鎧武者と刀の謎 その1
綿野の街の辻切り事件。それは夜な夜な現れては、見境無く人を斬り殺していく鎧武者の話として語られていた。
「まー綿野はそういうの多いんですよ。ほとんど肥多昭継と一刀斎のせいですね」
そう語る、薄野からす。
彼女は夜の街を歩きながら、傍らの少女へと解説していた。
「肥多がこの地で儀式を起こして冥界の門を開こうとして、それに怒った冥界の女神が火猫を派遣して、辺り一帯が焼き尽くされた。綿野の大火、なんて呼ばれる事件ですね。
この結果、肥多の儀式の名残とか、火猫が焼いた人々の無念怨念の残滓とかがこの街には漂っています。
さらには一刀斎がセルイーラの夢の欠片を壊しきらず、土地に馴染ませたり……そんなこんなで、ここでは本来形を取りにくいものが形を得やすくなっています」
煉瓦の街で古きに蓋をし、新たな文化で思い出を押しやっても、それは隠しきれるものじゃなかった。
今ではお互いがお互いに刺激を受けて、怪事件が起きやすい土地になっている。
……それは、利用しやすい土地でもある、というわけで。
都の朝廷一派、翡翠湖の天龍族、付近の土地神に、名の知れた妖怪にと、そうそうたる面子が綿野を我が手にと迫ってきた時期がある。
その出来事が収束したのはおおよそ八十年前。ちょうど一刀斎と櫻木の最後の姫巫女が表舞台に出ていた時代である。
今では綿野は不可侵地域。何があってもその土地の者が解決し、よそ者は手を出させないという不文律ができあがっていた。
「この流れでわたしも綿野の管理官の一人として封じられたりしたわけですが、そのあたりは余談ですね。
ともかく、あなたにはいい加減、このあたりの話をした方がいいかなと思ったんですよ。最近、またぞろ事件が増えてきましたからね。肥多昭継がきたせいで朝廷から陰陽師も派遣されてますし。
こうなると他にもあれこれと出てくるでしょうから、あなたに縁がある出来事も、これから増えていくでしょうね」
そこまで説明して様子を見れば、傍らの少女は短く聞き返してきた。
「だから、あなたも?」
「その通り。この手の事件が増えてきたからちゃんと把握しておかないと、と思いまして。……それで、今まで聞いてませんでしたが、あなたが辻切りに興味を持ったのは何故です? 被害者にでも会いましたか」
「わたしが気になるのは、辻切りその人です」
「……ふむ」
今の時代に鎧武者だ。幽霊、死者、その類いだろうとからすも思う。
死んだくせに姿を現すなんて手合いであれば、踊る石刃の琴線に触れる強い願いも抱くやもしれぬ。
「ということですかね?」
からすが尋ねると、踊る石刃が訂正を入れた。
「わたしが触れるのは、命に値する願いです」
「安易に強い願いというわけではないんですか?」
「命とは、その人そのもの。自分自身と等価な願いだけが、わたしに触れる指先になるのです」
踊る石刃の表現はどこか掴みづらい。
いにしえの魔法使いは、一人一つ、逸話を担うという。
その振る舞い、その在り方、その言動は全て逸話に値するのだとか。
……だから、そう。
人気の失せた、夜の街。
影の深い煉瓦の街並を抜け、土の道と長屋の並ぶ、綿野の北の道へいたる頃。
がしゃりと、重たい音を立てて、道の影からその姿が現れたことも。
逸話の一節であるのなら、あって当たり前のことなのだろう。
「出ましたね。曳き雲さんの案内もないのによくもまあ」
「からす。鳥は生者と生者の縁を結ぶものです。死者とは縁を結べません」
鎧武者が一歩踏み出した。
月の無い、雲に蓋された冬の夜。
わずかに散らばる雪の花を浴びて、紫の鎧武者が背中の大刀を抜き放つ。
「言葉は無し。まともな意識があるようには見えませんが、あんな物の願いを聞けるんですか、あなたは」
聞きながらからすは道の端に避けていく。
対して踊る石刃は、からすから預かった一振りの刀に手を伸ばし、構えをとった。
「彼は、わたしの前に現れた。それが答えです、からす」
言葉はここまでだった。
鎧武者と踊る石刃。互いの視線が交錯する。
影に塗りつぶされた鎧の眼窩を青い眼差しが射貫いたなら、息すらつかせぬ緊迫で夜は震え凍りついた。
鎧武者が、じり、と間合いを詰めた。
鎧兜の口から細い白い息がこぼれる。
空洞のごとき鎧武者の空気に重みが生まれる。
……その緊張に、この対峙に、生前を思い出したか。
「……参る」
無いはずの声がこぼれ、からすが目を見開いた。
氷のつぶてを鎧が弾く。
応じる刃が跳ね上がる。
二人の中心で刀がぶつかり、火花を散らした。
弾け合い、二人がわずかに距離を置く。
恐るべきは鎧武者の力強さか、それを撥ね除けたる踊る石刃の技量か。
再び二人の間で刀がぶつかり合う。無数の火花が散り、悲鳴のように光が弾け飛ぶ。
激しい剣戟は嵐のよう。刀の軌跡が青白く瞬き、流星雨のように夜を駆ける。
目の覚めるような立ち会いに、鎧武者の一撃はますます冴えていく。
戦いに夢中になるのが生者なら、死者は戦うほどに目覚めるというのか。
打ち合う都度、錆び付いていた体はより滑らかに、より力強く。かすめただけで皮膚が裂けるほどの鋭さからは、最初のなまくらな一撃を思い出すことすら困難だ。
「ぬうっ」
ならば。
今なお表情も変えず、その刃と打ち合う少女は、果たしてどれほどの兵か。
叩きつけるような大上段の一撃すら、ついには打ち払ってのけた少女に、鎧武者は一歩退いた。
白い息を零す。黒く染まった顔が踊る石刃をまっすぐ見やる。
微動だにせず構えて待つ、その黒衣の少女を。
「貴様、何者か」
それはついに、問いを発した。
意識などとうに失ったはずの鎧武者が。亡霊としてさまようだけの辻切りが。
束の間の正気を取り戻したのだ。
もって、魔法は成った。
少女は刀を地に突き刺す。
懐から抜き放つのは黒く鈍い、石の短剣。
本来の獲物を、彼女は握り、構えた。
「我が銘は踊る石刃。東の武者、嵐のごとき刃の担い手よ。わたしが貴方の終わりに立つ」
「…………」
鎧武者が刀を構える。
「否。我が歩み、未だ止まらず。我が戦、未だ終わらず!」
振り下ろされる雷。軌跡すら真っ白の、夜を断つがごとき剣。
これまでの一撃など比べるべくもない。これこそが鎧武者の放つ会心の一撃。
「いいえ。あなたの夢はここに終わる」
鎧武者の刀は大地に突き刺さっていた。
その一撃に耐えかねたか、地面はまっすぐに引き裂かれている。
……けれど、そこに踊る石刃の姿は無い。
「無念。これが……」
くずおれる鎧武者。胴より上が前へと崩れ落ち、下半身がよろめいて横に倒れた。
その向こうに、刃を振り抜いた踊る石刃の姿がある。
「敗北、か」
踊る石刃が短剣を収める。
振り返った先、煙のように消えていく鎧武者の向こうには、大地につき立った刀がある。
踊る石刃はそれを拾うと、同じく残った鞘にしまった。
ようやく、息をすることを思い出す。
冬の終わりの冷たい空気が見る者の肺にひどく染みた。
「よく打ち合えましたねぇ、このなまくらで」
一度深呼吸して、薄野からすは近づいてきた。
その手には踊る石刃が途中で捨てた刀がある。
踊る石刃はそれを見上げ、首を振った。
「無理をさせました。休ませてあげてください」
「そもそも、自前の剣を使うなら、刀を使う必要なかったのでは?」
「鎧武者が目を覚ますには、これでなくてはならなかったのです」
「はあ。つまり、これも魔法ですか」
踊る石刃は頷いた。
「元は、芦田湿原の合戦、東軍と西軍の舞台劇です。かつて友だったが立場の異なる二人の武者の、最後の立ち会い。それをなぞる魔法を綴りました」
言われて、からすはぽんと手を打った。
「そういえば年の瀬に、叶絵に連れられて舞台を見に行ってましたっけ。そんなものが使えるとは、いにしえの魔法というのは奥が深い」
「あらゆる逸話は魔法たり得る。特にあの鎧武者は、合戦の当事者だった。すでに筋書きに沿っているなら、魔法を綴るのは容易でした」
二人は道を戻っていく。
ここに、綿野を騒がした辻切りは、人知れず討ち果たされた。
厚い雲の下、消え去った鎧武者をいたわるように淡い雪が降っていた。
ちょっとコンセプト手直し。メイン三人でそれぞれに短編を出していこうと思っていたけれど、どうもうまくいかなかったので、踊る石刃一人に主人公を絞りました。
それに合わせてタイトルも修正。消した話は幻となりました。




