ネクロガルドの陰謀
部屋に残ったのは2人と1匹。暖炉で爆ぜる薪の音色。若干湿った窓から見える雪景色にもそろそろ飽きた。
窓から見える針葉樹は雪に覆われ、そこからドサッと落ちてくる雪の塊にビビってしまうのは、こちらに来てから何度目だろうか。
せめて話を切り出すタイミングはエルザに任せてやろうと黙ってはいるが、なかなか踏ん切りがつかないらしい。
「ふぅ……」
何を考えているのか、テーブルに両肘をついたままのエルザ。顔の前で手を組み、まるで神にでも祈るかのような姿勢で視線を落としている。
よく見るとその手が小さく震えているのは、極寒の所為でも歳の所為でもないだろう。
「どうした? 体調が優れないのか?」
「……いや、そうではない。ワシとて恐怖はするんじゃよ」
「恐怖? 何に?」
「お主にじゃよ。この場に他に誰がいる?」
「おい待て。俺がお前を襲うとでも言うつもりか?」
名誉棄損も甚だしい。エルザを亡き者にしたところで、俺に何の得があるというのか。
そりゃ一時的に勧誘が止まるかもしれないが、その後ネクロガルドから受けるであろう報復の方が100倍は怖い。
「万が一お主が勇者であった場合、その可能性は否定できないというだけじゃ」
「俺は勇者じゃない。ケシュアから聞いてるだろ?」
「もちろんじゃ。じゃが、その証明は誰にもできぬ……。お主が狡猾にもワシ等を騙していた――なんてこともあり得るじゃろう?」
勇者、それは神の使いであり、魔王を倒す使命を持って呼び出された転生者。
ならばその逆、勇者ではないと納得してもらうにはどうすればいいのか? それが難解であることは言うまでもなく、俺の言葉を信じてもらう以外に方法はない。
ネクロガルドが俺を逐一監視し、総合的に見て勇者ではないと判断しただけ。確たる証拠は何もないのだ。
「安心しろ。証明は出来ないが、約束はしよう。何を言われようとも、お前に手を出さなきゃいいんだろ?」
その時、エルザの表情が一瞬だけ晴れた。
俺の言葉に安堵したのかと思ったのだが、そうではなかった。
「ならば、呪術で……」
「ふざけんな! 仲間でもないのに、呪術なんて掛けられてたまるか!」
確かに呪術で俺を縛ってしまえば確実なのだろうが、そこまでしてやる義理はない。
「なら自己防衛の為、強化魔法を掛けさせてくれ。お主に影響がなければよいじゃろ?」
「……それなら、まぁ……」
のらりくらりと間延びさせ、俺を諦めさせようとする魂胆なのかと疑ってはいたが、エルザの浮かべた安堵の表情は間違いなく本物だった。
俺に媚び諂い擦り寄って来る姿は、本当にあのエルザなのかと疑ってしまうほど弱々しい。
歳相応と言うべきか……。先程までの威勢は何処へやら。
そんなに俺が怖いのだろうか?
椅子を引き、ゆっくりと立ち上がったエルザは、暖炉の横に立て掛けられていた杖を手に取った。
それは魔道具というより、歩行の補助を目的とした形状の杖。ケシュアが使う樫の杖に似てはいるが、長さは1メートルもない。
エルザは、その杖の頭を両手で包み込むよう握ると、それを床に突き立てた。
コツンと控えめに鳴り響いた杖の先から溢れ出した魔力。それは俺でさえ目を見張るほどの魔力量だ。
「混沌に彷徨えし永遠よ。我が声に耳を傾けよ。雄々しき角は既に無く、天を切り裂く両翼すらも刻には敵わず朽ち果てた。我は汝を統べる者。汝は我を仰ぐ者。今一度の祝福を、我が身に宿し標を示して災禍を払え」
大きく息を吸い込んだエルザ。その口から一息で吐き出された詠唱は、静かでありながらも力強く見事と言わざるを得ない。
バルザックの天文衛星落下も度肝を抜かれるほどであったが、それに匹敵するほどの練度。
年季の差。にわか仕込みの俺なんて、到底足元にも及ばない。
「【竜の魂】!」
その言葉と共に発せられた衝撃波は、まさしく竜の咆哮だ。それは空気を震わし部屋全体を軋ませる。
轟々と燃え盛っていた暖炉の炎が、まるで蝋燭の炎のように一瞬で消えてしまうほど。
窓ガラスが割れなかったのは不幸中の幸いとでも言うべきだろう。
放出された膨大な魔力がエルザの身体全体を覆うと、その輝きに目を逸らす。
その光が落ち着いた頃には、エルザは別人になったのかと思うほどの威圧感を放っていたのだ。
「これで準備は整った……」
自信を取り戻したのか、エルザの声は先程より落ち着いていた。
「やりすぎだろ……」
「確かに獣術において、これ以上の強化魔法はない。使うのも10数年ぶりじゃ。しかし、これでもワシは足りないと思うておる」
呆れて物も言えない。魔法の効果は知らないが、強化魔法に使う魔力量では断じてなかった。
俺にそれを見せつけ、牽制でもしているつもりなのだろうか?
「……まぁ好きにしろ。どちらにせよ俺は何もしない。無駄な魔力ご苦労さんと言うしかないが……ほら、席についてさっさとお前達の目的を話せ」
「いや、ワシはこのまま話させてもらう。万が一の為じゃ……」
「あーはいはい。わかったよ。好きにしろ」
俺は遠慮なく椅子に腰かけ足を組む。背もたれに寄りかかり腕を組むとエルザの出方を待つ構え。
一方のエルザは大きく深呼吸した後、真剣な面持ちで俺を睨みつけた。
「ワシ等の目的……。それは――神を殺し、世界を解放することじゃ……」
そう言った途端、杖を俺へと向けるエルザ。暖炉の炎は消えているにも拘らず、その額には滲むほどの発汗。
突拍子もないその言葉に、俺は口元を緩めてしまった。もちろんバカにしている訳じゃない。
それがエルザには怪しく見えてしまったのだろう。ずるずると後退って行く。
「ああ、すまん。他意はないんだ。ただ、あまりにもスッキリしたんで、ちょっと嬉しくってな。大丈夫だ、何もしない。だって勇者じゃないからな」
敵意はないと言いたいのだが、緩んだ口元は戻らない。
ネクロガルドの目的は、神を殺すこと――。あまりにも大それた話ではあるが、それが嘘でない事はすぐにわかった。
恐らくはネロの仇討ちといったところか……。
神が約束を反故にし、ネロは死霊術を完成させた。そして勇者を探すも見つからず、その感情は神への怒りへと変化したのだろう。
その意思を継いでいるのならば、それは神と敵対しているということに他ならない。
エルザは、俺がネクロガルドを潰しに来た勇者ではないかと疑っているのだ。
魔王のいない世界に勇者が召喚されれば、その標的が誰なのかは考えずともわかること。
そりゃ言えない訳である。敵か味方かもわからない者に、真の目的を告げるにはリスクが高すぎる。
だからと言ってすぐには殺さず、俺が召喚された目的を探る方向に舵を切ってくれたのは、僥倖であった。
全て……とは言わないが、ネクロガルドに入った者達は、何かしら神に恨みを持つ者達なのだろう。
不幸があれば試練だと言い、幸が舞い込めば神の恵み……。それは、ただ人が都合の良いように解釈しているだけである。
神に祈りを捧げようとも願いが叶う事はなく、ましてや救われることもない。きっかけに個人差はあれど、絶望の淵に立たされれば役立たずの神に反旗を翻す者もいるということだ。
アーニャには見込みがある――。そう言っていたケシュアの言葉を思い出し、俺は妙に納得してしまった。
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