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第9章

 ローラが喪の明けるのを待って、四月にアンソニーと正式に入籍すると、村人たちの間には、ある種の不満の感情が広がった――何故なら、ローラがアンソニーとロカルノンの教会で厳かに式を挙げたのを前もって知っていたのは、村でエドワードとダイアナのただふたりだけだったからである。ふたりは通りすがりの人に公証人になってもらい、親しい親戚も友人も誰ひとり出席していない教会で、形ばかりの幸せな結婚式を挙げたのである――村の大方の人たちは新聞の社交欄でこのふたりの結婚を突然に知り、大いに不機嫌になった。

 フレッドが村を飛びだして以来、ローラはフラナガン家とも不仲になり、ジョスリンもシンシアも、ローズ邸には寄りつかなくなっていた。ただジョサイアとケイシーだけは、このふたつの家の仲を元のとおりに戻そうと、何くれとなく世話を焼いてくれたり、またケイシーはヨシュアやエステル、マーシーの学校での勉強の進み具合などを話すために、時々午後のお茶の時間にやってきたりした。

 人々は、ローズ家はエリザベスがいた頃とはまるで変わってしまったと口々に囁きかわして嘆き、村で一番の家柄と言われたローズ家も、今ではジプシーの寄せ集めのようだと、陰口を叩いた。

「あの家にいる者を見てごらんなさいよ」村の御意見番を自負しているチェスター夫人は、先陣を切るようにして裁縫の会で発言した。

「あのアンソニーとかいう男は、しがない保険会社の外交員だった男じゃありませんか。しかもあの家に今出入りしている者といったら……シオン人のヨシュアと、ちょっと足りないエステルと、魔女の子供のマーシーとユージンとかいう素性のまったく知れない者じゃありませんか。まったく、エリザベスが墓の下でなんて言っているか、誰かがローラに言ってやる必要がありますよ」

 海外の宣教師団へ寄付するための靴下を編みながら、チェスター夫人は隣のテーブルに座を占めているジョスリンのことをちらと見やった。ジョスリンはローラが結婚に際して、自分に何も相談してくれなかったことを内心憤慨していたが――それを表立って世間にぶちまけるほど、愚かではなかった。このことについては村中の人間がジョスリンに、誰かがローラに忠告してやるべきだと当てこすりに近いことを言ったが、彼女も彼女の夫も、ただひたすら沈黙を守りとおした。

 生命保険などというものにまるで興味のなかったフラナガン夫妻は、アンソニーがローズ家の農場で、実際にローラの夫としての勤めを果たすようになってから初めて――彼のことを間近に見た。手押し車に乾草を積むアンソニーの後ろ姿を見た時、(おんや、あれはどっかで見たことのある背格好だべな)とジョサイアはのんびり思った。だが新しい雇い人がひとり増えたのだろうとしかその時は思わなかったのだ。

 その年の春、ローズ家の植えつけの仕事をまかされたのは、マーシーとヨシュアという十五歳の少年ふたりと、自分の農地といったものを一度も所有したことのないユージンだけであった。ジョサイアとしては、自分がさりげなくローズ家の畑地を監督してやるべきだとの使命感に燃えていたわけだが、マーシーがいつの間にか、立派な農夫として成長を遂げていることにジョサイアは気づき、彼が自分と同い年のヨシュアだけでなく、大人の男ふたりをも顎で使っているのを見て驚いた。

「お兄ちゃんたち、なんだいそのへっぴり腰は。新品の鍬が泣いちゃうよ」

 マーシーの監督の元、三人は広大な畑地を耕しながら、時々声を上げて笑ったりしていた――もちろん野良仕事というのはひたすら寡黙にえんえんと同じことを繰り返さなくてはいけないため、軽口を叩いている暇など実際にはあまりないし、その単調な仕事をずっと繰り返していると、そのうち嫌でもだんだん無口になっていくものだ。だがこの四人はだらけているわけでもなく、よく統率された軍隊のように、植えつけの仕事を実に効率よくこなしていた。

 ユージンもアンソニーも、自分よりひとまわりも下の少年に使われるのを嫌がるでもなく、時々顔を見合わせたり肩を竦めたりしながら、仲良く畑を耕し、とうもろこしや大豆、えんどう豆などの種を蒔き、またじゃがいもや玉葱などの苗を植えていった。

(なかなかマーシーもやるでねえか)

 ローズ家の畑地を柵囲いにもたれながら遠く眺めやりつつ、ジョサイアは他人の農地のことよりも、自分の農場のことを心配すべきだとその時考えを改めた――今年はフレッドもいないし、ユージンも昔からの友人を手伝うため当てにはできない。マイケル・ボイドのところの息子はロカルノン大学へいってるし、雇い人募集の貼り紙をスミス雑貨店の掲示板にだしているものの、来たのはシオン人と漁村の貧民屈の階層の男だけであった。

(やれやれ。猫の手も借りたいというのはまさにこのことだなや。この際シオン人がどうこうなどと言ってる余裕もないのだけんど、ローズ家の金を盗んだのが奴らだっちゅうことはみんなが知ってることだからなあ。かといってサウスウィングの漁村のあの男を雇うのも、オラは気がすすまねえだ)

「あら、ジョサイアおじさん。おはよう」

 ローラの笑顔は、新婚の主婦として輝き渡っていた――ちょうど彼女が今干している洗いたてのシーツみたいに、その笑顔は汚れなく美しかった。ジョサイアは思わず目がチカチカするのを感じ、知らず知らずのうちに帽子をとって胸のところへやっていたくらいである。

「あのう、そのな、ローラ……」自分は一体何を言いにきたのだっけ、とジョサイアは麦藁帽を手で揉みつぶした。彼は村人たちが彼やジョスリンにしょっちゅうけしかけているように、ローラに一言苦言を呈しにきたわけではなかったのだが。

 ローラはジョサイアが何か言いにくそうにしているのを見てとると、たらいの中から夫の作業着をとるのをやめ、彼と洗濯紐を境とするように向きあった。

「あのね、おじさん。去年はわたし、おじさんに本当にたくさん、助けていただいたと思うの。だから今年は――わたしたちがお返しをする番だと思うのよ。これから、林檎の花の間引き作業やその他色々――お互いの農地をひとつの農地みたいに、いったりきたりできるといいなって……そのために、いつでもおじさんが必要な時に、アンソニーやユージン、マーシーやヨシュアのことを貸しだすわ。元はといえばフレッドがでていったのも、わたしのせいなんだし……」

「うんにゃ、それはもう言いっこなしだと言ったはずだで、ローラ」ジョサイアは口止めするように、人差し指を口許へ持っていった。「そのことではジョスリンやシンシアが、おまえさんに八つあたりみてえなことを言って、本当に申し訳なかったと思ってるだ。だがふたりとも今ではそのことを後悔してるだし、オラにしてもあれが出ていったのは仕方のないことだったと思ってるだよ。オラは村の連中がなんといおうと、ローラの味方だからな。言いてえ奴らには言わせておけばええ。そういえばオラ、ローラの新しいご亭主にまだ挨拶もしとらんかったっけ。どれ、ひとつ挨拶でもしてくるべかな」

「ごめんなさいね、おじさん」とローズ家の人間として礼儀というものを重んじるローラは、羞恥に頬を染めた。「本当はもっと前もって紹介するのが筋というものですのに――」

「そんなこと、オラは構やしねえよ」

 本当に自分は何も気にしていないのだというかのように、ジョサイアは後ろ手に帽子をふりながらローズ家の畑地へ向かった。そして彼はアンソニーの姿を見るなり、何故あれほどエリザベスに厳しく躾けられたローラが、世間から後ろ指を差されても仕方のない選択をしたのかを悟った。

 ローラの二番目の夫、アンソニー・レイノルズは――彼の五番目の息子のトミーにそっくりであった!いや、一見して見たところ、髪の色は違うし、ジョサイアにしてみても、どこかで見た顔だけんど……と喉に小骨が突っ掛かっている感じであった。だが一度その顔が一体誰に似ているかと悟るが早いか――ジョサイアはその場に失神しそうになってしまった。

 ジョサイアはアンソニーのことがまるで他人だとは思えなかったが、それでも当然のことながら彼にとって自分はまるきり赤の他人なのであり――いかにも都会者らしくきっちりと折り目正しく彼が自分に挨拶するのを、奇妙な気持ちで眺めやっていた。

「ローラにもよく言われてるんです。フラナガンさんには返しても返しきれないほどの恩があるって。俺は農夫としてはまだ一年生ですが、人手が必要な時にはいつでも声をかけてください」

(……うひゃあ。こりゃまたべっくらこいた)

 ジョサイアはアンソニーの柔らかな物腰や、どこか上品で優雅なたたずまいに、戦地で病死したトミーの面影を見たような気がした。それで驚きのあまりしばし黙って、穴のあくほどアンソニーのことを凝視してしまった。

「ジョサイアさん、そんなにじっと見つめると、アンソニーに穴があいてしまいますよ」

 事情をすべてよく飲みこんでいるユージンは、いつもの人好きのする笑みを浮かべながら、ジョサイアの視線を自分のほうへ逸らそうとした。

「俺も、ローラからよく言われてるんです。フラナガンさんがあれをせよと言われればあれをし、これをせよと言えばこれをするようにって。どうか今年もひとつ、よろしくお願いしますね」

「……い、いやいや、こちらこそ」

 ジョサイアは独楽のようにくるくると回転する頭を抱えながら、まるで幽霊でも見た者のように、その場から慌てて走り去っていった。自分がたった今見たものをジョスリンにも確かめてもらい、賢い妻がどう思うか、その意見をすぐにでも聞きたかったからである。


「おまえさん、寝ぼけてるんじゃないだろうね」

 ローラと同じく、月曜日に洗濯をする習慣のあるジョスリンは、自分の持っている服の中で一番上等の青いタフタのドレスを干しながら笑った。きのう、教会の日曜礼拝のあとにあった婦人会で、カスタードのパイをスカートの上に落としてしまったのだ。それはすぐに染みぬきをしたので、あとにはならなかったのだが――その帰り道に地獄の番犬、ケルベロスの如き顔つきの真っ黒な犬に抱きつかれ、彼の泥にまみれた足跡だらけになってしまったのだ――「この地獄の犬め!しっしっ!」と言ってジョスリンはそのケルベロスめを追っ払おうとしたが、彼はある一定の距離をおいていつまでも彼女のあとを追ってきたため――今もフラナガン農場の羊の柵囲いの前にうずくまっていた。

「それが本当なんだよ、ジョスリン。そういえばオラも今思いだしたっけが、サイレスもそんなようなことを前に言っていたことがあっただ。自分は直接見たわけではねえが、例によって奴のおっかあが『あの保険の外交員とかいう男は、トミーによく似ている』と言っていたと。他の連中もなんか、そんなようなことを言ったことがこれまでに何度かあったっけが、オラはそんな話、気にも留めなかっただ。小説じゃあるめえし、そんな双子みたいに瓜ふたつだなんてこと、あるわけがねえって、そう思ってな」

 夫が息せき切って一息に喋りまくるのを聞いて、ジョスリンもまたそういえば……と思いだすことがあった。きのうの婦人の会でも、その前にあった裁縫の会でも――みんな、ジョスリンにいかにも意味ありげな視線を送っていたのだ。そうそう。アリシア・マックデイルに至っては、ローラの目の前ではっきりこう言っていたのではなかったっけ?

「ローラったら、二番目の夫にもトミーと同じ人を選んだのね。あの人、保険のセールスにきた時、とってもわたしにしつこかったのよ――昔トミーがわたしに対してそうだったみたいにね」

 ジョスリンはバザーにだすための、ティーコゼをひたすら黙々と縫いながらも、周囲の噂話を一言も洩らさず聞いていたのだ――珍しくドナ・マクドナルド・ミラーがローラを助けるために助け舟をだしていたっけ。

「アリシアったら、あなたいつまでも昔の思い出に浸ってるのね。わたしだけじゃなくみんな知ってるわよ――トミーがあなたのことを追っかけまわしてたんじゃなく、あなたがトミーに対して勝手にやきもちを焼いてたんだってことくらい。まったく、いつまでたってもあなたったら、学校を卒業していないんじゃなくて?」

 アリシアの昔からのとりまきであるロゼッタもミリアムも、これにはまったく驚きを隠せない様子だった――庇ってもらった当のローラでさえ、驚きのあまり目を見張っていたくらいだ。あの中途半端に偽善的で、自分たちにもローラにも実際にはまるで相手にされなかったドナ・マクドナルドが――生まれて初めて自分の意見をはっきりと、大衆の面前で口にしたのだ。

(実際あの子はケネスと結婚して変わったようだね――ケネスも今ではロカルノン・ジャーナルやタイターニア・クロニクル紙に社説や論評をのせるお偉いさんになってしまったし――そのことがあの子に自信を持たせたのだろうか……いや、そんなことよりも今はローラの新しい夫のアンソニーとかいう男に一度会いにいってこなきゃなるまい。あたしとしては向こうが挨拶しにこない以上、自分からいくのは気が進まないんだけどね――そんなにトミーに似ているのかどうか、一度この目で確かめなきゃなるまいよ)

 ジョスリンはフレッドが、信じられないくらいの大金をおいて出ていった時、激情にかられて随分ひどいことをローラに口走ってしまっていた。ジョスリンは息子の心がどんなことを思い描いていたのかを誰よりもよく知っていた――彼としてはローラと結婚して、孫の顔を自分たち両親のそばにおいておきたかったのだ。それが一番の親孝行になると、フレッドはそう考えたのだ――もちろん、だからといってローラの気持ちを無視するわけにもいかないし、またローラの気持ちがフレッドに靡くことはおそらくないであろうことは、ジョスリン自身にもよくわかっていた。ああ!でもそれだからといって、あんなふうに突然、何も言わずに置き手紙もなく、出ていってしまうとは!ジョスリンは直感的に、息子はもう二度とこの村へは戻ってこないであろうと悟っていた。

(まあ、あのことではわたしのほうがローラにあやまらなきゃいけないんだし――そうさね。ローラの夫になったアンソニーとかいう男がどのくらいトミーに似ているにしろ、とりあえず確かめなくっちゃ。ローラがその男を本当に愛しているのかどうか、またその男のためにフレッドのことを袖に振ったのかどうか……)

 ジョスリンは近ごろ腰の曲がってきた自分の夫の後ろ姿を納屋のほうへ見送ると、溜息を着きながらシーツのしわを手で叩いてのばした。自分たちの老後のことを考えた時――実はもっとも当てにできるのはローラであった。ジョスリンはローラがあの気難しいエリザベスの世話をしているのを見て、よく思ったものだ。自分もこんなふうに看病してくれる娘がほしいものだと。今は喧嘩しているが、それでも自分かジョサイアがたった今倒れたとしたら――おそらくローラがつきっきりで看病してくれることだろう。

(そうだ。片意地張ってないで、ローラにあやまらなきゃね。そしてこれまでのように、ローズ家のことをとやこう言う奴らから、ローラを守ってやらなくちゃ)

 ジョスリンは洗濯を終えてさっぱりすると、仲直りのしるしにバスケットいっぱいにお菓子を詰めこんで、ローズ邸へと向かうことにした。




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