セルイーラの夢の欠片 その4
夕暮れは早く、影は長く道に垂れている。
冬の風は陽の赤さも陰らせる。
竹林にざあと響くその音は、どこか、急流の川を思わせた。
ここは綿野の北、古い民家の並ぶ土地を抜けた町外れ。
そこにある竹林の奥には廃寺があって、崩れたお堂は獣たちの巣になっている。
人も寄りつかぬ獣道。
されど今は、竹林を歩く者が、一人。
それは足音も無く息づかいもなく、歩みは静かで気配が無い。
夕闇の絵に一本の筆を滑らせるように、踊る石刃がそこにいる。
ぱさりと音がした。
小さな白い姿が、絵筆を退くような柔らかな動きで枯葉の上に立った。
手のひらにおさまるくらいの、小さな鳥だった。
少し大きな雀、という感じだろうか。
頭は黒く、体は白い。
翼は冬の雲のような、すっきりした灰色だ。
「曳き雲?」
踊る石刃が尋ねると、曳き雲は呼びかけるように何度か鳴いて、あらぬ方に顔を向けた。
「おっと。さすがは魔法使いを導く鳥。隠形を見破られたのなんて、どれくらいぶりですかね」
軽快な声が先に飛ぶ。遅れて、かさりと、枯葉を踏む足音が。
影の中からずるりとまろび出たのは、一人の女性であった。
とても竹林の中で隠れられるとは思えない黄色いスカート。朝食の席とは違い、上着に丸い帽子をかぶった姿で現れたのは……。
「からす」
「どうもどうも。来るとは思っていましたが、やっぱり本当に現れるのを見ると、こう、なんとも言えない気持ちになりますねぇ。運命の導きというやつですか?」
片目を瞑って笑いかけた薄野からすを、踊る石刃はじっと見つめていた。
からすは「わかってます」と肩をすくめる。
「あなたの話が気になりましてね。わたしなりに調べていたんですよ。ま、わたしはあなたと違っていにしえの魔法なんて使えないんで、しらみつぶしでしたけど。どうせこの先に用があるのでしょう? 道すがら話してあげますよ」
曳き雲はぴぃと一度鳴いて、また飛んでいった。
追いかけて、踊る石刃が歩き出す。
隣に並んだからすは、あれこれと話し始めた。
「この竹林は奥にある廃寺を封じる結界です。迷いの森の一種で、地元の人は誰も踏み入れないし、たまたま踏み入ってもせいぜい外側をさまよって出て行くだけです。無理して奥に入ろうとしても、そうそう立ち入ることは出来ません。
まあ、さらに元を正すと、廃寺で儀式を執り行おうとした連中が、余計な人入りを避けるための結界だったそうですが」
「楽しそうね」
「それもう。いつだって、願いの結末がどこに至るかほど、興味深いものもない。……そうそう、あなたはよく人の願いを叶えるために動きますが、似たようなことを感じたりはしませんか?」
「いいえ。わたしにとって、願いは、そういうものではありません」
「そもそも興味のあるなしとか、そういう動機で動きませんもんね。……っと、話がずれました。
それでまあわたしがここに注目したのは、綿野にいくつかある、悪巧みをするならうってつけの場所の一つだからです。あなたが館を出てから、わたしはずっとそういう場所を巡っていたんですよ」
本当にしらみつぶしだったらしい。
踊る石刃もうっかり、からすの顔を見てしまった。
「で、ここに来たらなにやら奥の方に気配がする。それで様子見をしていたところであなたが来た、というわけです。いわば偶然ですね」
ふふふと笑うからすを、踊る石刃は横目で見ていた。
「ああ、そんな目で見ないでください。別に何も誤魔化してません。あなたならわかるでしょう?」
「あなたは、嘘をつかないけど、隠し事はするもの」
からすは笑っている。笑ったまま沈黙した。
説明が終わって、二人は黙々と竹林を歩いて行く。
時折響く、曳き雲の鳴き声を頼りに歩いて行けば、間もなくからすが「そろそろですねぇ」とこぼした。
踊る石刃が足を進めれば、曳き雲の鳴き声が後ろから響くようになる。
もう迷う余地はない。
竹林の向こうに、赤い空と崩れた寺社の影がある。
二人は竹林から出た。
広場になった場所に、倒壊し、へし折れたように真ん中が折れた屋根の寺がある。
その前であぐらを組んで座っている、赤黒い衣の男がいた。
「おうおう、妙な客がやってきおったわい。……櫻木ではないな。あの不遜な一刀斎でもない。お前は一体、何の用で、我が祭儀場に踏み入った」
男は枯れ木のような手首で、足の上に置いた壺をそっとなでた。
かすれた声は喉をやられているのだろうか。
皺だらけの黒い顔。金色の右目をぎらぎらと輝かせ、夕闇を背負った男だった。
彼は白い髭をなぞると、ほぅ、と笑った。
「お前、翡翠湖の天狗だな。山の引きこもりがこんなところで何をしている」
「生憎と、わたしが収まるほどあの山は広くなかったもので、気ままに俗世を渡り歩いているのですよ、ご老人」
「……かか。なんとも悲しい話だな。儂の結界に踏み入ってきたのだ、その言葉も真実だろうが……もう逃げられぬぞ」
「ならどうせですし、色々聞かせてくださいな。見たところずいぶんと古い陰陽寮の装束ですが、あなた、何者です?」
「お前の言う通り、今やただの老人だよ」
「ですがあなたは儂の結界と言いましたよね。この竹林のことでしょう? つまりあなたは、大火の主犯では?」
老人はしばし考え込むと、ああ、と手を打った。
「……あの火事のことか。あれは失敗だった。冥界の女神が思ったより早く手を打った上、都の陰陽師に、櫻木に、守城まで邪魔してきおった。陰陽博士にもなれず寮を追放された在野の呪い師に、ずいぶんな仕打ちじゃないか。ええ?」
「では、やはりあなたは肥多昭継……不死の法を帝に献上しようとした、元陰陽師ですか」
「かかっ、ずいぶん懐かしい響きだな、おい」
老人、肥多はそう言って、ぺしりと壺を叩いた。
「満足したか、天狗」
「まあそれなりには。あなたは今でも不死の法を諦めていない。冥界の蓋を開くには綿野に張られた結界が邪魔。それを引き剥がすための方策がその壺なのでしょう」
「ああ。こいつは夢から持ち出された、夢の欠片でな。俺はこれで都合の良い夢を作り、そこからある品を持ち出そうと思っているのさ」
「……おやおや。そこまで説明してくれるとは意外です」
「別に構わんだろう。どうせお前もすでに夢に溶けておるのだ。せっかく我が大望の礎になろうという者には、親切心の一つも持つさ」
「わたしに幻術のかかりは悪いと思いますよ?」
「たわけ」
肥多が言うと、その姿がゆらゆらと滲んだ。
「言ったろう。すでに貴様は夢の中よ。才に溺れる哀れな子よ、幻術の祖の業を知るがいい」
言い終える頃には肥多の姿は消えている。
後に残されたのは、赤く濡れた夕暮れの空。
そして誰も居ない廃寺と竹林だけだった。
*
「見事にはまってしまいましたね。うーん。技のおこりすらわかりませんでした。やっぱり世間は広い」
うん、と一つ頷くと、薄野からすはそれでと傍らを見た。
「あなたは良かったんですか、これで」
そこに、踊る石刃は静かに佇んでいる。
からすはうーんと首をかしげると、先ほどからずっとひっかかっていた疑問を口にした。
「あの人にはあなたが見えていなかったんですかね。どうも意識できていなかったように思うんですけど」
「わたしが見えるとしたら、これからでしょうから」
いつも通りのちぐはぐな言葉。
けれどいつもより冷ややかな声音。
「わたしは『そういうもの』ですから」
遙か昔。神々よりも古くから世界にあったという魔法使い達。
彼らは不思議に寄り添い、運命を手繰る。無数の逸話を魔法として綴る。
彼女すら師から伝え聞いただけの、師ですら実物は見たことない、そのもの自体がお伽噺、逸話のような人々。
『いにしえの魔法使い』というもの。
「えっと。そもそもあなたは気づいてたんですか? ここが夢の中だと」
「ここが、というわけではありませんよ」
「どういうことです?」
「おそらく百年前と同じなのでしょう。綿野全体に、夢の帳が落ちています。ここで暮らしている人々は、とっくに半分夢の中です。だから、あとは『そうと教えるだけ』で、簡単に夢の中に落ちるでしょう」
「教えるだけで? あ、そうか」からすは額を抑えた。「意識してしまえば、そちらに気をとられてしまう……と。幻術の基本も基本じゃないですか」
「幻術はセルイーラの夢……忘れられた古王の逸話から始まった魔法です」
踊る石刃はそう言うと廃寺を見る。
いや、その青い目は、その手前に座って居るであろう肥多昭継にか。
「帰るべき過去、いつかあった出来事、思い出の景色。
かつてありしなつかしの。
夢の始まりは懐郷でした。
彼は血に染まる砂の地で、昔の平和を夢に見た」
声は語り聞かせるように。
言葉選びは唄うように。
「魔法とは逸話をなぞるもの。
故に綴れば運命に巻き取られる。
肥多昭継。不死を望む求道者よ。
懐かしさを望まず、夢想に手を伸ばすのがあなたの願いのあなた。
この夢は、貴方の望みを叶えることはありません」
するりと右手を横に伸ばす。
その手に握られた、黒いものはなんだろう。
血の滴るような空の下、鈍くきらめく黒の光沢。
握り絞められた柄の先には、磨き抜かれた石の剣。
それは黒い短剣だ。石造りの短剣だ。
からすには見えぬ現世で、青い瞳が見つめる先で、肥多昭継を目を見開く。
今初めて気づいたと、死神を目の当たりにして「まさか」と零す。
「それでもこの夢を綴るというなら、この魔法はすでに運命を違えている」
道を過つ者。
狂った運命を糺す黒い魔法使い達。
かつて、穴蔵の底で刃となる運命を見いだされ、そのようになった者達がいた。
その最後の一振りが宣言する。
「踊る石刃の銘の下に、この魔法を終わらせます」
風を切る黒い流星。
振り抜かれた腕と、虚空に制止した黒い短剣。
「あなたの一押しはここに結実し、夢はここに終わりました。……願いは、確かに叶ったのです」
かしゃり、と砕ける音がする。
石刃が地面に落ちた場所。
そこに壺の破片が、亡骸のように散らばっていた。
いにしえの魔法使いが語ると、それは魔法=逸話になります。
もしもいにしえの魔法使い同士が戦うことになると、語りがとても多くなりそうです。




