7.恥知らずで商売上手ですね
「──イスラズールの大地の豊かなことは、疑いようのない事実でございます。何しろほんの百年ほど前まで誰も知らなかった大地ですからな。手つかずの資源がどれほど眠っているのか、想像もつかない」
仕切り直しとばかりに、アルフレートは分かり切ったことを口にした。分かり切っているから、父もアンナリーザも特に感銘を受けることはない。
「大陸の経済を乱しかねないほどの富、か。大国ともなると配慮することが多いのだな」
フェルゼンラングがイスラズールとの交易を閉ざした口実──としか思えない──を持ち出してあて擦られても、アルフレートは恭しい微笑を崩さなかった。この辺り、彼も熟練した外交官になったということだ。
「内情を申し上げれば、苦肉の策でございました。新興の──成り上がりの王に振り回されているのではないと、諸国に思わせねばならなかったのです」
「……イスラズールは、というかレイナルド王は、自ら国を閉ざしたのですか? そのような無益なことを?」
歳月を経て厚くなった彼の面の皮を剥がしてやりたくて、アンナリーザは食い下がってみる。
大陸諸国とは従来通りに交易できるフェルゼンラングと、大海に孤立したイスラズールと。どちらがより深刻な損失を被るかと言えば、絶対に後者のはずだ。レイナルドの人格にはまったく期待していないけれど、損益の計算ができないほど愚かではなかったはずだ。
「かの王にすれば、我々は彼の富を盗もうとしているとでも見えたのでしょうね」
小娘の疑いの眼差しは、さらりと流されて終わってしまった。わざとらしく、青いティーカップを手にしながらの問いかけだったけれど──内心はともかく、アルフレートの表情に動揺はもう見えない。
(あの男は……それにイスラズールの重臣も、フェルゼンラングの干渉を煩がってはいた、けど……)
攻めあぐねて口を噤んだアンナリーザに代わって、今度は父が尋ねてくれた。
「新しい市場では需給の均衡が取れないことはままあるが──何か嫌な取引でも経験したのだろうか」
「さあ、我が国は心からイスラズールの発展と繁栄を願っていたのですが」
アルフレートは、レイナルドは野蛮で残酷で狭量な王だという印象を与えようとしていたのだろうけれど。父が、フェルゼンラングのやり口にも疑問を持ち始めてくれているようなのがアンナリーザには嬉しかった。
(やっぱりどっちもどっち、だわ……)
アンナリーザのかつての実家もかつての婚家も、等しく信用できたものではない。言葉を交わすほどに、その確信が深まっていく。現状を見れば、アルフレートが語るほどにはフェルゼンラングが誠意ある対応をしていたとは思えない。だって──
「この二十年ほどの間、イスラズールの発展は止まっていたのではないか、と思いますけれど?」
「そうさせたのはレイナルド王です。イスラズールの国内にも不満が溜まっていることでございましょうね」
意味ありげに微笑んだアルフレートは、ようやく本題に入ろうとしたのだろう。
(何を企んでいるのかしら。それに、どう正当化するのかしら)
アンナリーザの興味は、元祖国の提案よりも、その一点に向かい始めていたけれど──とにかく、重要な話であることは間違いない。
「より賢明で、かつ、我らにとっては信用できるイスラズール王が必要です。もはや、レイナルド王以外の誰もが合意するところでしょう。イスラズールの民でさえ──いや、彼らのほうが切実にそう思っているかも」
「イスラズール王を挿げ替える尖兵の役を、我が国に負わせようというのだな」
父の声に冷ややかな怒りが滲んでいるのを聞き取って、アンナリーザは思わず背筋を正した。
(そうよ……危険で、しかも僭越なことよ)
新興国とはいえ、過去に確執があるとはいえ、陰謀を巡らせて他国の王を引きずり下ろそうだなんて。しかも、その話をさらにほかの国に持ちかけるなんて。父の声は穏やかなようでいて、そんな陰謀に手を貸すと思っているのか、とアルフレートを厳しく問い質していた。
「かの国に公然と近づくことができる国は、もはや数えるほどになってしまいましたので。中でも海に強い貴国に縋ることができれば、と。この機会に是非とも我が国との友好を深めていただきたいものです」
イスラズールと絶縁させた同盟国には言い出しづらいから、これまで国交のなかったマルディバルに持ちかけたのだ、と。他国の王に対して侮辱的な提案を申し出ておきながら、アルフレートは悪びれずることなくにこやかだった。本当に、両国の友好を願っているのか──それとも、そのように演技しているのか。
(いずれにしても、恥知らずだわ……!)
心の中で怒りが燃え上がるまま、アンナリーザは身を乗り出し、アルフレートを睨めつけた。
「レイナルド王の次のイスラズール王は、どなたになるのですか。もう決められているのですか……!?」
レイナルドに代わるイスラズール王は、フェルゼンラングの都合の良い人物になるのだろう。アンナリーザには、その心当たりがある。あってしまう。レイナルドと彼女の息子、クラウディオだ。フェルゼンラング王家の血も引くあの子が存命なら、またとない傀儡だと見なされるだろう。
(あの子の居場所を知っていて計画しているの? それとも、勝手に祀り上げようとしている……!?)
返答次第では、前世の実家への嫌悪が決定的なものになってしまう。それに、今世の実家に、恥知らずな企みに手を貸すように乞わなければならなくなってしまうかもしれない。海の果てに置き去りにしてしまった息子の安否を、どうしても確かめたいと思ってしまうから。
アンナリーザが急に取り乱したように見えたのか、アルフレートが軽く目を見開いた。同じく、ぽかんと開いた唇が何を紡ぐのか──でも、彼女が聞くことはできなかった。
「アンナリーザ、それを知ったらこの話を受けなければならなくなるだろう」
「あ──お父様。……はい。申し訳ございません」
父が制したのも当然のことだった。フェルゼンラングの企みの全容を聞いたら、もはや後戻りはできなくなってしまう。いったんは保留に、と──この場ではそう言うしかできないだろうし、アルフレートも明確な回答を求めたりはしないだろう。
「他国の玉座への介入の代価は、フェルゼンラングの好意とイスラズールでの利権か。なかなか商売上手でいらっしゃるな」
「貴国の利益になることだと、申し上げた通りです。我が国は誠心誠意、対等な国交を結びたいと願っております」
聞いた限り、この取引でフェルゼンラングが懐を痛めることはない。商売上手、だなんて。元手なしで儲けようとは強欲だ、という感想を多少取り繕ったものでしかない。皮肉を言う父も、受け止めるアルフレートも、表情だけは笑っているのが、アンナリーザにとってはかえって不穏だった。
(この席は、ここまで、ね……)
アンナリーザが別れの挨拶を切り出す機を窺っていると──アルフレートが、ふと、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「──エルフリーデ様への償いにもなりましょう」
「え……?」
気恥ずかしくなるほど真っ直ぐに見つめられて。それに、突然訳の分からないことを言われて、アンナリーザが眉を寄せると、アルフレートはすぐに目線を下ろしてしまった。──その先には、青いティーカップが、ある。
「我が国の姫君への仕打ちを、気に懸けてくださっていたので。あの御方のための復讐でもあるのですよ。エルフリーデ様を虐げた王には相応しい報いを、と」
老獪な外交官を演じていたようでいて、彼は意外と古傷を抉られていたらしい。エルフリーデとはまったく関係ないはずの、初対面の異国の王女に、言い訳めいたことを口にしてしまうほどに。
「私は……エルフリーデ様ではないから分かりませんわ。でも──」
亡き御方も本望でしょう、とか何とか言えば、彼は気が楽になるのだろう。でも、あいにくアンナリーザはそれほど優しくしてあげる気にはなれなかった。こんなことで彼女を見捨てた埋め合わせをしようだなんて、分かっていないにもほどがある。
だから、少々無作法なのは承知で、もう一度、茶で口を湿す。そうして、カップの青を見せつけてから、首を傾げてみせる。
「王妃とは、民の母でもあるのでしょう。我が子であるイスラズールの民をも悩ませて顧みない方であったなら、復讐とやらを喜ばれるのかもしれませんわね」
良い年をした外交官の癖に、アルフレートは捨てられた子犬のような悲しげな目をして押し黙った。それを見て、ほんの少しだけアンナリーザもすっきりした。