セルイーラの夢の欠片 その1
夜の底は外灯の明かりで真っ白だ。
見上げても星は遠すぎる。針で刺した穴ほどの光は、街からはとても見つからない。
闇を払うために生まれた光は、結果として、空をますます暗くしていた。
そんな夜の街で、今にも消えそうな人がいた。
煉瓦街の馬車乗り場、その冷たいベンチに横たわり、水に浮いた油みたいにその人は輪郭が溶けている。
息も絶え絶え。かすかに香る血の匂いがなかったら、それが瀕死であることなど、誰にもわからなかったろう。
もっとも、その場には他に誰もいない。
いつもならうろうろしている野良猫すら、不気味さに耐えかねて姿を隠している。
きっと、それは誰も知らぬまま。
冬の夜、人知れず降った雪のように、朝日と共に消えるだろう。
ただ。そんなとき、そんなところだから、現れるものもある。
「……あれ。……誰か、いるの、か?」
かすれた男の声は、縋るように顔を上げた。
居るはずのない誰かを求めて。
こぼれ落ちる命の、最後のひとしずくを握り絞めて。
果たして、見上げた先に黒い姿があった。
顔は見えない。姿もぼんやりしている。
男の輪郭が水に浮かぶ油なら、彼女は水面に落とした墨汁だ。
その存在ははっきりとしれるのに、どんな形かくみ取れない。
目をこらしているうちにその色は水に溶けて、違和感がわからなくなる。
やがて、初めからそこにあったかのように。
黒衣の姿が、彼の今際に現れた。
ふと、鎌を持った骸骨を思い出した。
絵本に描かれた死神。夜な夜な現れては、村にいる人を刈り取っていく不気味な話は、もう何年も昔に読んだお伽噺だった。
「なら……どうか、最後の願いを聞いてくれないか……?」
声を絞り上げることに苦痛は無かった。
けれど、たった一言を紡ぐだけで、全身の熱がほどけていくような虚脱感があった。
今や死者にも等しい彼にとって、現世に声を紡ぐことは、まさに命懸けだったのだ。
「どうか、どうか、この夢を終わらせて……」
さあと風が吹く。
言葉は最後まで紡げなかった。
輪郭の曖昧な男の姿は、硝子窓のくもりを拭うように消えてしまった。
後に残されたのは、黒衣の少女が一人きり。
「わかりました」
欠けていた部品がはまるように、かちりと運命が巡り出す。
担い手の無い道具。決して誰の手にも握られることの無い、石の刃。
それがひとりでに踊り出す。
命に等しい願いだけが、彼女をそっと押し出すことが出来るが故に。
はじまりました。
白馬はなんとなく江戸時代〜明治くらいの世界ベースにおいしそうなものを継ぎ足しした異世界です(作品中では異境と呼びます)。
しばらくはこの土地で巡り会った色々な逸話を書く予定です。




