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「お嬢さまっ……とてもお似合いですっ!」
「そ、そうかしら」
「はいっ! 本当にお綺麗ですっ! 」
メアリーの賛辞になんだか恥ずかしくなって自室から出るのが躊躇われる気持ちになった。
「これも全て殿下と王妃様のおかげね」
「……お母様……ご心配をおかけして申し訳ありません……」
「いいのよ。こうして全て解決できて、レイチェルの晴れ姿を見れたんだもの。お母様は、レイチェルが幸せならそれでいいのよ」
母の優しい言葉に思わず涙が出そうになったが、綺麗に化粧を施してもらったことを思い出し必死に堪えた。
私が巻き起こしてしまった真っ黒ドレス事件は、見事セドリックと王妃様が解決してくれた。
恐れ多くも、王妃様が結婚お披露目会の際に着用していたドレスを少しアレンジして着ることになったのだ。
陛下の髪色をベースに作られた黄金のドレスなら、セドリックの婚約者である私が着ても都合がいいし、何より王妃様が大切にしているドレスを貰うことはプライスレスでとても強いアピールになるとのことだ。
しかし、正直この案を聞いた時は、頬が引きつってしまった……。
自分が問題を作っておいて言うことではないが、それは勘弁してくれ! と声を大にして拒否したかった。
黄金のドレスなんて、エルフの美貌を持つ王妃様だから着こなせるのであって、地味レイチェルが着たところで金のメッキドレスになってしまうと思ったからだ。
これも私が撒いてしまった種だ……もともとは黒いドレスで出ようとしてたぐらいだし、潔く公開処刑を受け入れようと覚悟していたのだ。
でも卒業式の今日、出来上がったドレスを改めて着てみて驚いた。
試着したときよりも更に装粧品が少なくなった黄金のドレスは、いたってシンプルだったがレイチェルの青白い肌の色を生き生きと魅せてくれた。
ドレスがシンプルなせいか、今日のためにセドリックから贈られた大きなエメラルドが胸元でより一層の輝きを放っている。
長い黒髪も珍しく結い上げたせいか、地味な雰囲気は一切なく、知的かつ色気のあるレイチェルが鏡に映っていた。
地味だ地味だと酷評していた自分の姿が、はじめて魅力的に見えた。
セドリックの髪色と同じ色のドレスに、胸元にはセドリックの瞳をそのまま石にしたようなエメラルドが輝いていて、いかにもセドリックの婚約者らしい姿に頬が熱くなる。
そのまま部屋を出ると、涙ながらに父と兄に絶賛された。
「あぁ! レイチェル! なんて愛らしいんだっ!」
「まるで妖精……いやっ、女神のようだよっ! 」
あまりの言いように思わず部屋に帰りたくなったが、セドリックが迎えにきたという執事の報告に緊張で身が強ばった。
父にエスコートされながら、ゆっくりとセドリックが待つ玄関ホールへと向かった。
玄関に続く広い大きな階段を、エスコートされながらゆっくり降っていると、ホールに立つセドリックと目が合う。
目が合ったものの、セドリックは呆然としていて、いつものように柔らかい笑みを見せてはくれなかった。
てっきり父兄のように、尻尾がちぎれるぐらい喜んでくれると思っていたから、急に不安な気持ちが育つ。
「お待たせしました、殿下」
「…………」
「……殿下?」
返事がないセドリックに不安が募り、思わず隣に立つ父を見上げると、父は嬉しそうに微笑んでから一つ咳払いをした。
「……! あ、あぁ、申し訳ない」
「殿下、我が娘をよろしく頼みますぞ。婚儀まで、あまり早まったことはなさらないように……」
「……! も、もちろんだ、公爵。約束しよう」
少し耳が赤くなったセドリックと父が強く握手を交わしてから、セドリックが私に向き直った。
「レイチェル……とても綺麗だ……思わず見惚れてしまった」
照れながらもしっかりと目を見ながら褒めてくるセドリックに、私の頬まで赤くなってしまった。
「……ありがとうございます。その……殿下も、とてもお似合いです……」
私の色を纏ったセドリックは、前世のアニメキャラクターが来る軍服のような格好になっていた。セドリックの金髪が軍服の黒に映えて、美しいという表現がぴったりだった。
ちなみに、この世界の軍服は階級によって色が違うが、一番ポピュラーなのは茶色だ。
「レイチェルの色を纏えて、とても幸せだよ」
「……もう……やめてください」
「ネックレスも良く似合っているね」
照れながらも幸せそうに微笑むセドリックと、それに当てられて真っ赤になってしまった顔を隠すように下を向く私をしばらく嬉しそうに見ていた父が咳払いしたことで、私たちはハッとして苦笑いをこぼした。
セドリックに差し出された手を取り、私たちは馬車に乗り、先に王城へと向かった。
◇◇◇◇◇
セドリックにエスコートされながら大広間に入った私は、注目の的だった。
第二王子と婚約者のペアというだけでなく、お互いが身にまとう色が独特すぎるからということもあり、それはもう目立ちに目立った。
ダンスを踊る際だけではなく、私の側からひっついて片時も離れようとしないセドリックを見て、周りはさらに驚いているようだった。
エレーナ・ハイムの件は、ハイム子爵が捕らえられたことで、セドリックがエレーナに任務で近づいていたということは貴族たちの知るところとなった。
しかし、あの後私たちの関係が変わったことは知らない上に、学園生活の中で一切見せなかった甘い顔に驚きを隠せないようだ。
私のそばで飲み物を準備したり、腰に手を添えて寄り添い、隅々まで気を配りながら優しく微笑むセドリックの姿に、令嬢たちからは桃色のため息が漏れた。
「セディ……あんまりくっつかないで。恥ずかしいわ」
「却下だ。いたるところに狼が居るのに、どうやって離れることができると思うの?」
「……狼だなんて」
「とにかく、ダメ。今日はずっと俺のそばにいて」
「子供じゃないし、大げさだわ……」
「大げさなもんか。あいつもあいつも、あそこに居るあいつも! 皆んなレイチェルを見てるんだよ? 本当はもう一ミリだって見せたくないのに……」
拗ねるように俯いてしまうセドリックに苦笑いをこぼして、手を握っていると、いつの間にかギルバート様が近づいていて声をかけてきた。
王家の者が学園を卒業する際は、王家の一員として宣言を行うという伝統もある。
パーティーも前半が過ぎて後半に入り、ギルバート様はスピーチの準備のためセドリックを呼びに来たのだった。
渋々と言った様子で、私に一人にならないようにと何度も言ってから名残惜しそうに頬にキスをすると、セドリックはギルバート様と一緒に準備に向かった。まるでこれから何日も会えないかのような態度に少しだけ笑いがこぼれてしまう。
それから暫く兄と過ごしていたが、化粧直しで侍女に連れられ王城の一室に入った。
そして、一通り化粧直しが終わり、戻る前に少しだけ風に当たろうとバルコニーに出た時だった。
何かが勢いよく、右頬すれすれに掠め後ろにある窓ガラスをパリンと音を立てて割った。
驚いて振り返ると、部屋の絨毯に短い矢が刺さっている。
結構な音がなったが、部屋の外に居るはずの兵が部屋に入ってくることはなかった。
私は侍女に急いで確認を取るようアイコンタクトを送ると、侍女は慌てて部屋から私を連れ出そうとした。するとまた、矢が部屋の床に突き刺さる。矢は、私と侍女の間を貫いていた。矢を確認してから、再びバルコニーに目を向けると、庭の草の間から女がゆらゆらとこちらに向かって歩いていている姿が見える。
目を凝らしてよく確認すると、薄汚れて身なりもボロボロだったが私には誰であるかハッキリと分かった。
「……! エレーナさんっ」
エレーナは私がいるバルコニーに、おぼつかない足取りでゆっくりと近づいていた。
尋常ではない彼女のように身の毛がよだつ思いだったが、彼女が私のみを狙っているのだと判断し、侍女を私から離そうとする。
「急いで、兵を呼んで来てちょうだい」
「し、しかしっ! 危険ですっ! 早くお逃げにならないとっ!」
「いいからっ! はやく! 言う通りになさいっ!」
私の大声に怯んだ侍女は深く頷いて部屋から出て行った。
どうしてかは上手く説明できないが、ここで逃げてはいけない気がしたのだ。
とりあえず守護魔法を展開して様子を伺う。
「……エレーナさん? エレーナさんでしょう?」
私の問いかけに応えることなく、彼女はとうとうバルコニーと庭の境目である柵まで近づいて来た。私を見る目は虚ろで、ブツブツと何かを呟きながら柵に手をかけると、汚れた足を柵にかけてよじ登ろうとしている。この世界の令嬢ではありえない行動に面食らっていると、柵を超えたエレーナが私に飛びかかって来た。
守護魔法を展開していた私はそれを躱すと、彼女はベシャッと大理石でできたバルコニーに顔から転んだ。
まるでホラー映画のような展開に震えていると、彼女はボロボロになったドレスの中から短い矢を取り出した。
「……あんたがっ……あんたが邪魔するからっ……! 私がっ……! 私がヒロインなのにっ!」
その言葉にピーンときてしまう。今まで不明だったが、どうやら彼女も私と同じように転生者らしい。
「……そんなっ……あ、あなたもなの!?」
だとしたら、自分は本当にヒロインちゃんの邪魔をしてしまったということだろう。でも、私も幸せになる権利はあるし、もちろん彼女もそうで……。
これまでエレーナが私と一緒の転生者だということを考えなかったわけじゃない。考えないようにしていたのだ。もしそうであれば、この世界の本来のルートを壊して彼女からセドリックを奪ってしまったような気がしてしまうから……。
「……ぜんぶ……全部あんたのせいよ……あんたが私から全部奪ったのよっ!」
「……っ!」
「あんたが途中で嫌がらせをやめるからよっ! あんたも転生者なんでしょ!? でもヒロインは私なのっ! 私がっ! 私がヒロインなの! あんたは悪役でしょ!? なんであんたがそこに居るの!? 私の場所を返してよっ!」
まるで自分の心の中を読まれたような言葉だった。
「あんたのせいでめちゃくちゃよ……あんたが居るから世界が歪んだのよ……あんたさえ居なければ……そうよ……だから私が……バグは直さなきゃ……」
私の存在自体を否定する言葉に喉がヒュっと音を立てる。
私もセドリックとこうなってから、心のどこかで私のことをそう感じてしまって居た。でも、この世界でレイチェルは確かに存在して居て、レイチェルを愛してくれる家族もいる。ただの乙女ゲームの世界ではなく、この世界は存在していて、レイチェルもセドリックも家族も、一人一人命を持った人間として存在しているのだ。
当然流れに沿ってセドリックと婚約することは悪いことではないはずだ……でも乙女ゲームの流れを知ってしまっているからこそ、人の恋人を横取りしてしまったようなそんな気分にもなった。
当然こんなことは誰にも言えないし言うつもりもなかった。
「……ごめんなさい……」
無意識にそうつぶやいていた。
「……なによ今さらっ……今更おそいのよっ!」
初めて私の言葉が彼女に届いたと思えば、エレーナは矢を持った右手を大きく振りかぶって私に矢を突き刺そうとしている。
私はまるで己の罪をしっかりと見届けるかのように、彼女から目をそらさずしっかりと右手の軌道を目で追っていた。
守護魔法を展開しているので、怪我をすることはないが、そんなことは頭にもうなかった。
もう少しで矢が刺さると言うところで、エレーナの手が止まる。
守護魔法かと思うとどうも違うようで、何かに手を引っ張られているように見えた。
「どうしてっ! どうしてよっ!」
髪を振り乱しながら止まっている右手に左手を重ねて圧力をかけ、私に矢を突き刺そうとしているエレーナの姿に震えが止まらなかった。
「……エ、エレーナさん」
「……に……」
暴れていたエレーナがパッと動きを止めると、濁って淀んでいた彼女の目に少しだけ光が戻った気がした。するとうめき声を漏らしながら、一生懸命に矢を握った手を震わせながら少しずつ開いていく。自分の思い通りにいかない筋肉を必死に動かしていくような様子だった。
唖然としながら見ていると、光の灯ったエレーナと目があう。
「……にっ……にげっ……にげて……ぐっ!」
矢が床に落ちたかと思えば、エレーナも頭を抱えて蹲る。
汚れてしまった桃色の髪を手でワシワシと掻きむしりながら呻く姿は、以前の愛らしいエレーナとは全く重ならない。
「はっ……ぐうっ!……うっ……おねがっ……はやくっ」
急にバッと顔をあげたエレーナは、呆然とする私を見ながら大声で叫んだ。
「……っ! にげてっ! はやくっ!」
私にそう叫んだエレーナは再び、床に蹲ってうめき出す。
言動が一致しない彼女の様子を見ながら必死で状況を整理しようとする。
確かに、彼女は私に「逃げて」と言った。
「……ど、どうして……」
「……ぐっ!……ううっ……はや……はやくっ……ぐっ! ああああああっ!」
蹲って呻いていたエレーナが、頭を床から離して喉が仰け反るぐらい頭を反らせながら大声で苦しみだした。
私は意識の確認を取るため、彼女に近寄って触れて声をかけた。
「エレーナさんっ! 大丈夫?! エレーナさんっ!」
「……ぐぐっ……うううっ」
髪を掻きむしりながら苦しむエレーナの様子に心臓がバクバクと嫌な音を立てる。この場をどうするべきかパニックになってしまった脳を必死に動かしていると、部屋の扉が大きな音を立てて開かれ、セドリックと数名の近衛が入ってきた。
「レイチェルっ!」
セドリックによってエレーナから引き離され、強い力で抱きしめられるが、私の目は依然エレーナに向けられている。入ってきた近衛であるクリスフォードによってガッチリと捕らえられたエレーナは、大声を出しながらクリスフォードの拘束から身をよじっていて、その姿はまるで野生の獣のようだった。
暴れるエレーナを力強く抑えるクリスフォードの腕に痛みを感じたのか、エレーナの頬に涙が流れた。
「やめてっ! お願いっ」
「レイチェル!?」
「クリスフォードっ! お願いよっ!」
私の途方も無いお願いに、クリスフォード含めセドリックも驚いている。
当然、クリスフォードの腕が緩むことはない。私は、私を抱きしめるセドリックの腕の中から必死に訴えた。
「クリスフォードっ! やめてっ! やめなさいっ!」
あまりの私の剣幕に、クリスフォードの腕が一瞬だけ緩み、エレーナのうめきが止まった。垂れ下がった頭をゆっくりと持ち上げたエレーナは、私を見つめながら、力ない声で一言呟くとそのままクリスフォードの拘束のなか気を失った。
私は、力なく項垂れるエレーナの姿を、セドリックの腕の中で呆然と見ていた。頭の中では、彼女が最後に精一杯呟やいた言葉が木霊していた。




