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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい  作者: 悠井すみれ
三章 《北》から来た貴公子、増える
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7.貴方の熱意は分かったけれど

 ユリウスが名乗り終わった後、三人は晩餐の席に就いた。


 王族と高位の貴族をもてなすにしては小ぢんまりとした場になってはしまったけれど、アンナリーザはマルディバルの王女として恥ずかしくないだけの品を精いっぱい整えた。というか、使用人たちに頑張ってもらった。温暖な気候から作られる芳醇な葡萄酒に、香辛料を惜しみなく使った海の幸の料理。海から揚がる新鮮な食材に加えて、異なる大陸の調理法を取り入れた料理の多彩さゆえに、マルディバルの食文化は豊かなのだ。もちろん、王宮の料理人たちは北方の貴賓の舌に合う匙加減も心得ている。ユリウスの心を解し、かつ、口を滑らかにしてくれると良いのだけれど。


 乾杯の杯を干すと、アンナリーザはさっそく切り出した。


「──イスラズールの船が、マルディバルに来たことをご存知だったのですか? 先ほども、我が国の計画をご承知のようでしたけれど、いったいどのようにして……?」

「我が侯爵家は、動植物や昆虫の収集で名を馳せております。ディートハルト殿下からお聞き及びかもしれませんが」


 ユリウスの翠の目を受けて、ディートハルトは碧眼を軽く瞬かせて頷いた。馬車の中で説明済だ、との無言の答えだ。実は彼に教えられるまでもなく、アンナリーザは()()()()()のだけれど、それはふたりには言えないことだ。


「特に父は、《南》や《東》からも金に糸目をつけずに珍しい標本だのを買い集めることで知られておりまして。……贋物ニセモノを売りつけようというやからも後を絶たないのですが。ですが、まともな商人は有益な情報を提供してくれることもあります」


 眉を寄せたユリウスの表情からして、()()()()()()の知己でもあるヴェルフェンツァーン侯爵カールは結構騙されることもあるようだった。思わず、口が緩みそうになってしまうのを堪えながら、アンナリーザは相槌を打った。


「なるほど。見る者が見れば、イスラズールからの船だということは分かるのでしょうね……」


 帆や舳先ほさきの形状だとか、乗組員の格好だとか、現われた方角だとか。噂が広がる早さは、昼間、身をもって知ったばかりだし、儲け話になる可能性があるならなおのこと、情報を商品にしようとする者もいるのだろう。


「はい。そして──イスラズールから接触があったということは、フェルゼンラングが、というかラクセンバッハ侯爵が貴国に向かうことだろうと考えました」

「ええ……フェルゼンラングともなれば、相応の情報網があった、ということですのね」


 そして、情報という商品をおろす先は、ヴェルフェンツァーン侯爵家のような好事家こうずかだけとは限らない。いや、国に持ち込んだ方が、より多くの報酬や将来の利権が望めるのだろう。アルフレートがあんなにも()()()()()()現れたように思えたのは、つまりはそういうことだったのだ。


「ラクセンバッハ侯爵は、それはもう風のような勢いで祖国(くに)を発ちましたよ。お陰で私もかなり急がされました」


 会話の往復がひとまず済んだところで、ディートハルトが葡萄酒の杯を片手に口を開いた。晩餐の味付けは彼の気に入ったらしい。食も酒も進んでいるようなのは何よりだった。できれば食事に集中していてもらえると、アンナリーザとしては嬉しいのだけれど。


「彼は、イスラズール王の縁談を潰すことを使命にしている節がありますからね」

「え──?」


 おざなりな相槌を打とうとして──大げさな表現に、アンナリーザは思わずディートハルトのほうを向いてしまった。前世の、エルフリーデのそれにも少し似ている碧い目が、彼女の驚きを捉えて微笑む。


「我が叔母、亡きエルフリーデ妃は、彼ともゆかり深い方だったそうなので。異国に見捨てることになったのを、大層悔やんでいるようなのです」

「まあ、そうでしたの……」


 ディートハルトは、祖国(フェルゼンラング)の社交界ではきっと噂話を好む類の貴公子なのだろう。誰かと誰かの色恋沙汰を語る口調で()()()名を出されるのは気持ちの良いことではなかった。たとえ、アルフレートが()()を思い続けているのだとしても。


(だって、やっぱり遅すぎるもの。それに、今の彼の行動も()のためにはならないし……)


 私、と思ったのは、エルフリーデとアンナリーザと、どちらとしてだろう。振り切るべき前世(かこ)に足首を掴まれた気がして、アンナリーザは果汁で割って香辛料で風味をつけた葡萄酒を口に運んだ。甘味と香りで、揺らぎそうになる気持ちを鎮めたくて。


「……これまでの例からして、貴国もイスラズールと断交するのではないか、と思ったのです。アンナリーザ殿下が未婚でいらっしゃるのはすぐに分かりましたし、エルフリーデ様のことを聞けば、破談になるのは確実ですから」


 アンナリーザの表情が曇ったのを見て取ったらしく、ユリウスは軽く咳払いすると話題をもとに戻した。故人とはいえ、自国の王女に言及する口調はさすがに真摯なものだったから、今度はアンナリーザも素直に頷くことができる。


「ええ……父も私も、お受けすることなどできないと存じました」

「そこは、まことにごもっともなご判断だと存じます」


 死んだエルフリーデにか、それとも、振り回されるアンナリーザやマルディバルに対してか。同情するように眉を寄せてから──でも、ユリウスは握った拳を震わせて声量を高めた。


「ですが、勝手な希望を申し上げれば、イスラズールへの道が閉ざされるのは無念としか言いようがありません!」


 彼がその拳を卓に叩きつけるのではないかと、アンナリーザが思わず身構えるほどの熱弁ぶりだった。もちろん、フェルゼンラングの侯爵子息はそれほど無作法ではなかったけれど。それでも、彼の勢いは止まらず、アンナリーザのほうへ身を乗り出して訴えてくる。眼鏡のレンズがきらりと光るのは、もちろんあかりを映しているだけだけど──まるで、彼の強い眼差しそのものがぎらぎらと輝いているのでは、なんて思ってしまう。


「かの国にはいまだ知られぬ生態系が息づいているというのに! ……ですので、せめてイスラズールの使者が帰国する前に接触できないかと、急ぎ出立したのです」

「ま、まあ……そうでしたの」


 ユリウスに対する相槌は、ディートハルトに対してとは違った理由で弱々しいものになってしまった。ちゃんと話を聞いているように見えていると良いのだけれど。


(さすがカール小父様のご子息だわ)


 アンナリーザがこっそりと、そしてしみじみと考える間にも、ユリウスは語り続けていた。


「ところが、マルディバルについてみれば、商人たちはイスラズールへの投資を行うか否かで紛糾しておりました。王家、特に王女殿下からのご下命があったということは察せられたのですが、さすがに外国人には詳しいことは教えてもらえませんで──ですので、()()お伺いするほかないと、あのような暴挙に……」


 そして、あの騒動に繋がるということらしい。ようやく割って入る隙を見つけて、アンナリーザは必死に言葉を探した。


「何と言いますか……我が国の商人たちが秘密を守ることができると知れたのは良かった、ですわ。侯爵家には恩も義理もあるのでしょうに」


 民が王家に対して忠誠を貫くかどうか、だけの話ではない。商人は信用が大事なのだ。国策としてのイスラズールへの投資を、迂闊に漏らす者がいなかったのは、王女としては慶ぶべきことだ。


「あ、そこは、私も弁えておりました。彼らも立場があるだろうから無理に聞き出すことはすまい、と」

「それは、嬉しいご配慮でしたわね」


 当然の配慮でも、あるのだけれど。でも、たぶんそれができない者も結構いるのだろうとはアンナリーザにも想像がつく。


 慌てた様子で言い添えたユリウスは、常識的な感性の持ち主だと期待して良いのだろうか。マルディバルの商人に対して権力を振りかざすことはせず、かつ、それをアンナリーザに訴えることで少しでも心証を良くしよう、という計算ができるのなら。


「しかし、改めて考えると大胆な行動だったな。君が異国で囚われの身になれば父上も悲しまれるだろうに」


 ……思い出したように神妙な面持ちで忠告するディートハルトにも、対する者の目というか心情に配慮した言動をしてもらいたい気もするのだけれど。

 まあ、王位継承に縁遠い、つまりは権力を振るう機会が比較的少ない気楽な王族というのはこんなものなのかもしれない。エルフリーデもアンナリーザも、何もなければ政治に関わることもなかったのだろうし。


(小父様なら、よくやったと褒めそうだけど)


 前世の記憶が、ヴェルフェンツァーン侯爵家に縁の者への目を甘くしてしまいそうだけれど。でも──それでも、ディートハルトの言葉も一応もっともだった。


 ユリウスの行動は、未知の大地への熱意と憧れを理由に免罪できるものではなかった。彼が何をどう弁明するのか──アンナリーザは、試すような思いで、ユリウスの翠の目をじっと見つめた。

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