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第7章

 それから、収穫祭を迎える十月になるまで、フレッドはローズ邸へいく機会もなければ、ローラと口を聞くことも一度としてなかった。ただ日曜日に教会へいった時にだけ、ローズ家の席に彼女がいるのを見かけ、その後ろ姿に向かって切ない溜息を洩らすのみだった。

 今年は好天が続き、嵐などの大きな被害に合うこともなく、ロチェスター村内のどこの家庭でもほぼ例年どおりの収穫量だった――ロチェスターの名産物として有名なのは、じゃがいも、玉葱、ハッカ、メープルシロップ、林檎などであったが、今年は豊作な上に市場でも良い値がつき、フレデリックは雇い人であるシオン人のひとりびとりに、政府から難民支援保護法に基づいて支給されたお金をも、普通の給金に上乗せして与えていた。何故ならこれらシオン人たちは、言葉こそ通じないものの、実によく働いたし、彼らの故郷には戦争で離ればなれになった貧しい家族や親戚たちがいるということを聞いていたからである。

 中でもフレデリックは、シオン人のヨシュアという少年のことが特に気に入り、このままローズ邸に住みこんで働かないかと誘いをかけた。彼は金褐色の髪に青灰色の瞳をした、向学心のある実に聡明な若者で、言葉の理解も早く、今ではほとんどフレデリックの通訳として、他の使用人たちに命令を下すリーダー的存在でもあった。

 ちょうどマーシーと同じ十四歳で、マーシーはヨシュアに、すぐに強く惹きつけられるものを感じた。何故なら――マーシーは村の人間のほとんどから、どこの誰の子ともわからぬ私生児として蔑視されていたが、ヨシュアは言葉がわからないせいもあって、マーシーのことをいつでも一段上の者として尊敬の眼差しで見つめたからだ。彼らはたちまち仲良くなり、やがてマーシーはヨシュアの妹のエステルに、恋心を抱くようになった。ロチェスターの村の中には、マーシーに娘をくれてやってもよいなどという親はおそらくひとりもいないだろうが、彼らは戦争で両親を亡くしていたし、今では兄ひとり妹ひとりという境涯であった。マーシーはヨシュアとエステルを帽子山の麓にあるマコーマック家の丸太小屋へ連れていき、今では家族も同然に一緒に暮らしていたのである。

「すみません、ローズさん。ボクにはそれ、ちょっとできないです」と、ヨシュアはいつものように一生懸命、力をこめて途切れ途切れに言った。「エステル、看病、とても大変。マイクおじいさん、近ごろよくないのです。ボクもマーシー、手伝いたい。だから、今みたく、カヨイで願いたいです」

「そうか。それはすまんかったな。それでももし将来的に――いや、今はよそう。それじゃあこれからもどうか、よろしく頼むよ」

「もちろん、おまかせください」

 ヨシュアが真珠のように白い歯を光らせて笑うと、フレデリックはいつも微笑ましい気持ちになった。彼はフレデリックが頼みごとをする時には必ず「おまかせください」と返事をするのだが、そのたびにフレデリックは何故か、突然意味もなく笑いだしたいような、不思議と愉快な気持ちになった。他のシオン人たちもみな、民族固有の伝統やしきたりといったものを忠実に守る、根が誇り高い人間が多く、フレデリックは使用人たちがみな、騾馬のように無口に黙々と働く姿に十分すぎるほど満足を覚えていた――彼らのうちのひとりが、収穫のお金の丸々そっくり、盗んでいってしまうまでは。

 村が収穫祭で賑わったその夜、フレデリックもまた幾分上機嫌で、いささか酒を飲みすぎていた。ビンゴゲームで最新式の芝刈り機が当たったし、ポーカーでは若い連中を打ち負かしてやったし、ローラはじゃがいも料理のコンテストで賞をとったし――何も言うことはなかった。ただ欲をいえば、ローラが喪服姿で壁の花のようにひっそりと、静かにしているのがフレデリックには不満といえば不満だった。確かにローラは未亡人になって一年にもならず、ダンスフロアでフレッドか、その他相手が誰であったとしても――踊りを披露するなどもっての他ではあっただろう。

 だがフレデリックは、自分のような年寄りが収穫祭を楽しんでいるにも関わらず、まだ年若いローラが――ただ義務的な気持ちからじゃがいも料理を作ったり、パッチワークの壁掛けをバザーに出品したりしているのを見るのがなんとなく忍びなかった。どうすればもう一度この娘の心に、人生の喜びと楽しみの花を咲かせてやることができるだろうと、そう思うと切なくなった。

 フレデリックは酔っ払っていたため、ローラに馬車の手綱を握らせて、自分は隣でじっと蹲ったままでいた。ローラはローズ邸の庭の柵に一旦馬を繋ぐと、半分眠っているような様子の伯父につきそって、家のポーチをあがっていった。そして玄関の鍵を開け、ランプに火を燈した。

「おじさん、わたしは厩舎にデニスを繋いでくるけれど、ひとりで大丈夫?寝室へいける?」

「大丈夫、大丈夫」

 フレデリックは手でしっしっ、とローラのことを追い払うような仕種をした。構わんから早くいけ、というように。

 ローラはやれやれと思いながら肩を竦め、伯父のことをひとり残して栗毛の馬のデニスを厩舎へ連れていくことにした。居間にひとり残されたフレデリックは暫くの間ランプの揺れる橙色の光に魅せられたようにぼうっとしたあとで――酔っ払っていながらも、ふとあることを思いだした。ロチェスター村で盗難事件が起こったことは稀にしかなかったが、それでも一応、暖炉の横、薪箱の下の秘密の場所に明日町の銀行へ預けにいこうと思っている収穫のお金があるかどうか――再確認してから眠りにつこうと思った。ところが……。

「おお、神さまっ!」

 重い薪箱をよけ、板を外したその下には――何もなかった。いや、正確にはローズ家の土地や家屋の証書はあったのだが、三千ドル入った現金が丸々消えてなくなっていた。フレデリックはすっかり酔いも醒め――狼狽して、その小さな穴蔵の隅々までに手を伸ばし、ランプの光の元、不様な格好で中をよく照らして見てみたが――やはり土地・家屋の証書以外何もなかった。

「ローラ、ローラっ……!」

 フレデリックは姪の名前を呼んだが、それは彼女なら現金の在処を知っているだろうと思ってのことではなかった。フレデリックは突然心臓が苦しくなり、胸を押さえたままその場に倒れこんだ。

 ローラはデニスにおやすみと感謝のキスをひとつしてから、左手でショールをかきあわせ、右手にランプを持って家のほうに戻ってくるところであった。その姿をまさか、見ている人間がいるだろうとは想像することすらなく……。

「おじさん、駄目じゃないの。こんなところで横になっては風邪をひくわ」

 哀れにもローラは、フレデリックがすでに事切れているとは知らなかった。そして伯父のことを抱きあげて暫くたつまで――そのことに気づきもしなかったのだ。

「……おじさんっ!」

 ローラは震えながら両方の手で口許を押さえ、そのままその場に凍りついたようになった。脈をとったりするような勇気も気持ちのゆとりもなく、伯父はまだ生きていると信じて疑わなかった。そうだ。まずはローランド先生に連絡しなくては。

 ローラは電話の受話器をとると、デヴィッド・ローランド邸に直通の番号を押した。だがローランド夫人は夫は今モンローさんのところへアメリアのお産にいっていると、冷静に言うだけだった。ローラは泣きじゃくった。

「でも、おじさんが……おじさんが……早くしないと死んでしまうわっ!」

 不意に、自分の隣に忍びよる影があったかと思うと、受話器を奪われた――それはフレッドだった。

「すみません、お手数をおかけしました。残念ながらフレディおじさんはもう……はい。それでもミセス=モンローのお産が済み次第、先生にローズ邸へきてくださるように連絡していただけませんか?ええ……」

 ローラは呆然として、ランプの光に照らされたフレッドの横顔を見つめた。以前自分にプロポーズした時に着ていたダークスーツが、闇の色に半分溶けこんでいる。

「いつ……いつ、ここへ?」

 フレッドが受話器をおくと、ローラは涙顔で哀願するように聞いた。気が転倒していたとはいえ、人の気配をまったく感じなかったからだ。

「その……恥かしながら、収穫祭のパーティが終わったあと、先回りして納屋のほうにいたんだ。いや、そんなことよりも今は……」

 フレッドは逞しい筋肉に力をこめて、フレデリックの年老いて重くなった肉体を抱えあげた。そしてソファの上にゆっくりと横たえると、両手を胸の上に組み合わせた。

「おじさん、どうしてっ……どうしてなの、おじさんっ!わたし、この家にひとりぼっちになってしまうわ!」

 床の上に膝をつき、両手で顔を隠すようにしてさめざめと泣くローラを、フレッドは沈痛な面持ちで抱きよせた。実に彼にはフレデリックが薪箱の横に倒れているのを見た瞬間から――大体のところ、どういう事態によってフレディおじが倒れたのか、察しがついていたのである。ただ、それをローラに今告げるべきかどうか、迷っていた。

「おじさんっ、おじさんっ!どうしてなのっ!どうして……っ!」

 しきりにどうしてという言葉を繰り返しながら泣きじゃくるローラのことを、フレッドは自分の胸に抱きよせた。ローラは嗚咽を洩らしながらフレッドの体にすがりつき、彼が優しく髪を撫でるのを、静かに受けとめていた。

 やがて漆黒の闇にローラのすすり泣きが吸いこまれるように消えてゆき、あたりがしーんとした静寂に包まれると、ローラは自分が亡き夫の兄の腕の中にいると気づき――はっとしたように、彼の体から離れた。

「わたし……すっかり気が動転していて……」

 ちょうどそこに、ローランド医師が現れた。医師の目にはすっかり狼狽したローラが松林荘に連絡し、それでフレッドがやってきたのだろうというように映っていたが――抱擁の場面を老医師に見られたかもしれないと思ったローラは、悲しみと恥かしさの入り混じった微妙な表情で彼のことを見上げていたのだった。

「先生。おじさんはどうして急にこんなことに……」

 ローランドはフレデリックの細い目を無理にこじあけるようにして見たあと、一応念のためにか、脈をとったり、また上着のボタンを幾つか外すと、聴診器で心臓のあたりを数箇所、押さえたりした。

「どうしてかというのは、わしのほうが聞きたいくらいだよ、ローラ。おそらくは心臓発作だとは思うが……フレディには心臓の持病はなかったはずだがね。今日、彼は相当酒を飲んでいたのかね?」

「はい。若い連中にポーカーで勝ってから、ビールをかなり……」と、フレッドが答えた。

「かなりというのはどのくらいの量だね?」

「俺の見たかぎりでは、ジョッキに三杯以上はいっていたと思います」

「ふうむ……」

「それで先生」フレッドは少し言いにくそうに、ローラのほうをちらと見た。「俺が思うにはたぶん、フレデリックおじさんは、収穫のお金を盗まれたのがショックで、発作を起こしたんじゃないでしょうか。あの薪箱の下……あれはローズ家の土地や家屋の証書だろう、ローラ?」

「ええ、そう。そうよ――」今はまだそんな現実的な話はしたくない、というようにローラは悲しげに目を伏せた。「あの中にはたぶん、今年の収穫のお金が全部入っていたはずだわ――おじさんは明日、街の銀行へそれを預けにいく予定だったのよ。でも一体誰がそんなことを……」

「薪箱の下に証書や現金の入っていたことを知っていた人間は、他に誰かいるかい?」

「いいえ、わたし以外には誰も知らないはずだわ」

 フレッドは部屋の中を一渡り見まわすと、冷静に推理した。彼はランプを片手に黙ってその場を離れ、台所や勝手口をまず調べた。そしてローラに一言断ってから、エリザベスが使っていた寝室や、エドが使っていた寝室、フレディの寝室、客間などをひとつひとつ静かに調べていった。二階の部屋と、屋根裏部屋に至るまですべて。

「先生。犯人はどうやら、勝手口から侵入したみたいです。ドアノブごと引っこ抜かれてましたから。それとこの部屋以外には荒らされた形跡はまったくといっていいほどありませんよ。ということはつまり……窃盗犯はどう考えても、フレデリックおじさんが薪箱の下に収穫のお金を隠していたことを知っていたということになります。こんな時になんだけどローラ、おじさんが収穫のお金を銀行へ預けにいくという話をした時――他に聞いていた人間はいなかったかい?あるいは聞いた可能性のある人間でもいい。思いだせそうなら、思いだしてみてくれ」

 ローラは困惑しながらも、きのうの午後、市場から上機嫌でフレデリックが帰ってきた時のことを思いだそうと努めた。そうだ。伯父はヨシュアと一緒に馬車で帰ってきて……その話をしていた時、ちょうど彼が厩舎に馬を繋いで戻ってきたところだったのだ。そしておじさんは薪箱をずらして、その下にお金を……。

「いいえ、いいえ!絶対にそんなはずはないわ。これは何かの間違いよ!」

 再び涙を流しながら両耳を塞いでかぶりを振るローラのことを、フレッドもローランドも、痛ましい気持ちで見つめた。今は感情があまりにも乱れすぎている。それに今日はもう夜も遅い。すべては明日の朝に持ち越したほうがいいだろう。

「とにかくローラ」と、老医師は厳粛な面持ちで言った。「これは事件だ。窃盗はもちろんのこと、もしかしたら殺人事件ということに発展するかもしれん。ガートラー巡査にはわしが帰りがけに知らせておくが……窃盗届けをだしたり、事情聴取されたり、色々面倒なことが起きるだろう。それとフレディの葬式もださねばならんし……今日はここにジョスリンを呼んで一緒に泊まってもらってはどうだね?それと念のためにフレッド、おまえさんは勝手口を見張っておったほうがいいかもしれんぞ。おそらくサイモン・ガートラーが知らせとともにすぐすっ飛んでくるとは思うが……」

「もちろんです」

 フレッドもまた、厳粛な面持ちで老医師に頷いて見せた。そして不謹慎だとわかってはいながらも、それでもやはりローラのために役に立てることが嬉しかった。ジョスリンもジョサイアも、突然のフレデリックの死に驚き、その死に顔を見るや、号泣した。また何故フレデリックが心臓発作を起こしたのか、その経緯を知るなり、ジョサイアはシオン人を罵倒し、ジョスリンは「おお、神さま!」と手をもみしぼって嘆いた。

「だからオラは反対したのに……あんな異教徒を雇うからこんなことになったでねえか。ローラ、おまえさん本当は犯人を知っとるんでねえのか?いや、知ってなくてもある程度見当くらいはついてるんだろう?あのシオン人のうちの誰かかね?」

「わたし――わたしは……」ローラは胸が苦しくなって喘いだ。そして一条の良心の光にとりすがるように、咄嗟にこんな考えが頭に思い浮かんだ。

(もし――もしも……ヨシュアが犯人だとしたら……彼はおそらく村からすでに姿を消しているだろう。妹のエステルを連れて。それでもしフレディおじさんのお葬式で、痛々しそうに涙を流したなら――彼はおそらく犯人ではないだろう。彼のことはわたしもよく知っている。三千ドルもの大金を盗んでいながら、顔色ひとつ変えずにおじさんのお葬式に顔をだせるような、そんな不誠実な人間では決してないって)

「親父、ローラも今日はもう疲れてるんだ。そういう話はまた、ガートラー巡査がきたらするだろうから……ローラ、君はもう休んだほうがいいよ。大体の話は俺のほうから巡査に話しておく。それで明日になったら、君の口から改めて直接、ガートラー巡査に話せばいいさ」

 ローラは子供のようにこくりと頷くと、フレデリックの上に身を屈めて、いまだ酒気によって微かに赤みのさしている頬に、優しくキスした。

(おじさん……わたし、これからこの家にひとりぼっちで、どうやって生きていったらいいの?)

 ジョスリンと一緒に二階へ上がりながら、ローラは足どりも重く考えた。葬式の細々としたことについては何も考えなかったが――ジョスリンが采配をふるって、何もかも按配よくとりしきってくれるだろうとわかっていたからだ――そしてジョスリン自身もまた、ローラにそうしたことは自分たちにすべてまかせて、今日はゆっくり休むようにと言った――だがやはりローラは眠れなかった。下からはフレッドと、ガートラー巡査のだみ声とが聞こえてきている。

(ヨシュアが犯人だなんて!ああ!)

 そんなことはありえないといくら堅く信じようとしても――もしもそうなら決して許せないという気持ちが同時に湧き起こって、ローラはいつものように、心の中でトミーに話しかけていた。

(トミー、わたしとうとうこの家にひとりぼっちになってしまったわ。これからどうやって生きていったらいいの?ああ、確かに今年の収穫はなんとか無事終わったわ――でもこれから秋蒔きのために畑を耕さなくちゃいけないし――それから小麦を脱穀したり、他にも雑多な仕事がたくさんあるわ――乳搾りとか鶏の卵とりとか、豚に餌をやったりだとか、そういうことはこれまでもずっとやってきたけれど――子牛が産まれたり、豚を食肉のブローカーに売ったり、鶏が病気になったり卵を産まなくなったりした時は――これまで全部フレディおじさんとエドおじさんにまかせきりだったのだもの……そうだわ!わたしにはまだエドおじさんがいるわ!エドおじさんにみっちり、家畜や畑のことを教えてもらって――あとはジョサイアおじさんやフレッドに助けてもらおう。そして、それからあとのことは――また明日以降考えることにしよう……)

 こうしてローラは明け方近くにようやく眠りに落ち、短い時間ではあったが、ぐっすりと深く眠った。そして翌朝の七時頃に目を覚まし――慌てて身支度を整えて階下へ下りていった。台所にはジョスリンが作ってくれたちょっとした朝食がこしらえてあり、ガートラー巡査がそれをゆっくり咀嚼するように食べている最中であった。

「おはよう、ローラ。昨夜は大変だったね。ジョスリンは今自分の家のほうに戻っているけど――用事を片付け次第、すぐにまたこちらへ来てくれるそうだよ。フレデリックのことは俺とフレッドで客間のほうへ運んでおいた――そうそう。家畜の世話のことなら心配いらないよ、ローラ。フレッドが餌をやったり糞の始末をしたり、水をやったりしてくれてるだろうからね」

「すみません、わたし……こんな時にこんな時間まで眠ってしまって……」

 部屋で顔を洗い、急いで髪をとかし、喪服を着ておりてきたものの、ローラは巡査の前でなんとなく、決まりの悪い思いをした。ガートラー巡査はといえば、ジョスリンの作ったマフィンにマーマレードをたっぷりのせ、落とし卵に舌つづみを打ち、大きな音を立ててスープをすすっている……ローラは突然自分の決まり悪さも忘れて、ガートラー巡査のことを、大きな体をした子供のようだと思って少しおかしくなった。

(巡査ったら、褐色のひげにマーマレードがついているわ。そういえばガートラー夫人はあまりお料理が得意でないというもっぱらの噂だったっけ……)

 こうした小さな村では、ジョスリンの作るスープの味の右にでる者なしとか、チェスター夫人のミンスパイは村一番の美味しさであるとか、あるいは何々夫人の朝の食卓はいつもしみったれているだとか、みな、隣人の食卓にどういった品が並んでいるものなのかさえ、知れ渡っているものなのだ。また、それと同じく、ここロチェスター村は非常に平和な村であり――開村以来、殺人事件が起きたのはただ一度、その他窃盗事件についても大きなものは数えるほどしかなく、放火などの犯罪も、極めて稀であった。

 ガートラー巡査は、昔はロカルノンで腕利きの刑事として犯罪捜査に加わっていた人物で、五十を過ぎた今でこそ、こうしてのんびりした田舎の巡査の身分に甘んじてはいるが――今回の事件で再び、昔の自分を思いだして若返るものを感じていた。

「時にローラ、きのう家へ帰ってきた時の状況を詳しく説明してもらえないだろうか?」

 自分の家の食卓ではあるが、ガートラー巡査に勧められて、ローラは彼の向かい側の席に腰をおろした。そして小さく祈りの言葉を唱えてから、パンの籠に手をのばし、またスープ皿にジョスリンの作ってくれたかぼちゃのスープを少しだけよそった。

「きのう、わたしがフレデリックおじさんと収穫祭から帰ってくると、おじさんは酔っていて足許が少しおぼつかなかったので、わたしが肩をかして一緒に家の中へ連れて入りました……そしてランプを点けて居間までくると、あたしは馬を繋ぎに厩舎へいったんです……戻ってくるとおじさんが倒れていて……でもわたし、おじさんはまだ生きている、きっと助かるってそう思ったものですから、ローランド医師の家へすぐに電話したんです。そしたらフレッドがいつの間にか隣にいて……」

「フレッドがいつの間にか隣に?」ガートラー巡査は食事をする手をとめ、ローラのことをしげしげと見やった。「彼はなんでも、眠る前に君の姿を一目見たくて、納屋のあたりに身を隠していたのだそうだ。もちろん守秘義務というやつで、俺はこんなことを村の誰かにくっちゃべったりはせんが――彼が先まわりをして納屋のあたりをうろついている時には、不審な人物を見たり物音を聞きつけたりといったようなことはなかったそうだよ。それで彼はランプを手に厩舎からでてくる君の姿に満足し、自分の家へ帰ろうと思った。ところがなんとはなしに心に引っ掛かるものを感じて、今度は家のまわりをうろついておったのだね――ローラ、服喪中の君にこんなことを言うのはまことに申し訳ないが、もてる女性というのは大変なものだね――そうしたら君の叫ぶような声が聞こえてきたので、不法侵入を承知の上で玄関から入ってきたと、まあそんなわけだ。まだはっきりと犯人像を断定することはできないがね、ローラ。おそらく犯人は君たち伯父と姪が収穫祭へ出かけるのを見届けてから、大体おおよそ六時から十時くらいの間に盗みを働いたということになるだろう。さて、ここからが問題だ。ジョサイアは今年の収穫期に雇い入れたシオン人が怪しいに決まっとると、息巻いておったがね――お説を村中に広めるのは控えるようにとわしは注意しておいた――これも長年刑事をやった勘というやつでね、ローラ。いかにも疑わしい人間に罪を着せて殺人や窃盗を行うなんていうのは実際よくある話なんだ。ローズ家の家柄のよさ、毎年の収穫量の確かさを心密かに妬んでいる人間がいないとも限らないし――また君は、これまで何人もの男たちを袖にしてきたという経緯があるからね、その線からも俺は洗いたいと思っている」

「まあ、そんな……ガートラー巡査」ローラは頬を赤らめ、思わずスープ皿の中にスプーンを落としてしまった。「ありえませんわ、そんなこと。シオン人たちはとてもよく働いてくれましたし――みんな、フレディおじさんのことをとても慕ってくれていたんです。もう冬は農村では仕事がありませんから、みなさん街のほうに流れていってしまいましたけど――来年もよかったら声をかけてくださいと、握手をして感じよくお別れしたんです。それに、ガートラー巡査もこの村へやってこられて三年にもなるんですもの、おわかりでしょう?ロチェスターにローズ家を恨んでいる者なんてひとりもいやしませんわ。わたしが昔プロポーズを断ったからって――そんなのは本当にもう、何年も前の話じゃありませんか」

「いやはや、ローラ」ガートラー巡査はぐっと牛乳を一息に飲みほすと、不敵な笑いを浮かべた。「君はどうやら性善説というものを信奉しているようだ。じゃあ何故、ビリーもヘンリーもいまだに結婚していないのかね?あの西の森に住んでいるユージンとかいう奴もそうだ――それにローズ家は毎年収穫量がどこの家よりも多く、市場での値段も一番高値がつくそうじゃないか。なあローラ、人間っていうのはね、魔が差すということがあるし、君がよく働いてくれたというシオン人にしてもね――金が十分足りなかったら、なんやかやと自分に都合のいい理屈をくっつけて、窃盗という行為を正当化するかもわからないよ。自分たちは明日をも知れぬ難民だが、それに引きかえローズ家には土地もあれば立派な家屋もあり、十分な蓄えだってあるらしい――そこから少しいただくくらい、果たして悪いことだろうかと、そんなふうにね」

「でも――でも……」ローラはどうしてもそんなふうには思いたくなかった。また事件から一夜明けてみると、果たして自分が本当に犯人に捕まってほしいと思っているのかどうかもあやふやだった。確かに三千ドルといえば大金だ。それにフレディ伯父が老骨に鞭打って、汗水流して働いたお金でもある。だが伯父が死んでしまった今――彼にしてみたところで、是が非でも犯人を逮捕してもらわにゃあならんと柩の中で思っているかどうか……ローラはわからないと思った。

「やれやれ。君は信じられないくらいの世間知らずというか、お人好しのようだね。まあそんなふうにのんびり構えていられるのも、ローズ家に資産があり、生活に余裕があればこそさ。君にはどうもその――海辺の村の貧民の暮らしがどんなものかとか、そういう種類の観念が抜け落ちているんじゃないかね?あるいは村で一番貧しいといわれる、子だくさんのダラス家についてはどう思うかね?誰だって、明日食べるものが何もないとなれば、自分の口のために、あるいは子供のために盗みくらい働くかもしれないと想像してみたことはないのかね?」

「まあ、ガートラー巡査!」ローラはびっくりして、声を張りあげた。「まさか巡査はダラス家の者まで疑ってらっしゃるんですか?そんなのは、とんでもないことですわ――エリザベスおばさんがどんなにダラス家の人たちによくしてやったことか!巡査はご存じではありませんの?」

「もちろん知ってるとも」とサイモンは顎髭に手をやりながら言った。「だがローラ、君も知っているだろう?エリザベスはただの義務的な慈善心によって彼らの不作を自分たちの収穫物で補ってやったにすぎない。俺がもし彼らなら――義務的に恩義には感じるかもしれないが、あまり嬉しくはないような気がするね」

「巡査は、何もわかってらっしゃらないのだわ」ローラは憤慨のあまり、もはや食事が喉を通らなかった。「エリザベスおばさんがダラス家の人間にしたことが義務であれなんであれ――彼らがその冬飢えに苦しんだり、乾草が足りなくなって困ったりしなかったのは、エリザベスおばさんのお陰ですわ。確かに村中の人間がダラス家のことを自分たちより一段下の人間として見ていることはわたしも承知しています。またそんな彼らに手を差し伸べようとする者が他に誰もいないことも――おばさんは亡くなった今も、大部分の人たちに誤解されてるんですわ。おばさんはただ、人に貸す時には返してもらうことを期待しないで与えるんです。そしてお礼を言われたりするのが苦手だったという、それだけのことなんですわ。それはダラス家の人たちもよくわかっていると思います」

 ローラはそこまで一気にまくしたてると、ローズ家の者に特有の、誇り高い慇懃な顔つきになって、ドアノブのなくなった勝手口から出ていった。平和な村で長年暮らしてきたローラには――警察官、あるいは刑事といった種族が本来はこういうものだということがわからなかったので、ガートラー巡査に対してすっかり失望してしまった。いつもの巡査は、ユーモアのたっぷりある、優しげな茶色い眼差しの伊達男だったが、こんなに疑い深い一面を隠し持っていようとは思いもよらなかったのだ。

 また、ローラがこの時ガートラー巡査について困惑したのと同じく、今回の窃盗事件によって、村人の間には大きな波紋が広がった。大方の村人たちは自分たちの隣人を疑うこともなく――ダラス家の人間を疑う者など、ひとりとしていはしなかった――とにかくシオン人に罪を着せて彼らのことを罵倒した。そのせいでヨシュアとエステルのヴァン・ダイク兄妹は片身の狭い思いをし、また同じ屋根の下に住むマーシーもまた、スミス雑貨店へ買い物をしにいくたびに、こそこそと小さくならなくてはいけなかった。ローラには誰に何を言われても堂々としているようにと言われていたが――もともと、村の持て余し者であったマーシーは、これまで真面目に働きながら少しずつ積み上げた<信用>という名のキャリアが、ガラガラと音を立てて一気に崩れ去っていくような気がしていた。

「それにしてもローラも信じられんよなあ。あのシオン人のガキを、まだ雇ってるっていうでねえだか」

 女房に頭が上がらないと評判の、マイケル・クレイマーがスミス雑貨店の達磨ストーブの前でそう唸った。スミス雑貨店は社交の場であるとともに、噂話の発生する場所でもあるのだ。

「ガートラーは奴らにゃ罪はないと言っとったっけが、今度また似たような事件が起きてみい。ローラがなんと言おうとも、あいつらはこの村におられんようになるだろうよ」

「フォークナーさん、それはあんまり言いすぎですわ」話をカウンターの内側で聞いていた、シンシアが口添えした。「あの子たちはまだほんの子供じゃありませんの。ローラとしては孤児たちを冷たく追い払うような真似はできないでしょうし、ガートラー巡査の話によれば、おそらく犯人は収穫祭の夜、ウィングスリング港からロンバルディーいきの船に乗ったシオン人だろうということじゃありませんか。あの子たちは本当に気の毒な子たちですわ。シオン人であれなんであれ、差別の目で見たり、偏見を持ったりするのはいけないことじゃないかしら」

「ふん。それじゃあみんなに聞くがね、だったらサイモンの奴はなんでまだあんなに色々嗅ぎまわってやがるんだ?収穫祭の夜に祖国へ帰ったシオン人が犯人だろうってことは、事件の翌日にはわかっていたのに、サイモンの奴はそのことに満足しねえで、村人全員のアリクイとかいうのを調べてまわったって話じゃねえか」

「マイケル、それはアリバイだ」サイレス・チェスターが微笑しつつ、やんわり訂正した。「まあなんにせよ、ローラはその事実で満足してるんだから、我々がとやこういえる問題じゃないよ。昔、こういう事件があっただろう?有名な歌劇団が村にやってくるというので、その前売り券を村中の人間が購入したところ、その話を持ってきたのはとんでもない詐欺師で金を持って逃亡しちまったってことが……ああいう事件ならね、俺たちの全員がとやこう言う権利もあるだろう。だが盗まれたのはローズ家の収穫の金だ。むしろ我々が話しあわねばならんのは、ローラの今後のことじゃないかね?」

 自分の息子のひとりがローラに想いを寄せているのを知っているサイレスは、何か奇跡のようなものでも起こって、ふたりが一緒になってくれればいいのにと内心願っていた。これからローラの未亡人としての喪が明けて、彼女が誰かと再婚したとしたら――その者が事実上ローズ家の資産の管理者になれるのだから。

「俺はフラナガン家のフレッドに賭けるよ」と、村一番の賭博好きのジェームズ・ブレアが、やにで黄色くなった歯を見せながら、無責任に笑った。「奴さん、義理の兄という立場を利用して、何くれとなくローズ農場の面倒を見てるみてえじゃねえか。あそこまでされて振られたとしたら、男として立つ瀬がねえだからな。ローラだってまだ娘盛りといっていい年頃だ。フレディが亡くなって心細いってのもあるだろうし、ほろほろっときてそのまま結婚しちまうんじゃないかね」

 噂をすればなんとやら――ここで当のフレッド・フラナガンが足音も勇ましく店に入ってくると、一同はぴたりと黙りこんでしまった。

「やあ、シンシア姉さん。頼んでいた例のもの、きてるかい?」

 姑のスミス夫人とともにカウンターの内側にいたフレッドの姉、シンシア・フラナガン・スミスは、弟のいかにもうきうきした嬉しそうな様子を見て、心が痛くなった。それはフレッドがフォークナー社のカタログを見て頼んでいた、ローラへのプレゼントだったからだ。

「きてるわよ。でもねえ、フレッド、あたし前にもあんたに言ったと思うけど……」

「おお、サンキュー姉さん。今日もとっても綺麗だよ。だから今すぐそれをここへ持ってきてくれたまえ。俺は今弟としてじゃなくひとりの客としてきてるんだからね」

 フレッドは、村の男たちがストーブを囲みながら自分へじっと視線を向けているのを感じて、そちらへも大きな声で挨拶した。フレッドはカウンターに身をもたせかけながら口笛を吹き、シンシアがフォークナー社の典雅な包み紙にくるまれた物を持ってくると、灰色の作業着のポケットからその代金を即座に支払った。

「じゃあ、次はクリスマスまでに例のもの、よろしく頼むよ姉さん」

 フレッドはいかにも意気揚々とした様子で、鼻歌を歌いながら店をでていった。

「♪うるうわしの~姫君よ~今君はいずこにて、何を思うのか~」

 フレッドが店からでていくと、彼の姉がすぐそばにいることも忘れて、一同はブッと吹きだしていた。

「ありゃあ、完璧に駄目だな」

「完全に頭にきとる」

「奴さん、もうすっかり旦那きどりでねえか」

 三人の男たちはフレッドに対して今も昔も好感を持っていた。サイレスも自分の息子がローラと結婚してくれればなあとは思いつつも、フレッドならローラにちょうど似合いだろうという気がしていた。何故ならローラは社交性に乏しい性格をしているので、フレッドのように知らず知らずの間に村の青年会のリーダーに祭りあげられているような、親しみやすい男と結婚したら夫婦としてちょうどバランスがとれてよかろうと思われたからである。

「まあ、いずれにせよ」と一同は顔を突きあわせて小声で話しあった。「またも最後はローラの心次第というわけだ。来年の春までが勝負どころかもしれんなあ。喪が明けたら、一体どんな対抗馬が他にでてくることやら」

 ユージンは、物陰に隠れて、あるいはまるで興味のない大工道具や、斧や鎌、鍬、銃や火薬などの置かれた棚を見ているふりをしながら――村の男たちの噂話に聞き耳を立てていた。そしてやはりどうやら自分を疑っている者はひとりもいないようだと安心して、ロカルノン・ジャーナル紙を一部買って店をでた。

 昔はロカルノンの敏腕刑事だったというサイモン・ガートラーが自分のことを村人に聞いてまわっていると知った時には焦燥したが、結局のところガートラー巡査にもこれといった決定的な事実を掴むことはできなかったようだった。ガートラーはユージンの住む、西の森の中にある丸太小屋までやってくると、自分のことをすっかり調べあげたことをはっきり匂わせながら、何度も鎌をかけるようなことを言っていったのだ。

「ジョン・シモンズ」ガートラー巡査は、薪割りをしているユージンの隣に立つと、そう大きな声で彼の本名を呼んだ。「この名前に、聞き覚えはあるかね?」

 その瞬間、ここらに住みついているハシブトガラスたちがギャアギャアと不吉な鳴き声を上げた。ユージンは得意のポーカーフェイスを決めこむと、斧をもうひとふり振りおろしてから、切り株のひとつに腰かけた――一体その名がどうしたのだ?というような、涼しげな表情を浮かべて。

 サイモン・ガートラーは立ったまま、ユージンのことを見下ろすようにして続けた。

「聖フェリシア孤児院の生まれだそうですね、あなたは」ガートラーは腕を組み、どこか得意そうな表情だった。「孤児院をでてからは独学でかの名門ロカルノン大学に奨学生として入学し、経済学部を卒業後はアレックス・アーチャー会計事務所に勤める……が、その三年後、アーチャー氏の横領疑惑が発覚。やがて氏は逮捕され、あなたは何故かこんな田舎の村に引っこんで、名前を変えて暮らすことに……いやあ、実に不思議ですなあ。あなたのように女性を誘惑する顔立ちをした若い男が、自分の得意とする会計や税金の計算といった仕事もせずに、半ば自給自足の生活をしているとはねえ。いやあ、不思議不思議」

 ユージンはただ黙って額の汗をタオルで拭い、そのあともずっと、ひたすら黙ったままでいた。だがサイモンもまた、自分と同じように黙りこんで、こちらが何か話すのを待っているらしいと感じとると――溜息をひとつ着いて、仕方ないといったように必要最低限と思われることを慎重に話すことにした。

「俺は……あの事件で、すっかり都会の生活といったものが嫌になったんですよ。それでそれまで貯めたお金を手に、田舎へ引っこむことにしたんです。ねえ、巡査殿。そこまで俺のことを詳しく調べたからには、ご存じでしょう?俺には身寄りなんてものはひとりもいやしないんです。あんな都会で金持ちの資産状況を調べたり、会計簿をつけたりしているよりも――貧乏でもいい、こうして土にしっかり根を張って生きたいと思ったんですよ。それで名前を変えて新しく生活を始めることにしたんです。もっとも、こんな素性の知れない者に娘を嫁がせてもいいなんていう父親は今のところおりませんのでね、こうして寂しくひとり暮らしておりますが……」

「ほうほう」と、サイモン・ガートラーはなかなか立派な作り話だ、とでもいうようにちらと粗末な丸太小屋のほうを見やった。「なるほどね。まあロカルノンにせよタイターニアにせよ、都会の暮らしが嫌になって――あるいは犯罪を犯すか何かして――田舎へ逃げこみ、名前を変えて再出発なんていうことは、ざらによくある話ですからね。わたしはただ単に村の平安と安全を守らねばならない警察官としての立場から、あなたの素性を明らかにしようとしただけのことです――ユージンさん、あなたもご存じでしょう?村の人間があなたのことを服役囚だのなんだのと根も葉もない噂をしているのを?わたしとしてはその嫌疑を晴らして差し上げたいが、あなた自身の事情も考慮に入れて、あなたの本名がユージン・メルヴィルではなくジョン・シモンズだということは内緒にしておきたいと思います。いかがですか?」

「それはどうも」べつに本名がばれたところで、こちらは一向構いはしないのだ、というようにユージンは肩を竦めた。

「ところでユージンさん」サイモンは小さな丸い窓から、失礼にも堂々と部屋の中をのぞきこみながら、さらに質問を重ねた。「あなたは以前ローズ邸のローラにプロポーズをしたことがあるそうですね?それは確かなことですか?」

「……確かなことです」と、消え入りそうな小さな声でユージンは答えた。「でももう二年以上も前の話ですよ。それで今も何かわだかまりがあるとか、そういうわけでもないし――今となっては自分も早まったことをしたものだと後悔しています。何故ならローズ家の手伝い仕事は給金が村で一番いいですからね。その上彼女の美味しい手料理までついてくるんですから。心の思いは胸に秘めたまま、できることならローズ家の雇い人になりたいと俺は思ってますよ、今でもね」

 ガートラーは、とり散らかった狭い室内を見て、確かにその部分だけはユージンの本心かもしれないと思った。テーブルの上には食べかけの林檎や、見るからにまずそうなオートミールの食べ残しなんかがのっていたからだ。

「ということはつまり……あなたはローラのことを今でも愛しているということですか?」

「違いますよ」愛だって?笑わせるなとユージンは思い、ムッとしたのが思わず顔の表情にでてしまった。「確かに彼女は若いし、その上とても美しいとは思いますよ。でも一度断られた女性にもう一度プロポーズするほど、俺は恥知らずな人間じゃありません。もしそうするにしても――その時はこの村をでていく覚悟で愛の言葉を囁くことになるでしょうね」

「ふむふむ」サイモンはいつもの癖で、顎鬚を撫でながら、自分の推理を組み立てていった――そして最後に、ユージンに一番聞きたかったことを質問して、彼の家をあとにしようと思った。

「ユージンさん、収穫祭の夜、あなたは六時から十時くらいまでの間、どこで何をしていらっしゃいました?」

「もちろん決まってるじゃないですか。年に一度の村のお祭りを楽しんでましたよ。なんだったら、ダンスのパートナーになってくれたサリー・ロンドやミッシェル・モーティマーに聞いてくださっても構わないし――そうですね、あの夜俺はローズさんとポーカーをやって大負けしたんですよ。それからサム・ジェンキンズと酒の飲み比べをして酔っ払って――奴と一緒に公会堂の前で一夜を明かしたんです。これ以上証拠が必要だというのなら、村の人ひとりひとりの目撃証言でもあたってもらうしかありませんよ」

「御協力、どうもありがとう」

 サイモンはミズナラの樹にくくりつけた手綱をほどくと、黒毛の馬に乗り、最後に帽子をとって一礼してから、ユージンの家を去っていった――ガートラー巡査の姿が馬とともに樹影の中へ消えゆくと、ユージンは「くそっ!」と地面を蹴り上げていた。おそらくよほどのことでもなければ、ローズ家の収穫の金を盗んだのが自分であると、ばれはしないだろうが――それでも彼は不愉快だった。逃げても逃げても影のように追ってくるように思われる、彼自身の過去が。




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