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石譲りの儀式

 月長石の通う高校は芸術の風潮が盛んで、毎年春になると劇団を呼んで体育館で劇が催される。始まるのは春の宵である為、保護者の許可が必要となる。月長石も黄玉も、輝水鉛鉱に承諾を受けて、その日の宵、体育館に他の生徒たちと共に集った。パイプ椅子が一学年分、律儀に並べられ、出席番号順に座る。規律に厳しい学校側もこの日ばかりは寛容で、購買で買ったパンやお握り、持ち込んだ菓子などを持参することを黙認している。月長石はカフェオレとクロワッサンを持ち込み、あたりを何となく見回した。同じクラスの薔薇は目立つのですぐ目に入る。演劇は学年別に催されるので、この中に黄玉と紫水晶はいない。物足りない思いで、月長石は演劇のお知らせが印刷されたコピー用紙を眺める。コピー用紙には輝水鉛鉱が押した空閑家の印鑑が朱くある。体育館の舞台上には天井から月のような真ん丸の球体が吊るされ、草原や樹、花や泉などの舞台設定が施されている。ざわめく生徒たちの間の熱気。やがて教師の一声に静まり、檀上では劇団の座長が立ち挨拶、口上を述べる。


「――――それでは皆様、お楽しみください。『宝玉の愛』!」


 座長が高らかに叫んだ劇のタイトルに、月長石は引っ掛かった。まるで鉱石家に関することのようで。自意識過剰だろうと思い、観劇していると、徐々にそうでもないことが判ってきた。

 舞台上ではダイヤという名前の奔放な男が、氷の精に横恋慕し、その恋人に無理難題を吹っ掛ける。氷の精は頑としてダイヤを拒み、恋人と共に逃げる。怒り狂ったのはダイヤの妻で、オレンジがかった髪の色をしている。彼女は全て氷の精たちが事の元凶だと断じ、追っ手の狩人を放つ。逃げる氷の精と恋人。逃亡先で彼らは、未来の子供である月の精に助けられ、憩いの家へと導かれる。


 大分脚色はあるが、まるで自分たちの縮図のようだ。


 月長石はカフェオレやクロワッサンを味わうのも忘れて劇に見入った。薔薇も気づいているだろうか。顔を巡らせると、薔薇もまた月長石を見ていた。顔色が青ざめている。劇の最後は、嫉妬に狂ったダイヤと妻が火災によって自滅し命を落とす。氷の精と恋人は生まれ落ちたばかりの月の精を健やかに育むことになる。

 鉱石家を揶揄してのものでないにしろ、劇全体の質は高かった。クライマックスとも呼べる火災は大きく切り継がれた赤いセロファン紙で表現され、それと判るのに熱波が感じられるようだった。

 拍手喝采と共に劇が終わり、劇団員たちと座長が並ぶ端のほう、ひっそりと佇む男性が見えた。奇妙なことにその男性の髪の毛は、向かって右半分が赤、左半分が青だった。座長が彼を今回の脚本家と紹介した。彼はぺこりとお辞儀しただけで何も言わない。端整な顔は無表情で、何かを感じるということを忘れたように見えた。

 ――――コランダムだ。

 月長石は確信した。その確信に合わせるように、コランダムは体育館を出て行く。月長石も立ち上がり、そのあとを追う。薔薇もついて来るのが気配で解った。

 潤んだ空には月も星も出ていなかった。春の空気は泣く手前のようだ。

 コランダムは学校の裏の草原にまで歩みを進める。特に急いでいるようにも見えないのに、その歩みはとても速い。月長石が追い付いた頃、彼女は肩で息をしていた。コランダムは草原の中、そんな月長石を静かな瞳で見ている。


「貴方、コランダムさん?」

「……そうだよ、月長石。それに、薔薇」


 コランダムの言葉に月長石が振り向くと、自分同様、息を切らした薔薇が立っている。

 何て清澄な人なのだろう。

 月長石は、こんな人間を見たことがない。植物のように凪いで穏やかで、荒ぶるところの想像もつかない。強いて挙げるなら、父である輝水鉛鉱に近いかもしれなかった。


「緑柱石様が貴方を捜している。渡したい物があると」

「『矢車』なら、僕はいらないよ。輝水鉛鉱にでもやると良い」

「多分、それだけじゃなくて、緑柱石様は貴方に逢いたいのだと思う」


 コランダムが悲し気に微笑んだ。月長石の胸が痛む。


「僕は彼女に逢いたくはない。彼女は幻影を追っているんだよ。泉に浮かぶ月に手を伸ばすように」

「なら、はっきり言ってやると良い」


 途中から薔薇が割り込む。


「女の未練はしつこいからな。ばっさり切るのが一番だ」

「未練と言うなら僕にもあるからね。無碍(むげ)には出来ない」

「緑柱石のばあさんが好きなのか?」

「違う。月長石。君だよ」


 急に名指しされて、月長石は狼狽えた。


「その髪、瞳。ロイヤルブルーレインボーそのもの。君は憶えていないだろうけど、僕は幼い頃の君に会っているんだ。いっぺんに魅了された」

「……外見に?」


 くすりとコランダムが笑う。


「外見には生まれ持った気性も出るんだよ、月長石。君はとても綺麗だ」


 月長石に言わせれば、中性体とは言え、これ程美しい人には初めて逢った。その相手に賞賛され、喜びより先に戸惑いが生じる。

 気づけばコランダムが、月長石のすぐ目の前に来ていた。息がかかるくらい間近だ。


「月長石。君がどうしてもと言うのなら、僕は『矢車』を受け取るよ。その代わり、君は僕の傍にいてくれるかい」

「ふざけるなよ」


 怒声を上げたのは薔薇だ。最初は敵愾心しか抱かなかった月長石に対して、薔薇はいつしか仲間意識のようなものを感じていた。兄である紫水晶が拘っているからでもある。こんな得体の知れない男に、月長石をかっさらわれる訳には行かない。

 そして月長石は理解していた。

 自分はこの儚い美しい人に惹かれていると。

 父と変わらないくらいの年齢の相手の筈なのに、コランダムにはそう思わせるところが微塵もない。

 コランダムに頬を撫でられ、歓喜する自分がいる。唇が、唇に触れそうになった時、薔薇が強引に割って入った。


「いい加減にしろよ!」


 月長石の高揚した気持ちが萎んでいく。邪魔された、と思った。薔薇はコランダムにも月長石にも怒りの視線を向けていた。怒りの度合いは、月長石に対するもののほうが大きいように思われた。


「紫水晶はあんたのことを好きになりかけてる」


 薔薇の言葉に目を見開く。


「失望させんな。こんな、会ったばかりの奴と……」

「そう、紫水晶が」


 言ったのはコランダムだった。


「僕は紫水晶も好きだよ。興味がある」

「あんたの好奇心に紫水晶を振り回すなよ」

「しないよ。僕は当面、月長石だけで良い」


 月長石は、恋というものはもっと優しさや希望に満ちたものだと思っていた。所詮は十代の少女だ。夢見ていた自分を嗤う。自分とコランダムの先には何もないと思うのに、コランダムに惹かれて止まない。コランダムはしばらくそんな月長石を見ると跪いた。


「我、石の命を月長石に託すことを誓う」


 そう言って立ち上がると、止める間もなく草原の向こうに走り去った。

 意味が解らず月長石が突っ立っていると、薔薇が苦い口調で告げた。


「石譲りの儀式だ。略式で、正式な誓約ではないけど」

「石譲り?」

「知らないのか。鉱石家の人間が、自分の身命を捧げる相手にする儀式のことだ。恐らくはお前の父も母も互いにやってる。……うちのはどうか知らないけどな」


 どくん、と月長石の心臓が鳴る。

 青と赤の色彩が混濁して月長石の内側に入り込むのを感じた。体中に生気が満ちて、温かくなった。

 石譲りの儀式を終えたコランダム。

 行かないでと叫びそうになった自分を、月長石は知らない人間のように俯瞰していた。




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