伯爵夫人と邸の事情
通された部屋は夫人専用の居間らしく、今までの豪華な作りのそれとは違う、洗練された簡潔な部屋だった。
部屋のほぼ中央にある、卵のように丸いソファに座った彼女は、王を見るなりすがるように手を伸ばした。差し出された繊手をそっと握り、王は一言、二言慰めの言葉を述べてから、本題に入った。
「夫人、停電が起きた時、どうしていましたか?」
「ブルックボンド卿……わたくし本当に、気が動転してしまって、お客様にもご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないと思っておりますのよ……」
夫人はおろおろとそう言って、俯いた。
「いいんですよ、そんな事は。――では、首飾りに、何か変な所はありませんでしたか?」
「なんですって?」
「つまり貴女が着けている時、停電になる前の事です。なにか、着け心地がおかしいとか、留め金が外れやすいとか、――どうも普段より軽いような気がするとか、そういう事はありませんでしたか?」
「いいえ。……特に気が付きませんでしたわ」
「そうですか……首飾りはいつもは何処に?」
「いつも金庫にしまっていますのよ。宝石箱に入れて」
「金庫を開けられるのは、夫人だけですか?」
「わたくしと主人の、眼網と指紋を登録してありますけれど……御存知でしょう? 主人はこの邸には寄り付きませんの。もっと現代的な、機能的な家がいいんですわ。――金庫の中にはわたくしの物しか入っておりません」
「このお邸は随分と古いと伺いましたが、停電はよくある事ですかな?」
メイスン警部の質問に、夫人は頷いた。
「ええ。――ブルックボンド卿もよく御存知でしょうけれど、こういった古い城は、文化財として指定を受けておりますので、勝手に改築する事は出来無いんですの。それで、配線なんかはあちらこちらに引っぱり回しておりますから、不具合がある事など、しょっちゅうですの」
王が同情して頷き、「うちもそうですよ」と言う。
「電源は、半分自家発電になっておりますのよ」
そう言って夫人は、太陽光発電と、有機プラント熱発電で、普段の生活は殆ど賄えるという事と、今日のような催しの時だけ、電力会社から電気を買っている事などを話した。
そこへ警官が一人入って来て、警部に警備システムの復旧作業が終った事を告げる。
警部は王を手招きして、一緒に外へ出るよう促した。
「ウォンさん、実は今報告を受けたんですが……どうやらシステムのバグは、故意に引き起こされたようですな」
「故意ですか?」
「ええ、誰かがシステムが落ちるよう、プログラムを書き換えた形跡があったそうです。――いよいよこいつは、プロの仕業のように思えて来ましたな」
「――もしくは内部の者の犯行とかね」
警部はすっと目を細めて、「それもありますな」と、頷いた。
「警部、クライスラー夫人の身体検査はしましたか?」
「いいえ、何故です?」
「一応、調べてみて下さい」
王が、また廊下の隅を睨みながら更に続ける。
「――とにかくそういう名目で、夫人を別室に移して下さい。我々はその間にこの部屋を調べてみましょう」
そう言って、今出て来た扉を指す。警部はすぐさま警官の一人に指示を出すと、王を振り向いて言った。
「ウォンさんは内部説なんですな?」
「ええ。――たぶん、首飾りは、まだ此処にありますよ」
夫人が部屋を出るとすぐ、警部と数人の警官が中を調べる。王は捜査員では無いので、一応部屋の外で待っていた。
結果はすぐに現われた。
「ありましたよ、ウォンさん!」
警部が赤く煌く物を手に、勢い込んで飛び出して来た。
「ソファの隙間に、押し込んでありました!」
「夫人が座っていた、ソファですね?」
「ええ、ええ。そうです。――しかし、どういう事ですか? これじゃまるで……」
「ええ、たぶん……私も警部と同じ考えですよ」
王が思案顔で頷く。
暫くして、夫人が知らせを受けて戻って来た。
無事に発見された首飾りを見て、夫人は「まぁ……」と、呟く。その表情は、喜びに溢れているとは言い難いものだった。
「これは貴女が先程までいらしたソファの隙間から発見されました。これは一体――」
「警部」と、詰問しようとする彼を遮って、王は穏やかに言った。
「首飾りも無事に発見された事ですし、他のお客様はお帰りいただいても構わないんでしょう?」
「え、ええ。確かに」
「皆さんの不満が出ないうちに、早く知らせて差し上げて下さい。――私は、ちょっと確かめたい事があるので、連れを呼んで来ます」
彼は巽を連れて、すぐ戻って来た。見つかった首飾りを見せて、
「さっき言っていたのは、これの事だね?」
と、訊く。 巽が頷くと、王は満足したように微笑んだ。
「警部、これは偽物ですよ」
「なんですって? じゃあ、すり替えられていたんですか?」
「ええ。彼は鑑定士並みの目利きなんです。これはルビーの粉を固めて作ったもので、本物とは似て非なる、安物ですよ。恐らく本物はとっくにすり替えられていて、何処かに持ち込まれているでしょうから、そういった店か、この贋物を作った人物を捜せば、犯人が特定出来るでしょう」
「なるほど……」と、低く呟いて、警部は暫く口髭を撫でている。
「判りました。調べてみましょう」
と言うと、警部は徐に立ち上がって、出て行った。
夫人の、何か物言いたげな視線を受けて、王が優しく微笑みを返す。
クライスラー夫人も微笑を見せたが、それはどこか哀しげだった。
「判っていらっしゃるのね?」
彼女が静かな声でそれだけ言うと、王も「ええ」とだけ答える。青い瞳が少し、淋しい色を湛えていた。
二人はそれ以上何も言葉を交さず、巽だけがわけもわからずにきょろきょろしていた。