27
いきなりセドリックが突入してきたかと思うと、ギルバートは少しだけ唇を吊り上げながら退出していった。
どこか興奮した様子のセドリックは、ギルバートが出ていった扉をしばらく睨みつけていたが、突然我に返ったようにハッとして私の方を振り返る。
「レイチェル! もう体調は大丈夫なのか!?」
「えぇ、大丈夫よ。今朝はスッキリ起きれて調子が良いの。きっと薔薇庭園のおかげだわ。それに、またお医者さんにも診ていただいたし、もう大丈夫よ」
まるで幽霊でも見るかのように呆然としているセドリックに心の中でそっと笑って、私から声をかけた。
「――なによ。そんな、お化けでも見たような顔をして」
「い、いや、そうじゃないんだ。えっと……あっ……どれぐらいここに座っているの? そろそろベッドで横にならないとっ」
「大丈夫って言ってるじゃない。妊婦でもあるまいし」
「に、に、妊婦!? だ、誰だっ!? いったいどこの誰とっ!」
セドリックの目が急にギンと開かれて、それなりの力で肩をグッと掴まれたかと思えば、前後に揺すられた。さっきまで体調を心配していたくせに、この仕打ちはないだろう……。
「ちょっと! 落ち着きなさいよ! 痛いわ」
「ご、ごめん!」
セドリックは私の肩から勢いよく手を離し、少し距離をとった。しゅんとしている姿は、主人に叱られた犬のようだ。
「人の話をしっかり聞きなさい? 私は妊婦でもないし、健康そのものよ。例えで言っただけじゃない」
「そ、そうか……そうだよね……ごめん、つい驚いて……」
項垂れながらも、チラチラとこちらの様子を確認するものだから面白い。私が知っているセドリックとも、ショーンとも違う態度がなんだか新鮮だった。
気まずいからか後ろめたいからか、はたまた恐怖からか分からないが、セドリックは私から目をそらしたまま口を開いた。
「……兄さんと、何を……話してたの」
「貴方が、教えてくれなかったことを聞いていたのよ」
私がそう答えると、セドリックはビクッと体を揺らし目線が落ち着きをなくした。きっと、何を何処までどのように聞いたのかを推測しているのだろう。
「とりあえず、座りなさいよ。メアリー、新しいお茶をお願い」
とりあえず先ほどまでギルバートが腰掛けていた椅子に座るように促し、冷めきったお茶も温かいものに変えてもらう。
セドリックは、おずおずと席に腰掛けると相変わらず落ち着かない仕草を見せた。
「そんなに怯えなくても、とって食べはしないわ」
新しいお茶がメアリーによって運ばれてくると、私はすぐにカップを手に取り香りを楽しんだ。
王室御用達のローズティーは芳醇な香りと、淹れたてを陽に当てるとキラキラとローズゴールドの輝きを放つことが特徴だった。今日は特に天気がいいので、その輝きと香りが一段と素晴らしく感じられる。
「王城のお茶は、本当に美味しいわ。香りも見た目も素晴らしいけど、やっぱり何よりも味が素晴らしいわね。もうこれで三杯目なのよ?」
「そ、そうか……それは……よかったよ……」
「公爵家にとっても美味しいローズジャムがあるのだけれど、それと合わせてもとても美味しいと思うわ。でも、貴方には少し甘すぎるかもね、ふふっ」
気分良くお茶を楽しんでいる私に、セドリックは恐る恐る話しかける。
「――どうして、俺と口をきいてくれるの? それともこれは俺の都合のいい夢かな……」
「……あなた、本当は『俺』って言うのね。ショーンのときと一緒だわ。朦朧としているのなら、私が思いっきりつねってあげましょうか?」
お茶を口に含んでからにっこり笑って見ると、セドリックはまだ頭の整理がついていないような顔をしていた。
私は宣言通り手を伸ばして、そこらの貴婦人よりもはるかに美しい顔をしているセドリックの頬を渾身の力をこめて抓った。痛いと叫ぶかと思えば、無反応なセドリックに一気に面白みがなくなり手を放すと、その手をそっと掴まれる。
「――どこまで聞いたの?」
私の手をそっと握ったまま、聞いてくるセドリックは、今まで見た中で一番自信が失われ頼りなげに見えた。握られた手からも微かに震えが伝わる。
「――全部よ。貴方がショーンとして私を騙していたこと以外、全て聞いたわ」
「騙してるつもりじゃなかったんだっ! いや、結果そう思われても仕方ないけど、俺はっ」
「分かっているわ。――私に会いたかったんでしょう?」
セドリックの手がさらに震えて、瞳に薄い膜が張った。唇を噛むようにして、コクンと頷いた彼に微笑みながら続ける。
「――私もそうだったもの」
不安げな瞳を見つめ返しながら、私の手を握っているセドリックの手を一度放して、改めて私の方から握りなおす。
「――私、平民になるつもりだったのよ? それなのに、明らかに平民ではない貴方と会い続けていたのは、偏に私が貴方に会いたかったからよ。それも、貴方が私を熱心に見ていると気付きながらもね……」
セドリックは私の話に真剣に耳を傾けながらも、どこか少年のように恥ずかしがる素ぶりを見せる。そんなセドリックが、ある時のショーンと重なった。
やっぱり、ショーンの姿のときの態度全てが嘘ではないと確信する。
「――昨日は、ひどいことを言ってごめんなさい……」
「いや、あれは当然のことだよ! 実際、俺はそれだけのことをしたわけだし……!――俺の方こそ、本当にごめん……。レイチェルの言う通り、いけないことだと分かりながらも、君に会いたかったんだ……セドリックだと言ったら会ってくれなくなるって思って、君に嘘をつき続けてしまった……本当に……ごめん」
「――そうね。正直に言うと、なんで本当のことを言ってくれなかったのかって怒りたい気持ちもあるわ。――でも、貴方の立場や、私の性格を考えると難しいことだったと思う。貴方の言う通り、もしもショーンが貴方だって分かったら、私は頑なに貴方を突き放していたと思うもの」
真実が分かった今だからこそ、そう思えた。もし、セドリックが早い段階で私に真実を話していたところで、私はゲームのシナリオという呪縛から抜け出せず、混乱してセドリックを突き放していただろう。全てが終わった今だからこそ理解ができるのだ。
そして、ショーンと出会っていなかったら、セドリックをここまで理解してあげることはできなかっただろう。
「いや、俺がもっと前からレイチェルを知る努力をしていれば、こんな形で傷つけずにすんだ……」
「それは、お互い様でしょ? 私も前は貴方に興味なんて微塵もなかったもの。単に政略で結ばれたパートナーとしか思っていなかったわ」
「それでも、俺は君を婚約者として大切に扱うべきだった。――君の存在に感謝して寄り添うのは、男として当然の勤めだった。君が俺に興味などなくとも、いずれ君を大切な家族から引き離して貰い受けるんだから……」
「あら、義務としてそんなことをされても、ちっとも嬉しくないわ。それに、もし前から私が貴方を好きでいたのなら、エレーナさんとの件はとても許せなかったと思うの。……だから、それに関してはもういいのよ」
レイチェルはセドリックに興味があったと言うより、ソイルテーレ公爵家の令嬢としての矜恃に執着していた。今までの努力をあっさりと掻っ攫うように現れたエレーナを許せないと恨んでいたのだ。もし、そこに恋愛感情までもが存在していたら、陰湿なレイチェルは単なる嫌がらせなどでは踏み留まらなかったと思う。
「――ねぇ、そんなことよりも私、本当の貴方からもう一度あの言葉が聞きたいわ」
自分を責めるように唇を噛み締めたまま俯いていたセドリックが弾かれたように私を見た。そして私の言葉の意味を理解したのか、綺麗な顔をクシャッとさせ泣きそうな顔で笑うと、私の手をそっと放して椅子から立ち上がる。
ゆっくりと椅子に座る私のすぐ隣に来ると、優雅に跪き私の左手をとって、柔らかな唇を落とした。
「――レイチェル・ソイルテーレ嬢……私、セドリック・ウラン・ハイデンは、大精霊ウランの名と私の命にかけて、貴方を何時いかなるときも敬愛し慈しみ、此の命尽きるまで側で守り抜くと誓います。――レイチェル……君のことを愛してる。俺のことを許さなくてもいい……嫌いでもいい……それでも、どうか、これからも君のそばに俺を置いて欲しい……」
どこまでも真剣な瞳には、うっすらと不安も混じっている。
気づけば前世の妹お気に入りの乙女ゲームの悪役令嬢に転生していて、シナリオ通りに平民落ちになるとばかり思っていた。
ショーンに出会って恋をして、いきなり婚約破棄される予定の第二王子に軟禁され、そしてヒロインであるはずのエレーナに逮捕状が出るなんて、そんなことは夢にも思わなかった。
さらに恋した相手のショーンが、政略で結ばれた婚約者なんて寝耳に水すぎる。
正直、こんな現実、今でも信じられないぐらいだ。眠って起きたら『全て夢でした』と言われるほうが、まだ真実味があるかもしれない。
それでも、片膝を床につき少し上目遣いになりながら私を見る、どこまでも真っ直ぐなセドリックの瞳に映るのは、確かに悪役令嬢のレイチェル・ソイルテーレである私だ。
セドリックの真摯な瞳を見ていると、私はこの世界にちゃんと存在していて、これは夢でないのだと思え、安心できる気がした。
いつもより、ゆっくりと回る頭で考える私を見て、不安で待ちきれなくなったのか、セドリックはもう一度私の手の甲にそっと唇をつけた。
「――強がりに聞こえるかもしれないけど、でも私、平民になるのも楽しみにしていたの……。貴族なんていつも体面を気にしてばかりで面倒だし、公爵令嬢としての矜持を保つことも、王子妃教育も全部もうウンザリだと思っていたわ。――でも、この先あなたを支えるためなら悪くないわね」
私は体を少し横にずらし、セドリックの方へと向き直った。
「――いいわ。私は貴方のために、これからもレイチェル・ソイルテーレで居てあげる。――でも、当分は根に持つわよ? 覚悟してちょうだいね」
嫌味っぽく笑う私を見てセドリックは感極まったようにまた顔のパーツをクシャッとさせ、泣きそうな声で「ありがとう」と言いながら俯いた。そしてしばくの後、私の手を握ったまま揺れる瞳で私を見た。
「――抱きしめても……いいかな……?」
「あら、ここにはメアリーも居るし、他の使用人も居るのよ?」
「……今更だよ」
「――仕方のない人ね」
困った顔で笑い許可を出すと、ゆっくりと立ち上がったセドリックに力一杯抱きしめられる。なぜかメアリー含む使用人から、ほうっとため息が聞こえたが、気にせずセドリックの背に腕を回し抱きしめ返した。
お互い何も話さず、部屋は静かで柔らかい沈黙に包まれている。
馬車で感じた以来の温かく心地良い体温を感じながら、ようやく満たされたような気分になった。
結構な時間、抱擁を交わしていたと思われる。
使用人の目もあることだし、そろそろ終わりにしようとセドリックの背に回していた手でポンポンと優しく叩いて合図を送った。
しかし、セドリックは私を抱きしめたまま離れようとしない。
「――殿下……そろそろ放してちょうだい」
「……いやだ……放したくない……」
「困った人ね……」
「――レイチェル……もう一つお願いがあるんだ……聞いてくれる?」
「あら、まだ何かあるの? 図々しい人ね」
セドリックの肩でくすくすと笑いながら嫌味を言うと、セドリックもつられて肩を揺らした。
「――どうか、セドリックと……名前で呼んで欲しい」
「あら、それはいけないわ。貴方は、この帝国の第二王子なのよ? 私の教養が疑われてしまうじゃない」
「……公式の場以外は、父上も母上も名前で呼び合っている」
「まあ、そうなの? ――では二人きりの時だけ、そうしてあげる……でもそのまま呼び捨てにするのは何だか気も引けるし、セディって呼ぶわ。それでいいかしら、セディ?」
肯定の代わりに抱きしめられる力が強くなり、思わずウッと声がでしまいそうになる。それに気づいたらしく、セドリックの腕が少し緩んだあと、申し訳なさげに背中を摩られた。
「――ごめん、つい」
「大丈夫よ。さ、もういい加減放してちょうだい」
「その前に、もう一つ」
「――あなた、一つって言葉の意味分かってる?……さては調子にのって居るわね」
セドリックの肩が再び上下した後、ようやく抱擁から解放された。しかし依然、距離は近いままだ。私は、全て解決できスッキリとした気分だったが、セドリックはまだどこか不安げな顔をしている。
「――兄さんと何を話していたの?」
一体何を悩んで不安に思って居るかと思えばと、少し呆れたような気持ちになりながら、質問に答えた。
「これまでの件をお聞きしていたのよ。他は特に何もないわ」
端的に答えたが、セドリックはまだどこか不安そうだ。
「――兄さん……カッコいいでしょ?」
「え、えぇ……そうね……確かに一人の人としても次期帝王としても素晴らしいお人だと思うわ。それがどうかしたの?」
「……それだけ? 男としては?」
「――あなた……何が言いたいの?」
「……いや……だから……レイチェルが兄さんを好きになっても、おかしくないなって……」
「――あなたねぇ……私を一体どんな尻軽だと思っているのかしら」
「違うんだっ!そうじゃなくて……ただ……醜い嫉妬だよ……レイチェルを疑っているとかじゃなくて……ごめん……情けないね……」
語尾にかけてどんどん声量が小さくなり俯いてしまったセドリックは、思い出の中で濃く残るショーンの姿そのものだった。
「……そんなことないわ。セディはどんな顔をしていても可愛いもの」
自分でも気付かないうちに、あの日と同じ言葉が溢れていた。
俯いていたセドリックが弾かれたように顔を上げたかと思うと、微笑む私を見ながらだんだんと顔を赤くした。ついに耳まで真っ赤になったセドリックは、少し恨めしげに私を見た後、また俯いてしまった。真っ赤な耳は相変わらずそのままだ。
「――からかってるでしょ……」
「そんなことないわ。まぎれもない本心よ。そうしていると、あの日のショーンそのものね。可愛いわ」
「っ――! くそっ、やめてくれ」
「あら、どうして? 可愛いのに」
「――今にも君を抱えたまま王城を一周してしまいそうなんだけど……それでもいい?」
「ふふっ、それは困ったわね。愛でるのはここまでにしておくわ」
お互い目を合わせて、くすくすと笑い始めて再び抱擁を交わした。
本当に信じられない結末になってしまったけど、こんな結末もありだと心の中で笑ってセドリックの胸に顔を埋めた。
「――レイチェル……愛してる」
「えぇ……私もよ。セディ……」
聖ウラングランド帝国に産まれた一人の王子と公爵令嬢は、こうして長い痴話喧嘩を終え、本来の意味で結ばれた。
まるで一枚の絵画のように美しい男女を祝福するように、薔薇の香りを含んだ柔らかな風が吹き、暖かな日差しは二人をキラキラと照らしていた。
これにて第1章は完結です。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございましたm(_ _)m
初めての作品なので、拙く読みづらいところも多々あったかと思います。
たくさんの暖い評価、誤字脱字報告、感想をいただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
想像もしていなかった日間ランキング1位を頂けたことも、とても嬉しかったです(;;)
本当に、本当にありがとうございました!
第1章を書きながら、思い浮かんだことがたくさんあります……。
申し訳ないのですが、一度そちらを整理する時間を設けたいと思ってます。
そんなに長くは掛からないと思いますので、お待ちいただけたら幸いです。
それでは、第二章でお会いできることを楽しみにてます^^
ここまでお付き合いくださった全ての方に愛を込めて……。
せららん
(追記)
感想もゆっくりとを読ませてもらいました。
せっかく読んでくださったのに、作品の流れや結末がお気に召さなかった方々には申し訳ないと思っています。
しかし、私は初めからこの流れに持っていくつもりでした。
感想を読み、結末を変えようかと迷いましたが、私にはこの結末が一番しっくりきました。
人の感性はそれぞれですので、どんな捉え方も間違いではないと思いますし、正解もないと思っています。
ですが私の作品で気分を害された方に対しては心から謝罪を申し上げます。
いろいろと考えた結果、勝手とは思いますが、感想欄は閉鎖しようかと思います。
読者様に楽しんでいただきたいと思ってますが、私自身も作品を楽しんで書きたいと思ってます。
私自身とても優柔不断で、人の意見にすぐ左右されてしまうところがあります。
落ち込んだり考え込んだりする、作品を楽しんで書くということが出来なくなってしまいそうだと思いました。メンタル豆腐です……。
改めて、これまで感想をくださった皆さま、本当にありがとうこざいました。




