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「へぇ……それで、レイラはなんて言ったの?」
「別に。特に何も言わなかったわ」
手元に馴染まないザラッとした手触りのカップを口に寄せ、なんてことないように言った。
この不思議な手触りのカップは、最近、市井で流行っている話題のカップで、この店の売りの一つだ。
「どうして?悲しくなかったの?」
「全然。むしろ、うまくいって欲しいと思ってるぐらいよ」
「ーーそれは、また君らしいというか」
「そう?私らしいって?」
「婚約者に対して本当に何とも思ってないんだなって」
「ーーそうね」
なんとも思ってないことはない……。
国のため家のためと、学業トップクラスを維持するためすごく頑張っていたし、厳しい王子妃教育を頑張って乗り越えていた。
もし、怜としての前世を思い出さなければ、レイチェルは断罪される前に心労と過労で死んでもおかしく無かったと思う。政略ということもあって、レイチェルが本当の意味でセドリックを愛していたかと問われれば、それは否だ。
でも、レイチェルなりにセドリックを大切に思っていた。少しでも、婚約者としてセドリックの役に立つために、幼い頃から必死で学業に励み、彼の隣にいて恥ずかしくない立派な淑女でいようと努力していた。
自分たちは政略で、燃え上がるような愛はないかもしれないが、それでも王族と貴族としての使命を果たさなければならない。それならば、心から信用のできる人物が片手で数える程しかいないセドリックのために、私だけは何があってもセドリックの味方でいようと決めていた。何かあったときは、セドリックの隣で彼を一番に支えられる人になろうと思っていたのだ。
エレーナが現れる前までは……。
エレーナが現れてから、レイチェルは少しずつ壊れていった。嫌がらせをしたところでセドリックの心が離れていくだけだと知っていても、エレーナを見て見ぬ振りはできなかった。
自分が今まで築き上げてきたものを一夜にして壊されたような、そんな虚しさと悔しさを忘れることはできなかった。
怜としての記憶がある今は、まあゲームのシナリオだから仕方ないと、他人事のように俯瞰視できるため、さほど執着せずに済んでいるのだろう。
「ーーレイラは、本当に平民になりたいの?」
「あら、まだ疑ってるの?」
「いや、疑ってるというか、そんな一筋縄じゃいかないだろうなって心配しているのさ」
確かに、普通に考えれば、貴族が平民になるなんてそんな簡単な話ではないだろう。
選ばれた人間でありながら、その地位を自分から手放そうとしているのだから、私はさぞかし酔狂な女と思われてもおかしくはない。
「ーーそうね。きっと、簡単なことではないわ。でも、この道しかないのよ……あの人も、私も幸せになるには……」
「ーー俺としては、君は君の幸せだけを考えてほしいけどね」
「誰かを不幸にした上で幸せになりたいとは思えないの。平民になることは、私が私らしく生きるために必要なことよ。それに、これでも勝算はちゃんとあるのよ?」
「ーーへぇ。それはそれは、さすがレイラだね。して、それは一体どんなものだい?」
興味津々といった態度を、さらっと受け流す。
「ーー内緒よ。ただ、何の計画もなく言ってるのではないと分かって欲しかったの」
「内緒……ねぇ。言ってくれたら手伝ってあげられるかもしれないよ?」
「結構よ。勝算はあるけど、私のことに貴方を巻き込むわけにはいかないもの」
私は、どうしてもセドリックとの件に、ショーンだけは巻き込みたくなかった。
「俺とレイラの仲じゃないか。そんな寂しいこと言わないでよ」
「ーー貴方は本当に交渉上手ね。でも、答えはノーよ。この話はもうこれでおしまい」
「ーーそれは残念だ」
彼を知らない人は、本当に残念と思っているか分からないだろうが、眉がわずかに下がっていることを見ると本心であることが分かる。
トーマスの件から数ヶ月。
私とショーンは何度も食事を共にしたり、一緒に観劇をしたりする仲の良い友人になっていた。
ショーンには、ハッキリと身分は明かしていないものの、セドリックのことや学園でのことをかいつまんで話すほど心を開いていた。もちろんセドリックが第二王子だなんてことは言っていない。
ショーンも深くは聞いてこないし、私もショーンの身の上に関しては詳しく突っ込まないように気を付けていた。
きっとショーンにも、私と同じような何か事情があるのだろうと踏んでいたからだ。
「それにしても、レイラの婚約者はつくづく理解に苦しむな」
「ーーそう?男性として正直なだけだと思うけど?」
「どういうこと?」
「逢瀬のお相手の胸元に大きな夢が詰まっているのよ。それに、とても愛らしい方だわ」
「ーー男が皆その大きな夢にロマンを感じるわけじゃないさ。それに、婚約者がいると分かっていながら近づいているんだから、その女性は愛らしいなんて表現に値するかな」
私は手の中にある変わったカップの触感を楽しみながら、笑みを浮かべた。
「分かってないのね、ショーン。恋愛は、荒波や大きな壁があるからこそ、より燃え上がるのよ?」
「ーーへぇ。随分と恋愛に詳しいようだね。まさか、レイラにもとうとう好い人ができたのかな?」
「ーー好い人……そうね。そうなのかも」
目の前の貴方だとは、今は言えないけどね。
どの道ショーンと私は結ばれない運命だ。今のままだと私はセドリックの婚約者だし、平民落ちしたらショーンとは身分が違いすぎて釣り合わないだろう……。
せっかく恋をしたのだから、今の間だけはこの想いを大切にしよう。そう思いながら、ショーンおすすめのお茶を飲みながら、お菓子を口に運んだ。
ショーンは少し機嫌が悪くなったようだが、笑みを貼り付けて質問してくる。
「ーーへぇ。して、その幸運な相手は誰だ?」
「ーー言えないわ。言うつもりないもの」
「どうして?」
「どうやったって結ばれないからよ。でも、想うだけなら自由でしょ?」
「ーー本当にそれでいいのか?」
「ーー良いのよ。私、今世では恋愛運はないみたいだから」
ショーンは苦笑いする私を見てから、そっと私の手を握った。
「ーー君はもっと、君のことを考えて生きるべきだ……君なりに背負うものも多いかもしれないが、それらを少し周りの人に預けて見たらどうだい?……例えば、俺とか」
「ふふっ、優しいのね。でも、本当に大丈夫よ。私、こう見えて本当に市井で暮らすことが楽しみなの」
わざと会話を反らすと、ショーンは困ったように苦笑いをしてから、目の前のお茶を口にいれた。
こうしてショーンと会える機会も、そんなに多くは残されていないだろうと思うと、少し胸が痺る。そんな痛みを誤魔化そうと、私はエンディング後の未来へと思いを馳せた。




