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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい  作者: 悠井すみれ
三章 《北》から来た貴公子、増える
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4.初めてだけど知っている人

 アンナリーザの肩を抱いたまま、ディートハルトが誰かと話している。


「気付かなかったな。眼鏡はどうしたんだ?」

「馬に乗る時は危険ですので……。その、お声では分からずにご無礼を──」

「いや、構わない。内密で来ていたから」


 呆然自失で絶句していたアンナリーザも、彼らの会話からおぼろげに事情を察した。馬車を止めた青年は、フェルゼンラングの貴族で合っているらしい。普段は眼鏡を着用しているから、ディートハルトは彼に気付かず、彼も自国の王子の顔が見えなかった。お互いにいるはずのない相手なのだろうし、それはまあ無理もない。


 でも、いまだ野次馬の人垣も解けない中で、世間話を始めるのは止めて欲しかった。


(内密の! ことを! 人前で話さないでください……!)


 心の中でいくら叫んでも、もちろんディートハルトが察してくれることはなかった。はっきりと言葉にしたことでも今ひとつ伝わらないのだから当然だ。まるで、ここはマルディバルの市街ではなく、フェルゼンラングの王宮の庭園ででもあるかのように。従者の扮装をした王子様は、知己らしい青年ににこやかに話しかけている。


「君のほうは? 収集の旅だったのかな?」

「え、ええ──」


 アンナリーザの混乱と懸念を案じてくれているとしたら、いまだ名前の分からない銀髪の青年のほうだった。目を細める仕草は、言われてみれば確かに目が悪い人がよくするものだ。彼の視力のていどはアンナリーザが知る由もないけれど──彼女が笑ってなど()()()ことくらいは分かるのだろう。王子に問われたからといって、大勢の人が集まるただ中で何もかもを話して良い訳ではないことも。


(ディートハルト殿下よりは頼りになる方なのかしら)


 過度な期待はできないけれど、王家の馬車がいつまでも道を塞ぐ状況もよろしくない。アンナリーザは両脚を踏みしめると、ディートハルトの腕から逃れて、拓けたほうへ数歩、歩み出た。麻のドレスの裾を摘まんで、これ以上なく優雅に──誰にも何も言わせないように──礼をする。


「お騒がせして申し訳ございませんでした、皆さま」


 焦りも混乱も、胸の中に収めて。民に見せるのは、花咲くような──と、兄なら言ってくれると思う、たぶん──笑顔だけだ。間近に見るのは稀な王女の姿に、明らかに不審な先ほどまでのやり取りを、忘れてくれれば良いのだけれど。


(全員が全員、最初から見ていた訳ではないはず……だから、きっと大丈夫……)


 笑顔が引き攣りそうになるのを必死にこらえて、アンナリーザは名も知らぬ青年を手で示した。


「こちらは、()()()()()()()()()()()お友達ですの。でも、約束の時間に行き違いがあって──慌てられてしまったのですわよね?」


 前のほうにいる野次馬にひとりひとり目を合わせて、言い聞かせるようにゆっくりと述べて──最後に、青年に微笑みかけると、彼は小さく跳ねた。アンナリーザの表情がどこまで見えているかは分からないけれど、彼女の声に潜んだ凄みを聞き取ってくれたらしい。無言のうちに、青年は何度も首を頷かせた。それを確かめてから、アンナリーザは再び野次馬に笑顔を向ける。


「私、次にお約束している方もいらっしゃいますので失礼させていただきます。交通を妨げてしまって、重ねて申し訳ございません。もしも損失を被った方がいらっしゃったら、王宮まで申し出てくださいますように!」


 補償についてつけ加えたのは、もしかしたら道が塞がれたことで契約や納品に支障が生じるかも、と思いついたからだ。交易で身を立てる国の王女が、民の商売を邪魔することなどあってはならない。


 これで終わり、と。全身全霊で示したのが伝わったのだろうか。あるいは、一連の騒ぎが見えていないであろう辺りから、通行止めになっていることへの不満の声が上がり始めたからか。それとも、護衛に促されて渋々と、なのか──とにかく、野次馬たちは少しずつその場を離れ、彼ら彼女らの日常に戻っていった。


 馬車が動ける余裕が戻ったのを確かめて、アンナリーザは所在なげに佇む青年にそっと近づいた。できるだけさりげなく、これ以上余計な噂の種を撒かないように。


「従者の振りをしてついてきてください。早く、馬に乗って」


 ごく抑えた囁きで告げると、彼はまた頷いた。今度は一度だけ、けれど間違えようもなくはっきりとしっかりと。次いで、銀髪の貴公子──なのだろう、ディートハルト王子の知己である以上──は、滑らかに胸に手をあてると目を伏せ、腰を折って礼をした。まさに教育の行き届いた従者そのものの所作だった。

 とっさの事態に合わせてくれる機転を見ると、彼が馬車を止めるなんて暴挙に出たのが不思議になってしまう。アンナリーザへの用件とやらが、気になって仕方ないところだけど──


(でも、今は聞けないわ)


 次の約束があるのは本当だから。イスラズールとの交易への出資を募るべく、彼女が訪ねるべき相手はまだまだいるのだから。


      * * *


 馬車が動き出すのを見計らったように、ディートハルトが口を開いた。先ほどの一幕について悪びれた風もない、世間話の口調だった。


「彼は、我が国(フェルゼンラング)のヴェルフェンツァーン侯爵の子息です。ユリウスといって──幼馴染なのですが、こんなところで出会うとは思わなかった」


 ディートハルトがちらりと窓の外を見たのは、騎乗してつき従う形になっているであろうユリウスというらしい青年を示したつもりなのだろう。


(侯爵子息……なら、おひとりのはずはない、でしょうねえ)


 予想以上に高い爵位を聞いて、アンナリーザは頭を抱えた。ユリウスの従者と、馬車をもともと護衛していた者たちと。配置というか隊列を決めるのは結構大変なことのような気がするけれど、努めて考えないようにする。フェルゼンラングの大貴族とマルディバルの王家と、いずれも仕える主のことを慮れば良い感じに整えてくれるだろうと思いたい。


 それよりも──というのも心苦しいけれど──、馬車の中は中で頭痛の種が溢れているのだ。


「フェルゼンラングの高貴な御方が、殿下もご存じない理由で今この国にいらっしゃるなんて。不思議でなりませんわ」


 それに、王子がこんなに爽やかな笑顔を保っていられるのも。


(侯爵家の、当主ご本人でなければ領地や職位に縛られることもないのかもしれないけれど……)


 ユリウスがディートハルトと、ひいてはティボルトと同い年なら、エルフリーデが会ったことがないのは確実だ。ヴェルフェンツァーン侯爵という名前については──覚えは、確実にある。でも、エルフリーデは幼くして祖国を離れたから、どれほどの関りがあって、どんな人柄だったのかはまだ思い出せない。


「いえ、そう不思議ではないかもしれません」

「まあ、どうして?」


 ディートハルトがあっさりと首を振るのは、何も考えてないからではないか──そんな疑いが拭えなくて、前世の記憶をうまく掘り出せないもどかしさもあって、アンナリーザの相槌は素っ気ないものになってしまったかもしれない。でも、彼は気にした様子もなく続けた。


「彼の一族は少々変わり者が多くて。異国の珍しい動物とか鳥とか、中には虫まで集めるのが好きなんですよ。ユリウスも、父君に連れられてあちこち旅をしています。マルディバルの海にも、何か彼の眼鏡に適う珍種がいるのではないですか?」


 ディートハルトの説明を聞いたとたん、アンナリーザの目の前でいくつかの色彩が弾けた、気がした。


 それは、前世でエルフリーデが見たものだ。驟雨(スコール)で艶やかに濡れた花。赤や黄色の、大きな花弁の──木の枝に火が灯ったり、流れ星がかかったよう、と思ったものだ。森の中の川辺を歩けば、何もないと思ったところから宝石のような碧や翠の翅を纏った蝶の群れが、光の渦を巻き起こしながら飛び立った。宝石といえば、かの地ではカエルやトカゲでさえ目を射る眩い色を纏っていた。毒があるから決して触れてはならないと言われたけれど。


「マルディバルに、というか──イスラズールに、なのかもしれませんわね」


 我に返ると、馬車の中は薄暗くてどこか色褪せて見えた。かつては恐ろしくも感じた光景も、こうして思い出すと懐かしく神秘的で美しくて──ときめきのようなものを、感じてしまう。


 それに、思い出した。ヴェルフェンツァーン侯爵をひと言で表すあだ名を。あの方は、好奇と敬意と、少しばかりの呆れを込めてこう呼ばれていた。──野性侯(ヴィルダーフュルスト)、と。


 海や山を越えて、時にほかの大陸まで好んで旅する、学者と冒険者の間のような変わり種の貴族。異国の装束を好んで纏って、社交界では良くも悪くも浮いていたけれど、彼が語る冒険譚はいつも人を引き寄せていた。


「さあ、イスラズールのことは詳しく分からないもので。アンナリーザ様もご同様でしょう?」

「はい、確かに。でも、珍しい動植物がいることは本で読みました」


 イスラズールの記憶なんて、人に話して信じてもらえることではない。というか、話したくない。彼女(エルフリーデ)を見捨てて顧みることもしない、かつての祖国(フェルゼンラング)の人には。ただ、心の中で納得するだけだ。


(カール小父様のご子息なら、イスラズールを目指すのも確かに全然不思議じゃないわ)

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