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踊る石刃  作者: 黒霧
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セルイーラの夢の欠片 その2

 白馬(あおうま)綿野(わたの)の一角、外人墓地の近くの住宅街にある洋館。

 朝日がすっかり昇った後、遅めの朝食に書斎から出て行く者がいた。


 黒いフレームの眼鏡をかけた女性だ。

 暖かそうなセーターに黄色いロングスカート。

 すらりとしたシルエットを飾り立てる柔らかそうな服装で、目立ちはしないが一目見ればなんとなく視線がひかれる、そんな美人だった。


 彼女の名前は薄野からす。

 この館の主であり、その筋の人には様々な怪事件に嘴を挟むことで迷惑がられている人物である。


 そんな彼女がリビングに向かうと、部屋の片隅で彫像のように待機している踊る石刃を見つけた。


「おや、あなたがここで待っているなんて珍しい。一緒に朝食でもどうですか?」


 踊る石刃は微動だにしない。まるで置物だ。命があるとはとても思えない。

 知らぬ者なら、部屋の備品だと勘違いしてしまうだろう。


 そんな彼女は、命を吹き込まれたように言葉を返した。


「わたしは食事を必要としません」

「ですね。残念」


 からすは挨拶代わりの確認を終えて、一人、席に着く。

 テーブルにひとりでに現れる朝食に手を伸ばした。


 踊る石刃が言葉を差し込んだのは、そんなタイミングだった。


「相談したいことがあります」


 からすの動きがわずかに止まる。

 まるで刃物を通されたように、彼女の言葉は意識を縫い止める。

 一秒の停滞の後、からすはパンを手に取りながら、踊る石刃に顔を向けた。


「どんな話ですか?」


 かりっと焼けた厚めの食パンをちぎっていく。

 やわらかそうな内側の生地がのぞくと、白い湯気が膨らんで、甘い香りがただよった。


 淡い朝食の空気の向こうで、踊る石刃は昨夜の出来事を語って聞かせた。

 温かな食パンをかじり、コンソメスープを口にしながら聞いたのは、夢のように掴み所の無い夜の出会いと別れであった。


「心当たりはありませんか?」

「ふむ」


 からすは片目を瞑り、にっと笑った。


「たぶん『夢のように忘れられてしまう人の話』ですねぇ。綿野、というか、白馬の南側の港町では時々聞く話ですよ。また、懐かしいものです」

「詳しく知ってる?」

「それほどでは。この件にはわたしも関わったことがありませんから」


 からすは遠くを見るような目をすると、歌うように続けた。


「誰も座っていない教室の席。

 契約してあるのに誰も居ない長屋の部屋。

 確かに利用していたはずなのに人の居ない病院の寝台。

 居たはずなのに誰だかわからない。

 確かに痕跡はあるのに、そこに誰がいたのか誰にも思い出せない。

 ……そのことに、ある日、突然、気づく。

 まるで夢から覚めるように」


 きしりと背もたれが声を上げる。

 歌うように語ったからすは、足を組み替えて、スープを口にする。


「そんな風に言われているようですよ。どうも、いくつかの話が混ざっている気がしますけど……。まだ詳しく掘り下げたことは無いですから、そのあたり、曖昧なのはご勘弁を。今語れるとしたら、百年ほど前にわたしの友人が関わっていた件ですね」

「どんな話?」

「さて、どこから話したものでしょうね」


 パン粉を落とすように指をこすった後、眼鏡をくいと押し上げると、腕組みしてからすは考え込んだ。

 彼女は「ちょっと長い話になります」と断ってから、昔話を始めた。


「百年前といえぱ、白馬が開国してすぐの頃です。

 あの頃、外国の船がつくことが許されていた港は二つ。白馬の前足の付け根にあたるここ綿野と、後ろ足の蹄にあたる駆狼(くろう)です。

 駆狼は元々、外国人が滞在できるように隔離された街として作られたので当然なんですが、そこは穂波(みやこ)まで遠いし、白馬の東側との関わりが薄い。それでもう一つの交易都市として、ここ、綿野が改造されたんです。

 それで外国からの船が毎日のようにやってくるようになり、市場も大変賑わいました。

 ああ、港近くの煉瓦街があるでしょう? あれもその頃に建てられたものですよ。今では昔の風情を残したショッピングモール的な扱いですけど、あそこは当時最先端の市街地だったんです」


 踊る石刃は一通り聞いて、小さく尋ねた。


「この街の結界が新しいのも、そのせい?」

「ああ、いえ、結界が新しいのはもう少し別件というか。綿野の大火の元凶となった冥界門を塞ぐためですね。

 昔、不老不死に至ろうとした陰陽師達が冥界の門を開いてしまって、それが冥界の女神の怒りに触れて、火猫が遣わされて、綿野どころか白馬全土を焼き払いかねなかったのでそれを封じるように結界を張って、更に事件解決語に門を塞ぐために結界を張って、と……いやいやその話は今はいいですね」


 思い切り脱線したことに気づいたようで、からすは咳払いをした。


「話を戻しましょう。ともかく綿野はたいそう賑やかな交易都市となった。今も港の方に行けば露店市場(バザー)がありますよね。あそことかも、その頃から続いてるものです。

 ですがまあ、国の窓口を開くと言うことは、色々なものが流れ着いてくるわけで。

 百年前、とある魔道具が流れ着いたわけです」

「それが?」

「はい。これこそが事件の始まり。……『セルイーラの夢の欠片』です」


 からすはそこで言葉をきると、じっと踊る石刃の様子を眺めた。


「これはむしろ、あなたの方が詳しくご存じでは?」


 踊る石刃はしばらく黙っていたが、やがて、囁くように口にした。


「かつてありしなつかしの」

「えっ?」

「ご存じ在りませんか?」


 からすはわずかに、首をかしげた。

 踊る石刃は胸に手を当てる。

 絹すれの音が、まるで、遠い森の雨音のようにさあと響く。


「遙か昔の、砂漠の王。

 一つの王国は砕け散り、三つの氏族が争い合い、戦続きのその果てにオアシスすら血に染めた。

 だから忘れられた古王の一人が、なつかしの夢を紡ぎ上げた。

 砂漠(セルイーラ)の夢。幻を扱う、最初の魔法遣い。

 彼の夢は砂漠を飲み込み、そこに居る者に懐かしの景色を見せるという。

 そこにたどり着けば、離れがたい懐かしの景色を、誰でも見ることが出来るから」


 からすは頷いた。自分の知識にある話とも一致するものだと確認しつつ、一つ、意地悪で風情のない事を口にしてみる。


「今では自殺の名所とも聞きますね」


 踊る石刃に感情の揺れは無かった。

 碑文を読み上げる巫女のように淡々と応じる。


「たどり着いた者は、ほとんど誰も、出てきません」

「そこではどんな夢でも見ることが出来る。だから夢に見たものを持ち出すためにそこへ向かう者もいる。そうして持ち出された品物を、セルイーラの夢の欠片と言うそうですね。

 ええ、百年前の綿野に持ち込まれたのもその一つでした。それがどういう見た目なのかは、わたしも教えて貰えませんでしたけど」

「夢の欠片は、新たな夢を作る。百年前に持ち込まれたのなら、綿野も夢に沈みかけたの?」

「みたいですよ。それが夢だとは気づかないまま皆眠りについていき、日常を送っているつもりのまま、街からは人が消えていきました。

 わたしの友人も気づかぬうちに夢の中に入っていたそうですが、彼は幸い神々の加護の篤い人物でしたから、それに気づけました。それでうまいことやって、綿野は夢から覚めたとか。

 確か、あいつは……夢の中に消えてしまう人が現れたときは、その夢の原因となった欠片を探して砕けばいい、とか言ってましたか」

「わかりました」


 からすはふむ、と口を尖らせた。


叶絵(かのえ)なら根拠を聞いてくるところですよ。あなたの出くわした話がセルイーラの夢の欠片の事件かどうかは、わたしがそう連想した、というだけの勘でしかありません」


 踊る石刃は顔を上げた。

 フードの下、冬の星のような青い瞳が、からすをまっすぐに見つめている。


「夢の話をあなたが思い出したなら、それは、そういうことなのです」


 その声は空を引き裂く流星のように。

 反論を許さない静けさは確信となって響き渡る。

 踊る石刃はそう言うと、雨音のような絹擦れを残して、部屋から出て行った。


 からすは、踊る石刃の消えたドアを見つめながら、そっと息を吐いた。


「運命の担い手、いにしえの魔法使い、か……。話には聞いていましたが、なんとも、興味深い」


 パンの最後の一欠片を飲み込むと、よしといって席を立つ。

 やることは決まった。

 少し、嘴を挟んでくるとしよう。

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