第2章
ローズ家の食卓は、いつも静かで、とても落ち着いた雰囲気だった――エリザベス伯母が亡くなる以前もそうだったが、話の進行役を務める者が誰もいなくなったため、会話は自然と途切れがちになった。時々マーシーが学校であった面白いことを話す以外には、これといった盛り上がりもなく、ローラはただ「おじさん、ポテトサラダはどう?」とか「お塩をとってくださる?」とか「デザートの味はどんな具合かしら?」と料理に関する話ばかりをするのがほとんどだった。
「そのう、ローラ……」
その日も、ローラはビーフシチューの味のことを伯父たちに聞いたのであったが、エド伯父があんまり済まなそうな顔をしているので、味に不都合なことでもあったかしらと、まずスプーンで一口すすってみた――自分でいうのもなんだけれど、悪くない味だ。
「わし、わしはな、そのう……」
隣の席でフレディ伯父が頑張れエド、と眼差しに力をこめているのを見て、一体どうしたのだろうとローラは訝った。このふたりに限って、自分に隠しごとなどするはずがないと、エリザベス同様、ローラも確信していたからだ。
「グリーンリバーサイドのダイアナ・スカイと結婚しようと思っとるんじゃ!」
ローラは唾を飛ばしてそう言った伯父の顔を、しばしぽかん、と呆気にとられて見つめた――あまりにも急な話であった。
「え、おじさん結婚て、あのおばあさんと?」
年甲斐もなく恥かしい、などとはローラは少しも思わなかったが、一体いつの間に、いつどこでそんな話になったのだろうと不思議でならなかった。
「ダイアナとわしは、昔から仲のよい親友同士だったんじゃ。やがて思春期を迎える頃になると、お互いのことを意識するようになって――だが、エリザベスが結婚に反対した。ダイアナの父親は村でも有名な飲んだくれ親父だったのでな、あんな父親を持つ娘は感心しないと言ったのだ。わしはただありのまま、エリザベスがそう言ったと言っただけじゃったんだが、ダイアナはその話を聞いて激怒したんじゃよ――『なんでも母親がわりのお姉さんの言うなりなのね』とか言っとったっけな。だがわしはいつまでもダイアナのことは忘れんかったし、ダイアナのほうでも、一度も結婚せずにおったんじゃ。エリザベスの葬儀の時、わしらは本当に何十年ぶりかに口を聞いた――そしたらダイアナは言うとった。今でも自分にとってはわしのことが一番の親友だとな。だからわしも言ったんじゃ――月を見上げるたびに、おまえさんのことを思わなかった夜はない、と。ファッ、ファッ、ファッ!」
エドおじが突然若々しく快活に笑いだし、ローラだけでなく、マーシー少年も驚いた。そんなふうにおじが愉快そうに笑うのを聞くのは――何年かぶりという気がした。
「ええ、ローラ?こんな年寄りがおかしかろう?構わんから、一緒に笑っておくれ――ファッ、ファッ、ファッ!わしにもな――こんな老いぼれのわしにも、かつて若いころがあったのだよ――おまえさんも嫌かもしれんが、ちょうどわしらもローラとトミーのようなもんじゃった。ダイアナは頭もよくて勉強もよくできたんだが――家の都合で上の学校へは行かせてもらえなかったんじゃよ。なあ、ローラ、これでわかったかい?どうしてわしがおまえさんが上の学校へはいかないと言った時、あれだけ反対したのかを?ローラ、わしはダイアナと結婚するよ――村中の人間に六十を過ぎた老いぼれがと笑われたって構わんさ――わしは結婚する!誰がなんと言おうと、ダイアナと結婚するぞ!ファッ、ファッ、ファッ!」
そう言い切ってしまうと、エド伯父はまるで、本当に十歳も若返って見えた。実際のところ、伯父は白くなったとはいえ、髪もまだふさふさしていたし、顔にはそれほど皺も刻まれておらず、もし五十歳といわれれば、まあ年相応かな、というような容貌をしていた。だが体のほうが年々農作業をするのにきつくなってきているのは明らかで――伯父はローラに、結婚をしたらグリーンリバーサイドにダイアナと一緒に住み、農場のほうは忙しい時だけ手伝いにきたいのだが、いいだろうか?と聞いた。
「それはもちろん――伯父さんが好きなようにするのが一番いいんじゃないかって、わたしはそう思うけど――フレディ伯父さんはどう?」
「わしか。べつにわしもそれで構うもんかね。ローラ、それよりもこれからの農場のことをよくよく考えねばならんよ――幸い、わしのほうはまだ体のほうも自由がきくのでな、あと何年かは農場で働けるだろう――だが、問題はそのあとだよ。これを機会にこれから農場をどうしていくか、三人で――いや、マーシーも入れて四人で、よくよく考えねばならん。わしだって、健康そうに見えていつ、エリザベスのように卒中を起こすかもわからんでな」
「すまんな、フレディ。それにローラも――だがわしにとってもローズ農場は命と同じくらい大切じゃと思うとる。なに、困った時にはいつでも手伝いにくるし、家族で力を合わせて知恵を絞ればなんとか――なんとかなるじゃろうよ」
「そうね。わたしもそう思うわ。少し規模を縮小して、一部の土地を人に貸しだすか、あるいは売るかすれば……ううん、そういうことはまた考えるとしても、とりあえずエド伯父さん、本当におめでとう。長年の愛を、とうとう実らせたのね!」
ローラが祝福すると、エドおじの白い顔は酔った時のようにみるみる真っ赤になった。伯父は思っていることがすぐ顔にでる、嘘をつくことのできない善良な人だ。ローラはてっきり伯父が内気すぎてこれまで恋愛らしい恋愛をしてこなかったのではないかとばかり思っていたけれど――やはりローズ農場にきたばかりの頃、エリザベスにそれとなく聞いてみた時、人のことをあれこれ詮索するものじゃないと叱られたのだ――伯父さんにも、トミーや自分のように若かりし頃があったのだ!
その夜、これからローズ農場に訪れるであろう変化を予想して、ローラはなかなか寝つけなかった。戦争の影響で、村の若者が少なくなったということもあり、今では雇い人をひとり雇うのも結構大変だったし、ローラにとって雇い人というのは、働いてさえくれればどんな人間でもいいというわけではなかった。
何分、住みこみということになると、一緒に食事をしたり、仕事をする以外でも何かと顔を合わせなくてはならないし、それでいてマーシーのことを年下だからという理由でこっそりこき使ったりしないような人間――そう、トミーのような、とまではいかなくても、それに近いような――けれども自分やフレディ伯父やマーシー少年の三人が気に入るような雇い人というのは、これまでの経験からいっても、あまり多くはいないのだった。
「ああ、トミー。あなたさえいてくれたら……」
永久に不在となったベッドの隣を見つめながら、ローラは暗闇の中、呟いた。今も寝る時は右側によって眠る習慣が抜けていなかった。ほんの二か月半の結婚生活だったというのに……ローラは肉体的には流産を経験したことにより、堅く封印を施された乙女のようであった。だから、今自分の隣に、トミーのかわりとなる、力強い腕を持つ夫がいなくても――そういう意味では寂しいとは思わなかった。ただそのかわり、彼女のいき場を失ったエロスは再びルベドのものとなり、そのルベドは、トミーの声音そっくりに、以前のように毎夜、彼女を訪れてはこう囁くのであった。
『愛してるよ、ローラ。姿は見えなくても、僕は確かに君のそばにいる。だから何も心配することはないよ――農場のことも、それ以外のことも。君のことは、必ず僕が守る』
と――。
その年の八月一日――ローズ邸のエドワード・ローズと、グリーンリバーサイドのダイアナ・スカイは結婚した。極身内だけの、ひっそりとした、牧師の祝福と指輪交換があるだけの、静かで厳かな式であった。
村の人々はふたりが本当に結婚したと聞いた時、子供たちはごく正直に「気持ち悪い」と言ったし、口さがないお喋り好きの婦人たちは「あの年でふたりとも初婚だなんて、ねえ?」と意味ありげに囁きかわし、唯一村の男衆だけが――自分の家内に聞こえないところで、エドはよくやった、立派だと、褒めそやすのみだった。
もっとも、エドワードは村の人々が自分とダイアナのことをどう噂しようと、まったく頓着しなかった。何故なら、彼にとってこれまでもっとも恐ろしかったのは――村人全員の意見ではなく、エリザベスがどう言うか、どう思うかということであった。つまり、ロチェスター村の村民全員を敵にまわすよりも、姉の反対する一言のほうがよほど恐ろしかった彼にしてみれば――家族に支配的な強い影響を及ぼしたエリザベスがいなくなった今、怖いものなど何ひとつありはしなかったのである。