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大人たちに囲まれた日から、五回目に目が覚めた日だった。
コンコンという初めてのノックの音の後、綺麗な女性が入って来た。この不気味なぐらい真っ白な部屋で目が覚めてから、ノックの音を聞いたことは初めてだった。驚いて返事もできないで居ると、間をあけて綺麗な女性が現れた。女性の後ろにあの軍人がいないことが確認できると思わず安心のため息が漏れる。
「……お姉さん……綺麗……」
思ったことが、口から漏れ出てしまっていた。
初めて見る黒い髪は、ツヤツヤと輝いていてる。平民の間では見たことのない白い肌とのコントラストが、女神のように思えた。
女の人は私の言葉に少し驚いたあと、優しく微笑んでくれた。目が覚めて誰かにこんな笑みを向けられたのも初めてだった。
優しく微笑む母の姿が重なって見え、もう涙が枯れるぐらい泣いたはずなのに、涙が止めどなく溢れ出してしまう。
女の人は私のそばにそっと近寄ると、そのまま私を抱きしめてくれた。そんなことをされたのは、母が死んでから初めてだったので思わず体が強張る。
目が覚めてからもずっと一人ぼっちで、先が見えない絶望の中をずっと彷徨っていたような気持ちだった。
私を見る目は冷たい目ばかりで、誰も私を見てくれない。これは悪い夢だと思いながら寝て起きると、変わらない絶望の白い空間が待っている。消えてしまいたいと何度思ったか分からない。
女の人から伝わる暖かい温もりと、薔薇とお日様が混じった良い香りに心が落ち着いていくことが分かった。
「……お姉さんは、天使様なの?」
だったら早く私をこの空間から連れ出してほしい……そう願いを込めて縋るような瞳を向ける。女の人はまた少し驚いてから、なんだか困ったような笑みを浮かべた。
「私は、そんな大層な存在ではないわ。私は、レイチェルっていうの。あなたの名前を教えて?」
「――エリー……私は、エリーです……」
この白い部屋で目が覚めてから言い続けていることだ。また、否定されるのだろうかと身構えていると、女の人は「そう……エリーっていうのね」と私の言い分を受け止めてくれた。
「……信じてくれるの?」
恐る恐る女の人を見上げると、「えぇ」と言って微笑んでくれる。嘘を見抜く大人もいないのに、女の人は私の言葉を信じて優しく微笑んでくれた。そのことが嬉しくてまた涙が溢れ出す。
女の人はそんな私をしばらく抱きしめてくれていた。やがて、私の呼吸が落ち着いてくるのを見計らって「……私の話を聞いてくれるかしら?」と言ってから話を始めた。
「……私ね、レイチェルっていうんだけど、レイっていう名前もあるの。ちょっと前にね、朝起きたらレイチェルになっていたの。少し考えてレイが前世の名前だったことを思いだしたわ」
目が覚めたら、エレーナ・ハイムさんに間違われている私は、お姉さんの話がただの不思議な話には思えなかった。
「レイチェルとしての記憶もあるし、レイとしての記憶もあるの。こんなこと言っても誰も信じないと思って、誰にも言ってなかったの。でも、エリーは信じてくれる気がして……信じてくれる?」
そんなことが本当にあるのかと驚いてしまう話でも、今の私の状況を顧みれば呑み込むことができた。
私は唖然としながらも深く二回頷いた。女の人は私の背を摩りながら、「ありがとう」と言うと話を続ける。
「私は、レイチェルだけどレイでもあるの。でも皆んなレイを知らないから、私のことをレイチェルって呼ぶわ。私も、レイチェルとしての記憶もあるからそんなに違和感は感じないの。――エリーは、エレーナさんを知っている?」
「知りませんっ! 私、本当に知らないんですっ! なんだか聞いたことがある気もするけど、でも本当にっ」
この女の人にだけは信じてほしいと切実に思ったからか、つい声が大きくなる。
「エリー……大丈夫よ。私は、あなたを信じてるわ」
慌てて弁解する私を女の人が優しくなだめてくれた。
「――私はエリーを信じてる。それを前提に私の話を聞いてくれる?」
この人が言うことなら信頼できると心から思い、不安な気持ちを封じてゆっくりと深く頷いた。
「――あなたを記憶喪失だとお医者様は言っていたけど、私は貴方とエレーナさんは別人だと思っているの」
今まで聞いてきたこととは全然違う女の人の話に驚いて言葉が出ない。
「――私の憶測なんだけど、13歳だったエリーの体に違う魂が入ってしまったんだと思うの。それがエレーナさんだと思っているわ……。エレーナさんについて聞いたことはある?」
「……すごく悪いことをしたって……本当なら処刑だって……。――でも慈悲をもらって生かされてるって」
「……っち……あの口の悪い筋肉ダルマめ」
「……え?」
「いえ、なんでもないのよ……」
女の人の笑顔が一瞬固まってからすごく怖い雰囲気になったが、すぐ気を取りなおすように咳払いをして優しい笑顔に戻ったので安心した。
「……そうね……エレーナさんは確かに間違ったことをしたわ。そして、捕まった後、牢屋で命を断とうとしたの……」
そういえば、軍人がそんなことも言っていたと思い出す。
「私はね……そのときにエレーナさんは消えてしまったのだと思うの。それで、エリーの記憶が戻ったんだと思う」
レイチェルさんが来るまで、軍人に言われたことを思い出しながら、自分の体を触って確認したりするなかで、自分は13歳ではないのだろうと受け止めざる得ない現実に追い詰められていた。
「……こう考えたら、エリーの記憶が13歳のまま止まっていても不思議ではないでしょう? 私がレイとしての前世を思い出したぐらいだから、こんなことが起こることもありえると思うわ」
「……でも……記憶喪失だって……」
「――そうね。そう考えるのが一番妥当だし現実的だと思う。でも、だからってそれが真実とは限らないわ。――私、エレーナさんを知っているの……そして今日貴方と会って、自分の考えに確信が持てたわ。貴方は……エリーは、エレーナさんとは何もかもが違うって」
体が13歳でないことは呑み込めても、エレーナという名前だと言うことだけは呑み込めなかった。軍人の言う通り、記憶喪失だとしてもエレーナという名前だけはどうしても自分のことのようには思えなかったのだ。だが、13歳であることと、母が死んだこと、ユリウスのこと以外覚えていないのだから、軍人の言うことに真実があるのだろうと思い始めていた。でも、どうしても自分がエレーナさんであるという現実は受け止めきれず、それが私を苦しめていた。
女の人が言ったことは、想像もしてなかったことで突拍子のないことだけど、そんな考え方の方が、心にしっくりときてしまった。
「――私はレイだけどレイチェルとしての記憶もあるわ。でももし、何らかの理由でレイという私が消えてしまったら、レイチェルだけが残るのかなって考えたことがあるのよ。だから、貴方のことを聞いたとき、ひょっとしたらって思ったの」
私は黙ってレイチェルさんの話に耳を傾けた。
「――もともと私とエレーナさんとは仲が良くなかったのよ。そして結果的に、私がエレーナさんから大切な人を奪ってしまったの……。だから、エレーナさんは私をすごく憎んでいたわ……。彼女に何をされても仕方ないって思ってた。そんな彼女が自殺未遂をしたって聞いてすごく心が痛かったの……私のせいだって思った……。でも、エリーが戻って来てくれて嬉しいわ。――エレーナさんには申し訳ないけど、エリーと出会えて私は嬉しい」
レイチェルさんはそう言うと、私をまた抱きしめてくれた。
「――ねぇ、エリー……私は貴方を信じてる。でも、人々が本当の貴方を信じることは時間がかかると思うの……」
それは仕方ないと思った。自分でも自分の状況が信じられないのだから、他人からは信じてもらえなくて当然だ。
「でも、私はエリーを信じてるし、エリーを守りたいと思ってるわ。私のことを信じてくれる?」
自分さえも信じられない状況にあっても、レイチェルさんのことは信じられる。
自分が何者であれ、この人のことを信じようと強く決心し、私はレイチェルさんに意思を表すため一つ深く頷いた。
これが私とレイチェルさんの出会いで、私が失った自分を取り戻していく最初の一歩となった。




