プロローグ
「お目覚めになられましたか?」
ふと目を開けると、視界に飛び込んできたのは一人の子供だった……。
歳は10歳前後といったところか。こちらを心配そうに見上げている。
着ている服、背中の白い羽、頭の上の輪。10人中10人が天使と答えるであろう恰好をした子供が、目の前に立っている。
「あの~……大丈夫ですか?」
コスプレかよ!とツッコみたい気持ちはあったが、子供とはいえ初対面でそんなこと言えるはずもない。
「あぁ、えーっと……ここは一体?」
自分の置かれている状況を把握しようとあたりを見回すが、霧がかかっているようで数メートル先は何も見えない。
例えるなら雲に包まれているが、自分の周りだけはハッキリ見える、そんな感じだ。
しかし足元には地面がない。一瞬、宙に浮いてるのかとも思ったが、足が地についている感覚はある。
なぜこんな所にいるのか、必死に記憶をたぐる。
名前は九条颯馬。歳は35。住所は……大丈夫だ、覚えている。
えぇと確か、仕事で痛めた腰を治療する為、病院を訪れた。検査の結果、軽い手術をすることになり、順番がくるまで案内された病室で寝ていた……という所までは覚えている。
しかし目の前にいる天使のような恰好をした子供は、どうみても看護師や医者には見えない。
手術……病院……天使……から、連想される答えは一つ。
「もしかして俺、腰痛の手術で死んだの?」
「あの……ごめんなさい!」
そう言って、コスプレ天使が見事な土下座を披露した。
土下座したということは背中が見える。しかし偽物かと思っていた羽は、背中からしっかり生えていた。
頭の上の輪っかも、後ろで針金で固定してたりしない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いまいち状況が呑み込めないんだが……」
「それについては、私から話そう……」
どこからともなくエコーがかった声が聞こえてくるが、姿は見えない。
声色から、かなりのご年配だろうということは推測できる。
その声によると、ここはいわゆるあの世、と言われている所の一歩手前にある場所で、この声の主は神様らしい。
ということは、目の前で土下座している子は本物の天使。
そして肝心の、なぜ自分がここにいるのか――という理由。それは、目の前にいる天使が間違って俺の魂を連れてきてしまった、ということらしい。
「え? じゃぁやっぱり俺は死んだの?」
「まぁ、そういうことになるじゃろうなぁ」
本当は、隣の集中治療室の患者がお亡くなりになる予定だったのだが、自分と名前が似ていた為、間違えたとのこと。
「いやぁ、よくある医療ミスみたいなものじゃな。ほっほっほ」
「いや、よくねぇよ! 家では大事な婚約者が、俺の帰りを待ってるんだぞ!?」
「そんな者、おらんじゃろうが」
あわよくば、同情を誘えるかとも思ったのだが、下手な嘘は通用しない様子。
「ちっ……ダメか……」
「ぶふっ……。ごめんなさい! ごめんなさい!」
そんな俺達の会話を、黙って聞いていた天使の子が突然吹き出し、土下座スタイルのまま謝罪の言葉を連呼する。
そっと頭を上げ、こちらの様子を窺ったかと思ったら、目が合うと申し訳なさそうに頭を下げる。
「で、俺は生き返ったりできないの? あんた神様なんでしょ?」
「残念ながら一度こちらに来てしまった魂を、元の世界に戻すことはできないのじゃ」
「じゃぁ、天国に行くしかないってこと?」
「……お主、どれほど自分の人生に自信があるのか知らぬが、地獄に落ちる可能性もあるとは思わんのか?」
「あぁ、そうか。地獄って選択肢もあるのか……。だが、手違いでこっちに連れてきたのはあんたらだろ? それなのに、地獄に落ちろってのは、ちょっと理不尽じゃないか?」
「まぁ、そうじゃな。こちらのミスじゃな? ガブリエル?」
「ひぃぃぃ、ごめんなさい! ごめんなさい!」
背中の羽をフルフルと震わせながらも、必死に謝る天使ガブリエル。
「そこでじゃ、お主には二つの選択肢を与えようと思う」
この神様は、なんというか常に上から目線で話してくるので、ちょいちょい癪に障るのだが、毎回ツッコんでいては話が進まない為、ひとまずは大人しくしておく。
「選択肢?」
「さよう。このまま死ぬか、別の世界で残りの人生を歩むかじゃ」
「……死ぬとどうなる?」
「天国で転生先が見つかるまで過ごすことになるのぅ。天国はいいところじゃぞ?」
「へー、天国ってどんなところ?」
「んー、まぁ実際見てもらった方がええじゃろ。ゼルエル」
突如、空中に大きなモニターのようなものが現れ、その中央には別の天使であろう子供が映っていた。
「お呼びでしょうか?」
「ゼルエル、今ここに迷える子羊がおる。何やら悩んでおるようなので、天国の良さをアピールするのじゃ!」
「分かりました神様! おまかせください!」
そう言うと画面が移り変わり、真っ白な世界が映し出された。
ゼルエルと呼ばれた天使は、どこからともなくマイクのような物を取り出し口元に当てると、流暢に語り出す。
「天国はとてもい~い所です。争いや、いざこざなど一切ありません。ここ以上に平和な場所はないでしょう。天国に来た魂は、次の転生先が決まるまで、ここで自由を謳歌します。そう、天国こそすべての魂の理想郷なのです!」
確かにそれだけを聞けば、とてもいい環境のようにも思えるのだが、一生懸命アピールしているゼルエルの後ろに小さく映っている人々からは、なんというか覇気のようなものが全く感じられない。
「なぁ、質問してもいいか? ってか、この声聞こえてる?」
「聞こえてますよー?」
「じゃぁ、ゼルエルだっけ? 後ろに映ってる人、もうちょっと近寄ることはできる?」
「え゛っ……」
ニコニコと話していたゼルエルの顔が、一瞬にして引きつる。
「は、は~い。では、ちょーっとだけ近づきますね~……」
確かに、少しだけ近づいた。距離にして1mほどだが、安物のスマホでも、もっとズームできるはず……。
「いやいや、確かに近づいたけども……」
ゼルエルの後ろに映っている人との距離は、おおよそ20mくらいだろうか。人だとはわかるが、表情は読み取れない距離だ。
「せめて3m位までは近づいてくれよ。……あ、3mってわかる? 天国ってヤードポンド法?」
「……かみさま~……」
今にも泣きだしそうな顔で、神とやらに助けを求めたゼルエル。しかし、聞こえてきたのは「言われた通りにしてやれ」という割り切った答え。
そしてカメラが一気に寄るも、相手はこちらに気づくどころか、何もない空をずっと見上げていた。
「あのぉ、ちょっとお聞きしたいことが……」
空を見上げていた若い男性は、こちらの声に気付き、ゆっくりと首を傾ける。
「こんちは、突然すいません。天国ってどんなところですかね?」
「……見ればわかるでしょ。何もないよ……」
それには、俺も気付いていた。画面に映し出されているのは、真っ白な世界にぽつぽつと佇む人影のみ。
よく見ると、座り込んでゆらゆら揺れている者、目的もなく徘徊している者など、一見ゾンビと見間違うほど、生気のない者ばかり。
「えーっと……。じゃぁ、天国での暮らしぶりとか……」
それを言いきる前に、突然画面がぐるりと回転し、ガラの悪そうな人が写り込む。
「おい! てめぇ天使だな!? 俺の転生はいつなんだよ! もう600年も待ってるのに、一向に順番が回ってこねぇじゃねぇか!」
「ひぃぃぃぃ、そんなこと私に言われても……。文句は行政に言ってくださいぃぃ……」
画面がガクガク揺れたかと思うと、映像はそこで途絶えてしまった。
その後、しばらく映っていたのは砂嵐。映像は一向に回復せず、そのまま画面は消失した。
土下座スタイルのまま顔を上げて見ていたガブリエルは、あまりの出来事に唖然。辺りに、気まずい沈黙が流れる。
「……」
「……別の世界に行こうかな」
「なぜじゃ!?」
「逆に聞くけど、今の映像のどこに天国の良さがあったんだよ!」
「平和そうじゃろ?」
確かに平和ではあったが、娯楽も何もない世界で、600年待ちは御免である。
「寝ることも疲れることもない。当然腹も減らず、いいことずくめじゃろうが!?」
「余計悪いわ! 600年以上、何をしてればいいんだ!」
「しょうがないじゃろ! おまえんとこの世界は、あんま人が死なないんじゃ! 魂のバランスは一定で、好き放題転生させる訳にはいかないんじゃよ!」
「逆ギレすんな!」
「いいんじゃよ! 廃人になっても、転生したら天国でのことは忘れるんじゃから!」
「確信犯じゃねえか!」
「あゎゎゎゎ…」
俺と神とやらが言い争っているのを見て止めようとするも、その迫力に負けてオロオロしているガブリエルが目に入り冷静さを取り戻す。
「はぁ……。ひとまず天国の話は、なしだ。別の世界で残りの人生を過ごす事にするよ」
「さようか……。まぁお主なら、どこの世界でもそこそこやっていけるじゃろうて」
投げやりな返事とともに響く、大きな咳払い。
「では、ガブリエル。その者の転生は任せたぞ?」
「は、はい! わかりました!」
なんとなくだが、場の空気が変わったのを感じる。恐らく、神とやらが去ったのだろう。
ガブリエルはすっと立ち上がると、何もない空中から辞典のような大きな書物を取り出し、ぺらぺらと慣れた手付きでページをめくる。
「では、九条さん。転生先の希望はありますか?」
「あ、こっちで選んでいいの?」
「はい。元いた世界や、種族として人間が誕生していない世界、あとは文明が発達しすぎている世界はダメですけど、それ以外なら」
「文明が発達している世界は、なんでダメなんだ?」
「戸籍を偽造するの、めんどくさいので」
そんな理由かよ……と、口から出そうになるも、グッと耐える。
「通常は0歳からなので問題ないのですが、今回は特例中の特例。肉体年齢を維持したまま、別の世界に転生することになります。なので、科学が発達していない剣と魔法の世界とかがオススメですよ? 元の世界みたいに、マイナンバーのような個人の法的な証明書がないので、多少の人口増減はちょろまかせます!」
終始笑顔のガブリエルだが、言ってることは若干怖い。
とはいえ、天国よりはマシだろう。
「じゃぁ、もうそこでいいよ。……で? ボーナスとかもらえたりすんの?」
「ぼーなす?」
ガブリエルはきょとんとした顔で俺に聞き返す。
「こう……なんていうか、転生モノにはあるだろ? 金銀財宝とか、魔王を倒す最強の武器とか……」
どうせ転生するなら、楽して暮らせるに越したことはない。
「えーっと、そーゆー世界のバランスを壊すような物はちょっと……。そもそも魔王を倒すために九条さんを呼んだ訳ではないですし、私達のお仕事は、魂の管理と世界のバランスを保つことで、それ以外で下界に介入することは、滅多にありません。……ぼーなす――ではないですが、どの世界を選んでも、その世界の言語能力は無償で差し上げますよ」
そう言って持っていた書物を差し出してきたので、条件反射で受け取ってしまった。
「360頁から1380頁までの世界でしたら、どこでも大丈夫です」
そう言われて開いてはみたが、正直言って情報量が多すぎる。
日本語で書かれているので読むことは可能。その内容は、超細かい歴史年表のようなものだが、その緻密さは最早世界の日記である。
読んでも読んでも終わらない。ページをめくるどころか、めくらずとも文字が無限にスクロールしていくのだ。
「読めるか!こんなもん!」
「え? その本は、持っている人が理解できる文字になるので、読めると思いますけど……」
「いや、そーゆー意味じゃなくてだな……」
「はぁ……」
面倒くさい人を見るような視線を俺に向けながらも、返ってきたのは力のない返事。
「まぁあれだ。こんなの何年たっても読み終わる気がしないから、もうそっちで適当に選んでくれ。普通に生活できるようなとこなら、どこでもいいわ」
本を閉じると、ガブリエルに押し付けるよう突っ返す。
「そうですか? では、できるだけ九条さんのいた世界と似たような所を選びますね。そうすると……」
ペラペラとページをめくるガブリエルの手が、ピタリと止まる。
「あ! この第1183世界なんかどうですか?」
「いや、番号言われてもわからんし」
「あっ、そーですよね……。えーっと、ざっくり説明するとファンタジーですね。今までの経験がより強く反映される世界です」
「経験?」
「はい。初めて使う道具も、長い間使い続けることによってコツとか掴めるじゃないですか。それが今までいた世界より、強く感じられると思っていただければ……」
なるほど。わかったような、わからないような……。
「人間やエルフ、獣人などの種族が地上の大半を占めている世界で、魔王は2000年前に倒されているので、比較的平和な世界だと思います」
「思います?」
なぜ平和だと断言できないのか気になったので聞いてみたが、領土争いなどは、どこの世界でも起こりうるので、100%平和な世界というのは存在しないとのことのようだ。
「んじゃ、そこでいいよ」
「なんだか、てきとうになっていませんか?」
「考えたってどうにもならないからな。異世界のことはそっちの方が詳しいだろうし、君を信じる以外、できることはなさそうだからさ」
「わかりました。では、九条さん。あなたを第1183世界へ転生させます」
ガブリエルが軽く咳払いをすると、自分の周りが淡く光りだした。
「おお?」
「それでは最後に、約束の言語スキルを授けます」
ガブリエルが背中の羽でふわりと浮き上がり、ゆっくりこちらに近づいてくると、小さな両手で俺の顔を抱え込み、おもむろに額にキスをした。
それに驚いている暇はなかった。同時に頭の中に流れ込んでくる知識。その謎の言語が、一瞬にして謎ではなくなったのだ。
難しい問題が解けた時の達成感とでも言おうか、清々しい気分ではあったが、徹夜で勉強をした時のような精神的疲労感が、どっと押し寄せてきたのは恐らく副作用だろう。
「最後に、なにか質問はありますか?」
「んーと……。それは、お願いじゃダメか?」
「私に、出来ることなら……」
「じゃぁ、腰痛治してくんね?」
まさか、そんなことを言われるとは思わなかったのだろう。ガブリエルは、なんとも言い表せない微妙な表情を浮かべていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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