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第6章

 フレッドがジョサイアとジョスリンにローラにプロポーズしたこと、またローズ農場を解雇になった経緯について話すと――ジョサイアは「なんてこった!」と一声叫ぶなり、松林荘を飛びだしていった。そしてまるで使用人が自分の失敗を雇い主に向かって釈明する時のように低頭平身、とにかくぺこぺこ頭を下げながらひたすらあやまった。

「いや、そんなに気にしないでくれ、ジョサイア。なんといってもわしらはもう親戚同士なのだし――わしもつい、頭にカーッと血がのぼっておったでな」

「じゃあ、あの馬鹿息子のことを、許していただけるんで?」

「いや、それはまた別の話だて」フレデリックの顔には、がんとした、人をよせつけない、ローズ家の者に特有の表情が現れていた。「ローラにもしその気があるのなら――わしも今回のことは大目に見ただろう。だがあの娘はあんたも知ってのとおり、トミーのことしか愛しておらんのだよ。フレッドがここで働くことはむしろ、彼の心の傷を深めることになるだろうから……それでわしはフレッドのことを邪険に追い払ったのだ」

「へえ。そのことはオラにもようわかっとります」ジョサイアは台所で洗い物を片付けているローラのほうをちらと眺めやり、そして小声になって言った。「じゃあ、農場のほうは明日からどうなさるおつもりなんで?もちろん、オラにできることならなんでもさせていただきたいと思っとるですが……そうだ。明日からはうちの仕事をフレッドさまかして、オラがローズさんを手伝いましょう。そうだ、それがいい」

「いや、実はもう使用人を何人か雇うことに決めたんですよ。戦争が終わったあと、故郷を追われてロンバルディーのシオン人が……町のほうに何十人も流れてきておるでしょう。彼らのほとんどはこちらの言葉を片言しか理解できないが、それでも賃金は安くすむし、これも人助けのひとつという気がしましてね」

「シオン人ですか」これは、今日の農業組合の会合でも話し合われたことであった。政府の決めた難民支援保護法という法案が可決され、東部に多く流れてきたシオン人を雇い入れた事業主には、申請すれば援助金が支給されるのだという。「ですがどうでしょうなあ、

確かにトミーも含めて連合国軍は、あいつらを解放するために戦ったのでしょうが……あいつらときたら、言葉は通じねえし、オラたちとは信じてる宗教も宗派が違うだしな。ローズさんはまさか、異教の風習をこの家の中に持ちこみなさりたいんで?」

「そんなこと、誰も思うとらんよ」フレデリックはいらいらしたようにパイプを吹かし、そしてちょっとの間咳こんだ。「ただ、この間街へいった時、路地裏に蹲って物乞いをしているシオン人の子供に会ったのだ。それでわしはこう思ったのだよ――少なくとも子供にはなんの罪もないのにな、と。ローズ家では異教徒を雇ってると、村の連中は騒ぐかしれないが――彼らの父親か兄でも雇えば、飢えに苦しまなくてすむ子供がひとりかふたりはできるだろう。なに、畑仕事や何かは、身ぶり手ぶりでどうにか教えられるじゃろうて」

 ジョサイアはまだ納得しかねる顔つきをしていた――その顔には「エリザベスさんが生きてなさったら、どう言われただか……」と書いてあるようだったが、フレデリックはジョサイアに道理というものを教えこもうとは思わなかった。実際のところ、町でも彼らの評判は、あまりよくないものが多かったからだ。

「まあ、とにかく今回のことはあまり気にしないよう、フレッドにも言っておいてくれ。それとこれがこれまで働いてくれた分の給金だでな、フレッドにおまえさんのほうから渡してくれんか。わしもちとそのう……豚舎か鶏舎にでもとりにこいと、ひどいことを言ってしまったのでな、あやまっておいてくれ」

「ははあ、すまんこってす」

 ジョサイアは居間のソファから立ち上がると、一礼して、フレデリックから金の入った茶封筒を受けとった。そしてその紙幣の厚みからいって、フレデリックが息子の実際の働きぶりよりも多く、給金を寄こしたに違いないと思った。

「もしオラでよかったら、いつでも呼んでおくんなせえよ、ローズさん。うちには今フレッドとユージンと、ドーソンさんとこのマイケルがきておりますでな。ユージンが駄目なら、マイケルを寄こすこともできるだし……」

「ありがとう、ジョサイア」

フレデリックはかつての使用人の息子を蔑むでもなく、隣人の温かい心遣いを本当に嬉しく思って手を差しだした。ローラがフレッドのことを袖に振ったにせよ、これからフラナガン家とのつきあいは今まで以上に大切になると感じていた――自分や兄のエドワードに万一のことがあった場合、ローラのことを頼めるのは彼やジョスリンをおいて他にいないと、そんなふうに思っていた。ロカルノンに住む従兄弟夫婦などはまるであてにできないし――リー家の人間はみな、遠い中西部にかたまって住んでいるからだ。『遠くの親戚よりも近くの隣人を大切にせよ』との昔ながらの訓戒を、フレデリックはジョサイアを玄関の外に見送りながら思いださずにはいられなかった。


「馬鹿だねえ、あんたは。本当に大馬鹿だよ!髪を撫でつけたり、上物のスーツを着たりして、どこへいくのかと思えば……流石のあたしも迂闊だったよ。まさかあんたが喪服を着て一年にもならない弟の嫁のところへプロポーズにいこうとはねえ!あたしゃてっきり、サリー・ロンドのとこへでもいったのかと思ったけど……」

「そういじめないでくれよ、母さん」

 フレッドは筋骨隆々とした立派な体格を、情けなく縮こめながら言った。食事の途中で「こりゃ大変だ!」とばかりジョサイアが家を飛びだしていったあと、フレッドは母と食事を続けながら、失恋の痛手によってしょんぼりと何度も切なそうに溜息を着いていたのだ。

「あたしが言ってるのはね、フレッド」と、ジョスリンはかつて昔、悪戯小僧に向かって言ったのと同じ口調で息子を諭した。「なんであんたがまずあたしに相談しなかったかっていうことだよ。ローラは普通の娘とはわけが違うからね――あんたがもしサリーにでも夢中になってるっていうんなら、あたしは全然心配しないんだけど。あの娘の心がトミーから他の男に移るっていうことはまずありえないんだから、あんたはまずどっしり腰を据えて、長期戦でいくべきだったんだよ。ああ、相手が隣のローズさんちの娘さんだったからよかったようなものの、これであんたがもしナットさんとこの戦争未亡人にでもプロポーズしたことが村中に知れてごらん。あんたはまたこの村をおんでて、荷物をまとめて船に乗りこまなきゃならなかっただろうよ」

「わかってるよ、母さん。でもさ、元はといえばおふくろがいけないんだぜ。ローラには村に崇拝者が一ダースもいるなんて言うからさ、俺はその言葉を額面どおり受けとっちまったんだ――それに、今日変な男がローズ邸にやってきてた。生命保険会社の外交員とかいう、気障な野郎で――」

「ああ、ホールデン生命ね。近ごろやたら新聞に広告のでてる……そういえばうちにも今日やってきてたけど、あたしゃろくすっぽ相手にしなかったんだよ。うちの父ちゃんが死んだら生命保険が幾らでるだなんて話、聞きたくもないと思ってね」

 だがもしその時、ジョスリンが勝手口の網戸を開けていたとしたら!死んだ息子が甦ってきたのかと思って、もしかしたらすぐにも契約書にサインしていたかもしれない――もちろん、アンソニーはトミーと双子のようにそっくりというわけではなかったが、それでも背格好やぱっと見た感じ、また身体的な特徴を細部まで眺めやれば眺めやるほど――やはりよく似ていた。ただフレッドは何年も自分の弟に会っていなかったがために、そのことにまるで気づかなかったのだ。

「なあ、母さん。ローラは一体、どういう男が好みなんだろうな?今日きていた保険会社の外交員にはやたら愛想よく親切だったのに――俺や他の若い村の男たちに対する態度ときたら……歯牙にもかけないっていうのか?なんていうか、いかにもそんな感じだ。一応口調だけは丁寧なんだが、冷たい距離みたいなものがあって、男にしてみたらむしろ、そんな態度をとられるほうが……」

 と、そこまで言いかけて、フレッドは黒い髪をくしゃくしゃっと両手でかいた。自分の心の中では正直にはっきり言おう!フレッドはローラを自分のものにしたかった。自分にだけあの優しい微笑みや眼差しを投げかけてほしかった。それなのに何故――あんな、突然ボーフラのようにふってわいた保険の外交員がほんのちょっとの間に他愛もなくそうできたのか……自分とあの気障ったらしいアンソニーなんとかいう奴と、一体どんな違いがあるというのだ?

「まあ、あんたの言いたいことは大体わかるけど……」ジョスリンは内心、世の中というのはなかなかうまくいかないものだと思いながら、溜息を着いた。「ローラのことは早く諦めるに越したことはないよ。あの娘はあんたの義理の妹――病死した弟の嫁だっていうふうに、見る目を変えることだよ。さっきも言ったけど、あの娘はちょっと普通の娘とは違ってるからね――あたしはあの娘のことを自分の娘みたいに思ってるけど、それでもやっぱりあんたの質問には答えられないんだよ。まあそのうち、話す機会があったらどういう男が好みなのかって、聞いてみてもいいけどね」

「頼むよ、おふくろ」フレッドはスープ皿の縁をスプーンでかちかち鳴らしながら言った。「俺は本気なんだ――ローラに比べたら、サリーなんか平凡すぎてまるで話にならないんだ。俺だってこれまでに何人か、港々にそういう女がいなかったというわけじゃない――でもこんな気持ちになったのは、本当に生まれて初めてなんだ」

「ああ、わかったよ」

 ジョスリンは諦め顔でそう息子に返事をしつつも、本当は彼女自身もフレッドとローラが結婚してくれたらどんなにいいだろうと想像せずにはいられなかった。それにジョスリンは実をいうと、息子の中では特にトミーとフレッドのことが可愛かった。もちろん長男のウィリアムも次男のマックスも、三男のロドニーも、彼女が腹を痛めて生んだ同じ子供だ。可愛くないはずがない。だが息子というのは結婚してしまえば嫁のものであり、三人とも弁護士、医師、銀行員としての仕事が忙しいのかどうか、大分以前からとんと音沙汰がない。確かにクリスマスにはプレゼントを送ってきてくれたりはするが――ジョスリンが本当に欲しいのは、ロカルノンの高級百貨店で買ったカシミヤのショールや、気に入らない嫁の選んだ、趣味の悪い柄のテーブルクロスなどではなかった。

「あれは子供たちの中でも一番わしらに似とると、そう思わんかね、母さん?」

 ジョサイアは形ばかりフレッドのことを叱り飛ばして二階の寝室へ追いやると、珍しく思案顔になって窓辺でパイプを吹かしていた。

「そうですね、父さん」と、ジョスリンは穴のあいた靴下をつくろいながら頷いた。「うちの子たちはなんでか、わたしたちの子供にしては出来がよすぎましたからね――まったく、村のみんなが鳶が鷹を生んだと言ってるとおりですよ。でもフレッドだけは――あたしや父さんみたいに勉強があまり好きじゃないし、難しい政治の話なんかこれっぽっちもしやしないし、街では今なんとかが流行ってるとか言って、親のことを田舎者扱いもしないし……トミーは優しい子だったけど、それでも親を気遣うあまり、本心をあまり洩らさないところがありましたからね。その点フレッドは、父さんとおんなじで、嘘をついたらすぐ顔にでるし、武骨だけど正直者で、学問はないけど、なんでだかやたら、人好きのする子でしたよ、昔からね」

「オラは自分の子供たちはみんな、同じくらい平等に可愛いと思っとるよ――」ジョサイアは窓を開けると、窓敷居に身を乗りだして、満天の星空を眺めやった。遠い都会のロカルノンでは、こんなにくっきり星が見えたりはせんだろうと、そう思いながら。

「だが、フレッドはなんというのかこう……自分に一番近い感じがするだでな、母さん。オラも上の兄貴と下の弟が頭がよかったで、やっぱりコムプレクスっちゅうんか?そういうのがあっただからな。そういう意味でも小さい頃からあの子の気持ちはよくわかったもんだっただ」

「それを言うならコンプレックスですよ、父さん」と、ジョスリンはやんわりと笑いながら訂正した。「それにしてもローラにも困ったもんですよねえ。確かにあの娘は村一番の器量よしだし、気立てはいいし、料理も掃除もお裁縫もうまいことやりますよ。でも男っていうのはあたしにはさっぱりわかりませんね。例えばビリーには昔からあの子の後ろを追いかけまわしてるサラ・マクギリスがいるじゃありませんか。ヘンリーもヘンリーですよ。右の花へいったかと思えば左の花、そして今はローラの喪が明けるのを待ってるという、もっぱらの噂じゃありませんか。今うちに手伝いにきてるユージンも、一度あの娘にプロポーズしたことがあるというし――しかもそれ以外にあの男にはこの村で色恋の話があったことは一度もないんですからね!ローラっていうのはそんなに男の気を惹くほど、エキゾツックな魅力のある娘なのかしら?」

「それを言うならエキゾチックだ、母さん」と、先ほどの訂正の仕返しとばかり、ジョサイアはにやりと笑って自分の妻を振り返った。「そうさな……オラにはようわからんよ。オラはもっとこう……気安い娘のほうがいいだからな。ローラはいい娘だし、トミーとは本当によう似合いの夫婦だったと思うとる。だがな、オラにはあの娘がちょっとばかし気位が高くてお上品な感じがするだよ。べつにそれがいけねえっていうこともねえが……オラが若くて結婚してなかったとしても、あんまり近づきたいタイプではなかったような気がするなあ」

「よく言いますよ、父さん」と、ジョスリンは繕い物を膝の上において、けらけらと笑った。「あんたが若い頃、あたしを選ぶ前に憧れてたマーサ・ヒューイットは、ちょうどローラみたいな深窓の令嬢だったじゃありませんか。あんたはただ単に自分の身の丈にあった娘を選んで結婚したにすぎませんよ。もっともあたしはそれでよかったですがね」

「母さん、マーサのことは言いっこなしだで」

 ジョサイアは悪戯を見つけられた小さな子供のように罰が悪かった。マーサはロカルノンに住む歯科医と駈け落ちをして、今もガーデンストリートで夫と幸せに暮らしている。彼は彼女の駈け落ちを手伝い、その失恋の痛手を癒してくれたのが、他ならぬジョスリン・スチュアートだったというわけなのだ。

「まあ、昔の話はともかくとしても、今問題なのはフレッドですよ。あたしだって、できることならあの子にローラと結婚してもらいたいですけどね、こと恋愛ばかりは周囲の人間の思惑どおりには、そううまくいきませんからね――あんたも知ってのとおり」

「そうさの、母さん」

 ジョサイアはこの話はここまでとばかり、気のない返事をした。若い頃、彼は本当はマーサの駈け落ちをなんとか食い止めるつもりだったのだが――おかしな具合に事が運んで、いつの間にかマーサと相手の男の乗る馬車の手綱を握ることになっていたのだった。そしてマーサの親友だったジョスリンは、そんなジョサイアのお人好しなところに惹かれて結婚したという、今は昔の恋愛話があったのである。




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