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僕が見た怪物たち1997-2018  作者: サトウ・レン
二流には分からない、2012
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二流には分からない、2012 第五話

 そこまで話したところで、あたしは言葉がつっかえてしまい、そんなあたしの背中を先生がさすってくれた。ここまで踏み込んで誰かに話したのは、初めてかもしれない。あの日々のことを思い返すだけでもぐったりとしてしまうのに、今回は口にして外に出さなければならない。言葉にすることでより鮮明になった記憶に、あたしは想像以上の緊張と不安を感じていたみたいだ。


「大丈夫?」


「は、はい。ありがとうございます。大丈夫です。すみません」


「一気にしゃべったから、疲れてしまったのかな? ……話は続けられそう?」


「もうすこしで終わるので、問題ないです」


「じゃあ、ゆっくりでいいから」


「はい……あの日です。先生とのカウンセリングが終わったあとでした。帰りの途中から、彼に尾行されていることには気付いていました」


「最後に私のところに来た日?」


「はい。もうさすがにあたしを狙ったりはしないだろう、と思っていたんですけど……。友達に頼んであそこまで言ってもらったのに……」言ってもらっただけじゃない……。あそこまでやってもらったのだから……。でもそんなこと他人には言えない。「彼、家まで付いてきて……。オートロックの扉を急いで開けて、その先に逃げ込もうとした時に、腕を掴まれてしまって……。慌てて大声で叫ぼうとしたんですけど、そしたら今度は腕を掴んでいないほうの手であたしの口を塞いできて。大丈夫。もう終わりだから。もうすこしだけ我慢して、って、耳もとで彼が言ったんです。殺される、って思いました……。でもなんでか分からないんですけど、彼があたしから手を離して、逃げていったんです。なんで逃げたのかも分かりませんし、彼のその言葉の意味も分かりませんでした。ただあの言葉は、あたしのことを殺すぞ、っていう予告だったんじゃないか。そんな風に思えて」


「確かに、ね。でも……、なんで彼は逃げたのかしら」


 あたしではなく、床の顔を見ながら、先生が言った。物言わぬそいつが何かを答えてくれることはない。あたしの背中にひと筋の汗がつたう。


「さぁ……、それはあたしにも……。えぇ、っと、それで……」


「気にしないで、ゆっくりで大丈夫だから」


 先生の声音は優しい色をしていたけれど、しっかりと先を促してくる。


 あたしは、大きく息を吐く。


「彼が死んだのは、それからすぐのことです」


「……急ね。とても」


「あたしにとっても急でしたから。その一件があった数日後だったと思いますが、彼があたしの部屋で死んでいたんです。彼が、どうやって侵入したのかも知りません。ナイフで胸を突き立てて。警察は自殺と判断しました。第一発見者は当然あたしだったので、警察からは根掘り葉掘り聞かれてしまいましたが……」


「そう、その結果として生まれたのが、こいつなのね」


「嫌な言い方なのは分かっているんですけど、あたし、彼が死んで、本当にほっとしたんです。あぁ、やっと解放される、って……。でも甘かったですね。これであたしの話は終わりです」


「分かった。ありがとう。色々と話してくれて。気になることもあったから、確認したくて。大丈夫、この程度のやつなら、簡単に消せるから心配しないで。すぐに済む」


 すぐに済む……?


 その言葉を素直に信じてもいいのだろうか。その疑いは実際に先生の力を目の当たりにするなかで、徐々に消え去っていく。先生が床の赤黒いしみに手を乗せると、部屋中に悲鳴のような音が響いた。隣人からクレームが来そうなくらいの音だけど、きっとこの顔が見えているあたしたちにしか聞こえないのだろう。それから五分くらいだろうか、その部分はフローリングの茶褐色を取り戻し、もうそこにしみはない。


 簡単に消せる、という言葉通り、あっけなく終わってしまい、あたしは拍子抜けしたような気分になってしまった。


「大体いつもこんなものかな」


「あ、ありがとうございます!」


「三十分をこえることなんて、まず、ないかな。いつもすぐ終わるの。まぁ自分でもかなりの額を取っている自覚はあるから、法外だって喚くひとの気持ちも分かるんだけどね。結構いるのよ、そういうひと」


 法外なんて、欠片も思わない。


 地獄のような日々から救ってくれたことに対する感謝しかない。この嬉しさから比べれば、値段など微々たるものだ。


「じゃあね」


 駐車場でふたりを見送る際、高級外車の助手席に乗り込んだ先生が窓をすこし開けて言った。そして言葉とともにジェスチャーを示すように片手を上げる。


 あたしが頭を下げた瞬間、ちいさな溜め息が聞こえた。えっ、と思って顔を上げた時には、もう車は動き始めていて、気のせい、と結論付けることしかできなかった。


 部屋に戻る。


 当然そこに、赤黒い顔はない。

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