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限界魔法薬調合師、誤って天才幼馴染みを小人にする

作者: 杏たま


 偶然出来上がった『小人薬』を、誤って相棒が飲んでしまった。


   +


「ふぁ〜あ、おはよ。ナツメ、また徹夜で仕事?」

「おはよう、カノエ。そういうお前はサボりすぎだ。頼んでおいた新薬の調合、できたのか?」

「ああ……それは、うん。しばし待て」

「……はぁ」


 わたしたちは魔術師であり、国家魔法薬調合師だ。

 国家魔法薬調合師は一般的な魔術師たちとは異なり、人体に及ぼす影響がひときわ大きな魔法薬を生成することが許されている。


 幼馴染みであり相棒のカノエはいわゆる”天才型”に分類される人間だと思う。

 スイッチが入ればものすごく有益かつ効率的な調合法を思いつき、わたしのような凡人がひらめきもしないような素晴らしい薬を生成する。


 だが、スイッチが入らなければまるでダメだ。凡人以下だ。

 ぐうたら昼まで寝ているし、時折ふらりと姿を消して、いつどこでなにをしているのかさっぱりわからなくなってしまう。


 ダメモードのときでもできそうな仕事を頼んだとしても、その仕事が仕上がってくることはほとんどない。わたしが頼んだことさえすっかり忘れ、「ああ、はいはい、今からやる」と口では言うが、結局やらない。そんなやつだ。


 だが、そろそろカノエ本来の力を発揮してもらわないと困る事態が起こっている。



   +



 国家魔法薬調合師は国内数十箇所に設置された魔法薬研究所に数名ずつ配置され、魔物や敵国からの侵襲より、その地域を守護する任を負っている。


 この辺境の地に赴任してまだ一年と少しだが、わたしはとても多忙だった。

 王都から最も遠いとされているこの地域は、魔物の棲まう深い森のすぐそばに位置していて、住民よりも討伐隊に属する魔術師たちの人口のほうはるかに多い。


 魔物との戦闘で傷を負った魔術師たちのために、傷薬や回復薬を調合することが主なわたしの仕事ではあるが、別の依頼を受けることもある。


 魔物との戦闘時、身体能力を爆発的に向上させることができる薬『魔力増強薬』の開発——ここに赴任してからこっち、最も多い依頼がこれだ。


 魔物を退治する上で最も効果的なのは、魔力による攻撃。


 多かれ少なかれ、人は魔力を帯びて産まれてくる。

 生まれつき魔力量が少ない隊員は身体を鍛えることで強靭な肉体を得る。だが物理的な攻撃だけでは、魔物たちに致命的なダメージを与えるのは難しい。

 不意打ちで現れる強力な魔物を退けるために使う『武器』のひとつとして、わたしは『魔力増強薬』の開発を依頼されたのだった。


 わたしの調合した『魔力増強薬』に依存性はなく、副作用も少ない。そのため安全かつ安定的に供給することができ、わたしの評価も上々だった。


 それで済めばいい話だったのだが、ここ最近、悪いニュースが聞こえてくるようになった。


 最果ての大河沿いに広がる耕作地に、大型の魔物が出現するという報告が上がってきている。わたしが調合する『魔力増強薬』の従来品では、太刀打ちできないほどの強力な魔物だという。


 その魔物を討伐するためにも、新たな魔法薬を考案してほしいとの依頼がくるようになったのだ。


 わたしはじっと考えた。従来通りの『魔力増強薬』を強化するのもいいかもしれないが、それでは人体に負担がかかりすぎてしまう。

 

 それならば、直接魔物を無力化できるような魔法薬を開発できたらいいのだが、それはなかなかうまくはいかなかった。 


 疲れた頭で、新たなひらめきを求める日々が数週間は続いた。こうなると、わたしでは力不足だと認めざるを得ない。

 だからこそ、カノエにはそろそろ本領を発揮してもらわねばならないのだ。


 だが、時折訪れる”まるでダメモード”が、よりにもよってこのタイミングで訪れてしまった。


 とはいえ、これはスランプのようなものだろうから、そのうち調子は戻るはず。しかしカノエが回復するまでの間、わたしはひとりでこの事態に対応していかなければならない。


 研究室に引きこもり、これまで調合した薬を掛け合わせたり、新たな魔法を加えたりと、寝る間を惜しんで開発に勤しんだ。

 そしてその副産物として、たまたま出来上がってしまったものを、わたしは不用心にもそのあたりに放置してしまっていたのである。


 それがよくなかった。


「お、これなに? 新しい栄養剤?」

「え?」


 魔法薬をずらりと並べた棚の前で、新薬の調合法を捻り出そうとうんうん唸っていたわたしの背後で、ごくりと何かが飲み干される音が聞こえてきた。


 ……ゾッとして振り返る。


「……お前、今何を飲んだんだ!?」

「なにって? ここに置いてあったグラスに入ったオレンジ色の飲み物だけど?」

「はっ!? バカ!! そこらへんに置いてあるものを勝手に飲むやつがあるか!! 吐き出せすぐに!!」

「え? なんで? 美味かったよ?」

「バカ!! あれは栄養剤なんかじゃなくて……」


 焦りのあまり汗が吹き出す。大慌てでカノエに駆け寄ろうとしたそのとき——……。


 するするする……と、カノエの身体が小さく小さく縮んでゆき……そして、ものの数秒で、15センチ程度の大きさになってしまった。


 ついさっきまでカノエが身につけていた白いシャツと濃紺のローブの中に、素っ裸の小さいカノエが佇んでいる——……!?


「な!? な!! な、なんてことだ……!!」


 わたしは真っ青になった。国家レベルで重宝される天才調合師が、豆粒ほどの大きさに……とまではいかないものの、手のひらサイズになってしまったのだから。


「お、おい!! どうしたんだ!! なんだこれは!! 身体はどうもないのか!? おい!! 意識はあるか!?」

「うああああ」


 思わず小さいカノエを拾い上げ、その身体を揺さぶったりひっくり返したりして調べ尽くした。

 普段よりも高い声で、カノエは「ばかやめろめがまわる!!」と大騒ぎをするので、わたしは一旦冷静になろうと深呼吸をし、カノエを机の上にそっと置いた。


「おえっ、ばっかやろう急におれをふりまわすやつがあるか。酔った……おえぇ」

「す、すまない。で? 酔い以外に不調はあるか? どこか苦しいところがあるとか」

「ないよ。おまえに振り回されなきゃもっと元気だったよ」


 カノエは素っ裸のまま机の上にあぐらをかいた。わたしはポケットからハンカチを取り出し、広げて彼に渡してやった。


 白いハンカチを背中に羽織ったカノエは、まるで東洋に伝わるという”てるてる坊主”のようだ。栗色の髪をぼさぼさと掻きまわし、カノエは自分の身体を物珍しげに見回している。


「おまえさぁ、こんな薬作って何に使うつもりだったんだよ」

「作ろうと思って作ったわけじゃない。新薬の実験をしていたら、たまたまこんなものができただけだ」

「こんなあぶねーもんをそのへんにポンと置いとくなよ」

「実験室にあるものをホイホイ飲んでしまうお前にも問題があるとわたしは思う」

「だって美味しそうに見えたから」

「ばかなのか」


 ため息しか出ない。わたしは鼻の上に載せていた眼鏡をそっと外して眉間を押さえ、天井を仰いだ。


「……今すぐ、お前を元に戻す薬を作るから、おとなしくして待っていろ」

「えー別にいいよ。このままでも」

「は!? そんなわけにいくか!? お前は筆頭国家魔法薬調合師なんだぞ!? 王都にこんなことが知られたら……!!」

「まぁ、おまえはクビかもね」

「そうだよ!! クビだ!! だけど、わたしはここをやめるわけにはいかないんだ!!」

「わかってるわかってる、おふくろさんへの仕送り、やめるわけにいかないもんな」

「そうだよ! のんびりしてないでお前も協力しろ!!」


 自分自身の身に起こっていることのはずなのに、どうしてこいつはこんなにもいつも通りなんだ? 身長15センチになってしまったことに、もっとパニックを起こすべきだろう……!? と、わたしはカノエ以上に混乱している自分を落ち着けるために深呼吸を繰り返し、机に手をついてがくりと項垂れた。


 うむ、そもそもこの薬を作ったのはこのわたしだ。

 飲んだ方に非があるとはいえ、作ったのはわたし。……責任の八割ほどはわたしにある。


「……まぁ、一旦落ち着こう。朝食は……といってももう夕方か、お前、起きたばかりなんだろう?」

「うん、まだなにも食ってない」

「……やれやれ」


 わたしはチェストの上に置いていたバスケットからサンドイッチを取り出し、皿に乗せてカノエの前に置いてやった。


 するとカノエは目を輝かせて「気が利くなナツメ!」と立ち上がるやいなや、サンドイッチに飛びついた。……なるほど、そうやって食べるのか。


「うまい、うまい! すごいな、こんなでかいサンドイッチ生まれて初めてだ!! めちゃくちゃ美味い!」

「味は以前と変わらんだろう。お前、いつから食事をとってなかったんだ?」

「んー……昨日、一昨日……から食ってないか。考え事をしていたら、いつの間にか寝てて」

「どこまでダメ人間なんだ」


 ダメモードのときは、なけなしの生活能力さえも皆無になってしまうカノエだ。わかってはいたが、ここまでダメとは思わなかった。


 皿の上に立っている三角形のサンドイッチになかば頭を突っ込むようにして食べすすめているカノエの姿をぼんやりと眺めながら、わたしはすっかり冷えたコーヒーで喉を潤した。


 頭を抱えつつ、わたしはちらりと実験用のノネズミを見た。

 何かよくわからないものが生成されてしまったときは、こうしてノネズミに与えて様子を見ることになっている。


 カノエの飲んだ薬を舐めたノネズミは、豆粒ほどの大きさになってしまった。だが、カノエと同様、いつもとかわらず元気に活動しているし、餌ももりもりよく食べる。今も、ケージ内にある回し車のなかで元気いっぱいい走り回っていて、とても活発だ。


「……健康に影響を及ぼすものではないようだが……さて、どうすれば元に戻せるか」


 きっと今は小さくなりたてで不便を感じていないからこんなことが言ってられるのだろう。だがそのうち、元に戻りたいと大騒ぎを始めるに違いない。


 サンドイッチのパンの中に潜り込むようにして食事を楽しんでいるカノエを眺めながら、わたしはひときわ大きなため息を漏らした。



    +



 魔物たちは脅威だが、同時に民の生活を支える素材となる。


 肉は食えたものではないが、角や牙は薬の原料となる。非力な民を襲うこともある魔物だが、狩り尽くてしまわないよう、年ごとに討伐数が決められている。


 その魔物たちは、辺境の任地のすぐそばに広がる、深い森の中にひそんでいる。

 人間の子どもほどの小型の魔物がほとんどだが、ここ最近現れるようになった大型の魔物は、5メートルを超える巨大さだという。


 二足歩行のそれは、ぶよぶよの皮膚にぎょろりとした大きなひとつ目を持ち、小山のように盛り上がった筋肉でもって樹木を薙ぎ倒し、討伐部隊を攻撃してくる。わたしの調合した『魔力増強薬』をもってしても倒せないらしい。


 早々に新薬を調合したいところだが、数日経っても、いまだにわたしは妙案をひらめくことができていない。


 頼みの天才・カノエも、相変わらずスランプの只中にいる……というか、それ以前の問題か。


「おい、そろそろおまえも、元に戻るための方法を考えたらどうなんだ」

「んー……そうだなぁ……ふぁーぁ」

「おい、ひとの肩の上でくつろぐんじゃない」


 身長15センチになったカノエは、基本的にわたしの肩に乗って移動する。7センチ程度になってしまった脚ではいつまでたっても目的地に着かないため、仕方なくわたしの肩の上に乗せてやっている。


 はじめは「肩に乗るにしてもバランスが難しいな……」と言っていたカノエだが、今やすっかりわたしの肩を乗りこなしている。わたしのローブの肩に横たわり、うたたねさえしてみせるのだから大したものだ。呆れつつも感心してしまう。


「あぁ、喉が乾いたな。ナツメの部屋でワインを飲もう」

「バカ言え。その身体でアルコールなんて飲んだら、どうなってしまうかわからないだろう」

「実験だよ実験。どうなるかわからないから飲んでみるんじゃないか」


 ”実験”という言葉にわたしは弱い。アルコールがもたらす影響がどうなるか、確かに気になるところだが……。


「ウィ〜〜〜……ひっく。ちょっとの量でこんなに酔えるなんて……ヒック、安上がりで最高だな!!」

「はあ……」


 ペンのキャップに注いだ赤ワインで、カノエはすっかり酔っ払ってしまった。……見たところ、特にこれといった問題はなさそうだ。ただ気持ちよく酔っ払っているだけらしい。なんだか無性に腹がたつ。


「おい! 楽しく酔ってる場合か!? いい加減まじめに考えろ!」

「そんなこといわれてもな〜〜。てか、ナツメだってそのうちひらめくかもしれないし、べつにあせってかんがえなくてもぉ〜〜」

「……わたしじゃどうにもならないから、お前に協力を仰いでいるんだろう」

「そんなことないない〜〜ナツメだってりっぱなこっかまじゅちゅし……」

「舌が回ってないぞ」


 やがて、カノエは酒をかっくらって眠ってしまった。

 昨晩夜なべをして、わたしが端切れでちくちく作った小さな服に身を包んだカノエは、テーブルの上で大の字になって大いびきをかいている。


 そのとき、コンコン、とドアがノックされた。

 わたしは咄嗟にカノエを掴んでローブの内ポケットに放り込む。


 入室を許可した覚えもないのにバン! と扉が開き、討伐隊隊長・ルシャールがずかずかとわたしの部屋に入ってきた。任務帰りだろうか。白銀の鎧はあちこちが煤けたり、泥が付着していたりとかなり汚れている。


「帰ったのか、成果はどうだ?」


 わたしがそう尋ねると、ルシャールは「まずはねぎらいの言葉をかけてほしいもんだな」と言って肩をすくめた。わたしたちは幼年学校の同級生で、気の置けない間柄だ。そしてカノエもまた、同じ学び舎で幼い時を過ごした仲間である。


「大型は追い払うのが精一杯だ。あいつらがもしこの国に近づいてきたらと思うとゾッとする」

「獰猛なのか」

「ああ。おまけに人間に関心を持ってしまったらしく、むしろ向こうから積極的に襲ってくる」

「そんなやつが、ここに……いや、王都に入り込んだらおおごとだな。皆パニックになるだろう」


 ルシャールにもグラスを出し、ワインを注いでやる。男らしく太い喉に、血のように赤いワインが一気に流れ込んでゆく。


「はやくあいつらに太刀打ちできるだけの魔法薬を作ってくれよ。我らも攻撃魔法の精度があがるよう努めているがな」

「ああ、善処する」

「そういえば、カノエは? あいつがその気になればすぐに生成できそうなもんだが」


 カノエがしばしばこの部屋にいることを知っているルシャールが、部屋の中をぐるりと見回す。大して広くもない部屋の中にカノエの姿がないことは一目瞭然なはずだが、ルシャールはどことなく不思議そうな表情で、気配を探るように視線を巡らせている。


「いないのか? どこかに隠れていそうな気配を感じるが」

「み……見ればわかるだろう、いないよ。いない。どこにもいない」

「そうか。まあいい、俺は束の間の休息を取らせてもらうよ」

「ああ、そうしろ。お疲れさん」


 ガシャガシャと鉄靴の音を響かせながら部屋を出ていくルシャールを見送ったあと、わたしはそっと内ポケットの中を覗き込んでみた。

 いくらルシャール相手でも、小さくなったカノエを見せるわけにはいかない。大型の魔物のせいで状況は緊迫しているのだから、妙な騒ぎは起こしたくない。


「……大型の魔物ね。知能がどの程度発達しているのかはわからんが、ひょっとしたらもうすぐそこまで来ているかもしれないな」


 内ポケットの中で逆立ち状態のまま、カノエは思いの外しっかりとした声でそう言った。

 いきなり引っ掴まれて内ポケットの中に放り込まれれば、さすがのカノエも起きるらしい。


「お前、起きてたのか」

「ああも雑に扱われて寝てられるわけないだろ」

「あ、ああ、すまん」

「そいつら、人を襲いたがってるって? 肉食なのか」

「大きさを聞く限りそうだろう」

「ふーん、危険だな」


 ポケットの中からつまみ上げてやると、カノエはテーブルの上であぐらをかいて腕組みをした。


 その表情を見て、「お」と思う。いつになく真剣味をおびた明晰な顔だ。ようやくダメモードが終わったのだろうか。


 そう期待したのも束の間。カノエは腕組みをしたまま、こっくり、こっくりと船を漕ぎ始めた。身体が元のサイズなら頬をつねりあげているところである。


 眠るカノエをハンカチに包み、今度はそっと内ポケットに仕舞い込む。

 ここに放置しておきたいところだが、どこからともなく入ってくる野良猫にでもさらわれたら大変だ。


「今日も徹夜かな……」


 仕事場に戻ろう。わたしは立ち上がり、いったん眼鏡を外して目を擦る。


 そして重い足取りで部屋を出た。



   +



 試作をしながら、うとうと眠ってしまっていたらしい。

 わたしは作業台の上に突っ伏した状態で目を覚ました。


「っ……わたしとしたことが。あいたたた」


 起きあがろうとした途端、肩と腰が悲鳴を上げる。ここ最近徹夜がちだったこともあり、ついに寝落ちてしまったようだ。


 窓の外では朝の鐘が鳴っている。この研究所にも、そろそろ魔術師たちが出勤してくるころだろう。


「いけない……カノエをしまっておかないと。……あれ? カノエ?」


 もぞもぞ、ごそごそとローブの中を探ってみるも、カノエの重みが見当たらない。

 わたしは焦った。ローブを脱いでひっくり返してもカノエはいない。ローブをバッサバッサと振ってみても、カノエはやはり出てこない。


「……え、ど、どこに行ったんだ?」


 さーっと血の気が引いていく音がする。

 

 まさか、わたしが眠っている間に寝ぼけて起きて、酔いの残った頭のままふらふらどこかへ行ってしまったのだろうか? そしてどこぞで野良猫にでも出くわした? そうだ、この研究室ではたくさんのノネズミを飼っている。くっつき合って眠っているノネズミたちはもふもふで可愛いものだが、まさか、暖を求めてケージの中に飛び込んだとか……。


「まずいな……」


 他の魔術師たちが研究所に入ってくる前に見つけ出さなくては……! もし万が一小さいカノエが見つかりでもしたら大騒ぎになってしまう。


 その時、ズン……!! と低い音が微かに轟いた。

 地面を揺るがす振動は微かだが、それは二度、三度と繰り返され、明らかに異常事態が起きていることが窺えた。


 ピンと空気が張り詰める。ただならぬ緊迫感が研究所内を駆け抜けてゆく。


 そのとき、研究室の扉がけたたましく開け放たれ、後輩魔術師のエレーナが部屋へ駆け込んで来た。


「ナツメさん、ナツメさん!! 大変です!」

「どうしたんだ。これは地震か?」

「違いますよぉ! 魔物です! 巨大な魔物がここに入ってきたんです!!」

「なんだと……!?」


 わたしはすぐさま部屋を飛び出し、煉瓦造りの長い廊下を走った。


 普段はのんびりしている魔法薬研究所だが、今はそこここで魔術師たちが騒然としている。中庭へ走り出たわたしは、時計塔の向こうでもくもくと青空へ伸びてゆく煙を見上げて唖然とした。


 すでに戦闘が始まっている。おそらく、たまたまここに留まっていたリシャールの隊が魔物の駆除にあたっているに違いない。


「どうしましょう、ナツメさん……!」

「これ以上内地へ進まないよう、ここで食い止めなくてはならないな。ありったけの魔法薬と、動ける魔術師たちはここへ。貴重なものは地下へ移し、結界を張っておきなさい」

「わかりました!!」


 エレーナが勢いよく駆けてゆく。わたしも武装するために、すぐさま研究室にとって返さねばならない。非力な文官ではあるけれど、それなりに装備をすれば、魔法薬との合わせ技で多少の攻撃はできるのだ。


 ふたたび煉瓦造りの廊下へ飛び込んでゆこうとしたその時、すぐそばで耳をつんざくような破壊音が響き渡った。


 咄嗟に頭を庇って見上げた先には、研究所の屋根に届きそうなほどに巨大な魔物がのっぺりと佇んでいた。


「なっ……」


 黄色く光る大きな一つ目が、わたしを捉えた。

 顔の中心に大きな目。ぶよぶよした灰色の肌、筋肉の盛り上がった巨躯——……これはまぎれもなく、討伐隊を苦しめていた”大型の魔物”に違いない。


 そいつがここに現れたということは、討伐隊の攻撃をかいくぐってきたということだろう。精鋭の軍人たちを薙ぎ倒してここまできたのなら、わたしを叩き潰すことなど造作もないに違いない。


 ——まさかこんなところで死ぬことになろうとはな……。


 ずん、ずん……魔物が近づくたびに、地響きがわたしの身体を揺さぶった。


 そうだ、リシャールはどうなった? ここでさんざん傷の手当てをした討伐隊の面々はどうなった。彼らもまた、この巨大な魔物の手によって殺されてしまったのだろうか。


 壁のように大きな手だ。このサイズなら、手を振り回すだけで、人間など簡単に弾き飛ばしてしまえるだろう。それにこの大きな口。歯はどうなっている? まさか皆、食われたりなどしていないだろうな……。


 顔馴染みの青年たちの顔が走馬灯のように脳裡を駆け巡る中、わたしはふと、カノエの顔を思い出した。


 あいつが小さくなっていてよかった。あのサイズならきっと、この魔物に見つかることはないだろう。あいつならば、どこででも逞しく生き延びるにちがいない。ひょっとしたら、すでにわたし以外の誰かに見つけてもらい、安全な場所に避難している可能性だってある。あいつはちゃっかりしているから……。


 ずん……!!


 魔物がわたしの頭上に迫り、あまりの大きさに圧倒される。腰が萎え、背中を預けていた壁にもたれたままずるずるとへたり込んでしまったわたしにむかって、一本一本が丸太のような指が勢いよく振り下ろされる。


「……!!」


 もはやこれまで。わたしは固く目を閉じた。


 ……だが、想像していたような衝撃や痛みは、いつまでたってもわたしに襲いかかってくることはなかった。


「ナツメ!! 大丈夫か!?」

「……え……?」


 恐る恐る目を開くと、濃紺のローブがわたしの視界の中で鮮やかに翻った。


 体調15センチだったはずのカノエは、すっかり元の身長にもどっている。わたしを背に庇うように立ち、横顔でこちらを振り返っているその顔には、勝気な笑みが浮かんでいた。


 しかも、今まさにわたしを叩き潰そうとしていた魔物の影はそこにはなく、眩しい青空が広がっているだけで……。


「か……カノエ? 魔物は!? さっきまでここに……!!」

「はははっ、見ろ! こうしてやった!」

「なっ」


 カノエが指先でつまんでいるものを見て、わたしは思わず息を呑んだ。


 じたばたと四肢をばたつかせて暴れているもの。

 それは、体長15センチほどになった、あの巨大な魔物だった。


「どっ、どういうことだ!!?」

「ナツメがスヤスヤ寝てる間に、お前が俺に飲ませた薬を解析したのさ」

「違うぞ、飲ませたんじゃない。お前が勝手に飲んだんだろ」

「まぁそこは置いておけ。……グラスに残っていた数滴の薬と、俺自身の血、そしてあのノネズミの血をそれぞれ紐解いた」


 開いた口が塞がらない。そんなことが、たった一晩でできたのか……!? 立ち上がってカノエを揺さぶりたかったけれど、あいにくわたしの腰は抜けたままだ。


 魔法薬の解析——それをわれわれは”紐解く”と呼ぶ——は難解な技術だ。


 人に宿った魔力は千差万別。

 調合師が複雑に組み合わせて作り上げた魔法薬の分析は、本来ならばかなり時間がかかる作業だ。だからこそ、われわれは詳細に記録を残すものなのだが、”小人薬”は偶然できたものだったため、わたしはその記録を一切残していなかった。


 ——それをたったひとりで、一晩で解析したのか? 信じられない……。


 見れば、カノエのローブのフードの中から、あのノネズミが顔を覗かせて鼻をひくつかせている。どうやら彼も元のサイズに戻ったようだ。


「構造さえわかれば、あとは簡単だ。解毒薬を作り、こうして新薬も調合してやったぞ! この薬を浴びた魔物は、身体がネズミサイズになっちまう薬だ。矢にでもくくりつけて魔物に打ち込めば、遠くからでも無力化できる」

「な……」


 呆然としながら、わたしは得意満面のカノエを見上げた。

 するとその肩の向こうに、リシャールと顔馴染みの討伐隊メンバーが、ぞろぞろこちらに歩いてくる姿が見えた。


 どうやら皆無事だったらしい。わたしはほっとして、詰めていた息を全て吐き出した。


「カノエさん、全部小さくしましたよ!」

「すげぇ、これなら研究し放題ですね!」


 と、討伐隊とともに魔術師たちも大はしゃぎしている。生きた魔物の生態はいまだほとんど解明されていなかったため、生きたサンプルを喉から手が出るほどに欲しがっていたのだ。


「……さすがだ、カノエ」


 差し伸べられた手を取って立ち上がり、わたしはふっと微笑んだ。

 するとカノエは、子どものように得意げに笑った。


「ま、偶然”小人薬”を作ったお前のおかげだ。俺はそれを解析して、応用しただけなんだから」

「……なるほど、それもそうだな。徹夜で頑張った甲斐があったということか」

「50パーセントのナツメの努力と、50パーセントの俺のひらめきが合わされば、怖いものなしだな!」

「割合がおかしい気がするが、まぁ……そういうことにしておいてやろう。お前は命の恩人だ」


 よろめきながら、わたしはメガネを押し上げる。

 カノエは気安くわたしの肩に腕を回して、ニンマリ笑ってこう言った。


「そういうわけで、これからも俺の世話をよろしく頼むよ」

「それとこれと話が違う」


 ぱしっとカノエの腕を振り払い、わたしはすっと背筋を伸ばした。


 目の前には、小型化したたくさんの魔物がいる。


 そう、わたしは忙しいのだ。

 新たなる魔法薬開発のために、魔物の生態をじっくり調べなくてはならない。


 カノエの世話を焼いている暇など、わたしには一秒たりとも存在しないのだ。




 おしまい





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