クズ王子は、男爵令嬢との出会いを回避したい
チャイムの音が寮に響き渡る。あれは、食堂での朝食の提供開始を知らせるものだ。
「クリストハルト様、お食事はお部屋で召し上がりますか? 今日から新入生がいるので、混雑すると思うのですが」
「そうか。今日は始業式か」
ふたつ年下の男爵令嬢ルイーズが入学してくる日でもある。
終わった過去を思い出そうとすると、頭がズキンと痛んだ。
一回目の人生では、入学式当日に出会い、いきなり打ち解けた。
二回目の人生では、入学式の三日後に知り合い、寮へ連れ込んだ。
三回目の人生では、半年後に顔見知りとなり、卒業パーティーでいきなり同衾した。
四回目の人生では、入学前に知り合い、恋人として傍に置いていた。
どれもこれも、最低最悪としか言いようがない。婚約者だったアウグスタは、私の崩壊した理性に呆れていたに違いない。もちろん、カイも心の奥底では軽蔑していただろう。
なぜ、私はこのような行動に走ってしまったのか。
神獣ラクーンは、薬を盛られていたのではと推測していたが……。
ひとまず、一回目の人生のように入学式での出会いは避けたい。
そのためには――。
「始業式をすっぽかす」
「はい? 今、なんとおっしゃいましたか?」
「始業式を欠席する」
「新入生へのお言葉を、読む予定はどうなさるのですか?」
「誰かが代読してくれるだろう」
「クリストハルト殿下がお読みになるのを、楽しみにしている生徒だっているはずですが」
期待を裏切ってもいいのか。そんなカイの問いかけに、深々と頷く。
「とにかく、誰がなんと言おうと、今日は始業式に参加しない」
一応、心配をかけてはいけない。誘拐事件と勘違いされたら申し訳ないので、校長宛に始業式を休むという旨を手紙に認め、魔法で飛ばしておいた。
「よし、これでいい」
ひと息ついたところで、胡乱な視線を向けるカイに気づいた。
朝から普段と異なる行動ばかり取るので、何かおかしいと怪しんでいるのだろう。
「あの、ひとつよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「クリストハルト殿下の足にしがみついている獣は、なんなのでしょうか? 気配がまったくなくて、お恥ずかしい話、たった今気づいたのですが」
「ああ、こいつのことか」
神獣ラクーンについて、説明していなかった。
抱き上げてカイに見せると、神獣ラクーンは『ど、どうもー』と挨拶する。
「喋った!」
カイがアメシストの瞳を見開いて驚く。
それも無理はないだろう。その辺の使い魔は、人語を発することはできない。可能とするのは、妖精、精霊、神獣と限られている。幻獣は高い知能を持っているものの、喋ることはできないのだ。
この辺、打ち合わせをしていなかった。
もちろん、妖精や精霊よりも稀少な神獣であるとは言えるわけがない。
稀少さで言ったら、妖精よりも精霊が珍しい。そのため、神獣ラクーンは妖精だということにしておいた。
「これは今朝方、私と契約した使い魔だ。妖精族らしいが、お喋り以外取り柄は特にない」
『ひ、酷いです』
「だったら、特技を言ってみろ?」
『え、えーっと、この、器用な手先とか?』
シーンと静まり返る。カイの眉間の皺は、すっかり解れていた。神獣ラクーンが無害な獣だと理解してもらえたようだ。
「あの、どうして突然、使い魔を契約する決意をなさったのですか?」
「それは――」
召喚術が大の苦手だったこともあり、これまで使い魔を傍に置いたことはなかった。そのため、カイは不審に思っているのだろう。
「まさか、私の代わりを務めさせるためですか?」
「それは違う。なんというか、こいつは、か、可愛いだろうが!」
「可愛い?」
「そ、そうだ」
神獣ラクーンは小首を傾げ、精一杯の可愛いポーズを取っていた。非常にあざとい。
「子どものときから、愛玩動物を飼いたいと言っていただろう」
「そういえば、おっしゃっていましたね」
犬や猫は好きだったものの、相性が悪いのかくしゃみが止まらなくなるのだ。そのため、教育係や乳母が許してくれなかったのだ。
「こいつだったら、いくら抱きしめてもくしゃみはでない。いい案だろう?」
「それはたしかに」
なんとか納得してもらえたようで、ホッと胸をなで下ろす。
これから先、これまでと違う私の行動に対するカイの疑問と追及を、躱し続けなければならないようだ。上手くやれるのか、若干不安になる。
カイに質問するなと命じたら、従うだろう。けれども、それはしたくない。
ひとつひとつ疑問を解いていって、これまで以上に私という存在を理解してもらいたいから。
「クリストハルト殿下、今日はどうなさるおつもりで?」
今、何をすべきなのか考える。
もっとも避けるべきなのは、男爵令嬢ルイーズとの邂逅だ。
始業式のあとは校内見学会に寮の昼食会、夜は夜で、新入生歓迎パーティーが行われる。警戒すべき催しが目白押しの一日なのだ。
ひとまず、ここにいないほうがいい。
「よし、今日は、街に出かけてみよう。カイ、私についてこい」
「はあ」
乗り気でないカイと共に、街へ繰り出すことになった。