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トーマスが居なくなった途端に気まずい……。
とりあえず、役目を終えたことだし私もさっさと店から出ようとして、カフスボタンを預かったままだと気づいた。
「あの……こちらお返しします。用件もすみましたので、私もこれで失礼します」
カフスボタンをショーンに渡して店から出ようとするが、差し伸べたカフスボタンは一向に受け取ってもえない。
分かりづらかったかと思い、カフスボタンを持った手をグイッとショーンの方へ突き出した。すると、その手をそのままショーンに握られた。
「それは、君にあげるよ」
「ーーは?えっ、そんな、貰えませんっ!」
というか、貰いたくありません!というのが本音だ。
確かにショーンは好みだけど、こんな一癖も二癖もありそうな男から、高価なモノを貰うなんて後から何をされるか分かったもんじゃない!
「あははっ、そんな警戒しないでよ。もう、さっきの件は君の思い通りに解決しただろ?」
思い通りどころか、上乗せ金をこれでもかと乗せられて、こっちが驚いた。
それに勝った気なんて全然しないし、それどころか手のひらで転がらされたような、どこか納得のいかない悔しさが残る交渉だった。
「君のことが、気に入ったんだ」
「ーー私は、別に気に入ってません」
「あははっ、これは手厳しいね」
「ーー貴方ほどではないわ」
「ふふっ、拗ねているのかい?」
「ーーいえ、怒っているのよ」
握られていた手がショーンの方に寄せられたかと思うと、柔らな唇が手の甲に落ちた。
手の甲へのキスは、主に男性が女性に許可や許しを求めたり、目下の者が目上の者に忠誠心を表す、貴族独特の表現のうちの一つだ。この場合は、謝罪表現だろう。
「ーーどうか許して?君があまりにも可愛い反応をするから、つい調子に乗ってしまった」
「わざと私を小馬鹿にしていたのね? なら、なおさら腹がたつわ」
「ふふっ、男は気になる女性を怒らせて、気を引きたい生き物だからね」
私の目をしっかりと見ながら話すショーンの吐息が手にあたってこそばゆい。
「そんな言い訳が通ると思って?」
「おや、どうやら君はまだ男のことを知らないようだね、お嬢様」
「ーー私の周りには、貴方みたいにお行儀の悪い男性はいないのよ」
「じゃあ、怒っている姿も可愛いって言われたことはないかい?」
「ーー性懲りも無く、また私を小馬鹿にしたわね?」
「いや、愛でているのさ、可愛い人」
「ーーいったい何が目的なの?」
口説かれているようで同時にすごく馬鹿にされている気がする。
確かに怜として生きた前世も面倒な恋愛に一切手を出さないまま死んでしまったようだし、レイチェルとしても婚約者のセドリック、そして父と兄ぐらいしか近しい男性はいない。
そもそもセドリックとは政略だし、堂々と学園で浮気をしている婚約者と違って、私は恋愛なんてしたことがなかった。よって、この男が一体全体何をしたいのか全く不明なのだ。
「さっきも言っただろう? 君が気に入ったんだ。ぜひとも、俺のものにしたいぐらい」
ショーンはそう言って、再び私の手の甲に形の整った唇を寄せた。
私はというと、思っていたよりも直球な答えに驚いていた。今までの会話の流れで口説かれているという自覚はあったが、馬鹿にもされていたので信じがたい……。
男性が女性を口説く場合、もっとこう甘くて優しい砂糖菓子のような、そんな雰囲気や言葉遣いで行われるのではないか……こんな風に相手をわざと怒らせて楽しみながら行われるものなのか……分からない……。
物心ついた時からセドリックという婚約者がいたレイチェルは、夜会に出ても誰にも口説かれることはなかった。
この国の第二皇子である婚約者にアプローチをかけようとする命知らずは我が帝国にはいなかったからだ。
ーーまあ、国に定められた婚約者がいる王子に手を出す不届き者と、国王の命に逆らおうとするお馬鹿王子は居たが……。
「ーーお生憎様。私、婚約者がいるの」
数ヶ月には解消されるけど……ということは伏せて、現状のみを伝える。
「ーーへぇ、それは興味深いね」
「信じてないわね? でも、残念ながら本当のことよ」
「残念ながら……ね。それは俺が? それとも君が……かな?」
余計な一言を言ってしまったようだ。
皮肉を言ったつもりが見事にカウンターを食らってしまった。本当に油断のならない男だ……。ついムッとしてショーンを下から睨みあげる。
「あははっ、君は怒ってる姿が本当に可愛いね」
「……」
「ふふっ、そうだなあ……俺が君のことを女性として気にいってるけど、ひとまずは楽しい友人として妥協するよ。俺と友人になってくれますか? お嬢さん」
手の甲に3度目のキスが落とされた。
「まずは、ランチでもどう? この辺りの美味しい店を知ってるんだ」
「ーーあいにく、ランチは先ほど済ませました」
「そうなの? それは残念だなぁ。じゃあ、お茶をしてから、ディナーはどうだい?」
よけいに嫌だよ!なんでランチをとるより一緒にいる時間が伸びるのだ……だいたい、こんな腹の読めない男とディナーを食べたら、せっかく美味しいご飯も口から食べたのか鼻から食べたのか分からなくなりそうだ。
「嫌です……と言ったらどうなるの?」
ショーンは私の手を握ったまま、余裕の笑みを浮かべている。
「ーーそうだなぁ……もし、断るのなら、さっきの商談は無しにしちゃおうかな」
「なっ! 卑怯ですよ!」
「あははっ! 冗談だよ。でも真面目に、君と2人で食事しながら話したいだけなんだ。ダメかな?」
「……」
冗談だなんて言ったけど、この男であれば本当にやりそうなところが怖い。
「ーーはぁ……また後日のランチであれば良いですよ」
今日は午後からの予定もあったので、そろそろ家に帰らなければならない。
ため息をついてから了承すると、ショーンはパァーッと嬉しそうに笑い、それでいいと頷いた。
「では、また後日。とりあえず、これ、早く受け取ってください。そして、いい加減、手を離して」
本日最後のキスを手の甲にすると、ショーンはどこか名残惜しそうにそっと手を離してからこう言った。
「いや、それはまた会う日まで君が持っていて?」
「ーー別に、これがなくても約束は守ります。ショーンさんと違って」
「おや、手厳しいな。いや、そんなつもりじゃなかったんだけど、せっかくだし君のアイデアを採用しようか。今度会う時まで、それは担保だよ。次にちゃんと俺に会って、君から渡してくれ」
これは、意地でも受け取らなそうだなと思い、私は手を引っ込めた。無駄な努力は嫌いだしね。
「ーーわかりました。この件についても、私の方が折れておきます」
「ふふっ。これはこれは、寛大な処置をありがとう、お嬢さん」
「ーーあなた、ムカつくってよく言われない?」
軽く睨みながらそう言った私を見たショーンは、また先ほどのように大きく目を開いてから笑い始めた。
ーーこれが、私が初めて恋をした相手、ショーンとの出会いだった。




