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その日の王城はいつもよりバタバタと人通りが多く、良く言えば活気があり悪く言えば忙しない時間が流れていた。どちらにせよ優雅とはかけ離れている王城らしくはない様子であった。
王城がいつもの空間を失っているのには、予期せず重なった行事のためであった。まずは第二王子とその婚約者が通う学園の卒業式であるが、こちらは予定通りに王城では準備が進められていて何も問題はないように思えた。だが先日、婚約者側のお家をもってしても解決が難しい問題が発覚した。
学園の卒業式は、聖ウラングランド帝国では学生からの卒業という意味はもちろん、成人した貴族としての自覚、つまりは自分の紋章に責任を持つという大きな行事の一つであった。
この卒業式の場でプロポーズをする子息も珍しくはない。もちろんお家同士の承認が済んでいなければ結ばれはしない。貴族の令嬢にとって、華々しい人生の門出の場で思い人からプロポーズされるということは、劇の台本になるぐらい憧れの対象であった。
当然ながら、学園に通う女生徒達はこの日のために自分を磨きに磨き身に纏うドレスは一年前から決めていたりするものだ。気の早い者は、入学したときからデザインを考えていたりする。少しでも自分が綺麗に見えるように、立派な淑女として思い人の目に映るように美しく飾るのだ。
第二王子の婚約者である公爵令嬢も、そんな日のためにドレスの準備を進めていた。令嬢の両親もドレスの件は娘が一番着たいデザインを着るべきだと思い、娘の晴れ姿を楽しみにしながら娘を全面的に信用し任せきっていた。
そして卒業式の1週間前にとうとう出来上がったドレスが公爵家に届き、王城に出向いていて不在の娘に代わり公爵夫人が受け取りの代行をしたところ、ドレスを一目見て公爵夫人が顔を真っ青にして倒れてしまった。
すぐに次期公爵から王城に連絡が行き、問題が露見したのが1週間前だ。しかし当の本人は、王城の豪華な一室で第二王子と1枚の絵画のように美しく抱き合っていたのであった。
まるでやっと世界が一つになったとでもいうように抱き合う男女がいる部屋の扉が開かれると、顔を真っ青にした王城の侍女長がいた。侍女長の「卒業式でのドレスの件についてでございます」という簡単な説明に、公爵令嬢と令嬢付きの侍女の顔から血の気が引いていった。令嬢は今の今までドレスの件はすっかり忘れていたとばかりに、やってしまったという顔をしている。第二王子は一体何のことやら分からないが、何か不備があったのだろうということは理解し婚約者に優しく尋ねる。
しかし当の本人は、すごく気まずそうに目を逸らした。まるでいたずらがバレて叱られる前の子供のような態度を見せる婚約者に、第二王子は内心少し焦りが生まれ始める。
令嬢はやがて観念したかのように軽い息を吐き出し、第二王子へ問題のドレスについて話し始めた。
「真っ黒だって!?」
「えぇ……」
「……一部分ではなく?」
「――えぇ……」
先ほどまで流れていた幸せな時間が嘘であったかのような沈黙が部屋を包んでいた。
貴族の中には暗黙のルールというものが多々ある。公式には決められていないものの、この卒業式にも暗黙のルールというものが存在していた。全ての女生徒の憧れであるプロポーズには両家の承諾が最初に必要であることもその内の一つだ。そして、プロポーズを行うものは、相手の体の特徴的な色を一つ身につけるというルールも存在する。女生徒は特に思い人も婚約者もいない場合は白かクリーム色がベースのドレスを着る。そこにどんなデザインを施すかは個人の自由である。
既に婚約者がいる者も珍しくないのが貴族社会だ。そういった者達は、互いに婚約者の色がベースの衣装を身につけ決まった相手がいるというアピールをする。
そして未だかつて誰も行わなかったルールが存在した。
それこそ、今回この公爵令嬢が巻き起こした問題のドレスだ。自分の色をベースにしたドレスを身につけるということは、自分はこの先誰のものにもならないというアピールになり、つまりは生涯独身宣言につながる。
婚約者の色が自分と被ってしまうケースの場合は、婚約者の目の色であったり紋章の色だったりを取り入れて、自分の色とはできるだけ遠い色を選択するのだ。
公爵令嬢の言い分は、自分はもともと平民になるつもりであり、この卒業式で貴族社会から抜けるつもりだったというものだった。
令嬢が出来上がった自分の色のドレスを着て卒業式に出席すると、大変な事態になることは火を見るよりも明らかである。
第二王子は婚約者を決して責めず、非は自分にあると令嬢に言い聞かせた。申し訳なさそうに俯く婚約者を慰めるように抱きしめ、問題解決の糸口を必死に探るため脳をフル回転させていた。
この時期になってしまうと新しく仕立てるのは不可能だし、かと言って既存のドレスでは王家の婚約者としてあまりにも特別感がない。自分だけの力ではどうにもならないと思いながら、最近とある一件
でとても忙しくなった母である王妃に相談する目論見を立て始めた。
しかし第二王子が相談する前に、この問題が予定外の行事に追われる帝王と王妃、そして第一王子の元に届くまでは一瞬だった。全ての事情を知る王家は、令嬢のこれまでの気持ちを察し、致し方ないとし王家でなんとかすると公爵家に約束をしたのであった。
「ごめんなさい、母様……俺一人でなんとか出来れば良かったんだけど」
「良いのですよ。この件は母が責任を持って準備をしますから、貴方はレイチェルちゃんをしっかりとケアするのですよ?」
「うん、ありがとう。リリアン王女の件は大丈夫そう?」
「その件はギルバートと陛下にお任せしてます。しばらくは二人とも忙しくなりそうだわ」
第二王子に婚約者がいるように、第一王子にも幼い頃から定められた婚約者がいた。この世界に聖ウラングランド帝国とアイゼンゲイン公国が誕生したときから、帝国の第一王子は公国の王女と結ばれてきた。もちろん現在の王妃の出身もアイゼンゲイン公国である。
この決まりのおかげか、両国の関係はずっと良好であった。
聖ウラングランド帝国第一王子のギルバート・ウラン・ハイデンにも、アイゼンゲイン公国の大公の娘であるリリアン王女が婚約者として選ばれていた。
予定では、冬が明け帝国が一番美しいとされる時期にリリアン王女が来るとされていた。婚儀まで1年間、様々な準備を整えるため帝国で過ごし、王太子妃となるのだ。
しかし、先日公国から緊急な連絡が入った。リリアン王女が予定より随分と早く、独断で帝国へと向かってしまったらしいのだ。王女が公国を独断で出発してから、帝国へ到着する予想予定日は、第二王子の学園卒業式の翌日とされた。
帝王もリリアン王女の話は、大公に会うたびに話を聞いていたし、手紙のやりとりもあった。帝王は、子息しかいない自分には、気の強いリリアン王女の話しはとても微笑ましく思えた。
困り果てた大公からの連絡に驚きはしたものの、帝王は予定より早い受け入れを承認し、ギルバートと共に猛スピードで準備を整えることになったのだ。
こうして二つの大きな行事が見事に重なってしまい、王家に関わる人間も王城も時間に追われることになってしまった。
この忙しさが後に危ない現場を作り出してしまうとは、誰も想像もしなかった。




