第4話 ホットレモンコーヒー
「AI倫理法」
10年程前に制定された刑法。主にAIを運用することの基準を設けたものであり、同時に創作物の規制も含んでいる。
『AI生成以外の方法で作成・複製されたものは内容を問わず、所持・隠匿することを禁ずる。これを行なったものは5年以下の懲役か財産の没収、又は両方を命ずる。
なお日本製本所出版物に関してはこれの違反に該当しない。国外の出版物の場合は検閲機関で一定期間保管を必要とする。
国際基準で特定認可の製作、流通・販売にはこの法は適用されない』
…ジジ…ジ…ジジジ………ジジ………
「おかえり、珠輝」
「の、乃愛……おぇええ」
「おーい、人の名前呼んでから吐くなんて酷くな……まじ顔色悪そうじゃん。大丈夫?」
「…なんか飲むものちょうだい」
「分かった。なんでも良いよね?」
「……うん。………………あ」
なんでも良いと聞かれる事に違和感を感じた時には既に遅く、乃愛は部屋を出て台所に駆けた後だった。
思い出すこと数年前。小学生の時、乃愛の家によくお邪魔していた頃の記憶。乃愛が気に入っていた飲み物といえば…。
「お待たー、ホットレモンコーヒー持ってきた。ミルクと砂糖は少ないけど持ってきたよ」
「砂糖水が良かった……」
「一緒一緒。レモンを齧ってもよし、コーヒーを楽しむもよしの二大お得だよ」
「得とかじゃなくて…あ、だめだ。それちょうだい」
「ほい」
渡されたカップに鼻を近づけると、柑橘系の匂いと珈琲の燻す臭いが同時に襲ってくる。珈琲って苦手だ。
思い切って口をつけてずずっと啜る。
「………不味く…ない」
「でしょ」
「少し苦いけど、意外と美味しい」
「砂糖入れてみ、調節はお好みだよ」
「あ、良いかも…」
「ふっふっふ。懐かしいだろう」
「うん。さっきまで忘れていたわ」
苦いのに加えて酸っぱくて、昔はめちゃくちゃ苦手だった。その時平気で飲んでいた乃愛は頭がおかしいのだと思っていた。
「あの頃はぶっちゃけて、これ嫌いだった」
「私もだよ。もう慣れたから気にしてないけど」
「…え!?」
「私もぶっちゃけるけど、大人振りたくて我慢してた。てへっ」
「巻き込んだ方も嫌いだったとか、笑えるんだけど」
「ははっ、笑ってないじゃん」
味覚が成長したのだろうか。それとも乃愛の開発癖による改良が施されたのだろうか。どっちもな気がする。お互い成長したという事なのだろう。
「で、今回の2時間の成果はどうだったんだい」
「2時間…またズレてるわ」
「体感はどんくらいだったのよ」
「一週間」
「へー……いっ!?」
「一週間」
「…一週間って、長引きすぎでしょ。4分の一だったのが84倍って法則性ぶち壊しすぎじゃん」
「あんたが作ったものでしょうが」
「ふ…自分でも理解できないものを作ってしまう…やっぱり私は天才のようね」
ため息が出た。乃愛の調子乗り発言を私は否定することができなかったから。本当に天才なのだと、一周回って呆れてくる。
「んで、一週間にも感じる2時間でどれだけ進んだの?小説作りとやらは」
「宇宙を作ったわ」
「うちゅう?作った?」
「ええ。小説の世界を生むために、宇宙が出来て時間が流れるようになったの。それで一週間、飲まず食わずで地球も出来たわ」
乃愛は固まって聞いていた。しかしゆっくりと動き出し、机の上のペンをとってボードの前に立った。ボードをガランと回転させ、表と裏を入れ替える。裏に書いていたおそらく古いメモたちをバババッと消すと、宇宙と一単語だけ書いて振り返る。
「細かく教えてくれる?宇宙の辺りから」
私は語り出す。思い出すだけで疲れがぶり返してきそうなほどの一週間の出来事を。普通なら思い出せなくなるほどの情報量、しかしスラスラと言えてしまう不思議。
乃愛のペンが擦れる音が止んだのは目覚めてから1時間が経った頃だった。
…ブツブツ…ブツブツ、と乃愛が自分の世界に入り込んで中々帰ってこない。私はコーヒーのおかわりを飲み干して待つ。
書き終わったホワイトボードを見てもよくわからなかった。文字だけじゃなく、不思議な図形だったり数式だったりで埋め尽くされていた。
私の話の中に出ていない言葉や数式があったりと、かなり独走している。おそらくは関連するものだと思うのだが。
「ねえ珠輝」
乃愛がやっと戻ってきた。私は乃愛を見る。
彼女はコーヒーに口をつけて椅子に腰を下ろしていた。少しの休憩に入ったようだ。ズズッとコーヒーを啜った後に私に問いかける。
「どんな話を書きたいの?」
「え?言わなかったっけ?おじいちゃんの小説の続きだよ」
去年の年末、久しぶりに祖父母の家の大掃除に行った。お爺ちゃんが亡くなってから何かと避けていた私に、お婆ちゃんから連絡があったからだ。
『珠輝に見せたいものがある。爺ちゃんの書斎に置いておきます』と。
そこにあったのは分厚い茶色の封筒だった。
お婆ちゃんの手書きの書き置きがその上にあってこう書かれていた。
『あなたのお爺ちゃんが書き残したものです。どうか、この秘密を守り続けてあげてください。作家たちが生き生きとする時代に繋がることを願います』
中には一束に数十枚はある紙束が6つ入れられていた。時系列がバラバラの繋がりも見えない内容で目立った題名もなく、そういった紙に馴染みがなかった私は最初にそれが何なのか気付けなかった。
お婆ちゃんの書き置きをもう一度読んで理解した。これが小説なのだと。
10年以上前、元気だったお爺ちゃんが唯一、私の相手をすることよりも優先していたアレのことだと、納得した。
その時の私は即座に自分の鞄にその封筒を仕舞い込み、誰にも触られないように注視して家路へと帰宅した。それから程なくしてお婆ちゃんが病院へ通院するようになったことを知った。
お婆ちゃんはきっと自分一人であの書斎の秘密を守り抜くことができないと悟ったんだと思う。だから、お爺ちゃんが大好きだった孫の私に託そうとしたんだ。と、そう解釈している。
連絡後にお婆ちゃんの体調が落ち着いていることは知れたけれど、秘密のことは何も聞けていないままだ。
AI倫理法。今朝も違法製造をしていた売人が報道されていたのをニュースで取り上げていた。
その発覚方法は生活に取り込まれているAIデバイスが多いらしい。街の至る所に設置されている補助AIも法の監視システムの一部でもあるらしいのだと、そのニュースからなんとなく分かってきた。
乃愛が感心するように言う。
「珠輝のじいちゃん、クリオフでよく捕まらなかったね。10年以上も保管してるって相当なリスクじゃん。
あたしだってここが無かったら、とっくに捕まってたのかもね〜。運が良い」
「創作違反者」今でもたまにニュースに取り上げられている犯罪者の呼び名。
彼らは決まって言う。「どうして表現することが罪なのか」と。「娯楽を奪うことが悪ではないか」と。
世界の方に染まっていた頃の私は彼らを呆れて見ていた。「泣くくらいなら、やらなきゃ良いのに」と。
彼らは酷い顔をして抗議していた。激昂したり、鼻水まで垂らして泣いていたり、その殆どが無様すぎていた。
だけど、今なら少し分かる。お爺ちゃんの秘密を知り、乃愛の秘密を偶然知った時、私は自ら秘密を作ることにしたのだから。
「私たち、立派な犯罪者だよ。この秘密、死ぬまで守らなきゃいけないんだ」
「家族にも秘密にしなきゃだからね。結構大変だよー。あたしの方は問題ないから良いけど」
問題ないわけがない。乃愛のお父さんは多くのAIデバイスを開発している「マキナ社」の社長を務めている。その下っ端が私の父親。国に認められている会社のトップ、その娘が犯罪者で許される筈がないのだが、事実乃愛は個人でARCの製作を続けている。いつからこの機械を作り始めていたんだろうか。
私は疑問に思い、乃愛に尋ねてみた。
「そういえば、この機械はいつから作り始めたわけ?今のAIデバイスとは形も大きさも全然違うわよね」
小型化が進むAIデバイスは電子端末機だけでなく、補聴器や眼鏡、車椅子などの補助機械に搭載されているし、信号や案内板、無人運搬車の全てに組み込まれている。
それらを制御する装置は手のひらくらいのチップばかりだと聞く。
乃愛のおもちゃはヘルメットから管を繋ぎどでかい擬似ソファベッドまでを合わせてが一つで、人間よりも大きくなっている。
乃愛が笑って説明をくれる。
「そりゃあね。10年くらい前からあるものを改良していったものだからね。当時だったらそこそこ新しかっただろうけど、今じゃ旧式もいいとこだろうね」
「そう…て、10年前!?あたしたち小学生かどうかって歳じゃない」
10年前の私なんか、魔法少女に憧れてステッキを振っていた。乃愛はその頃には工具を振って自分よりも数倍でかい機械をいじっていたと言うのか。差がでかすぎる。
「懐かしいね、他のことはあんまり覚えてないけど。誕生日で貰ったものだったんだけど、すぐに壊しちゃって。10年かけてようやく使えるようにまで戻したんだけど、アレもこれもと足してたら使い方も変わっちゃってね。色々試して完成させるのが楽しみだよ」
色々試すという部分に苦笑い。約束だから仕方ないけどその言い方は….。
「まるで実験動物よね、私」
「お互い、利害の一致でしょ。Win-Winってやつさ」
「ふ、そうね」
秘密の共有、利害の一致。正しくそうなのだ。
私は乃愛の作ったAI装置でお爺ちゃんの小説を蘇らせる。足りない部分を埋め完成させる、それを後世に守り抜き繋げていく。
乃愛は私を利用し、自身のAI装置を発展させる。
その目的は娯楽か野望か、乃愛の天才的な思考を私が理解できるわけもないが、彼女とは何かが上手くいくという気持ちにさせる。
二人揃って、コーヒーに口をつけた。乃愛がこちらを見てニヤリと笑う。
「うまい?」
私はいつの間にか飲み干していたカップの底を見て笑って答えた。
「うん。美味しいよ」
「よかった」
〜記憶の栞〜
昔一度だけ、家族に内緒のまま一人でお爺ちゃんの家に行ったことがあった。
びっくりさせたい。そんなイタズラ心だったと思う。
家に着くと、まず最初の問題が降りかかった。どうやって家に入ろう。小さな私は解決策が浮かばなかった。だからお婆ちゃんにはすぐにバレてしまった。助けを求めに庭にいたお婆ちゃんに声をかけると、驚いた顔をしていたのを覚えている。だけどすぐに笑顔になって迎え入れてくれた。
「おじいちゃん、何してるの?びっくりさせたい!」
「うーん。今は邪魔しないほうがいいと思うんだけどね」
「お腹空いてない?お菓子食べる?」とお婆ちゃんは私を書斎に近づけさせないように誘導しようとしていたのを覚えている。私は「食べる!」と返事をしてまんまと釣られていた。居間に連れられ、お婆ちゃんが出してくれたお菓子を食べた。なんだったかまでは覚えていない。
腹が満たされ、一人で遠出した疲れもあってか小さな私は眠ってしまった。
トイレに起きた私は、そこがどこか最初わからなかったんだと思う。偶然お婆ちゃんもそこに居なくて、ひとりぼっちな中、長く伸びる廊下を進んだ。
お爺ちゃんの声が聞こえてきた。誰かと喋っているようで、その相手はお婆ちゃんではない女の人のようだった。
「おじいちゃん…トイレ…」
「珠輝、起きたのか!?…トイレか、分かった!」
お爺ちゃんは私の声に即座に反応してくれた。寝ぼけ眼で抱え上げられて見る書斎の中には誰も居なかった。その不思議を私は思い出すことなく、今となっても気づくことはなかった。
迎えにきた母に私は叱られた。しっかりと泣いたが、お爺ちゃんが頭を撫でてくれたので少しだけ落ち着いた。
私はまるで逃さないと言う意思の表れかのように抱き上げられ、帰り道は母の胸の中で眠ってしまった。
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