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「――ということで、エリーさんを私の侍女にしようと思います。許可してもらえますね?」
あまりに常識から逸脱した婚約者の言葉に、セドリックは口に運ぼうとしていたカップをテーブルに戻した。セドリックの返事の代わりに、チュンチュンという心地いい鳥の鳴き声が二人の間に響き渡った。
「――レイチェル……まさかっ……君まで記憶を無くしたのかい?!」
急に立ち上がって確かめるように自分に触れて来るセドリックを少し鬱陶しそうに手を払って諌める。
「もう、落ち着いてください。鬱陶しい。私は大丈夫ですわ」
「(……鬱陶しいって言った……いま鬱陶しいって……)……なら、なんでそんなことになるの? 彼女に何をされたか忘れたわけじゃないんだろう?」
「――そうね。でも、私には今の彼女とエレーナさんが一緒の人物だとは、どうしても思えないの……幸い、あの現場は私と貴方と貴方付きの近衛数名しか居合わせなかったのだから、この件は私に任せてくれない?」
「……レイチェル……君がエレーナ・ハイム嬢に心を痛めているのは分かったよ……。でも、幾ら何でもそれは許可できない。彼女は君の命を狙ったんだ。それは記憶をなくしたとしても変えられない事実だし、俺としても許すことはできない。そんな人を君の一番近くに置くなんてことも許可できないよ」
セドリックの言葉にレイチェルは想定していたとばかりに苦笑いを浮かべた。
「……ねぇ、セディ。貴方も私も大きな間違いをしたんじゃなくて? でもお互い許しあって、こうして一緒に居るじゃない。私も馬鹿じゃないのよ? もし、エレーナさんがあの時と何も変わっていないようだったらこんなこと提案しないわ。人は平等に許される権利があるとは思わない?」
「……いいや、この件に関しては思わないよ。だって、君の命を狙ったんだ。むしろ、万死に値するね」
憤慨だと言うようにフンと息を吐き、腕を組むセドリックに、レイチェルはさらに苦笑いを浮かべる。セドリックを説き伏せるのは一苦労だと思っていたが、それもレイチェルの想定内であった。
「だいたい、君がこの件を報告するのは保留にしてくれと言ったのも苦渋の決断だったんだ。本来なら、彼女はもう裁かれているんだよ? それなのに侍女だなんて……!」
「セディ……私を信じてくれないの?」
レイチェルは、拳をぎゅっと握りしめて今にもその拳をテーブルに叩きつけそうな勢いのセドリックを宥めるため、両手で優しく彼の拳をそっと包み込んだ。セドリックは弾かれたようにレイチェルを見つめ、彼女の瞳を覗き込むと「うっ……」という呻き声と共に耳を赤くし俯いてしまった。
「……ずるいよ。この前もそうやって君のお願いを聞いたのに……」
「そうね。そして、貴方は私を信じて、エレーナさんの件はまだ報告していないのでしょう?」
「だって、レイチェルが俺のこと嫌いになるなんて言うから……」
「ふふっ、言葉の綾よ」
「――聞いたことないよ、そんな一方的な言葉の綾……」
「セディ……お願い。私のことを信じて? きっと悪いようにはならないから」
普段ならば、婚約者からのお願いにセドリックは二つ返事で何でもその願いを叶えてあげたい気持ちでいる。だが、この件に関しては、あまりにも大きいリスクにそう簡単に頷くことはできない。返事に詰まるセドリックに、レイチェルは手を重ねたままさらに続けた。
「詳しいことはうまく説明できないけど、でもエレーナさんと、エリーは違うと思うの……。あのとき、セディには聞こえなかったかもしれないけど、私には聞こえたのよ……。助けてって……」
「――まさか、エレーナ嬢が操られていたって言いたいの?」
「――わからない……でも、エリーと話した時に確信したの。エリーとエレーナさんは違うって……何も知らないエリーに罪を償わせるのは違うって思うの」
レイチェルの言葉にセドリックは暫くの間黙って己の中で考えを巡らせる。婚約者の頼み通り、セドリックはこの件をまだ報告にあげておらず、己の息のかかっている数名しか知らない。あまりの出来事にきっとレイチェルの気が動転したのだろうと思い、こちらが管理できる状況にあるうちは、大丈夫だろうと踏んで、レイチェルが落ち着くのを待とうと思っていたのだ。
それが昨日、クリスフォードからの報告を聞いてからすぐ、レイチェルがエレーナの面会に行きたいと言いだした。セドリックを倒してでも行くと言わんばかりのあまりの血相に、結局セドリックが折れたのだ。
レイチェルに守護魔法を最大にかけて、魔力が一切使えない部屋に居るエレーナの元へと向かった。だが、ここでまたレイチェルがどうしても二人で話したいと言い張り、セドリックは仕方なくクリスフォードとドアを挟んで待機していた。
ピリピリと漂うセドリックの魔力にクリスフォードが引いていたことを、セドリックは知らない。
ここまで全てレイチェルのお願いを聞いてきたセドリックだが、今回のお願いだけはどうにも胸騒ぎがしていた。
しかし、レイチェルが言いだしたら聞かないことも知っている。嫌われてもレイチェルを守らないとと思う反面、レイチェルのことを信じてやりたい気持ちもあり、それらがセドリックの中で葛藤していた。
セドリックは深いため息をついて、レイチェルを見つめた。
「……侍女はだめ。あまりに距離が近すぎる。――その代わり、話し相手としてなら許可する。彼女には魔力を封じる器具もつけて俺付きの騎士団を常につけて見張らせるし、魔力を一切使えない環境で過ごしてもらう。表向きには君の話し相手として王城に滞在してもらっている客人ということにするけど、扱いは今とさほど変えない。もう、これ以上は譲れないよ。いいね?」
エレーナをレイチェルの話し相手として王城に置くには、一度出してしまった馬車事故の件の逮捕状も取り下げなければならない。この件を知って居る者たちへ、エレーナ・ハイムはハイム子爵とは関係がなかったとして報告をあげなければならないし、厄介なことだらけだ。それに万が一のことを考えるとゾッとしてしまい、思わずノーと言いたいセドリックだったが、キラキラとした瞳で己を見つめてくるレイチェルに、またしても敗れてしまったのだ。
セドリックなりの最大の譲歩にレイチェルは少し不満があったものの、それでも自分を信じてくれた嬉しさで、レイチェルはセドリックに思わず抱きついた。
「ありがとう! セディ!」
「――はいはい、どうせ俺が許すって勝算があったんだろう?」
拗ねたような口調でそういうセドリックの耳は再び真っ赤になっていた。心なしか唇も吊り上っている。
「でも、少しでも俺が危険だと思ったら、この話は無しだからね」
「えぇ、分かったわ」
絶対そんなことにならないわという言葉を飲み込んで、レイチェルはセドリックに微笑んだ。
こうして、エリーはレイチェルの話し相手として公式に王城に滞在することとなったのだった。




