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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい  作者: 悠井すみれ
六章 幽霊の影か海賊の魔手か
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9.彼らの狙いは、もしかしたら

 アンナリーザは、ベアトリーチェと力を合わせて手探りで調度品を扉のほうへ寄せた。海は荒れていないようで船の揺れも少なく、暗闇の中の仕事ではあっても椅子やら机やらが崩れることはなさそうだった。でも、それはすなわち、頭上から聞こえる激しい物音が風や雨のものではなく、大勢の男たちが行き交う足音だということだ。銃声と怒号、果ては砲声まで雷鳴のように轟いている。夜でも操作ができるほどに篝火を焚いているのか、それとも夜明けが近づきつつあるのかも彼女には分からなかった。


 調度品の山の重石おもしになるよう、アンナリーザたちはふたりして床に座り、固い椅子の足や衣装箱の側面に背を預けた。汚さや行儀を気にするよりも、相手の体温を感じられるほうがまだ気が楽だと、お互いに考えていることだろう。


「ベアトリーチェ、やっぱりおかしいわ……」

「はい。マルディバルの王女殿下がこのような目に遭われるなんて──」


 アンナリーザが呟くと、ベアトリーチェは同情を込めて頷いてくれたようだった。彼女の顎の動きがもたらした空気の流れが、アンナリーザの頬に届く。緊張のためか、感覚が鋭敏になっているような気がする。


「ううん、違うの。ええと──そうでは、あるのだけれど」


 彼女は確かに海賊に襲われるべき身分ではない。祖国の王宮に留まっていたなら、海賊の被害のことなど──統治者として心を痛めはしても──遠い世界の話でしかなかったはずだ。でも、彼女は危険を承知で海に出たのだからその点に文句を言うべきではない。


「私たちは、ずっと狙われていた、のよね? 幽霊船かと疑わせるくらい、巧みに靄に紛れて近づいて、そして去って行った。幽霊だって、そうよ。海賊船……かどうかは分からないけれど、近くに仲間がいるなら不可能じゃない。こっそり侵入して、見つかったら海に飛び込むの」


 ユリウスやディートハルトと星を見た夜のことを思い出しながら、アンナリーザは口を動かした。恐怖を紛らわせるためか、語ることでより恐怖が迫ってくるのかは区別がつかないまま、相変わらず心臓は痛いほど速く脈打っている。


(さっきはまだ、他人事だったのね……申し訳ないこと……)


 襲われているのがほかの船だと思っていた間は、余計なことは考えまいと思っていたのに。戦闘の音を間近に聞きながら暗闇にうずくまっていると、どうしても考えることしかできないのだ。我が身の危険には敏感になるというだけではなく、船団の長としても重要なことであれば良い。──ううん、何もかも思い過ごしであればなお良い。


(陽動をしかけてまで旗艦きかん船を手薄にさせるなんて……狙ってやったことなの……?)


 だとしたら、あまりに周到すぎる。たまたま執念深さと無謀さを兼ね備えた海賊がいて、たまたま手あたり次第に攻撃を仕掛けた──そんなことは、あり得るのだろうか。


「暗い海に飛び込むなんて。想像するだけで心臓が止まりそうですわ」


 ベアトリーチェは、囁き声で会話に応じてくれた。低い声の調子は、恐怖を押し殺しているのか単に用心のためかは分からない。彼女たちの声は戦闘の音に掻き消されて、外に漏れる恐れはほとんどないだろう。でも、こういう時には意味があるかどうかに関わらず声を顰めたくなるものらしい。だから、アンナリーザも淀んだような船室の空気を動かさないくらいの小さな声で、続ける。


「本当に。私にはできないわ。できる人がいるかどうかも、分からないけど……いるなら、『あれ』は下見だったんじゃないのかしら」

「下見……?」


 息詰まるような緊張のために、アンナリーザは頷く動作さえも最小限の動きに留めた。


「この船団の内訳の、下見よ。イスラズールの船は、見る人が見れば分かるのでしょう。残りの三隻の装備や乗員を見て──狙いを定めたのではないかしら」

「そもそもこの《海狼(ルポディマーレ)》号は船団の中心に配されています。アンナリーザ様の推測通りなら、確かめた、ということかもしれませんね」


 ベアトリーチェの冷静な指摘によって、アンナリーザはまたひとつ気付く。


(それなら、とても念入りなことだわ)


 中心にいる船がすなわち旗艦船なのだろうと、単純に断じても良いところだっただろうに。しかも、《海狼(ルポディマーレ)》号は獲物としてはむしろ美味しくないはずだ。


「どの船でも、襲う危険度も積み荷への期待値もさほど変わらないのでしょうに。いいえ、旗艦船は、危険な割に積み荷が少ない恐れがあると思っても良いのではないかしら」

「……そうかもしれません」


 身分の高い者が乗っていれば、居住区は広く取らなければならないものだ。本人の居室に加えて、従者なりが乗り込む訳だから──その分、交易品に割く空間は少なくなってしまう。さらに言うなら、貴人には護衛もつきものなのだ。


(これもまた、たまたまだった? そこまで考えを巡らせることができない海賊だった……?)


 あり得ない、とアンナリーザは思ってしまう。偶然があり得ないという以上に、陽動を使う敵の行動にそぐわない。本来は堅固なはずの守りを剥ぎ取るための陽動と考えるほうが妥当だろう。


(だから、《海狼(ルポディマーレ)》号はわざと孤立させられたし、わざと狙われた……!)


 この船に潜入した「下見」の者は、何を確かめたかったのだろう。あの夜の、星空の下の光景を思い浮かべようと、アンナリーザは頭が痛むほどに意識を集中させた。


 それほど多くのものを見ることができたはずはない。暗い上に、ほんの数分にも満たない短い時間のことだったから。内部に入り込むことはできなかっただろうから、積み荷が何かを確かめた訳でもない。それなら──


(積み荷……荷物ではない、積み荷……)


 思い当たった可能性におののいて、アンナリーザは口元を押えた。悲鳴によって、ベアトリーチェを驚かせてしまうことがないように。


 あの夜は、悲鳴を上げたのはアンナリーザの侍女だった。主人たちのやり取りを見守って、甲板に出てくれていた。長い髪やドレスの裾は、暗い中でもよく分かっただろう。「奴ら」は、女が乗っている船だと確かめたかったのではないだろうか。普通は、大海を進む船に女は乗せないものだ。でも、この船団に限っては違う。


(私は、自ら宣伝役を務めてきた……周辺の国や都市の者なら噂を知っていてもおかしくはないわ……!)


 マルディバルの王女──身代金の要求や、もっと悪い想像を巡らせれば、国の指針を動かさせることさえできるかもしれない。アンナリーザは、宝石や香辛料よりも価値のある積み荷だと言うことも、あながち大げさではないだろう。


「彼らは──私を、狙っているんじゃ……」


 アンナリーザと同じ思考を、ベアトリーチェも辿ってくれたのかどうか。息を呑む気配がしたと思った瞬間──


「きゃ……!?」


 椅子などを抑えていたはずの背中に衝撃を感じて、アンナリーザは今度こそ高く悲鳴を上げた。しかも衝撃は一度だけでは終わらなかった。二度、三度──もっと、何回も。


「アンナリーザ様──」

「ええ……!」


 扉を外側から蹴られているのだ。そう気づいた瞬間、アンナリーザはベアトリーチェと頷き合った。ふたり分の体重をかけて、心もとない障害物バリケードを身体で抑えようと了解したのだ。無礼極まりないノックはその間にも止むことはなく、彼女たちの軽い身体を跳ねさせる。……助けがなければ、長く持ちこたえられそうにない。


(みんな、やられてしまったの……!? ユリウス様は、ディートハルト様は……!?)


 船の奥まで敵が入り込んだことの意味を、努めて考えないようにしてアンナリーザは懸命に歯を食いしばり、足を踏ん張った。でも──


「お姫様! この部屋にいるんだろ? 早く出てきてくれよ!」


 扉が破れ、椅子や机が崩れる音に重なって聞こえたのは、思いのほかに若々しく高い声だった。


(少年……?)


 頭の片隅で訝しみながら、アンナリーザは弾き飛ばされて床に投げ出された。

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