クズ王子は、サロンカフェ〝クライノート〟に行く
入学したての一学年が拠点とするのは、四階フロア。学年が上がっていくにつれて、階は下がっていくのだ。
なぜか魔法学園には魔石昇降機がなく、一学年のときはヒイヒイ言いながら毎日登っていたのを思い出した。
カイは軽やかな足取りで階段を上っていく。私は後ろをついていくのもやっとだ。
放課後、多くの生徒が行き交う廊下では、カイは注目の的となった。王太子である私の護衛は、魔法学校では有名人だったようだ。
皆、話しかけたそうにカイを見ていたものの、声をかける暇もないほどサクサク急ぎ足で歩くため、誰も声をかけられなかった。
こうやって素早く移動したら、人の妨害を受けずに済むのか。勉強になった。
惑わし眼鏡をかけているおかげで、誰も私に気づかない。本当によい買い物をしたと、しみじみ思う。
一学年は七つの学級に分かれている。もめ事が起こらないように、同じような家柄の者達をひとつの学級に集めているのだ。
ルイーズが所属するのは、家柄の歴史はそこまでないものの、裕福な育ちの者達が集まる学級。
近づいただけで、さまざまな香水が混ざった臭いが鼻先をかすめる。
カイは臆さず、窓際にいた女子生徒に話しかけた。
「お嬢さん、申し訳ありません。ここに、ルイーズ嬢はいらっしゃるでしょうか?」
話しかけた瞬間、女子生徒は赤面した。さすが、カイの美貌である。
女子生徒はしばしうっとりカイを見つめていたようだが、「どうかなさいましたか?」と心配されハッとなる。
「お探しなのは、ルイーズ・フォン・レーリッツでしょうか?」
「はい、そうです」
「呼んできます」
ルイーズはすぐにやってきた。制服ではなく、胸元が開いた深紅のドレスをまとっている。気合いバッチリだ。さらに、心なしか昼間に会ったときよりも化粧が濃くなっていた。
ちなみに、放課後に限って私服の着用が許されている。ルイーズは普段立ち入りを許可されていないサロンカフェ〝クライノート〟へ招かれたので、ここぞとばかりにオシャレしたのだろう。
「カイ様、お待たせしました」
「行きましょうか」
カイはさも当たり前かのように、ルイーズに手を差し伸べる。
ルイーズは頬を染め、そっとカイの手に指先を重ねた。
だから、その初めて見せる初心な表情はなんなのか。
おそらく、いつもは自分のほうからくっついていたので、丁寧にエスコートされるのを新鮮に思っているのだろう。
カイはルイーズの手を取り、階段をゆっくり、ゆっくりと下りていった。行きの猛スピードとは大きく異なる。
渡り廊下を通って第二校舎に移動し、食堂を通り過ぎ、階段を上っていく。
途中で、進入禁止の魔法がかけられた扉に行き着く。ここでは、入場を許された者にのみ配布されるカードをかざした。すると、自動で扉が開いた。
「ここから先に行くのは、初めてなの」
「そうですか。すてきな場所ですよ」
上流階級の、一部の生徒のみ立ち入りが許されたフロア〝アーベント・ガルデン〟。
放課後のみ解放されていることから、黄昏の庭とも呼ばれている。
女子生徒の憧れであるサロンカフェ〝クライノート〟の他に、都で人気の雑貨店〝グラツィア〟、王家御用達の菓子店〝ハルトリーゲル〟、異国風高級料理店〝グランドメゾン・マ・ベル〟などなど。
ここに入場できるのは、おそらく五十名もいないだろう。それでもしっかり採算を取れているようで、不思議な空間だという印象しかない。
ルイーズはカイをうっとり見上げながら、そっと寄り添い歩いている。私が知るルイーズ・フォン・レーリッツとはまるで別人のようだった。
おそらく、以前近づいたときは王妃の座しか眼中になく、私はオマケに過ぎなかったのだろう。
カイへ向ける眼差しは、純粋な恋心なのかもしれない。
サロンカフェ〝クライノート〟に辿り着く。
白を基調とした、清楚で美しい店だ。出入り口で待っていたエプロンドレス姿の従業員は会釈し、中へと誘う。
広い店内の床はすべて大理石。壁も柱も、すべて白で統一されている。
席と席の間には、瀟洒な仕切りが設置され、周囲の視線が気にならないようになっていた。
他に生徒はいないようで、広い空間の中貸し切り状態である。
ルイーズはメニューを探しているのかキョロキョロ辺りを見回している。だが、ここに決まったメニューはない。カイは優しく教えていた。
「サロンカフェ〝クライノート〟では、その日、その瞬間の気分を伝えて、茶や菓子を作っていただくのですよ」
「そうなのね。すてきだわ……!」
合図を出さずとも、店員がやってくる。ぺこりと会釈し、イメージを伝えてくるのを待っているようだった。
ルイーズはわかりやすいくらい、目を泳がせていた。どういうふうに言えばいいのか、わからないのだろう。
それを察したカイが、申し出る。
「ルイーズ嬢、私が注文してもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。お願い」
「では、あなた様をイメージした茶や菓子を、用意していただきますね」
いったいルイーズをどう表現するのか。見物である。
「春のそよ風と、可憐な子鹿でお願いします」
「かしこまりました」
従業員が去っていく。カイの言葉を耳にしたルイーズは、耳まで赤く染めていた。
「私が、春のそよ風と子鹿ですって?」
「ええ。あなた様に相応しいと思って言ったのですが、失礼だったでしょうか?」
「いいえ、まったく」
滅んでしまった世界のルイーズは、社交界で王太子である私をアウグスタから奪った悪女として名を馳せていた。
皆、直接名は言わずに、〝嵐のような女〟とか、〝女豹〟などと呼んでいたという話を聞いた覚えがある。
たしかに、ルイーズはそよ風というより嵐、草食である鹿というより、肉食である豹のほうが相応しい。彼女の容姿についても、可憐というよりは美人といったほうが合っているだろう。
これまでにないカイの言葉が、ルイーズには新鮮に、また心地よく聞こえるに違いない。
カイは言葉巧みに、ルイーズを口説いていく。
女性が好む貴公子を事前に勉強してきたのが功を奏した。カイは上手い具合に、ルイーズから話題を引き出している。
ごくごく自然な流れで、実家の商売について聞き出していた。
「ご実家の商店には、いつもお世話になっています」
「あら、カイ様もいらっしゃっていたのね」
「ええ。レーリッツ商会で手に入らない品がありませんから」
偽装のための死体から、猛毒、棺桶まで、売っていない品はないと言われている。
裏社会とも繋がっていると噂されていたが、真相は謎に包まれていた。
「お父様は、手に入らない品はないとおっしゃっていたわ」
「でしたら――亜人系魔物を討伐できる猛毒などは、販売されているのでしょうか?」
亜人系魔物、それはゴブリンやマーマンなどの、人に似た姿をした魔物である。
その言い方があったかと、カイを心の中で絶賛した。
亜人を殺す毒といったら問題があるが、亜人系魔物であれば問題ないだろう。
「亜人系魔物を殺せる毒? なぜ、それを欲しているの?」
カイは立ち上がり、ぐぐっとルイーズに接近する。
声を潜め、「ここだけの話なのですが」と続けた。
「実は、クリストハルト殿下が亜人系魔物に命を狙われておりまして、先月も襲撃に遭ったのです」
「まあ! そうなの?」
「ええ。国の精鋭である騎士達も歯が立たず、どうしたものかと頭を悩ませているのです」
こういうことは、ルイーズにしか相談できない。
カイはルイーズが特別な存在であることを暗にほのめかしつつ、話を続ける。
「レーリッツ商会であれば入手できると思っていたのですが……。申し訳ありません。無理を言いましたね」
「いいえ、私に任せてちょうだい! お父様に聞いてみるわ!」
ルイーズはカイの手をガシッと握り、なんとしてでも手に入れることを誓った。
カイはキラキラとした瞳で、感謝を述べる。
「なんとお礼をしていいものか。そうだ、今度黒薔薇会の茶会があるのですが、一緒に行きませんか?」
通常であれば女子禁制の、特別な集まりである。喜んで受け入れるだろうと思っていたが、ルイーズは首を縦には振らなかった。




