クズ王子は、学校を抜け出す
神獣ラクーンは私の肩に乗り、襟巻きのような状態でいた。肌寒い春先は暖かくていいかもしれないが、夏場はご遠慮したい。一歩踏み出そうとしたところ、カイが待ったをかける。
「あの、外出許可カードを寮長に提出してきますので、しばし待っていただけますか?」
「そんなもの、必要ない」
「どうやって外に出るのですか? 寮長の承認印のあるカードがないと、校門を通過できないのに」
「それは、あとで教える」
魔法学校は魔法で管理された門があり、勝手に出入りできない。寮生は寮長の許可がなければ、外出できない決まりだ。
「一応、廊下にいる見張りの騎士には、部屋で休んでいるから誰も入らせるなとだけ言っておく」
「では、そのように命じてきます」
「いや、いい。私が直接命じる」
もしも外出が問題になれば、カイが責められてしまう。それを防ぐために、直接騎士に命じておいた。
「というわけだ。誰か来ても、応じる必要はないからな」
「承知いたしました」
これでよし。
振り返った先にいたカイは魔法学校の外套を脱ぎ、動きやすいマントを装着し、腰には剣を佩いていた。凜と佇む様子は麗しい。これはモテるわけだと納得してしまった。と、カイに見とれている場合ではない。彼女を手招き、学習部屋の暖炉まで誘う。
「この部屋は王族のために造られた特別製なのだが、外に通じる通路が隠されているんだ」
「初耳です」
「王族以外に伝えられない情報だからな」
「私に言ってもよかったのですか?」
「よくない。けれども、私が許す」
カイは目を丸くしたあと、呆れたようにため息をつく。私の突拍子もない行動は幼少期からだ。もう慣れっこなのだろう。
マントルピースに彫られた獅子の瞳に指先を這わせると、魔法陣が浮かび上がる。これは、王族のみに反応する魔法なのだ。
音もなく、暖炉の底が開く。その先には、階段が続いていた。
「これは、どこに繋がっているのですか?」
「安全な場所らしい。もしも学校内で敵襲に遭った場合、逃げられるようになっているのだ」
「なるほど」
「ちなみに、この先同行者は王族と手を繋いでいないと通れないようになっている」
追っ手避けのまじないである。カイは明らかに顔を顰めた。眉間にはこれでもかと深い皺が刻まれる。
「なんだ、私と手を繋ぎたくないのか?」
「いえ、そういうわけではなく、クリストハルト殿下にお手数をかけてしまうのが心苦しくて」
「気にするな。幼少時は毎日手を繋いでいたではないか」
「それは、クリストハルト殿下が目を離した隙にいなくなるので」
「今も同じだ。しっかり握っておけ」
そう言って、カイの手を取る。革手袋に包まれた手のひらは、私よりもごつごつしている上に大きくて、とてつもなく頼もしかった。
少し悔しくなる。
幼いころは、常にカイのほうが背が高かった。どうしても抜かしたいと、毎日牛乳を飲み過ぎては腹を壊した記憶が甦る。
十五歳の頃に一度背を抜かして以来満足してしまい、その後、努力をすることはなくなった。
将来、カイは私より背が高くなる。これから牛乳を飲んだら、カイよりも大きくなれるのか。
「クリストハルト殿下、どうかなさったのですか?」
「なんでもない。行くぞ」
カイの手を引き、地下通路の階段を踏みしめる。
一歩降りた瞬間、階段や壁、天井が淡く光った。魔法仕掛けの通路なのだ。
開いていた暖炉の出入り口は、勝手に閉じていく。
「幻想的な場所ですね」
「だな。こんなになっているとは、思いもしなかった」
スタスタと急ぎ足で通過していく。口数も無駄に多かった。
きっと、カイと手を繋ぐのが久しぶり過ぎて、気恥ずかしくなっているのだろう。
カイは平然としているものだから、余計になんとも言えない気持ちになった。
五分ほど歩いた先に、再び階段が現れる。そこを上っていくと、中央街に繋がる路地裏へと出てきた。
出入り口には結界が張られており、誰も足を踏み入れられないようになっている。
「こういう仕組みでしたか」
「みたいだな」
カイが違和感を覚えないように、さりげなく手を離す。すると、キョトンとした顔でこちらを見つめる。
「なんだよ」
「いえ、街中でも手を繋ぐものだと思っていたので」
「迷子になるのは冗談だ。行くぞ」
「どこを目指すのですか?」
「それは――」
答えるより先に、腹が「ぐー」っと主張する。朝食を食べていないので、空腹状態だった。
「食事にしよう。今の時間だったら、朝市の屋台が出ているな」
「そのようなこと、よくご存じでしたね」
カイの指摘に、ギクッとなる。
朝市で朝食を共にしたのは、三回目の人生のルイーズだ。奔放な彼女は庶民が出入りする朝市に興味を示し、夜を共に明かしたあとふたりで繰り出したのだ。
その時は、カイや護衛騎士を振り切っていたので、なんとも無防備な状態だった。
今思うと、まったくありえない。自分の行動ながら、呆れてしまう。
幸いにも、朝市についての情報源は、他にもあった。カイにはそちらを説明しておく。
「以前、同じクラスの者から聞いただけだ。皆、休日は夜明けまで遊んで、朝市で朝食を食べてからこっそり寮に帰るらしい」
「不良の遊びですね」
「まあ、な」
カイの視線が痛い。
別に、不良を目指しているわけではないのに。
始業式と新入生への挨拶をすっぽかしている時点で、カイから疑われていたに違いない。
とにかく腹を満たそう。そう言って、カイを屋台街のほうへと誘った。