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伯爵夫人と首飾り

 夕方から始まったパーティーは、二人が到着する頃には、かなりの盛況ぶりだった。石造りの重厚な外観とは打って変ったきらびやかな室内には、“美と退廃”というテーマに因んで、思い思いに着飾った人々が、ひしめきあっている。

 ヴェニスのカーニバルよろしく、羽根飾りの沢山ついた仮面を着け、十八世紀風の大きなスカートをひきずって歩く婦人。体にぴったりとした革のボディスーツに、虹色に光るサングラスをかけた男。薄い絹のスカーフを頭からすっぽり被ってしまっている女性など、その装いはバラエティーに富んでいる。

 王はいつもの様に、白地に金糸で刺繍を施した東洋風の裾の長い袍を着ていた。白磁の様に滑らかな肌に合うよう、白いシルク・シフォンの細長いスカーフを目隠しのようにして結んでいる。そうやっていてさえも、この男が人目を引かずに済むという事は無かった。

「よくそれで見えるね? 銀月」

 王は巽の方を向いて、口元を笑いの形に歪めてみせ、「見えるよ」と、言った。

 中世欧州風の、細かな刺繍の入った上下に、ひらひらと揺れる大振りのレース飾りが沢山ついたシャツを着た巽は、まるで陶器で出来たビスクドールのようだ。彼はちょっと肩をすくめてみせ、持ち手付きの仮面で顔を隠した。

「どうせそうやってたって、人の心の中まですっかりお見通しなんだな?」

「……まぁね」

 と、王は曖昧に笑った。

 広いホールの中は、雰囲気を出す為に、窓には分厚いカーテンが引かれ、きらきらと光るシャンデリアのクリスタルが、微妙な陰影を落としている。

 黒いドレスを着た、見事なブロンドの巻毛の女性がこちらへ来るの気付いて、王が巽に耳打ちする。

「あれがクライスラー夫人だよ」

 夫人はシンプルな形ながら、全身を黒い細かなビーズで飾られた、ちらちらと光るドレスに、目の所だけ隠す、昔風の仮面を着けていた。が、なんといっても巽の目を引いたのは、彼女の首にかかった首飾りだった。うずらの卵程の大きさのルビーが五つもついた、大きな首飾りである。

「こんばんは。クライスラー夫人、ですね?」

 王が愛想よく挨拶する。

「まぁ、お判りになる?」

 四十を幾許か越えた夫人は、若い二人に対しては、少し砕けた調子で応じた。

「ええ、判りますよ。お招きありがとうございます」

「わたくしも、貴方が誰か判っておりましてよ、男爵」

「恐れ入ります。――こちらは私の友人です。名前は――まぁ、伏せておきましょうか。折角の仮面舞踏会ですから」

「はじめまして」

 王の紹介に応えて巽が挨拶すると、夫人は貴族的な、つんと澄ました頭をちょっとだけ傾けて微笑した。巻毛が顔の周りでふわふわと揺れる。

「まあ、可愛らしい方ね。日本人かしら?」

「ええ、そうです」「わたくし、日本には行った事はありませんけれど、良い所なのでしょうね?」

「ええ、まぁ――イギリスと同じ位に良い所ですよ」

 巽の答えに、イギリス人の夫人は、満足そうに頷いた。

「今日は楽しんでらしてね」

 そう言うと、彼女はまた、新しい客の方へと歩いて行った。

「大っきな首飾り!」

 巽が呟くのを聞いて、王が同意を示すように頷いた。

「ああ、あれかい。有名だよ、色々とね」

「有名なの?」

「うん。クライスラー夫人と言えば、ルビーの首飾り。って具合にね。一年ほど前にご主人が多額の保険金をかけた事で、随分噂になったんだよ」

「へぇーっ! 保険――で、ご主人は何処にいるのさ?」

「今はいないよ」

 彼は声を落として、そっと耳打ちする。

「別居中なんだよ」

 それから気分を変えるようにこう言った。

「幸星が欲しいと言うんなら、一つ誂えてあげるよ? あんな風に大きなルビーの奴を」

「ううん、いらない」

 首を振って、巽はくすくす笑った。冗談だと思ったのだ。

「――そうかい」

 王も笑って受け流したが、その声には少し残念そうな、寂しそうな響きが残った。

 その時、ふっと目の前が真っ暗になった。

 巽は驚いて、傍らの王に手を伸ばした。王がすぐにそれに応えて握り返す。急な暗闇に目が慣れず、目の前にいる筈の彼の姿すらわからない。握った手の温もりだけが頼りだった。

 どこかで小さな悲鳴や、怒声が幾つか聞こえ、会場が騒然となる。

「停電……か?」

 元々目隠しをした状態だった王は、巽の思考を通じて、漸く事態を飲み込んだようだ。

 パッと、また突然に明りがついて、人々は一瞬安堵のため息を漏らした後、口々に感想を述べ出したので、一段とざわざわと騒がしくなる。

 その時、絹を裂くような悲鳴が走った。

 クライスラー夫人が、騒ぎの中央で、胸を押さえて突っ立っていた。

「――ない! 無いわ。わたくしの……首飾りが……!!」

 その白くて歳の割りには美しい首筋に、あの大きなルビーの首飾りは無かったのだ。







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