6.かつての自分への評価
フロレス伯爵の顔にじわじわと理解の色が広がり、彼の口が動くまで、アンナリーザは辛抱強く待った。
「マルディバル──大陸の、姫君?」
「ええ」
「フェルゼンラングの王子殿下と同行なされていた?」
「まさしく」
次々と浴びせられる問いに笑顔で答えるアンナリーザと裏腹に、青褪めていた伯爵の顔は紅潮していった。
(信じられない、騙そうとしているとでも思っているのかしら……?)
アンナリーザが胸の中で呟いた推測が当たっていたことは、伯爵の次の詰問が教えてくれた。
「その御方は海賊に攫われたと聞いている!」
「そのように伝わっているかもしれませんが、ご招待だったのです。クラウディオ殿下からの」
アルフォンソと同じく、この伯爵様も王宮の事情に通じているようだった。相応の情報源があるということなのだろう。話が早くて済むのは助かることだ。
「海賊と通じていたのですな。仮にもイスラズールの王子である方が!」
そして、フロレス伯爵は、アルフレートが共謀者として選んだだけのことはあるのかもしれない。幾つかの情報を渡されただけで、概ねの事情を把握したようなのは、なかなか理解が早いことだった。
確かに、本来ならば王族が海賊と結ぶのは大問題だ。でも、ことイスラズールにおいては事情は特別、なのだろう。クラウディオも、反論は既に用意しているようだった。
「ベレロニードに入港する船は、厳密に言えば今はすべて海賊船だ。彼らが大陸で何をしているか、誰もが目を瞑っているのでは? ベレロニードの貴方がただけで彼らのもたらす品を独占して──開拓地の民がどのように生きているか、想像したことは?」
たぶん、クラウディオは父であるレイナルドを退けてからこの問いを突き付けるつもりだったのだろう。大陸との交易を可能にする港や、サトウキビや香辛料の栽培──彼や先代の開拓伯が、密かに築き上げてきた成果と、共に。
「それは──」
ベレロニードで安穏と暮らしてきた者たちが、まともな答えを持たないのはフロレス伯爵の顔色からも明白だ。できることなら、衆目の中で、民が新しい王を受け入れられるように堂々と問いたかったのだろうに。手札を早めに切ってもらうことになってしまった。
(でも、フェルゼンラング派を今取り込めるなら無意味ではないわ……!)
この場を乗り切ることができれば。ディートハルトではなく、クラウディオをイスラズール王とすることに同意してもらえれば。民と臣下の両方に背かれたと知ったなら、レイナルドも──快く退くとまではいかずとも──争う愚を悟ってはくれないだろうか。
「……すべては、父君の振る舞いのせいかと。レイナルド王の御子である方は、イスラズールの玉座には相応しくない。それが、我々の想いです」
「私を、父の子と見做してくださるのですね」
やや苦しげに切り返したフロレス伯爵は、さらに険しい視線を向けてきた。それを受けてクラウディオは苦笑し、アンナリーザは頬を強張らせる。伯爵の言葉は、クラウディオが確かに引き継ぐエルフリーデの血を無視するのも同じこと。しかも、彼は王子とは名ばかりで密林の奥に追放されたも同然の身、レイナルドが息子だと認識しているかどうかも怪しいというのに。
クラウディオの援護のため、アンナリーザは口を開こうとした。けれど、ユリウスが割って入るほうが、早い。
「──横から失礼いたします。レイナルド王の血を嫌われるのは分かりました。ならば、なぜフェルゼンラングの王子ならば良いとお考えになるのですか」
ユリウスはまだ名乗っていない。海賊の一味か身分低い開拓者とでも思ったのだろうか、フロレス伯爵は何者だ、と言いたげに露骨に顔を顰めた。それでも答えたのは、ユリウスというよりクラウディオに聞かせるためだっただろう。伯爵の目は、はっきりと自国の皇子を睨んでいた。
「……亡くなったエルフリーデ妃こそが、イスラズールをもっとも繁栄させてくださったかもしれないと考えるから、その御方の血筋のほうが、今の王の血よりも信じられるからだ」
ゆっくりと、噛み締めるような言葉に、クラウディオは軽く息を呑み、アンナリーザは胸を抑えた。
(私を、そこまで……!?)
何もできない王妃だったと、思っていた。フロレス伯爵、あるいはその先代とも、幾度か話をしたことがあったか、ていどだった。でも──それでも。彼女の行いを見て、期待してくれた者たちがいた、らしい。エルフリーデの存在は、確かにイスラズールの者たちの記憶に残っていた。その記憶の残滓が、アルフレートと手を組ませクラウディオを退けさせることになっているのは、彼女の本意ではないけれど。
(……でも、嬉しい、わ……?)
現状を忘れて、過去の──前世のことで喜ぶのは、きっと間違っている。クラウディオのため、フロレス伯爵を説得するために口を動かさなければ、と思うのに。胸に渦巻く感情が喉を塞いで、アンナリーザはユリウスが伯爵に反問する声を聞くことしかできなかった。
「エルフリーデ妃は、クラウディオ殿下の母君でいらっしゃるはずですが」
「だが、パロドローラ女公爵に育てられた上にフェルゼンラングとの縁も薄い! あの方がイスラズールに何をもたらそうとしていたか、貴方はご存知ないはずだ」
例によって、伯爵はユリウスではなくクラウディオに向けて答えた。アンナリーザよりは早く立ち直っていたのだろう、彼は、深呼吸してからゆっくりと声を紡いだ。
「……確かに、私は実母のことをほとんど知りません。ですが、知りたい──知らなければならないと思い始めています。私と志を同じくしていたのではないかと、ようやく気付いたからです」
「何を……?」
訝しげに漏れた伯爵の呟きの影で、アンナリーザもそっと息を吐く。
(分かってくれた……)
エルフリーデがもう少し長生きできていたら、クラウディオと同じことをしようとしただろう。密林を拓いて、民の暮らしのためにイスラズールの気候にあった作物の栽培を模索する。大陸からの船を招いて知識と技術を取り入れる。この国の未来を思うなら、きっと当然に思いつくことだ。彼女自身は無知でも、助けを乞えそうな人も、いた。
「私は、ヴェルフェンツァーン侯爵子息のユリウスと申します。我が国の王女であった方が、いまだこんなにも慕われていると伺うのは嬉しいこと──エルフリーデ妃は、父の名を出したことがあったと思うのですが、覚えてくださっているでしょうか」
「……まさか」
そう──ユリウスはまさに、エルフリーデが頼りたかった方の息子だ。ヴェルフェンツァーン侯爵との書簡や標本のやり取りは、知る者も多いはず。案の定というか、フロレス伯爵の目が驚きに大きく見開かれたのを見て取って、ユリウスが笑う気配がする。それに励まされて、アンナリーザもようやく口を開くことができた。
「私も、フェルゼンラングのラクセンバッハ侯爵とお話したことがございます。かの国のご意向は踏まえた上で、それでも、クラウディオ殿下がイスラズールの王位に登るのが大陸諸国にとっても最良の選択だと考えるようになりました。十分な根拠もございます」
アルフレートの名を出すと、伯爵はますます動揺したようだった。その隙に、そしてアンナリーザの目配せを受けて、クラウディオが進み出る。
「開拓伯として、いくらかの実績を積んで参りました。王宮に──父に報告していた以上のことも。今は言葉だけになりますが、後々、証拠も証人もお見せできるかと。我が母がそれを見ていたらどう思うか──貴方がたに判断していただきたいと思います」




