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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい  作者: 悠井すみれ
終章 新しい時代の幕開け
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9.銃口の行方

 アンナリーザの視界が、ぐるりと回転する。マルディバルやフェルゼンラングのそれらに比べれば、やや素朴なシャンデリア、天井や壁の装飾。立ち竦むフロレス伯爵や侍従や衛兵の爪先。でも──すぐに床に手をついて、半身を起こす。きっと見上げた彼女を、レイナルドの舌打ちが出迎えた。


「上手く避けたものだ……!」

「陛下……!他国の王女にこのような狼藉を──」


 フロレス伯爵が、ようやく声を出すことを思い出したようだった。ごく真っ当な発言は、たぶんレイナルドに聞き入れられることはないだろうけれど。事実、レイナルドはうるさそうに目を細め、鋭い視線で衛兵に合図した。


「捕らえよ。フェルゼンラングと内通しているようだ」

「ですが──」

「王女を攫ったのもこやつの差し金かもしれぬ。吐かせるのだ」


 レイナルドは、愚かではないのだ。あるいは、猜疑がたまたま正解を引き当てただけかもしれない。いずれにしてもフロレス伯爵にとっては痛いところを突かれたことになる。


「……申し訳ございません、伯爵」

「おのれ──」


 機嫌悪い王の命令に、衛兵たちは躊躇いながらも従おうとした。伯爵が低く呻いたのは、時間稼ぎの役を果たすことができず、拘束されるのかと思ったのだろうけれど──


「ご自身の品位──はともかく、イスラズールを貶めるのはお止めください、陛下」


 アンナリーザは、わざと体勢を崩していたのだ。ドレスの裾をはしたなくめくり上げることなく、足首に提げていた拳銃を手にすることができるように。船の上で何度も練習して、動きは身体に染みついている。アルフレートから贈られた優美な凶器、その銃口は、しっかりとレイナルドを捉えていた。


「力で他者を従えさせるのは、王たる者のすることではございません。貴方は今も昔も、王に相応しくない……!」


 レイナルドも、拳銃を見たことくらいはあるのだろう。翡翠の色の目に一瞬だけ恐怖が過ぎり、そしてそれを覆い隠そうとするかのように、怒りと嘲りの色が燃え上がる。


「小娘が。玩具で何を……!」

「玩具ではありません」


 レイナルドの虚勢めいた唸り声を、乾いた銃声が遮った。もちろん、アンナリーザには人を撃つことなどやはりできそうにない。天井に向けて撃っただけだ。それでも、拳銃が玩具ではないのを知らしめるには十分だ。シャンデリアの砕けた破片が眩く降る中、レイナルドは顔を引き攣らせて硬直した。王の身を案じてだろう、衛兵たちも動くことができないようだ。


 床に足を投げ出して座った小娘、その手中にある小さな拳銃がその場を支配する──異様な緊張の中でも、レイナルドは口を動かす蛮勇を奮った。


「……大陸の者どものやり口だ。結局のところ、武力をちらつかせて脅す卑怯者の癖に……!」

「感心できる行いではないのは承知しております。でも──これは、単なる脅迫ではございません」


 レイナルドの歯軋りは、一面の真実ではあるのだろう。大陸諸国とイスラズールの関係は、常に対等ではなかった。アルフレートや、エルフリーデの父や兄は陰謀を企みもしていた。アンナリーザ自身が、暴力で相手の行動を封じているのだ。銃を構えてレイナルドを糾弾する構図のいびつさは百も承知で、それでもアンナリーザは銃把を持つ手を揺るがせなかった。


(これは──()()もの。クラウディオさえ来てくれれば……!)


 レイナルドは、暴力によって引きずりおろされるのではない。イスラズールの民の意思によって、王の交代が起きるのだから。だから、とにかくも持ちこたえなくては。ユリウスでもクラウディオでも──イスラズールの民を、この玉座の間に率いてくれるまで。


(こんな銃で、レイナルドがいつまで抑えられるか……)


 アンナリーザをめ下ろすレイナルドの目は、激しい怒りに燃えている。彼女のほうでも精いっぱい構えた姿勢を保ち、視線に力を込めて気圧されまいとしているけれど。でも、いくら銃器に疎くても、いくら向けられた銃口に動揺していても、彼も気付いてしまうかもしれない。


 この華奢な銃に、銃弾が何発も込められていないだろうということ。銃を握るアンナリーザは非力で、容易く取り押さえることができるということ。


「小娘が──」

「……っ」


 祈り虚しく、痺れを切らせたレイナルドが、足を踏み出す。小娘に主導権を握られるのを、この男には長く耐えることができないのだろう。


(今度こそ、狙わないと……!)


 殴られること、人を撃ってしまうこと。ふたつの恐怖に身体が竦むのを堪えて、引き金に指をかける。──かけようとした、その瞬間に。扉が開く音が聞こえた。次いで、多くの人間の足音が。


「アンナリーザ様! ──あの、これは……?」


 聞こえたのは、クラウディオの声だった。銃を向けられた父王──を、脅す異国の王女。アンナリーザはまだ目を動かすことができないけれど、声だけでも彼が驚き戸惑っているのがよく分かった。


「ご覧の通りです、殿下……陛下も」


 拳銃を掲げたまま、アンナリーザはクラウディオとレイナルドに向けてゆっくりと述べた。


(来てくれた……間に合った……!)


 彼女の気力が尽きる前に、忍耐を切らせたレイナルドが行動を起こす前に。クラウディオはこの場所へ駆けつけてきてくれた。足音によって、引き連れてきた者たちも多くいるのが分かる。ひとりひとりが携えているのは銃器ではなく、手製の槍だとか農地から持ち出した鍬だとか、あるいはただの棍棒だとしても、人数によって衛兵を圧倒できるだろう。

 事実、民に囲まれた兵たちが武器を落とす重い音が次々に響き、レイナルドも、屈辱に顔を赤く染めながらも抵抗する素振りは見せない。


 ようやく銃を下ろすことができたアンナリーザがそっと息を吐くと、クラウディオが駆け寄ってきた。


「貴女のことを助けなければ、と急いで参りました。でも……必要なかったようで」


 卑下する必要などまったくなかった。クラウディオは、間違いなくアンナリーザを助けてくれた。もう少し遅れていたら、彼らはアンナリーザを盾にするレイナルドと対峙しなければならなかっただろう。


「いいえ、殿下はここにいらっしゃらなければなりませんでした。──どうぞ、そちらへ」


 だからアンナリーザは微笑むと、視線で玉座の高みを示した。イスラズールの未来を担う者が占めるべき場所を。クラウディオにとっては父の席だという想いが強かったのだろうか、この期に及んでも彼は戸惑う表情を見せた。


「ですが、私は──」

「私からもお願いいたします。殿下は準備をなされていたのでしょう。責任をお取りくださいますように」


 けれど、フロレス伯爵にも乞われて、クラウディオはようやく頷き、玉座へと足を進めた。


 アンナリーザが立ち上がると、室内は人が満ちて息苦しいほどだった。王宮中から人が集まってきているかのような。でも、それでいて争う気配はないということは──


(ユリウス様のほうも成功したの……?)


 小柄なアンナリーザでは、見渡してもあの翠の目を見つけることはできなかった。けれど彼も近くにいるのだろう。助け出されたディートハルトも、きっと。国や立場や出自を越えた者たちが、イスラズールの歴史に刻まれるであろう瞬間に、立ち会おうとしている。


 数段高い位置に昇ったクラウディオは、ゆっくりと下段を見下ろした。緊張に頬や肩が強張っているのは見えるけれど──怯えた様子は、見えない。


「私はイスラズール王子、クラウディオ。父に代わり、この国を富ませ大陸諸国との絆を結びたいと考えてここにいる。この席が私のものになるか否かは別として──少なくとも、イスラズールをより良くするために尽力したい。この場の者が同じ志であるならば、争わずに話がしたいと思っている」


 クラウディオの言葉を受けて、一同はしん、と静まり返った。万雷の歓声で迎えられるはずもない。まだ、何が起きているか分からない者も多いだろう。けれど、とにかくも異を唱える者はいなかった。彼の真摯さを、誰もが受け止めてくれたのだろう。

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