刻みの聖女
私は、役目を持って生まれました。
普通の人は、人生の中で自分の生きる意味を探すみたいです。
でも、私は産まれた瞬間から、生きる意味を与えられました。
大人の皆さんが言うには、神に身を捧げる大事な役目の様です。
私は、自分に与えられた宿命に誇りを持っていました。
六歳になると、私は修道女としての道を歩む様になりました。
神父さんに、なってくれと頼まれたので、引き受けたのです。
お父さんは、それでいいのか? と私に訊きました。
私は、お父さんが何を言っているのか分かりませんでした。
代わりに、お母さんが教えてくれました。
「あなたには、あなたの人生があるのよ?」
お母さんとお父さんは、私が宿命に縛られていないか心配していたみたいです。
大丈夫ですよ、と一言だけ伝えました。
お父さん、お母さん。私は、嬉しいのです。
望まれて生まれた事が。
だから、私を産んでくれてた事に、
宿命を与えてくれた事に、感謝しているのです。
私は、価値のある人間なのだと。
身を以て、そう思えるのですから。
そうして、私は九歳となりました。
その日から、私は、この身に熱くて痛い、刻みを入れられる様になりました。
刻みの焦げくさい香りが、鼻腔を擽ります。
それと、一緒に、私の傷は増えていきました。
ええ、痛いです。何度泣いたか分かりません。
それでも、焦げ付く痛みが、私を蝕むこの痛みが、
時々恋しく思えてしまう時があります。
でも、やっぱり痛いのは怖いです。
身体は正直な様で、その時になると震えだす様になりました。
そんな時に、神父さんから掛けられた言葉が、私に勇気を与えました。
「貴方のその痛みもまた、神への捧げものなのです。貴方の身は既に、神のモノなのですから」
はい。私のこの身は神様。貴方のモノです。
私を、貴方の伴侶にしてください。
さらに、時は流れ。私は十一歳となりました。
そして、明日は私の十二歳の誕生日。
だけど、私にとっては最後の日になります。
——大丈夫。怖くなんてありません。
この身は、神様のモノなのですから。
もう、心残りもありません。
お父さんとお母さんは、既に私とは他人なのですから。
……でも、せめて、明日くらいは最後に顔を見せてくれますでしょうか?
……なんて、そんな事、願ってしまっては悪い子になってしまいます。
時間の流れはあっという間で、その時は来てしまいました。
私は、これから祭壇を上っていくのです。
そして、私は、神様の伴侶になるのです。
さぁ、覚悟は決めました。もう、怖い物はありません。
私は、万が一逃げられないように、と武器を持った大人二人に抑えられ、手枷を嵌められました。
……別に、そんな事をしなくたって、私は逃げませんよ?
ええ。不思議と、恐ろしくないのです。
この階段を昇れば、私は漸く宿命を果たせるのですから。
寧ろ、精々しいまであります。
そして、私は祭壇へ続く階段の一歩を、踏み出しました。
下の方を見下ろすと、沢山の人が集まって、
「聖女様、 万歳!!」
「神の伴侶が生まれし日に祝福を!!」
「聖女様、万歳!!」
「神の伴侶が生まれし日に祝福を!!」
というふうに、私の歩みを祝福して下さる方々が見えます。
途端、私は歩が重くなった感覚に襲われました。
まるで、足が岩にでもなったかの様に、重いのです。
え? どうしたのでしょう?
まさか、私、今更になって怖くなったんじゃ……
そんな、最悪の可能性を払拭するべく、私は、更に一歩を踏み出しました。
うん、ちゃんと、進めます。
でも、どうしてでしょう? 次の一歩へ、そして、また次の一歩へ、と進むにつれて、
少しずつ足が重くなっていくのです。
だ、ダメ。動いてっ!
懇願しても、足は動いてくれません。
その時です。神父様が、後ろから声を掛けて来たのは。
「聖女様……まさかとは思いますが、この期に及んで怖気づいたのですか?」
私は、神父さんの問いに対して、何も返せませんでした。
肯定したくはありませんでした。でも、否定も出来ませんでした。
その時、私はやっと自分が、踏み出す事を恐れている事に気付いたのです。
私の様子を見ていた神父の男が、最初に嘆きました。
「嗚呼……、なんと。貴方は、神の伴侶になる事を拒むというのですか?寄りにもよって、恐怖心から信仰を捨てるとはッ!嗚呼嗚呼、、嘆かわしぃッ!!」
頭を抑えつきながら、悶える様に、神父さんは叫びました。
それを聞いた、民衆の皆さんは、神父さんに続く様にして、私を批難し始めます。
「このっ、恩知らずがッ! 神の伴侶となる栄誉が分からんのか!」
「神の御慈悲を拒絶した愚か者に天誅を!」
「そうだそうだ!!天誅を下せ!」
「くたばれ、糞聖女!」
皆、口々に私への罵倒を口にして行きます。
私は、極限の恐怖と共に、激しい懺悔に襲われました。
助けを請おうとしても、誰も、私を助けてくれません。
でも、私への罵倒だけは、いつまで経っても聞こえてくるのです。
……もう、嫌……
やめて!
嫌ッ!!
お願い、もう言わないで。
私が、悪かったんです。
お願い……もう赦して
お願い、お願い、お願い!!
耳を閉じても、それは聞こえて来ました。
私は耐えられなくて、意識を手放そうとして。
……その時、私は本当に偶然見てしまったのです。
私の方を見上げて、失意と失望に染まった表情をする、両親の顔を。
——そして、私は何も分からなくなりました。
視界が、真っ白に染まっていくようです。
ぼやける視界の中で、私は始まりと言える問いを、自分に掛けました。
「生まれた事が、宿命であったなら、本当に、私には価値はあったのでしょうか?」
もう、何も分かりません。
……全てを投げ出そう。と――
――そう、思った時でした。
胸の辺りから、へそまで続く私に刻まれた印が、
激痛となって私に襲いかかったのです。
何かに、反応するかのように、
それは、疼いていました。
私は、本能的に理解したのです。
嗚呼、これで私は終わるのだと。
そして、救われるのだと。
この身は、神へと捧げられるのです。
途切れ行く意識の中で、私に知覚出来たのは、二つのモノだけでした。
一つは、香りです。
刻みの香り。
それは、芳しく薫り、私の身を焼き焦がしていきました。
もう一つは、色彩でした。
真っ白なはずの視界の真ん中に、ぽつりと。最初からそこに在ったかのように、自然で、柔らかく、美しくて、手を伸ばせば触れられそうで――
木漏れ日の様な美しい色の中。
――そこで、私は、気付いたのです。
「嗚呼、貴女は此処に居たのですね」
私は、貴女に会う為に、生まれてきたのだと。
私は、小鳥を慈しむかの様に。
神はいると。そう、微笑んで。
貴女もまた、愛し子を眺める様に、私に微笑みを返した。
それは、夢の様な一時でした。
貴女と、相見えて、ただそれだけで。
私は満たされたのです。
……ですが、話と違うではありませんか。
私は、貴方の伴侶になるはずだったというのに。
だけれど、貴女の姿は。
伴侶などでは無く、まるで――
そこで、私の意識は完全に暗闇へと、落ちていきました。
ありがとう。私は、此処で救われました。
そしてさよなら。
名も知らない――母の様な、貴女。