クズ王子は、身なりを整える
『それでは、カイ様の眠りの術を解きますね』
「ちょっと待った!!」
神獣ラクーンは小首を傾げながら、不思議そうに私を見上げる。
『どうかなさったのですか?』
「カイが起きる前に、その、身なりを整える」
カイが女性だとわかった以上、何もかも手伝わせるわけにはいかない。
着替えも、風呂も、髪を整えるのでさえ、自分でできるようにならなくては。
そういえば、成人してからは髭までカイが剃っていた。これだけは、カイ以外に任せられなかったのだ。
刃物を肌に直接当てるのだ。カイ以外の者がやると考えただけで、身震いする。
『あの、クリストハルト様は、ご自身のお世話はできるのでしょうか?』
「見よう見まねだ。神獣ラクーンよ、お前も手伝え」
『はあ、可能な限りお手伝いしますが……』
そんなわけで、初めて自分で身なりを整えることとなった。
まず、制服がある場所すらわからない。神獣ラクーンと共に大捜索を行う。
「どこだ! 制服はどこにある!」
『わかりませーん』
やっとのことで、カイが揃えて置いていた制服を発見する。それをまとうのも、また一苦労だった。
「なぜ、ボタンはこのようにたくさん付いているのだ!」
『人間様はこのように複雑なお召し物をまとっていて、本当に尊敬します』
思いのほか、ボタンをかけるというのは難しい。カイは涼しい顔をして毎朝ボタンをかけていたが、とんでもない技術の持ち主だったようだ。
『あ、クリストハルト様、ボタンをかけちがっています!』
「なんだと!?」
下から二番目のボタンだったため、ほぼ最初からやりなおしである。ボタンはかけるのも難しいが、外すのもまた難しい。
「この、ボタンめ!!」
『頑張ってください! ボタンかけとボタン外しをマスターしたら、世界を救う大きな一歩になりますよ』
「そんなわけがあるか!」
ズボンを穿いて、ベルトで締める。シャツの上からベストをまとい、上から詰め襟のジャケットを重ねた。タイのない制服で本当に助かった。
最後に魔法の外套を着込んだら、着替えは完了だ。姿見で、おかしなところはないか確認する。
「時間はかかったが、まあまあよく着こなしているのではないか?」
『はい! とってもすてきです!』
次は、顔と歯を磨く。
さすがにこれは自分でしていたのでお手の物である。ただ、髭剃りの練習でもしようと思い立ち、顎に剃刀の刃を当てた途端に切ってしまった。
「痛っ!!」
『うわあ、お髭なんか生えていないのに、どうしたんですか?』
「産毛でも剃ろうかと思って」
『し、止血をー!』
血が止まったのを確認すると、仕上げに髪を整える。
カイはいつも、香油を一滴髪に揉み込んでから梳っていた。それを真似してみたら、いつもの髪型となった。
鏡を覗き込んで頷く。完璧な、いつもの私である。
「やろうと思えば、できるではないか!」
『クリストハルト様、大変すばらしいです』
「そうだろう、そうだろう。よし、カイを起こすぞ」
『承知しました』
身なりが整ったので、胸を張ってカイを起こす。
すっかり陽も高くなった。先ほど開いたカーテンから、これでもかと太陽の光が差し込んでいる。
カイの銀髪が、これでもかと輝いている。左胸から垂らしている長い三つ編みは、美しい獣の尾のようだった。
瞼を縁取る睫はくるりと上を向き、肌は白磁のようになめらか。ふっくらとやわらかそうな唇は、今は閉ざされている。
彼……ではなく彼女は奇跡のような美貌の持ち主だ。改めて、こうまじまじと見た覚えはなかったので、新鮮な気持ちでカイの容貌に驚いている。
魔法学校でも、常に女子生徒が放っておかなかった。
それにしてもなぜ、ずっとカイが女性だと気づかなかったのか。今はもう、男になんか見えない。
『クリストハルト様、カイ様を起こしてもよろしいでしょうか?』
「うわっ!」
『どうかなさったのですか?』
「お前の気配がなかったから」
『申し訳ありませんでした』
カイに見とれていたなんて、言えるわけがなかった。
ゴホンと咳払いし、神獣ラクーンにカイを起こすように頼む。
『では――カイ・フォン・ヴァルヒヘルトよ、目覚めよ!』
カイの頭上に魔法陣が浮かび上がり、パチンと弾ける。すると、すぐにカイは目覚めた。アメシストのような美しい紫色の瞳を、不思議そうにこちらへと向ける。
「クリストハルト殿下?」
「よお、おはよう」
カイは驚いたように目を見開き、飛び起きる。
「私は、どうしてここに!?」
「私の枕元でうたた寝していたから、寝台に放り込んでおいた」
「私が、うたた寝を!?」
「ああ、そうだ」
この世の終わりを迎えたような、悲壮感漂う表情を浮かべる。
だが、すぐに我に返ったようで、寝台から飛び降りた。惚れ惚れするような反射神経である。寝起きの人間の動きではない。
「愚行を、どうかお許しください」
「気にするな。疲れていたんだろう」
「そんなはずは、ないのですが」
「お前とて、完璧な人間ではないのだろう?」
「いえ……」
カイは完璧人間だ。今回は神獣ラクーンが強制的に眠らせたので、違和感を覚えているのだろう。申し訳ないと思いつつも、話はここで終わらせる。
「それよりも、どうだろうか? 私ひとりで身なりを整えたぞ」
「クリストハルト殿下が、おひとりで?」
「そうだ。もう、明日からはお前の手伝いなど必要ない。ひとりでできる」
「そんな!」
ここでも、カイは悲壮感に溢れた表情で私を見つめる。
普段、精巧な人形のように感情が顔に出ないと言われていたのに、今日のカイは表情筋がよく動いていた。
これまで私が気づかなかっただけで、実は表情豊かだったのかもしれない。
「これから私は、自立した王族であろうと思っている」
「私が必要ないとおっしゃっているのですか?」
「それは――」
カイを遠ざけたら、彼女は生き長らえるかもしれない。
けれども、今のところカイなしの人生など考えられなかった。
この感情を、なんと言葉にしていいものか。
「カイは、必要だ」
そう宣言すると、カイは明らかに安堵した表情を見せていた。
どうやら、カイを遠ざける方向に振りきらなくてよかったようだ。
「その、どう言えばいいのかわからないが、私はカイと、これまでとは異なる関係性を、築いていきたいと思っている」
「異なる関係、というのは?」
「わからん!」
もしもわかったら報告する。そう宣言すると、カイは戸惑う表情を見せながらも、こくりと頷いた。