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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい  作者: 悠井すみれ
一章 過去から忍び寄る影
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5.二十年越しの再会は冷静に

 ラクセンバッハ()()アルフレートは、床に散らばった青い磁器の欠片を前に端整な顔を引き攣らせていた。本国とイスラズールの往復の船路で日に灼けた頬が、傍目にも分かるほど青褪めている。


「レイナルドがやったのよ。黙れ、と言って。激昂して」


 ()()()()()()としては、さほど同情する気にはなれなかったけれど。彼女の方が酷い顔色をしているという確信があったし、何より、アルフレートは祖国から良い報せをもたらしてくれなかったのだから。


(お父様はまだ分かってくださらなかった。私の扱いを、本当にちゃんと報告してくれたの?)


 エルフリーデの青い目には、怨みと怒りと悲しみをないまぜにした暗い炎が燃えているはずだった。アルフレートが素早く跪いたのは、彼女と目を合わせないために違いない。


「……片付けましょう。お怪我があってはいけません」


 彼に見せるために片付けさせないでいたのだ。気付いていないはずもないだろうに。どこまでも逃げ腰な態度に、エルフリーデの声は尖る。感情を抑えきれずに握った拳が、ドレスの青い生地に深い皺を刻んだ。


「怪我はしていないわ。()()。でも、次は分からない。赤ちゃんに乱暴されたら、母親(わたし)が庇わなければならないもの」

「レイナルド王も、御子がお生まれになったら変わるでしょう」


 磁器の欠片を拾い集めながら、アルフレートはエルフリーデが聞き飽きたことをまた繰り返す。彼女がこの国の倣いに慣れたら。本当の夫婦になったら。懐妊したら。そうしたら、夫は優しくなるだろうと言われてきた。そして、そのたびに裏切られてきたから、彼女はもう彼の言葉を信じる気にはなれなかった。


「彼は、確かに子供を可愛がってはいるわね。マリアネラの子を」

「フェルゼンラングの血を引く正当な御子となれば、なおさら──」

「アルフレート」


 ほんの少し顔を上げれば、彼女の臨月の腹が目に入るはずなのに。頑なに床を見つめるアルフレートに業を煮やして、エルフリーデは彼の傍に膝をついた。


「私は、マリアネラを遠ざけて欲しいと頼んだだけ。それで、()()よ。お父様は、娘や孫の身が心配ではないの……!?」

「陛下は、エルフリーデ様と御子様がイスラズールの黄金によって輝くことを望まれていらっしゃいます」

「フェルゼンラングが、でしょう!」


 祖国フェルゼンラングは、イスラズールの金や宝石と引き換えに、この国に商品と技術をもたらしている。レイナルドは恩に着せられていると不服なのかもしれないけれど、父の抗議なら粗略に扱うことはできないはずなのに。娘の境遇について真剣に取り合ってくれないのは──エルフリーデよりも交易で得る富が大事なのだろう。


「アルフレート──」


 彼女の言葉に耳を傾けてくれる者はいない。せめて、同郷の青年には真っ直ぐに目を見て欲しくて、エルフリーデはアルフレートの手に指先を伸ばした。尖った破片が刺さる痛みがあるけれど、構わない。心の痛みのほうが、ずっと鋭く辛いのだから。


「私を哀れむなら、ここから逃がして。このお腹だもの、もう海を越えて、なんて言わないわ。せめて王宮を出て──王妃を、正しく敬ってくれる人たちだってこの国にはいるもの。お願い……」


 アルフレートは、異国に売られた王女に同情してくれている。それは、分かっていた。何かと相談に乗ってくれる彼は、イスラズールでは夫よりも親しい男性と言えるかもしれない。だからせめて、父の目の届かないところでは命に背いて欲しかった。守ってほしかった。でも──


「そのようなことをすれば、レイナルド王は我が国からの挑戦と認識するでしょう。マリアネラが王宮の女主人になってしまうのも、悪手かと存じます」


 アルフレートは、エルフリーデの手をそっと振り払った。相変わらず、目を背けたまま。主君の娘、他国の王妃相手に、醜聞があってはならないということなのだろうけれど。でも、エルフリーデは彼の節度や配慮を喜ぶ気にはなれなかった。


「どうかご辛抱を。お心安らかに身ふたつになられますように」


 アルフレートの言葉は上っ面の慰めばかりで、彼女の心には響かない。結局のところ、彼もエルフリーデを見捨てたのだ。


      * * *


 フェルゼンラングから派遣された使者がラクセンバッハ()()だと聞いた瞬間、()()()()()()の心臓は跳ねたものだ。最後に会った時の記憶を噛み締めれば怒りも怨みもあるけれど、レイナルドの肖像を見せられた時とは違って、少しだけときめきのようなものもあったと思う。アルフレートが何もかもをなげうって彼女を逃がしてくれることを、()()()()()()は心のどこかで夢見ていたと思うから。


 だから、アンナリーザとして彼に会う時は心しておかなければ、と思っていた。懐かしさのあまりに馴れ馴れしい態度を取ってしまったり、不自然かつ不躾に笑みを浮かべたりしないように、と。でも──


「遠路はるばるご苦労だったな、ラクセンバッハ侯爵」

「マルディバル王陛下と王女殿下に拝謁し、光栄でございます」

「私こそ、お会いできて光栄ですわ」


 父に従って大国からの賓客に礼を取りながら、アンナリーザは自分でも驚くほど冷静に()を眺めていた。


(アルフレート、老けたのね……)


 端整な顔立ちそのものは、もちろん変わらない。それでも、頬や首筋には年齢相応の皺が刻まれている。エルフリーデが密かに憧れたすらりとした身体つきも、多少はゆるんだようだった。髭も蓄えるようになったし、栗色の髪には白いものが混ざっているし──それでも肌は日焼けや潮風による荒れとは無縁に見えるのは、五十手前の年齢では、もう長い航海をして異国を訪ねることもないのだろう。


 二十年前の記憶を昨日のように思い出していた彼女と違って、時の流れは、()()()誰に対しても平等に流れるのだ。人は変わる。見た目も、立場も。考え方は──どうだろうか。


「美しい姫君でいらっしゃる。貴国を訪れる船のどれだけが王女殿下目当てなのでしょうね?」

「さて、まだまだ子供だから──今少し手元で教育せねば、と思っているところだ」

「ご謙遜を。我が国の宮廷にいらっしゃれば、求婚者が殺到することでしょう」


 フェルゼンラングからの突然の使者は、イスラズールからの縁談への牽制と見て良いだろう。とはいえ公になっていない話だから、父はにこやかに惚けるし、アルフレートも露骨な社交辞令で応じる。


(大人になったということでもあるの、かしら?)


 エルフリーデの記憶にある彼は、もう少し真面目で、不器用な印象さえあったのだけど。きっと、外交官として経験を積んで功績も上げたのだろう。爵位が上がっただけではなく、アルフレートの言葉遣いも物腰も堂々として、大国フェルゼンラングの意を代弁する自負と自信に満ちている。エルフリーデから目を逸らした時は、後ろめたさも浮かんでいた褐色の目は、今は穏やかに微笑むだけで心の底を窺わせない。きっと、マルディバルを利用する策を巡らせているのだろうに。


()と変わっていないところもあれば良いわ……彼の本音を、読み取ることができれば……!)


 茶葉や茶器や、飾った花の選定に口を出したアンナリーザだけど、彼女こそ場を賑わせるための()に過ぎない。最初の挨拶を終えてしまえば、にこにこと笑って父たちの話に相槌を打つだけで。でも、だからこそアルフレートの顔色を観察するのに注力できれば良い。


「突然に謁見を乞うなど、非礼でございました。ですが、()()()ご提案があるのです。青い海の向こうに眠る、新しい国──イスラズールのことについて」

「聞き慣れない国だな。我が国にとって利益になる話だと良いのだが」

「それはもう。でなければ陛下を煩わせることなどございません」


 近ごろのフェルゼンラングの政策については調査済みだ。アルフレートの要件は、イスラズールとの交易の制限に、マルディバルも巻き込もうということだろうとは予想がついている。問題は、どんな口実でそれを提案してくるか、だ。


(利益を提示しないとお話にならない、でしょう……?)


 他国の政策に介入しようというのだから、頭ごなしに命じるなんてできないはずだ。理由や背景の説明はあって当然だし、関税の引き下げだとかマルディバルでは品薄の商品を優先して回すとか、相応の見返りがないことには父も頷かないはずだ。


 アルフレート──フェルゼンラングの大使は何を言い出すのか。他国の王と王女の視線を浴びながら、彼は優雅に茶器を持ち上げ、軽く目を閉じて茶の香りを味わった。まるで、焦らすかのようにやたらとゆったりとした動作で茶器を置いて──そして彼は、やっと口を開いた。


「マルディバルの商館を、イスラズールに置くのはいかがでしょうか。フェルゼンラングも、国を挙げて援助させていただきます」

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