるとしても、被検体のレオンは日々の食事情に大変満足していた。
そして、いつの間にかレベル7フライトを遂行していたことを、まだ知らない。
アリスはレオンに伝える気はないようだ。恐らく今後は漸次、記録の更新を狙うだろう。
次に記録を更新した時は、紅白饅頭が振舞われたり、するのかもしれない。
§
そうしてポイントαへと到達したラーグリフは、哨戒任務中と思われる二隻の駆逐艦を感知した。ランツフォート軍所属の艦艇であり、平時における航行に関する規律を順守していることからも、通常任務の一環と思われる。
「こちらからアプローチはしない。見つからないうちに、さっさと行こう」
「承知しました」
ここから太陽系への航路は幾つもあるが、ラーグリフは銀河円盤から外れた大回りルートを進む。商用として開放されている航路はいずれも多数の船舶が往来し、人類域内でも指折りの賑わいだ。秘匿任務でそんな所は通れないので、北天方向へ大きく動いてから太陽系の属するオリオン腕を目指す。
なるべく空虚な宙域を選び、倍率を上げる機会を窺いたいという理由もアリスにはあった。
果たしてラーグリフは何者にも出会わず、感知されず、太陽系の準惑星プルートの軌道に近いところへと辿り着く。そしてその間に、ラーグリフは二度目となる有人でのレベル7フライトを遂行した。まぐれではないことを示した事になる。
有人とは、もちろんレオンのことで、喜ばしいことにこの被検体には何らの異常も見られない。
準惑星なってしまったプルート、かわいそう。
でも、今後太陽系の全貌が順次明らかになって、そのくらいの大きさの星はたくさんあるぞ、って火星が準惑星に格下げ、なんてことになったら、古典SFもある意味まっさおです。