抵抗者
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ、握手とお辞儀って同時にやらない方がいいんだね。
握手が日常となっている向こうの人にとっちゃ、日本人のこっけいなところとして、笑いのネタにされることもあるのだとか。
「手と手を取り合って〜」という仕草はあれど、これは親密な仲の者同士が、人目につきづらいところで行うことがほとんど。表立って、相手に手で触れる機会はそう多くない。
一説には、武士として手を封じてしまうような事態を避けるため、ともいわれる。そのため敵意のあるなしを、刀を置いたり、持ったりする位置で示したりと、国ならではの作法が生まれていったのだろうね。
だから、あえて接触をはかる相手がいるならば、我々は敏感になってしまうのかもしれない。僕が以前に体験した話なんだけど、聞いてみないかい?
自由登校のとき、彼はいつも僕のそばへやってくる。
「おーっす」と気の抜けた声と一緒に、肩をひと叩き。そのあと、ヘッドロックが続くかどうかは気分次第。
普段、自分からあまり相手に絡まない僕にとって、彼のような存在はありがたくもあり、うっとおしくもあった。その日の調子によって、あまりに印象が違いすぎる。
そして、彼は僕以外にこのウザがらみをしてこない。たとえ通学路で会わず、教室であったとしても、わざわざ近づいてきてからこれだ。その後で、ようやくみんなとの話の輪へ入っていく。
ずいぶん、気に入られたもんだと思いつつ、数年間はスルーしていたんだ。
だが、いよいよ僕にも人生屈指の下り坂な時期が来た。
何をされるのも、言われるのも面倒に感じる、あのテンションさ。自分に向けられるあらゆるものに、殺意を覚える。
だからその朝、僕は初めて彼を振り払った。触れてくるのを、動物がやるように大きく身体をゆすってね。
彼は驚いた顔を見せるも、その日はもう僕に関わってくることはなかった。その日、は。
絡まなくなった彼は、今度は不意打ちタッチに情熱を注ぐようになった。
追い抜きざまにタッチ、曲がり角などで待ち伏せてのタッチなどなど。ひと触りしたらあっという間に逃げ出し、遊びが遊びなら「えんがちょ」とでもいいそうな勢いだ。
これはこれで頭に来る。そして今度は彼も退く気はないらしく、あのタイミングこのタイミングで僕の虚をつこうとしてきた。
いよいよ目障りに感じてきた僕は、余裕を持っていた登校時間をぎりぎりまで遅らせることにしたんだ。
家は早く出る。親に心配されるからね。それから通学路から外れる公園などで、適当に時間を潰すんだ。
これまでぼーっと登校していたわけじゃない。どこをどれくらいの速さで急げば、間に合うのか。信号のタイミングも含めて、熟知している。
そのギリギリで、僕は公園のベンチから立った。事故を起こさないようにだけは注意し、いまやランドセルを負う子供もほとんどいなくなった、通学路をひた走る。
そして、遠目にとらえた。
彼が前方にいる。何十メートルも先だ。おそらく僕が現れるのをずっと待ち、そして現れないまましびれを切らせたのだろう。僕に勝るとも劣らない走りぶりだ。
一泡吹かせてやったと、内心でほくそ笑む僕は、間に合う限界まで速度を落とす。彼の慌てふためく様子を、しっかり網膜に焼き付けてやろうと思ったんだ。
最近ほどじゃないけど、その日は暑かった。
少し身体を動かせば顔に汗がにじむけど、あえいでいるのは人間ばかりじゃなさそうだったよ。
たとえばミミズだ。暗いところへ隠れていればいいものの、彼らはわざわざ陽にあたり、照り返しもきついであろうアスファルトへ出張ってきていた。
よほど苦しいのだろう。身をよじり、のたうつよりない。そこへ彼が走り込んでは、かわしようがない。彼のスニーカーが思いきりミミズを踏みつけ、きっとひどいことになっただろうなあ、と僕はこそこそついていった。
いない。
確かに彼の脚はミミズを踏んだんだ。普通なら、彼の靴底の形を身体に刻み、押し付けられて、文字通りの虫の息のはず。
その姿が跡形もない。身体どころか、地面を濡らす体液のひとしずくさえも。
細い身体だ。靴底の溝にはまり、抜けなくなった可能性もゼロじゃない。その割に、前を行く彼の足元からも、ミミズの身体や体液がこぼれる気配はなかった。
なおも距離をたもち、彼を追う形で走っていく僕は、彼が今度は、学校への曲がり角で出会い頭に、男性とぶつかった瞬間を見たんだ。
頭髪のはげた男性が罵声を浴びせるも、あとが続かなかった。
彼が走り去ったあと、そこには男性の羽織っていた背広とスラックス、シャツや下着と仕事用のカバンなどが転がるばかり。
男性だけが、どこかに消えてしまって行方が分からない。
「え?」とつい声を漏らしてしまうと、だいぶ前を行っていたはずの彼の足がぴたりと止まる。
ばっと、音が出そうな勢いで振り返った彼は、反転するや猛烈な速さで迫ってきた。
僕もとっさにきびすを返す。先ほどの光景は、僕へ瞬時に悟らせるには十分だった。
彼に触れたなら、身体が消えてしまう、と。
何歩も進まないうちに、さっと目の前が黒く覆われた。
人の手だ。「だ〜れだ?」といわんばかりに目をおさえてきたそれは、ペタペタと僕の顔全体を触り回ってくる。
「よーし、やっと防止完了!」
底抜けに明るい彼の声を、僕はしっかり耳で聞いた。
消えていない。僕はしっかり自分の足で立っている。腕も身体もなんともない。
でもちょうど足元では、かわらず主を失ったままの背広たちが、風に吹かれて車道へ飛び出していくところだったんだ。
二人して学校向かって駆けながら、彼が話してくれる。
いつの頃からか、自分は触れた生物を消してしまう力がついてしまったのだと。
原因ははっきり分からないが、彼自身は機械のショートに近いものじゃないかと思っているそうだ。
電位差のある2点が、抵抗のとても小さい導線で結ばれてしまうこと。そこには大量の電流が流され、故障や火災を招く恐れがある。
彼の場合は、ほぼ抵抗なく生き物へ触れることで、自分の中の何かしらの力を流し、身体を構成する分子を、またたくまに崩壊せしめるんじゃないか……との想像らしい。
しかし、僕は別。
どうやら僕は彼にとって、ショートを防ぐための大きな抵抗足り得る存在らしかった。
効果の差はあれど、一回で24時間前後はもつようだ。そうして僕に接触し、抵抗たるものを補充して、ようやく生き物へまともに触れることができるようになるとか。
突然のことに面食らうも、すぐ新しい想像が、僕の頭をつく。
もしかして僕はこれからずっと、彼のショートを防ぐために、そばへい続けなきゃいけないのだろうかと。
そう告げると、彼は「そうなんだよねえ」といったん肯定するも、代わりになる人かものを探してみると、最終的に話してくれたよ。
もし僕自身になにかあれば、どれだけの被害が出るか分からない。それは防がないといけないと。
小学校を卒業するころ、彼はクラスでひとり別の中学へ通うことが決まった。
その少し前より、彼は同じ学校へ進む彼女を作っている。比較的、二枚目な彼に対し、やや釣り合わないんじゃないかと思われる彼女の容貌に、疑問を感じる子も多かったよ。
でも僕は察する。あれが僕に代わる、抵抗の適格者なのだと。
そして卒業前に、少し耳にした。僕の適格者としての力は弱まっている、とも。
効果がどうやら長く続かなくなっているらしい。ゆえに今度は彼女とふれあっていく、と。
それから長い時間が過ぎ、彼とは会っていない。
風のウワサでは中学在学中に彼女と別れたらしかった。愛ゆえか、抵抗ゆえかは、もはや判断できない。
僕はいまでも、あの姿を消してしまった男性のことを思う。
結局、僕の耳に男性の行方不明者の話は、あの時も、今に至るまでも入ってきていない。何かの間違いであってほしいと願うばかりだ。