控え室の事情聴取
巽達は用意された控室で、他の客達と共にぼんやりと過ごしていた。
騒ぎがあってすぐ、誰かが警察を呼んだので、会場はすぐに閉め切られた。中にいた人々は、大した混乱も無く、警察の指示に従って、何人かずつ別の小さな部屋に押込められ、警官の事情聴取を受けている。
部屋は客用の居間らしく、古い趣のある調度品で整えられた、落ち着いた調子の、ややもすれば重苦しい感じの部屋だった。二人の同室になったのは、中年の夫婦と若夫婦、若い女性と若い男性が二人。皆、既に仮面を取って、思い思いの場所に、立ったり座ったりしていた。
一番大きなソファを陣取っていた中年夫婦の夫人の方は、誰彼構わずのべつまくなし喋っている。赤ら顔のでっぷりとした、形容し難い色彩のドレスを着た女だった。
「あたくし、本当にびっくりしてしまいましたわ、だって有名でしたでしょ? ほら――あたくし思うんですのよ。そうですわ、間違い無いと思いますわ、だって、そうでしょ?」
「何が、そうなんです?」
若夫婦の亭主の方が、いらいらしたように聞いた。
「あら、だってそうでしょ。プロの仕業に決まっています! ――だって、有名でしたもの、あの首飾り!」
「誰かが盗んだと、おっしゃるのね?」
若い女が聞いた。落ち着いた、低いが魅力的な声の持ち主だった。
「しかし、ぼくはその時、夫人の近くにいましたけれど、さっぱり気が付きませんでしたよ」
若い男がそう口を挟むと、中年夫人は勢い込んで断言した。
「そこが、プロのプロたる所以じゃありませんの!」
「盗まれたんだと思う?」
巽は王に小声でそっと聞いた。うっかり会話に加わると、すぐさま中年夫人の相手をさせられそうだったからだ。尤も日本語で話していれば内容が漏れることはまず無いだろうが。
「さあ、判らないよ」
そっけなく答える彼に、巽は、
「判らないの? 銀月」
と、口を尖らせてみせる。言外に含まれた意味を察して、王は苦笑した。
「ああ。あの時は君の思考を読んでいたし。それに、あれだけ大勢の人がいたら、誰が犯人か捜すのは、まるで沢山のさえずる雀の中から、鳴き声だけで一羽を捜すようなものだよ。難しいね」
「なんだよ、肝心な時に役に立たないな」
確か、彼を二度も身の危険から救い出してやったのは、つい先日の事なのだが、そんな事はすっかり忘れて、巽は不満げに言った。
「ごめんよ」
王の苦笑は更に深くなって、なんだか哀しい顔になったので、巽は慌てた。
「いや、別にあんたが悪いって言ってる訳じゃないよ、その――」
なんと言っていいか判らずに口ごもる。
そんな顔をされると、こっちまで哀しくなってしまう。
「だいたい、あんな首飾り、盗まれたって大した事ないもんね」
気を取り直す様にそう言った彼に、王は驚いたようだった。切れ長の青い目が、心もち大きくなる。
「だって安物だもん! それに保険だってかかってんだし」
「安物って……あのルビーがかい? 偽物だって言うのかい? 幸星?」
そう問い質しながらも、彼が嘘や思い違いでそう言っている訳ではないと、王は何故か確信していた。
「偽物っていうか、ね。ルビーはルビーなんだけどねぇ」
「どう言う事?」
「あのね、ルビーって、コランダムっていう鉱物だって事くらいは知ってるよね?」
「ああ。赤いものがルビーで、青いのがサファイアだね?」
「そうそう。――で、鉱物だから結晶体になってる訳、コランダムなら六角柱ね。それをいろんな形に削ったのが、普通宝石店で見るやつ。ところが、当然、削ったら屑が出るでしょう? 削り屑。それを集めて固めたものもあるんだよ。だから、ルビーはルビーだけど、結晶がばらばらなんだ」
「当然、質は悪い訳だね」
「段違いにね」
王は、「そうか」と、呟くと、暫く天井の隅の方を睨んでいた。巽も真似てその辺りを見てみたが、大理石の装飾的な縁飾り意外には何も見い出せなかった。
「……しかし、君は随分宝石に詳しいんだね?」
「ああ、言わなかったっけ? 俺の爺様、宝石細工の職人なんだよ。小さい頃から、よく爺様の工房で遊んでたんで、色々教えて貰ったの」
「なるほど、目が肥えている訳だ。だが、そうすると……」
彼が更に何か言いかけた時、丁度ノックの音がして、刑事が入って来たので、二人の話も、一人あさってな方に盛り上がっていた中年夫人の話も中断された。
ベテランらしい、四十代後半と覚しき刑事は、茶色い口髭を生やした、鋭い眼光の持ち主だった。彼は一辺り部屋を見回し、王の所で目を留めて親しげに笑った。
「ああ、これはウォンさんじゃありませんか。奇遇ですな――いや、偶然じゃありませんでしょう、ね、貴方の事だから」
「偶然ですよ、メイスン警部。私もパーティーに招待されたんです」
彼は愛想のいい笑顔で、旧知の仲らしい警部に応じた。
「知り合い?」
「ああ。私が――というより、あっちの上の方と、こっちの上の方が繋がってるんでね。メイスン警部とは、何度か一緒に仕事をした事がある」
「じゃ、あんたの正体知ってんの?」
王は答える代りに、にっこり笑ってウィンクしてみせたので、巽はフラッシュでも焚かれたみたいに目をしばたたかせた。
「皆さん、申し訳ありませんが、少しばかりご協力をお願いします。まず、身元の確認のため、IDの照合と、二、三質問に答えていただきますが、よろしいでしょうな?」
警部の口調は穏やかだったが、拒絶を許さない強さがあった。
「では、まず――そちらはウォンさんのお連れですな」
警部は巽のIDカードを受け取ると、持っていた端末にかざした。ホログラムで持ち主の顔が描かれた硬質プラスチックに、小さなチップが組み込まれたそのカードは、身元の保証から電子マネーの管理までこなす、この時代の生活には無くてはならない代物である。
警部は端末の画面と巽本人とを見比べながら、名前と職業を確認した。
「ご職業はディーラー……ですか?」
「ええ。――株じゃなくて、カジノの、ね」
「ほう――」
目を細めると、余計に鋭い目つきになる警部は、抜け目なく巽を見据える。
「随分いい稼ぎになるんでしょうな?」
「いえ、まぁ……少しは」
巽は曖昧に頷いて言葉を濁した。
「事件があった前後は、どうしていましたか?」
「ええっと、確か……広間に通されてすぐくらいに、クライスラー夫人にご挨拶をして……夫人はまた別のお客様の所へいらしたので、私達はその場で少し話していました。停電があったのは、その時です」
「停電が起きた時も、その場にいましたか?」
「ええ。その場にじっとしていました。――彼の手を握っていました。急に真っ暗になったので、驚いて、彼の方に手を伸ばしたんです」
ね、と振り返って巽が同意を求めたのを受けて、王が答える。
「ええ、明りがつくまで彼の手を握っていました。その場を動いたりはしませんでしたよ」
警部は口髭をなでつけながら、「そうですか」と、呟いた。 それから、一人づつ順番に同じ様な質問を繰り返す。最後の中年夫婦の番になると、夫人は身を乗り出して警部に、自説に賛否を求めた。
「警部さんも、プロの仕業とお思いなんですの? あたくしはそうに違いないと、思うんですのよ。そうなんでしょ?」
ゴシップの好きそうな亭主と一緒になって、期待に満ちた眼差しで見つめ返す夫婦ものに対し、警部はやけに重々しく頷いてみせた。
「勿論、そういった事も考慮に入れて、目下捜査中ですのでご安心を。なにしろ仮面舞踏会の所為で、誰が誰やら判らん状態でしたので、只今捜査員が招待状と首っ引きで確認作業に追われている最中でしてね。皆さんにはもう少しの間ご協力をお願いする事に――」
「犯人は、もう逃げてしまったんじゃありませんか?」
「その可能性もありますが、まだ邸内に潜伏している可能性も残っておりますのでね、皆さんにもお手数ですが、後で簡単な持ち物検査を受けて頂けますかな?」
一同が渋々承諾するのを見てから、警部は王に目で合図を送った。連れ立って廊下に出ると、早速切り出す。
「いい所にいて下さいましたよ、ウォンさん」
警部は信頼しきった様子で言った。
「こんな状態なもんですからな、貴方がいてくれると助かります。何しろ何十人って数の人ですから、一人一人確認するだけでも大変で……で、犯人は誰だとお思いです?」
王は、「警部――」と言って、困ったように苦笑いを浮かべた。
「私も魔法使いじゃないんですから、判りませんよ。それより、警備のカメラはあったんでしょう? 何か映像に映っていなかったんですか」
「それなんですがね。あの停電はメインシステムの――つまりこの邸の様々な機器を一括管理しているシステムですが――こいつがバグを起こした所為でしてね。電気はすぐにサブシステムに切り替えたそうなんですが、警備システムの方が、落っこっちまったままなんですよ」
「では、停電の後の映像は無いんですか?」
「ええ。今、警備会社に来て貰って復旧作業をさせてはいますがね」
「クライスラー夫人は、どうなさってるんです?」
「ええ――随分落ち込んでらっしゃいますな。今夫人の部屋で待機して貰っています」
「――夫人は、明りがついてから、首飾りを無くした事に気付いた様でした……」
王は何故か警部の頭上を通り越して、廊下の奥の方を見つめていた。
「ええ。夫人もそうおっしゃってましたな。盗まれた事には気が付かなかったそうで……」
警部も王の視線を追って後ろを振り返ったが、特別なものは何も無く、古風な間接照明が長く続く廊下の所々にオレンジ色の光を淡く灯しているだけだった。
「夫人がそうおっしゃったんですか?」
「へ?」
「盗まれたことに気付かなかった、と。」
「え、ええ。そうです……正確な言い回しはともかく、そんな内容の事を言ってましたよ」
「夫人にお話を聞くことは出来ますか?」
「ええ――そうですな。……ま、ウォンさんなら特別にいいでしょう」