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第19章

 九月になると、ヴィンセント先生の大変な骨折りによって、エステルは聖マグノリア女学院へ特別に編入させてもらえることが決まった。非常に優秀な成績で編入試験をおさめた彼女は、これまた特別に奨学金がもらえることになり、その上教科書代などは無料ということだった。

 ローラとしてはエステルの下宿代の面倒を見てやったり、他のお金持ちの令嬢などにエステルが引け目を感じないようにと――最新流行のスタイルブックをとり寄せて、素敵な服を大急ぎで数着縫った。他にも上靴や体操着など、学校指定のものを買ったり、またエステルがロカルノンで下宿するために必要と思われるものは髪留めから絹のストッキングに至るまで、すべて用意した。

「本当にありがとうございます、ローラ姉さん」

 エステルは瞳を潤ませながら、いつもローラに感謝するふりをしたが――心の中では舌をだしていた。

(ローズ邸に潜入することはできなかったけど、まあいいわ。このおつむの足りない女をせいぜい利用して、元のあたしに相応しいものすべてを用意させてやりましょう……といっても、ロルフシリクのヴァン=ダイク家の屋敷にあったあたしのクローゼットとまったく同じっていうわけにはいかないけど……いつかはきっとヨシュアが、あたしに元と同じ暮らし、元と同じ生活をさせてくれるはずだわ)

 エステルにとっては<元のあたし>、<元の暮らし>に戻れることが、何よりも理想であった。そしてヨシュアが今もこつこつと自分のためにお金を貯めてくれているように――少なくとも彼女はそう信じていた――いつかロンバルディーの政情が安定したら、ヴァン=ダイク家やコステロ家の親戚を訪ねるということに、自分の夢のすべてを託していたのである。

 一方、ヨシュアはといえば、自分がかつての祖国へ戻ることに、なんの希望も持ってはいなかった。また戻ったところで、自分たちにはなんの資産があるわけでもなく、もしヴァン=ダイク家やコステロ家の土地を元のとおり買い戻そうとしたなら――莫大な金がいるであろうことは容易に予測された。またヨシュアは新聞の社交欄の隅に時々、シオン人の誰それを求むという記事を見つけるたびに、絶望的な暗い気持ちになるのであった。自分と同じ、元は貴族の階級であった人間が、今は農作業をしたり鉄工所で働いたり、製材所で働いたりしているという消息を知るのは、あまり心楽しいものではなかった。それでも、自分の知っている人間や頼れそうな人間の名前がそこに書かれていはしないかと、彼はいつもロカルノン・ジャーナルとデイリー・タイター二ア紙、タイター二ア・クロニクル紙を毎日チェックしていたのである。

 エステルの聖マグノリア女学院入学がすんで、誰よりほっとし、また誰よりも喜んだのは、ケイシー・ヴィンセントでもなければ後見人のローラでもなく、ヨシュアであった。ヨシュアはこれでクリスマスまでエステルに会わずにすむかと思うと、本当に心から安らぎを覚えた。そしてエステルが目の前に蝶のようにひらひらとちらついてさえいなければ、マーシーとのぎくしゃくした関係も自然に解消されるだろうと考えていたのである。果たして、ヨシュアの考えどおり、エステルのいない間、彼らの友情は以前と同じように、いや、あるいは以前にもまして厚いものとなった。

 アンソニーはヨシュアがローラに告白したのを聞いて以来、目に見えて露骨に冷たくヨシュアに接したが、マーシーが何かと庇ったり、彼の分の仕事を負担してやったりした。干し草作りや畑の収穫など、人手がいる時にはジョサイアをはじめ、ユージンやマーシー、その他の雇い人や村の人間に混ざって、ヨシュアとアンソニーは顔を合わせなくてはならなかったが――それ以外ではヨシュアはもっぱら、フラナガン農場に手伝いにいかされ、ローズ農場にはマーシーがいることが多くなったのである。

 ローラも自分がロカルノン美術アカデミーのことを口にだしたがために、夫が変に焼きもちを焼いていることに気づいていたため――ヨシュアと話す機会は目に見えて減ってしまった。

「なんていうのかなあ、ヨシュアがローラ姉さんに抱いてる気持ちっていうのはさ、ようするに憧れなんだと思うな」

 マーシーは自分の雇い主であるレイノルズ氏が、親友のヨシュアを冷遇し、また反対に自分のことを厚遇してくれるので、正直内心ではそう悪い気はしなかった。だが恋敵とはいえ、ヨシュアに対してそういつまでも目くじらを立てていられると、ローズ邸で一緒に遊ぶこともできないし、第一、一緒に仕事をする楽しさも奪われるしで、どちらかといえば不都合なことが日が増すにつれて多くなっていったのである。それでマーシーは、自分に対しては非常に気のいい雇い主のことを折りに触れて、宥めることにした。

「あこがれ、か。だがなあ、マーシー。おまえだってエステルが好きなんだろう。正直あいつが目障りじゃないか?俺はあいつがローラの料理を食べてるところを見るのが何より不愉快なんだ。毎回毎回、紅茶は一滴も残さず、その他の食べ物もいかにも大事そうに、一口一口ゆっくり食べるだろう。しかもその目にローラへの賛辞をたたえながら……見ていると時々イライラするあまり、熊手か何かで追ってやりたくなるんだよ」

「ははは。そりゃいいや」

 アンソニーの口調は冗談まじりだったが、目は笑っていないのを見て、マーシーはちょっと大人気がないんじゃないかと思った。自分がエステルに恋心を抱いているのは確かだが、だからといってヨシュアのことを同じ食卓から追いだしたいなどとは思わない。ただマーシーはヨシュアのことが羨ましかった。自分だって、エステルのためなら人をひとり殺すことくらいなんでもないだろうとさえ、時々彼は本気でそう考えた。

「そうだな。まあこれからいつまでも、あいつのことを邪険に扱うわけにもいかないだろうし……親友のおまえに免じて、許してやってもいい。実はヨシュアに馬具の修理を頼みたいんだ。あいつは手先が器用だからな――明日はおまえがフラナガンさんのところへいって、ヨシュアにうちへくるように言っておいてくれないか」

「わかりました、レイノルズさん」

 単純なマーシーは、(よっしゃ!これで仲直りだ!)と心の中でガッツポーズを決めていたが、フラナガン農場から年寄り馬の引くオンボロ馬車に乗ってふたりで帰る道すがら、ヨシュアは何故か渋面を作ってその話を聞いていた。

「悪いけどマーシー。僕はもうローズ農場へはいけないよ」

「なんでだよ!?」手綱をとっていたマーシーは、驚いて馬車を停めた。「馬鹿だなあ、おまえ。ローラ姉さんは人妻じゃないか。そんな人をいつまでも想い続けても、どうにかなるってもんでもないだろう?きっとおまえは――おまえにはわからないんだよ。たとえば――たとえばさ、俺がサミュエル・バードさんとこに手伝い仕事にいったとするな。あの人がどんなふうに雇い人のことを扱うか、おまえ知ってるか?雑巾から一滴も絞り汁がでないくらいこき使った上、あの人の奥さんの作るしみったれた料理といったら――ローラ姉さんやジョスリンさんの作るお昼ごはんとは雲泥の差なんだぞ。しかもそんな鳩のエサみたいな昼食のあとで、午後遅くまでこってり働かされてさ――おまえ、自分の恵まれてる環境がきっとわかってねえんだよ。雇ってくれる人の全員がローラ姉さんやフラナガンさんとこみたいにいい人ばかりってわけじゃないんだからな。むしろ逆の場合が多いくらいだ。なんだよ、おまえ。レイノルズさんがちょっと冷たくあしらったくらいで――あんなの、サミュエル・バードんとこで働くのに比べたら、牛の屁みたいなもんだぜ」

「わかってるよ、マーシーの言いたいことは。言われなくても、僕だってそのくらい……」ヨシュアはしゅんとして、御者台の上でうなだれていた。あたりには宵闇がたちこめつつあり、すみれ色の空の上には一番星が輝いている。

「じゃあ、なんだよ。これから先もずっと、フラナガンさんのとこだけで働きたいってのか!?」

 マーシーは年とった黒馬の尻に軽く鞭をあてて、グリーン・リバーにかかる緑色の屋根つきの橋を渡った。ここの通りは村人たちにウィロウストリートと呼ばれているとおり、茶色い道なりに柳の樹木がお辞儀するようにずらりと並んでいるのだった。ここを過ぎれば帽子山の麓まではあともう少しだ。

「違うよ、マーシー。僕の言っているのは……」

「おまえ、まさか……」ヨシュアの顔の表情の暗い翳りを見て、マーシーはぎくっとした。あたりに闇がたちこめつつあるせいではなく、ヨシュアの横顔にはどこか、心の闇が反映されているような気がした。

「ロチェスターをでていくなんていうんじゃないだろうな!?もしそんなことをしたら、エステルがどんなに悲しむか……それにおまえ、約束したんだろ!?エステルが聖マグノリア女学院を卒業するまでは、彼女のことをここでずっと待ってるって。その約束を破るつもりなのかよ!?」

「エステルには、マーシー。おまえがいるよ」

 ヨシュアが疲れたように弱々しく微笑むのを見て、マーシーはただならぬものを感じた。彼は本気なのだ。本気でロチェスターを、自分の家をでていくつもりなのだと思った。

「収穫が終わって――畑を耕して秋蒔きが終わったら、でていこうと思うんだ。お願いだ、マーシー。エステルも、僕さえいなくなれば、おまえのことだけを頼りにして生きていくさ。もしエステルが教師の免状をとったら、ヴィンセント先生は彼女に教職を譲ってもいいとさえ言ってくれてる。もっとも、先生が言うには、エステルにはもっと高いなにがしかの職に就ける道が開けるだろうとの話だけどね――あの娘の性格からいって、この村に戻ってくるのはまず間違いないよ。マーシーの目にはどう映っているかわからないけど、エステルは強がってはいても、心の根っこのほうではとても寂しがり屋なんだ。とにかく誰かに寄りかからなくては生きていけない性格なんだね。女教師として下宿屋にひとり暮らしとか、そういうことに耐えられるような子じゃないんだよ。口では威勢のいいことを言いながらも、いつだって誰かの後ろからでないと、物を投げられないような娘なんだからね――マーシー、これからは僕のかわりにおまえが、その役を引き受けてほしいんだ」

「お、おう」とマーシーは思わず頷いてしまったあとで、後悔した。エステルが聖マグノリア女学院へいってしまったあとでは、ヨシュアのいない寂しさに、とても耐えられないだろうと思ったからだ。もしもエステルかヨシュアのどちらかを選べと誰かに言われたとしたら――マーシーにはどちらも選べないとしか、答えようがなかった。

「でもさ、おまえ、まさか本当に本気ってわけじゃねえんだろう」マーシーは自分たちの今の会話を冗談にしてしまいたくて、陽気に笑って言った。「ここを離れて一体どこへいくっていうんだ?まあ、ロカルノンにでもいけば、なんとかその日暮らししていけるくらいの仕事にはありつけるかもしれないけど――そんなことをして一体なんになるっていうんだい?このままローズ農場とフラナガン農場を手伝ってれば、あそこの土地の隅にでも家を建ててもらえるかもしれないのにさ――フラナガンさんとこには跡取りがいないし、ローラ姉さんのとこもさ、これから赤ちゃんが生まれるかもしれないけど、それが男の子とは限んないし、もし男の子だったとしても――フラナガンさんとこみたいに、街へでてってそれっきりになるかもわかんない。まあどっちにしても、長く働いてりゃあ、その分に見合うだけのことをしてくれる人たちだよ――ローラ姉さんも、フラナガンさんも。それなのにおまえ、これ以上もっといい条件で働かしてくれる場所があるとでも思ってんのか?」

「いや、マーシー、そうじゃないよ」

 ヨシュアは帽子山の麓、小さな丸太小屋に橙色の明かりが灯っているのを見て、少しだけ心が明るくなった。誰かしら待っていてくれる人のいる家へ帰れるのは、いつだっていいものだ。

「僕はね――とにかくエステルのそばから離れたいんだよ。僕は血も繋がっていない彼女に対して、もう十分にその責任は果たしてきたと思ってる。エステルのお父さんのヴァン=ダイク氏も、よもやこれ以上僕に重荷を背負わせようとはなさるまい」

「ふうむ」と、重苦しい溜息とともに、マーシーは真っ黒くて太い、眉根を寄せた。エステルが心の中でゲジまゆちゃんと呼んでいる眉毛だった。「まあなんにしても、これからもう一度よく話し合おうぜ。じっちゃんだってなんていうか、わかんねえぞう。この恩知らずめがって雷が落ちるかもな。それか樫の樹の杖でぶん殴られるかのどっちか」

 家に到着すると、マーシーは馬小屋に年寄り馬のダーシーを連れていき、ヨシュアは一足先に家の中へ入るとマイクを手伝って台所仕事をした。マックじいさんはエステルのことを叱りつけるだけあって、料理の腕前はなかなかのものだったが――なんというのだろう、それは老人好みの味付けのものが多かったので、ヨシュアの口にはあまり合わなかった。エステルの料理もまずいとまでは言わないものの、彼は許されるならば残したいと思うことが多かった。そしてこれから自分は――首都タイター二アで、コックになる修行をしようとヨシュアは考えていた。つい先日、シオン人の料理人が開いたレストランが開店したと、デイリー・タイター二ア紙に小さく記事がでていて、彼は元は宮廷料理人だったということだった――ならば、その料理をかつて味わったことのある自分を、見習いとして雇ってくれるのではないかと、ヨシュアはそう考えたのである。

 夕食の席でヨシュアがその話をすると、マイクは意外にもまったく反対しなかった。逆に、いつかこういう日がくるだろうと思っていたと、彼は厳粛に受けとめていた。

「けどよう、じっちゃん」と、マーシーは恨めしい目つきでスプーンをしゃぶりながら言った。「俺は寂しいよ――じっちゃんだって本当はそうだろ?それなのに痩せ我慢してヨシュアのことを行かせるってのかよ。それにエステルがこのことを知ったら、怒り狂っちまうぞ。聖マグノリア女学院なんか中退しちまって、ヨシュアのことを追っかけて、タイター二アまでいっちまうかも。俺、やだなあ、そんなの」

「エステルには手紙を書いていこうと思っています」と、ヨシュアは一旦食事の手をとめて、真剣な面差しになって言った。「それと、僕がタイター二アへいったとは、絶対に言わないでください。僕がいなくなればいなくなったで――エステルは自分がこれからどうしなければならないかを、真剣に考えるようになるでしょう。僕がここにいるかぎりエステルは――僕が最後には結局なんとかしてくれるという甘えを、捨てられないままでしょうから」

「そうじゃな」マイクはとうもろこしのスープをすすりながら、重々しく頷いた。「そのほうがエステルのためになるじゃろう。だがヨシュアよ、この年寄りからひとつだけ言わせてもらうぞ。ここはおまえさんにとっては第二の故郷みたいなもんじゃからな、暮らしに困ったら、いつでも帰ってくるんじゃぞ」

「はい」と、ヨシュアもまた重々しく頷いた。もしこの老人とマーシーが自分とエステルのことを拾ってくれなかったとしたら――自分たちの心はひどく荒んだままだっただろう。エステルはマックおじいさんのことを、しょっちゅうシリル語で罵ってばかりいたが、それでもいつかは、この老人の偉大さと優しさに気づく時がやってくるに違いない。

「それで、いつ発つつもりなんじゃ?」

 マイクは豆を塩茹でしたものをつまみながら、ヨシュアのことを真っ白なふさふさした眉毛の下からじっと見つめた。その青灰色の瞳には、何故かいつもヨシュアを畏怖させるものがある。

「収穫が終わって、畑を耕したあとにでもと思っています。おじいさんとマーシーには本当にお世話になりました。僕は……いや、僕とエステルは、ここで人間らしさのようなものを回復することができたような気がします。こんなに親切にしていただいたのに、何も御恩返しができないなんて……」

「ファッ、ファッ、ファッ!」といつもは気難しい老人が、珍しく大声で笑いだしたので、ヨシュアもマーシーも驚いて顔を見合わせた。

「何もそんなものはいらんて。おまえさんたちがここへいる間、わしもマーシーも、どんなに楽しかったかしれんのだぞ?それで十分じゃよ――あのじゃじゃ馬のことはわしとローラに任せていきなされ。そしておまえさんがタイター二アで成功した暁には、この村へ凱旋しにきたらいいではないか。その時になってももしエステルがあんたのことを好いとったら、結婚でもなんでも、したらいいんじゃないかね?」

「はあ……」

 ヨシュアは困ったように頭をかいた。おそらくマックおじいさんにエステルと結婚することだけはありえないと説明したところで、わかってはもらえないだろう。それはマーシーも同じだった。

「チェッ、つまんねえの。じっちゃん、それじゃあ俺はどうなるんだよ?」

「そうさな――おまえはダラス家の娘のひとりとでも結婚するより他はあるまいよ。あそこには未婚の若い娘が六人もいるでな。好きなのを選んだらええ。もっとも向こうがなんと言うかはわからんがの」

「えーっ!!そんなの冗談じゃねえよ」マーシーは抗議するように立ち上がると、後片付けをはじた。今日はマイクが食事当番で、マーシーが後片付けの当番だった。「いくら俺だって、ダラス家の者とはごめんだよ。あそこの娘たちはみんな揃って不器量なんだもの」

「おまえとて、人の顔の造作についてとやこういえる顔じゃあるまいよ」

「そりゃあ、そうだけどさあ」

 ヨシュアはふたりのやりとりを、いつものように優しく笑いながら見守った。家族特有の――といっても、このふたりもまた、自分とエステルと同じく、血は繋がっていないのだったが――暖かいぬくもり……ヨシュアは時々、気の狂った母さんと、身重の姉があのあとどうしたか、気になって寝つけないことがあったが、このふたりとエステルと自分とで構成される擬似家族の関係が、何よりもそうした罪悪感や飢えといったものを知らない間に吸収してくれているようだった。そのことがどんなに自分の魂に安らぎと救いを与えたか――感謝してもしきれるものではない。

 マーシーが食器を洗う傍らで、ヨシュアはそれを布巾で拭いて食器戸棚に片付けていった。マックじいさんは食後に煙草をふかしながら、いつものように本を読んでいる。だがマイクはふたりの少年が時々ふざけあいながら、洗い物を片していくのを見守りつつ、思いはどこか遠くへ彷徨っていた。本を読んでゆったりと肘掛椅子に座っている姿は、ただのカムフラージュだ。この老人には実は、本当のことが何もかもすべてわかっていた――ヨシュアとエステルがここへきた時から、ふたりが兄妹でないことなど、先刻承知ずみだった。そして何故ヨシュアがエステルと離れたがっているのかも――老人は、すべて見抜いていた。マイクは食卓の席で、ヨシュアとエステルが結婚することを、冗談まじりに仄めかしたが、このふたりが結婚することなどまずありえないだろうと内心では思っていた。それと同じように、マーシーとエステルが結婚することも、またありえないだろう。

(まあ、あのじゃじゃ馬めがもしマーシーと結婚するようなら――わしもまだ暫くの間は死ねないだろうて。だがあの娘っ子は、都会ででもヨシュアのかわりになる男を見つけて、おそらくは一緒になるじゃろうな)

 だが自身が荒波にもまれて、万人の人生というものを知りつくしているように思われるマイク・マコーマックも、流石に千里眼ではない。彼はよもや――収穫祭のある数週間後の夜に、エステルが銃殺されて冷たい西の森の沼に捨てられようとは、あの美しくも性格には問題のある、彼が内心では可愛く思っていた娘が――全裸死体となって白痴のノエル・ガードナーに発見されようなどとは、想像だにしていなかった。






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