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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい  作者: 悠井すみれ
三章 《北》から来た貴公子、増える
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閑話 未知への憧れ(ユリウス視点)

 アンナリーザ王女は、彼女の部屋の扉までユリウスとディートハルト王子を見送ってくれた。マルディバルの王宮の最奥とはいえ、あるいはだからこそ、王女が若い男と一緒にいる場面を人に見られる訳にはいかなかったのだろう。


「夜遅くまで引き留めてしまいました。どうぞ、お気をつけて」


 招き入れたのは彼女自身でも、歓迎する客ではなかっただろうに。礼儀正しく目を伏せた、王女の白い頬に金の睫毛まつげが影を落とす様はやけに艶めかしい気もして、ユリウスの心臓は不埒に跳ねた。


 親切なことに、アンナリーザ王女は従者たちにも十分な食事を振る舞ってくれたということだった。主人たちが話し込んでいる間に、彼らも一日連れ回された疲れを癒したのだろう、遅い時刻に似合わず溌溂とした足取りの従者に囲まれて、ユリウスはディートハルト王子と肩を並べて薄暗い廊下を歩く。


(使用人用の通路なのかな? 貴重な体験だな……)


 彼の身分だと、こういう場所に足を踏み入れるのは、下手をすると王との晩餐に招かれるよりも難しい。この機会にじっくりと意匠や建物の構造を見ておこうと思った時──ディートハルトが、彼の耳元に口を寄せて笑った。


「人魚のように愛らしい姫君だろう? 夜に部屋に招いていただけるとは、君のお陰で役得だった」


 彼が仕えるフェルゼンラングの王子は、ユリウスとはまったく別のことを貴重な機会と認識しているようだった。確かにそれもまた、滅多にないことではあるのだろうが。


(部屋といっても寝室ではないし……やむを得ず、だったし……)


 昼間からの顛末があった後で、こんな──なんというか、いかがわしい表現が飛び出すのが信じ難くて、ユリウスは思わず足を止めかけた。主筋に対して諫言すべくしばし迷ってから、臣下の義務を果たすことを選ぶ。


「……王女殿下は、マルディバル王に私のことを執り成してくださるご意向のようでした。ご厚意に報いるためにも、不名誉な噂が流れないようにしませんと」

「無論。我々はきちんと席についていたし、礼儀を守って語らっただけだからな」

「はい。仰る通りです」


 もっともな発言なのに、なぜかこの方は分かっていないのではないか、と不安になるのは不思議なことだった。


 そういえば()()()()方だったな、と思い出しながらユリウスは神妙に頷いた。ディートハルト王子は、見目麗しく物腰も爽やかで、社交界の貴婦人や令嬢がたを騒がせている。勉学のほうも成績優秀で、国を支える一角として申し分ない。ただ──少しだけ人の心の機微に疎いというか、言わなくても良いことを口にする癖がある。


(さっきも、そうだったな……)


 ディートハルト王子の悪癖のせいで、ユリウスは知らなくて良いことを知ってしまったのだ。

 そもそもこの方は、どうしてこの場にいるのだろう。イスラズールに赴くと言っても、フェルゼンラングの王族があちらで歓迎されるはずもないだろうに。エルフリーデ妃を送り込んだ懐柔策も虚しく、かの国は《北》の大国の介入を搾取と嫌って国を閉ざしたのだと聞いているし、彼らの立場ではそう思うのも無理はないとはユリウスも思う。父のお陰で、彼は遅れた、とか未開の、とか俗に呼ばれる国や地方の事情も多少は知っているから。


(麗しい大地が戦いの場になってしまうなら悲しいことだが)


 イスラズールには狩猟用以上の銃器はなく──大陸諸国が渡さなかった──、大陸諸国からすれば武力で征服するのも採算が取れない、ということになっている。だが、イスラズールの実情はしれないし、フェルゼンラングの中枢はユリウスの知らない要素を計算に入れているのかもしれない。


 とはいえ、彼が直截に尋ねたところで、ディートハルト王子は答えないだろう。意図せず漏らすことはあっても、国の機密を容易く口外してはいけない、ということは認識しているはずだから。たぶん。


 だからユリウスはさりげなく話題を変えた。王子に尋ねることができなくても、ほかに話ができそうな人物には心当たりがあった。


「殿下は──どちらに滞在なさっていらっしゃるのですか。私は、伝手のある商人の館に寄寓きぐうしているのですが」

「ラクセンバッハ侯爵が、こちらに別荘を購入したそうでね。そこに世話になっている。趣味の良い館で、非常に快適だ」


 果たして予想した名前を聞いて、ユリウスは安堵しかけて──


「遅くなってしまったから心配しているかな。いや、王宮にいるとは伝えているから、危険はないとは承知してくれているだろう」


 そして、王子の次の言葉に眼鏡の奥の目を剥いた。ラクセンバッハ侯爵は彼も会ったことがあるが、有能な外交官のはずだ。つまり、ディートハルト王子を野放しにしていたら何が起きるか、想像できないはずはない。


「いえ──いついかなる時も、御身を案じておられると思いますが」


 侯爵としては、いっそ酒場や娼館にでも入り浸ってくれていたほうが安心だったのではないか、とユリウスは密かに思う。この方(ディートハルト)について心配することがあるとしたら、その肉体が傷つくかどうかよりも、思わぬ舌禍を招いてはしまわないか、のほうだろう。


「……とにかく、では、私もお供いたしましょう。事情を説明できる者は多いほうが良いでしょうから」

「ああ。ちゃんと祖国の名に恥じぬ振る舞いをしていたと、君からも証言しておくれ」


 マルディバルの空のごとき晴れやかな笑みを浮かべる王子に、ユリウスは同じだけの曇りない笑みを返すことができただろうか。はなはだ心もとないことではあった。


      * * *


 ラクセンバッハ侯爵の館は、深夜にもかかわらず煌々と灯りがともっていた。ユリウスのマルディバル入りに、アンナリーザ王女の招待に──報告を受けた侯爵の心中は察するに余りある。眠ることはおろか、食事をする気にもならなかったのではないかと思う。


「殿下──それに、意外な方に意外な場所でお目にかかるものですな」

「このような時間のご挨拶となり、大変申し訳ございません。我が家の家風はご承知いただけているかと思いますが、そのことで馳せ参じたのです」


 目の下にくっきりとクマを刻んで出迎えた侯爵を心底気の毒に思いながら、ユリウスは手短に述べた。フェルゼンラングの貴族の間では、ヴェルフェンツァーン侯爵家の家風については多くを語る必要はない。


「ああ──父君もエルフリーデ様をよく気に懸けてくださっていた……」


 年配の者が過去を振り返る時に特有の眼差しで、ラクセンバッハ侯爵はしみじみと頷いた。亡きエルフリーデ妃からの書簡や標本は確かにユリウスの家に大切に保管されている。彼がイスラズールへの憧れを募らせたのも、それらの記述によるところが大きかった。


      * * *


 侯爵に導かれて、ユリウスたちは屋敷の奥へと通された。今日何があったかと、これから何をすべきか──語ることは多く、夜はまだまだ長いのだろう。遅い時間にもかかわらず、ディートハルト王子の声も表情も変わらず爽やかで明るく、軽やかだったが。


「こんなところでユリウスに会って、私も驚いた。だが、我々がアンナリーザ姫と何を話したかを聞いたらもっと驚くだろうな、侯爵」

「これ以上驚くことがあるなどとは信じ難いですが、時に人の想像など無力なものなのでございましょうな」


 夏の日差しを思わせるディートハルト王子の笑顔と、真冬の枯れ木を思わせるラクセンバッハ侯爵の陰鬱な面持ちは、実に対照的だった。間に挟まれたユリウスに、居心地の悪さを感じさせるほど。彼が独断でとりつけた投資と渡航の話は、確かに侯爵を驚かせ──そして悩ませるのだろうと承知しているからなおさらだ。


(いや、だが、王子殿下の監視役が増えるのだから侯爵にとっても朗報だろう……?)


 イスラズールへの長い旅路、狭い船内で、ディートハルト王子と間近に過ごすという想像が、ユリウス自身にはどう感じられるかはさておいて。いや、王族と交友を深める絶好の機会は歓迎すべきだろう。そのはずだ。


(アンナリーザ姫も同乗されるということだし)


 ……どうして二つの国の王族が、いまだどの国とも国交を確立していない未知の大地に旅立つのか。それもまた、驚くべき不思議ではあるのだが。

 とにかく、輝く髪と海の色の目をした姫君は、ユリウスの目にも好ましく映った。自ら馬車を降りて民に語りかけた気取らなさも、商人と渡り合う堂々とした笑顔も。ユリウスの意図を疑った時の眼差しの鋭ささえ。──あんな令嬢は、フェルゼンラングではお目にかかれないだろう。


 珍しく、かつ精気に満ちたものを尊ぶヴェルフェンツァーン侯爵家の血は、確実にあの姫君に惹かれているようだった。

今話で第3章は終わりです。アンナリーザの周囲にタイプの異なる貴公子が集まってきています。

第4章は「幾つもの思いを帆に乗せて」として明日から引き続き毎日更新でお届けします。「出航!」まで描く予定です。13~14万字くらいになりそうでしょうか。お楽しみいただけると幸いです。

引き続きご意見ご感想などお待ちしております。誤字報告も、いつもありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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